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世界平和に不都合なぼくたち  作者: さんかく
第三話 独裁者さん、お断り
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第127回 アイノースメイド業務日誌:交渉、そして事件

 わたしは公安警察の運転するくるまにゆられています。


 くるまのなかはどこかすえたにおいがします。


 そういえば、わたしは戦車や軍事車両のにおいが好きではありませんでした。ありていにいえば、きらいでした。リンカさまのもとで動いていたわたしですから、車両にゆられているなかで眉間にシワがよっているのは、みなさんはこころ穏やかではなかったでしょう。理由はにおうから、というだけですから、とりたてていう必要もありませんが、顔にでるくらいは嫌がってもよろしいのではないでしょうか。


 だってくさいんだもの……あら、失礼。


 性質というのは、どうやらころりと変わるものではありません。


 トンネルのなかにはいり、窓ガラスにじぶんの顔がうつると眉間にシワがよっていました。


 わざともっとぐっとちからを入れてシワをよせます。


 そしてちらりとおとなりの刑事さんの顔をみますが、ぴくりとも表情がかわりません。撫然としています。のぞきこみますが、かわりません。撫然としています。


 しかたありません。わたしもお仕事中は一生懸命にやりますから。


 そういえば、取調べのときの刑事さんのほうがもうすこしユーモラスではありました。


「美少女要素はわたしという存在でまかなえますが、鬱々と取り調べでおじさんとの会話のどこらへんに読者への華やかさや面白みがあるとおもいますか?」


 いちおうはアイノースの代表として公安警察の取調べをうけていますし、そういう看板をかかげているのですから不真面目に取り組むことはしていません。していませんが、わたしも正面の刑事さんも、おたがい取調べの停滞を認識していたころでした。ちょっとふざけて、ちょっと怒られてもデメリットはないかなと思える程度には。


 政府としてはリンカさま、または佐倉ユウタさんの身柄こそ本丸で、とはいえ本人ふたりを取り逃がしているなか、アイノースの重要人物……じぶんで書くのははばかれます……の身柄をおさえておくことだけでも交渉相手たるJ国へのエクスキューズになります。


「新しい情報をひきだすことは面白みがあるとおもうよ。それにわたしは乱歩や横溝正史よりも松本清張のほうが好きでね、地道な捜査が実を結ぶ」


「ですが、オリエント急行は解決できませんね」


「ビーフ巡査部長の活躍も忘れてはいけない」


 まあ、なかなかの読書家さんのようです。


 あらためてリンカさま、佐倉ユウタさんの居場所について質問を投げかられましたが、こたえはかわりません。


 知りません、です。


 手を替え品を替え、あらゆる角度からこの質問をなげかけますが、やっぱりかわりません。


 刑事さんもわたしのことは把握されているようです。隠し通せるものではありません。同じ穴のムジナ。答えないことは十分にわかっていらっしゃるようです。


 ですが、今日はちがいました。


 取調べ室に入ってきたのはいつもの公安の刑事さんと、そして見知らぬスーツ姿の女性です。


「外務省の三雲です」


 リンカさまとおなじくらいの背丈でしょうか。細身にあったスーツがいっそうシルエットをきれいにみせています。髪はあかるいボブで、バストアップのはなやかさが際立ちますが、顔のパーツは比較的ちいさいつくりで、いささかアンバランスさがありました。


「唐突ではありますが、わたくしどもにご同行をいただけないでしょうか。J国の代表者のもとへ」


 たしかに唐突ではありましたが、ようやくの印象です。いつまでも代理人同士の会話ではらちがあかない。日本政府がそう判断をしてもよいころです。


 ですが、公安のみなさんは不承不承といったところでしょうか。外務省からのお達しですが、送迎は公安のくるま、そしてもちろん刑事さんもふたり、ご同席です。


 J国は巨竜型討伐ののち、病院付近に野営をくんでいました。不思議なはなしです。巨竜型に対抗する武器や人材がどこからともなくあらわれたのです。どこかにきちんとした拠点があってしかるべきですが、彼らはもどろうとはしませんでした。


 病院へ向かう幹線道路からの路脇に、銃をもった兵士が2名、つまらなそうに腰をおろしていますが、通行しようとするくるまに武器をかかげてにやりと笑いかけます。検問でこそありませんが、そんなことをしていれば一般のひとなら通ろうとはおもいません。公安のくるまもおなじ洗礼をうけましたが、するりととおりすぎるとしばらく冷たい視線がうしろをひたひたとおいかけてきました。


 みちの両脇の随所に兵士が個人や部隊の陣地をもうけ、思いおもいの格好で日本のひどくむし暑い夏の陽射しを楽しんでいる様子でした。


 くるまは特に目印らしいものもないところで停車しました。すると、ちかくにいた兵士たちはのっそりと来訪者の周囲をゆるやかにとりかこみました。すこしでもおかしなことがあれば、あっという間にくるまとわたしたちはハチの巣でしょう、ちんぷな表現ですが、きっとかれらもそう思っているはずです。


 三雲外務官はぐっとてのひらをにぎりしめると、外へでました。あたりをぐるりと睥睨すると、


「CJか、顔順はどこ?」


 とちかくの兵士にといかけ、何かに気づいたかのように、こんどは中国語で問いかけました。


 女性を見てにやにやと笑っていた兵士たちは、その名前を聞いてさっと顔いろを変えました。


 それにわたしは違和感をおぼえました。


 わたしにも予備知識はあります。CJと顔順は真木村さんのビジネスパートナー……拉致監禁をしておきながらですが……で、軍の上層部です。ボスの客かと慌てたような感じではありませんし、上層部への畏怖という感じでもありません。どちらかといえば嫌悪感、いらだちといったところでしょうか。あれだけ高度な戦闘技術をもっていても組織としては弱い一面があるようです。


 ですが、はたしてそれだけなのでしょうか?


 兵士さんは「医院(病院)」というと、手に持っていたタバコへと急に興味をひいたようにすいつき、視線をこちらにもどしませんでした。


 この軍隊には病院の敷地も関係ないのでしょう。壁や塀に銃や武器を立てかけ、うつらうつらと船をこいでいる方々がたくさんです。


 三雲外交官は入り口あたりでぴたりと止まるとまわりをぐるりと見渡し、ひとりの男の人の姿に目をとめました。


 そのひとは苛立たしげに腕をのばしてちかくの兵士さんに指示を投げていました。兵士のみなさんの慌ただしげな往来でもくもくとけぶる砂埃にまるっきり適さない白いスーツと黒いシャツを羽織った、崩壊前の若手の経営者のようなみなりでした。


「CJ、探しました」


 男の人はスーツのジャケットを腕にかけ、眉間にシワ(わたしのシワなんかよりも深く刻まれたようみごとなものです)を寄せ、怪訝そうに三雲外交官をみつめました。


「今日はないはずだ、用事は。何しにきた」


「そんなはずはありません。顔順に本日訪問することを伝えました」


「顔順に? 聞いていない、おれは。さあ、帰れ」


「なら顔順に確認してください。たしかに伝えています」


「その必要はない。お前たちは帰るんだ、きょうはだれにも会うつもりはない、おれも、顔順も」


「いいえ、顔順は会うはずです。きょうはアイノースの上層部をつれてきました」


「なに?」


 CJがあたりを見渡し、その人物に該当するだろうひとをさがして、しばらくしてわたしに視線をあわせました。CJはじっとわたしを見つめ、何かをからだの内側で堪えているように目をみひらきました。


「どうして連れてきた?」


 そう日本語で三雲外交官をせめると、ぼそりと何か言葉を吐き捨てました。


 わたしはリンカお嬢さまといっしょに語学を学びました。残念ながら流暢といえるのは日本語と英語、そして中国語だけです。ですので、CJがつぶやいた言葉が、「なんでこうなった?」と「くそっ!」というものであることはわかります。お行儀がわるいですね。


 ですが、意外にも「まさか」という言葉は発しませんでした。もしくは「こんな小娘が?」や「バカにしているのか?」という、つまりわたしがアイノースの人間であることへの疑問といったものです。


 リンカお嬢さま、そして佐倉ユウタさんやかえでさんの存在は、ものごとがおとなを起点として回っているという世界を一転させました。そんなこともあるといいねという少年少女の冒険譚ではなく、事実として、いまこの世界は子どもたちの手によって取り返されました。


 ですが、それを受け入れられるだけの度量は当然ありません。国は強大なちからでスクラップになりましたが、リビルドには子どもたちも参画をした国づくりというものは、まだ旗をわたすことはできないと考えているようです。


 あら、はなしがずれましたね。


 CJは苛立たしげにあごで敷地外をさしました。病院のすぐ脇に大きな野営テントがあります。そこへ向かってぐんぐんとすすみました。


 少なくとも怒ってはいるようです。わたしは最初にあったといから、このCJと呼ばれるひとが平静を装いながら、苛立ちを隠せていないことがわかっていましたが、不可解に思っていました。


 すくなくとも、タイプとしては上層に君臨して、うすら笑いを浮かべながら統治するのを好む人間だと思っていましたし、事前の分析でもそうでした。ましてや、交渉を望んでいた企業の人間を日本政府がつれてきたのですから、おどろきはしても、ものごとが順調にすすんでいることには満足しておかしくありません。


 なぜなのでしょうか。顔順が自分をとばして政府側と重要な交渉をしていたことに不満を感じたのでしょうか。


 テントへむかうその途中、視界の左奥で騒ぎがありました。


 ケンカのようです。


 怒声と歓声が入り混じり、土ぼこりだらけの兵士のみなさんの群がりがあっという間にできあがったかとおもうと、とつぜん悲鳴が響き、次いで、ずどん、という銃声が響き、やんややんやと囃し立てる声がひびきます。


 わたしたちはあっ気にとられ、足が止まりました。あわてて集団にわってはいったおまわりさんたちもぼうぜんとします。


 隙間からひとりの男性が顔をこちらにむけ、おかしなかたちでうずくまり、もうひとりの男性が歓声に手をあげて、おどけてみせています。


 そして、そのうずくまった兵士には見覚えがありました。先ほどCJの居場所を教えてくれたあの兵士でした。


 おまわりさんがその歓声にこたえる男性の身柄をおさえようとすると、ぐるりと囲んだJ国の兵士たちがその肩をむんずとつかみ、押さえ込みました。


 公務執行妨害だ、殺人の現行犯で、とおまわりさんが叫んでいます。そのとおりです。おまわりさんがいっていることは正しいのです。ですが、わたしの隣にたつ公安の刑事さんはぴくりとも動ぜず、わたしたちと相対していたCJもちらりと視線をなげやっただけでした。


「責めないでいただけないか、彼らを」


「だがあれは明らかな殺人だ。放っておくわけにはいかない」


「郷にいれば郷にしたがうのがほんとうだろう。平時ならば。だが、ここはつねに非常時だ。有無はいわせない」


 CJはまぶしそうにその光景をながめ、するどく鼻息をふきました。


 このCJが、高俊熙の部下でも高位にいることはわかります。だれでもわかることです。そして日本の警察機能を完全に抑えられるだけの交渉を許されているというのも間違いありません。


 ひとが死に、法ではなくごく小規模なコミュニティーのルールで取り扱われる。このひとたちはいまだに戦火のなかにいることを積極的にのぞんでいました。無法が法を御する。それが彼らの法なのでしょう。


 三雲外交官の顔は真っ青になってしまいました。外交の世界ですから、精神的なきったはったは多く経験を積んでいるはずです。


 ですが、あれはモンスターに虐殺されたわけでもない、人殺しすら場の遊びという異質な光景です。そして目の前の白いスーツのおとこがそのトップであることをまざまざと認識されたのでしょう。無理もありません。わたしだって、嫌な気持ちが浮き沈みしますから。


 テントのなかは外とおなじように散らかっていました。ただただ荷物がなげこまれているだけの空間です。ここは作戦の本部としても機能はしていません。一箇所だけ、片隅のテーブルとその上におかれたコンピュータと羅針盤のようなものの周辺半径30センチの平面だけが片付けられていました。


「突然の来客だ、おれにとっては。だから茶はだせない。適当にすわってくれ」


 お茶、と聞いてぞーっと悪寒が走りました。この空間から出てくる? それを聞いただけで立ちくらみがします。なので手近で比較的清潔そうな椅子を引き寄せ、腰をかけました。


 CJは落ち着きを取り戻したのでしょうか、先ほどとは少し変わった様子です。


 あのケンカ騒動でCJとわたしたちにはそれぞれ変化がありました。わたしたちは突然のできごとに動揺しています。ですが、彼に軍のなかにある日常茶飯事に血がわきたち、彼のなかでぐらぐらと煮えたぎっていたべつの感情も巻き込んで急激に冷めたように思えます。


「わたしたちは、あなたがたの要望に応えて、こうして……」


 三雲外交官がしゃべりだすと、CJはそれを制しました。


「聞いているだろう、おれはCJと呼んでくれ。名前は、おまえの」


「はじめまして、片桐メイです。アイノースにてメイドを務めています」


「鉄仮面か」


 久々にそう呼ばれました。不本意ながらわたしのふたつ名です。どんなときも顔の筋肉ひとつ動かさない……というかこれ、悪口ですよね。もう少し、品というか、可愛らしさはないのでしょうか? ダルタニャン物語じゃないんですから。


 という不満はさておき。


「CJ、まずはこの会合の目的を明確にする必要があります。常時非常時のあなたがたにとって、そしてわたしたちにも時間は重要なはず。羅針盤のない交渉という航路は遭難の可能性があります」


「そっちに提供できるものがある。代わりにわれわれの要望に答えてほしい」


「具体的に伺いましょう」


「独自のモンスターの研究データがある。いろいろな国でいろいろなモンスターを討伐してきた。持ち帰り、研究した。肉、骨、内臓、皮、さまざまだ。それを提供しよう。なかにはモンスターが起因の病気と、ワクチンの情報もある。どこにもまさったデータだ」


 三雲外交官がはっと顔をあげた。


「それでは条件がちがう!」


「何がだ? われわれは製造法を教えるといい、そのための契約書を締結まですすめている。いったことに嘘はない。契約を飲む、飲まない知らない。われわれは日本の製薬会社のスピードに落胆している」


 外務省が焦っているのは、この契約のためだと真木村さんから聞いています。あまりにもJ国に優先された契約なので、厚生労働省経由で選定されたワクチン開発に長けた上位3社は契約を渋っているのです。


 復興対策本部のモンスター討伐機能が回復しない限り、つまり国の免疫不全状態です。


 そういって、視線をわたしにむけました。


「マオウ熱のワクチンは自国生産のライセンシーを提供するに過ぎない。日本の企業には研究権限はあたえない。しかし、今回提示するものは研究もふくめることが前提だ。アイノースのテクノロジーと交渉力をもちいれば、アメリカでの生産と緊急使用の承認で優位にたつ。あとはおまえたちのビジネスセンスだ。」


「魅力的な提案です。それで、条件とは?」


「データ提供による相応額の年間契約と、アイノースによるわれわれ国家の全面的な支援だ。具体的にはわれわれと合弁会社をつくり、双方の国内に会社をたて、あらゆる研究と開発はそこでおこなう。資金、資材の提供を希望したい」


「把握しました。ではそのデータのいちぶを確認させてください」


 そのとき、外のひびわれたスピーカーからチャイムの音が流れました。確か午後5時を知らせるものです。CJはじっと時計へと目をむけながら、じっと押し黙っていました。何かをさぐるように。


「CJ?」


「……ああ、すまない。確かにそうだ。実物を見ることは大事だ。だが、ビジネスにおいてはすべて契約ベースだ。事前に秘密保持契約を結んでもらおう。それに準備ができていない。三雲、日本語でいえば、このことだろう、拙速とは」


 そういってゆらりと立ち上がると、片隅の机の引き出しから3枚の紙を取り出しました。秘密保持契約の書面です


「契約書面は確認してサインをおこないます」


「ああ。だが、内容の変更はない。おまえたちのアクションは確認してサインするだけだ。さあ、今日は帰ってもらおう。成果はあった。三雲、外務省の動きはそれなりに評価をする。日本の製薬会社への条件はある程度緩和をしていい。状況を教えろ、早急に」


 三雲外交官の顔に血の気がもどりました。「早急に」とうなづきます。


「鉄仮面」


 その呼び名はやめてほしいです。ですが、いちおう返事はします。状況にたいする分別ぐらいはあります。


「はい」


「佐倉ユウタはどこだ?」


「存じ上げません」


「リンカ・アイノースはどこだ?」


「存じ上げません」


「貴様らが佐倉ユウタを匿っているのはわかっている。無駄な時間かせぎはよせ。時間は迫っている」


 わたしはにこりと笑ってみせた。だって、鉄仮面ですもの。笑顔の仮面は貼り付けて、そしてはがれません。


 CJは舌打ちをすると、くるりと背中をむけてしまいました。


 どうやら本日のわたしのお役目は果たされたようです。おつかれさまでした。とはいえ、帰るさきは暖かい晩御飯が待っているところではなくて、おじさんたちに囲まれる公安さんのもとなのが、労働への報酬としてはいかがでしょうか。マルクスさんもいってますよね、はたらくひとは労働力の再生産を行っているって。


 ですが、やむかたありません。


 美味しくない晩御飯に、暗い独房であしたも取調べをがんばりましょう。


 三雲外交官は逃げるようにずんずんとくるまへとむかいました。この異様な空間から早く逃げ出したい、成果を早くつたえたい、早くしなければCJの気分が変わってしまうかもしれない……そのどれかを思っていてもおかしくありませんし、全部思っていてもおかしくありません。物事は電光石火に進めなければなりません。悪いことはとにかく速いのです。


 そのときは音に乗って追いかけてきました。毎秒340メートルの音速のあぎとががぶりとわたしたちを喰らい止めたのです。


 それは悲鳴でした。


 まごうことなき悲鳴でした。


 わたしたちは悲鳴という危険信号に動物的な何かを有しているとすると、危険からの回避ではなく、仲間を助けるための反射的行動なのでしょう。震えていた三雲外交官もわたしやおまわりさんたちといっしょに悲鳴のもとへと走っていました。


 断続的に響く悲鳴、そして、ふたたびの銃声が空気を切ったのは、わたしたちがその音源のまぢかにたどり着いたときでした。


 病院の裏手、建物の影になるところに近づくと、ひとりの男性が銃を片手に立っているのがわかりました。その視線は地面を向いていて、口はにんまりと笑みを浮かべていました。


 男性はわたしたちがやってくるのを認めると、驚くふうもなく、銃をベルトにさしこみ、じっとこちらに目をむけています。


「両手を頭のうえに! 両手を頭のうえに!」


 おまわりさんが拳銃をかまえると、2度日本語ではなしました。


 すると、男性は迷うことなく両手を頭の上にのせます。ですが、くちもとの笑みははりついたままです。公安の刑事さんも拳銃を構えると距離を保ちながら、じりじりと後ろに回り込みます。男性は刑事さんと、そしておまわりさんに視線をするどく転じさせながらも、慌てた様子はありません。


 わたしも、刑事さんといっしょに男性の背中側に移動します。


 壁に隠れていたその日陰に、別の男性の体が横たわっていました。影に塗られた土の上を、まるで墨汁のように濃い液体がずるずると広がっていきます。銃弾は男性の脳天を貫いていました。残念ながら、救命の余地はありません。


「顔順」


 遅れてやってきた三雲外交官が男性をみて絶句しました。このひとが顔順。日本政府の窓口とこの日この時間に会う予定を組み、本来ならばあの野営テントでCJとともに話をしていたはずです。それがなぜ?


「おお、三雲さんよぅ、そういえば今日だったな。悪いな、急用で……」


 そういって、ひらりと手を上げたその時でした。


 ちゅんっ


 何かが鋭く空気を裂く音がしました。ついで砕ける音。それはほんの束の間の出来事でした。まるでコントの間合いをはかるように一瞬遅れて、顔順の体がゆらりとくずれ、地面に叩きつけられました。


 三雲外交官の後ろからCJがゆっくりとした歩調で歩み出てきました。片手には銃を掲げています。刑事さん、おまわりさんの銃口が白いスーツへ向けられます。


「ぶ、武器を捨てろ! 両手を頭の上へ! 武器を捨てろ! 両手を頭の上へ!」


 おまわりさんがふたたび叫びます。ですが、CJは意に介さず、歩みをゆるめません。彼が自分を追い越すと、三雲外交官はへなへなと地面にしゃがみこんでしまいました。悲鳴をあげる前に強いショックで意識が混濁してしまったのでしょう。


 CJは、顔順ともうひとりの死体を横目で確認すると、持っていた拳銃を放り投げました。


 すかさず、公安の刑事さんが横に蹴り飛ばします。鉄の凶器はからからからと音をたてて離れていきます。


「どういうことだ、CJ!」


「軍の兵士の不始末だ。だから始末した。それだけだ」


「被害者は民間人だぞ! 顔順は日本の法で裁かれなければならない! そ、それを……」


「必要ない。楽に方がつくぞ、その辺に埋めるか、海に投げ込めば。犯罪者を更生させる余裕など日本にもないはずだ。少ないリソースだ、必要に投資しろ」


「われわれは法治国家だ! 法に基づいて罪には罰を与えなくてはいけない!」


「なら、調べればいい。被害者も加害者も死んでいるがな。おまえらがその労力を投じたとしても、わかることは推論でしかない。敢然たる事実がそこに横たわるなら、そのままに処理をすればいい。ないはずだ、深山木にみる必要は」


「調べるとも。だが、お前もだ、CJ。顔順殺害の罪で、貴様を現行犯逮捕する」


 刑事さんが手錠を取り出すと、CJの腕にかけました。J国の軍事高官は自分の腕の自由を奪った手錠をちらりとみて、いちどだけ肩をすくめますと、刑事さんに腕をつかまれてパトカーへと向かっていきました。


 その横顔に、なんとも複雑な表情をよみとりました。たぶん、その中心の感情はいらだち。ですが、それはけっして日本の警察や顔順に向けられたものではありませんでした。視線の先には、先ほどまでいた野営テントがあります。そこをにらみつけ、ふつふつと湧くいらだちを抑え込んでいるようです。


 CJの姿がパトカーのなかに消えるのをみとどけると、殺された男性へと近づきました。からだを触らないように顔をのぞきこみ、そこに見知った人の顔があらわれると驚きました。


 騒ぎを聞きつけたひとたちが遠巻きにですが、確実にあつまり、集団をつくりはじめていました。地面に臥せるふたつの体。お医者さまの診断をくだされるまでもなく、絶命は確実でしたが、「お医者さんを、はやく!」と叫びました。ひとりは入院患者ですし、そのひとを殺した傭兵とはいえ、勝手に土にも海にも埋めるわけにはいきません。


 白衣の先生たちが駆け寄ってくるのをみとめて、わたしは三雲外交官を抱きかかえます。静かに気を失っているようです。


 わたしはその位置からくるりと現場の方をみて、疑念がふつふつと湧き上がりました。


 ですが、なぜ?


 なぜ、真壁先生は顔順に殺されなくてはならなかったのでしょうか?

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