第123回 世界平和と佐倉ユウタにうってつけの冒険⑤ 意思ある兵器
フランケンシュタインのかいぶつ。世界的に有名なこのばけものは、メアリー・シェリーという女性作家の創作物だ。のちの映画界の大スターのもとはたった20歳のときに書いた「フランケンシュタイン」という著作で、最初のS Fっていう説もある。世界にはとってもすごいひとがたくさんいる。
うごー、うごーとしかしゃべれないイメージもあるけど、かいぶつはとても知性的だ。知性的で、詩的で、だけどとても醜く、とても醜く、とても醜く……だから愛されなかった。生みの親であるフランケンシュタイン博士にすら。
醜悪な人工生命体。
それがフランケンシュタインのかいぶつだ。
※ ※ ※
ロープをつかみ、岩壁かけあがる。ルートさえあればぼくにとって登るのはかんたんだ。リンカは振り落とされないようにしっかりとぼくのからだをつかんでくれている。
キメイラはちいさな標的のぼくらをみとめると、しばらくぼうぜんとした様子でぽっかりと浮かび、やがて岩壁からすこし距離をとってふたたび火炎をふきだした。だけど、宙をつたう炎のスピードになんかまけない。ますますスピードをあげ、落下地点に飛びもどる。
ぼくらを支えていたのは、穴のなかのロープではなかった。その直前のハーケンだ。じゃなきゃ、ぼくらはすでにまっさかさまだ。コーヒーを飲んだその場所は岩こそ燃えていないけれど、熱がこもっていた。そのかたすみにはめらめらと炎をあげている影があった。ヒゲづらのひとだろう。生死を確認するにはあんまりにも無惨なすがただった。
キメイラはまたぼくらの目のまえでぼうぜんとした面持ちでうかんでいた。だけどおかしいとおもう余裕は、そのときのぼくにはなかった。
すばやく腰もとをあらためる。武器はナイフがいっぽん。だけど、この豪風にしろうとの銃ほど不確実なものはない。ないのなら、覚悟をするだけだ。リンカをおろす。ハーケンとロープの強度をたしかめる。
キメイラモンスターがゆっくりとのけぞる。
いましかない。
ぼくは岩べりをふたたび蹴りあげる。こんどは落下じゃない。まっすぐにモンスターに飛びかかった。強風が加勢する。からだは浮かび上がり、首すじにむしゃぶりついた。ちゅうちょしない。ナイフをつきさす。きゅいいいいいいいいい、という叫びとともに、赤い血がふきだす。血は風にのって霧のようにちる。
とたん、モンスターのからだは急上昇し、ぐるぐると旋回しはじめた。
ぼくを振り落とそうとしていた。
ぴーんっと張ったロープがぼくのからだを引き伸ばす。
ふいの抵抗にキメイラはバランスをくずすけれど、また飛びあがろうとする。まるで釣りだ。
だけどそれは長く続かなかった。支えているのはハーケンだ。岩壁に垂直に突き立てている。だから、下への負荷には耐えられるかど、横へのちからのながれには耐えられない。
豪風のせいで音もなくハーケンははずれた。
でも、運のいいことにもうひとつまえのハーケンがつなぎとめてくれていた。だけどそのひとつまえまでがつなぎとめているっていう確証はない。確かなことは、もしここでぼくが落下して、こいつをしとめそこなえば、リンカが火炎のえじきになる。それだけはさけなければならない。
キメイラはますますあばれ、からだは上昇する。くらいつき、こんどは頭と首のあいだ、人間でいえば延髄のあたりをねらって武器をねじこんだ。
また悲鳴があがる。からだがぶるぶるとはげしく激動する。するとまたいっしゅん、キメイラが意識を失ったように機能が停止し、ゆるやかに落下していく。だけどそれはほんとうにわずかなあいだだった。うすい皮膜のつばさがおおきくあおがれ、風をつかみ、ぐーん、っと宙にうかんだ。
するとこんどは岩壁をめがけて突進する。
はげしい衝撃がぼくのからだをゆすぶった。
キメイラはそのままからだを壁にこすりつけるように上昇していく。
ぼくを壁で押しつぶそうというのだろう。
からだがゆすぶられ、つきさしたナイフから手がはなれる。だけど、無我夢中でぼくは爬虫類のようなうろこをかかえこみ、ふたたび延髄につきさしたナイフの柄をにぎると、ちからいっぱい押し込み、さいごに引き下ろした。
いたみにからだをよじらせていたモンスターは両手で岩肌をつかみ、
ぎいやああああああああああ
と断末のさけびをあげていたけれど、それがぴたりととまった。
ぴくりともうごかない。
からだは落下もしない。やつの手と足の爪が岩をがっちりと掴み込み、つなぎとめていたからだ。
ぼくははげしく息をはく。標高もたかいんだ、空気だってうすい。そんななかで乱闘をくりひろげれば息だってみだれる。吸わなければ、たくさん酸素をとりこまなければ、意識が山に持っていかれる。
あたりをみわたす。リンカのいるであろう場所をさがした。それはやっぱりロープを辿ればいい。どうやらあの穴よりも高い位置にいるらしい。ロープは右下へと伸びていた。
いつまでもモンスターに抱きついてはいられない。
ぼくはしびれる指と足の感覚が少し戻ったタイミングでそろりそろりと岩壁をロープづたいに降りていった。
リンカは穴のなかで身をかたく構えていた。けれど、ぼくのすがたをみとめるとおおきく息をはいた。
「たおした」
「重畳ですわ」
それだけ? がんばった男の子に抱きしめるとかのごほうびはなし?
「あなたが生きていること、モンスターがたおされたこと。これ以上の重畳はありませんわ。でも、被害はけっしてちいさくありませんでした。あなたを責めているわけじゃありませんわ、佐倉ユウタ。わたくしの展望があまかった。責めはわたくしにあります」
「リンカ、きみはあんなモンスターをJ国がつくっていたと予想していたの?」
「ええ。もともと監視はしていました。ですが、李秋木が武里教授とつながっていたのなら、その可能性がぐんと高まりました」
「武里教授がモンスターの培養をしていたのか」
「彼個人がしていたとはおもいません。知識や技術はあったでしょう。でもそれをおこなう場所はなかった。そして彼が日本を出た形跡はありません。でも、李秋木があいだにはいっていたならあるいは遠隔でできていたかもしれません」
ぼくはことばをうしなった。
「錬金術は知っていますか? はじめ金をつくる目的はじまったこれによって様々な実験によって科学は進展しました。副産物のほうが利があったのです。わたくしはマオウ熱のワクチンのほうが副産物だとおもっています。つまり、モンスターの培養技術の開発による副産物ですわ」
世界を救うための技術は、世界を壊すための技術のウラオモテだというのはなんて皮肉なんだろう。
「じゃあ、ぼくらがいま目指しているのはワクチンの開発現場というだけじゃないんだね。モンスター培養の研究所、そうなんだね」
「確証はありませんでしたわ。でもわたくしたちが確証するにたるものはいま目の前にあらわれました。J国の目論見はつぶさねばなりません」
「リンカ」
「佐倉ユウタ、平に申し上げますわ。わたくしに協力をしてくださいませ。武里教授はわたくしたちアイノースバイオテクノロジーの一員でした。だから、このJ国のキメラモンスター開発はわたくしどもの責任でもあります」
「それはもちろんだ。あんなばけものが人間の手で作られているなら」
そういって、ぼくはすこしことばを開けた。「でも、そうなら先にいっておいてくれればよかったんだ」
リンカはぼくの顔をじっとみつめ、ことばをさぐるようにつづけた。
「それはできませんわ。佐倉ユウタ、あなたはじぶんの立ち場をわかっていないのですから」
「立ち場?」
「あなたは世界の英雄でした。でもいまはちがう。いまはあなたは日本人です。日本に所属する世界でもっとも強力な国有戦力なんです。あなたが動くことはつまり日本の意思と世界は考えます。そうなればどうなるか。戦争になります。世界は魔王との終末戦争に勝利したばかり。だから戦争はしばらく起きないだろうというのはまちがっています。世界全体の倫理・道徳が高く維持されていれば、抑止力もはたらきます。ですが、いまは不安定な世界なのです。かすかな火種がふたたび戦火をたきつけます。佐倉ユウタ、武器は意思を持ちません。意思をもった人間が使ってはじめて武器となります。ですが、あなたは世界で唯一の意思をもった武器なのです。しかも世界で最強の」
リンカは下くちびるをきゅっとかんだ。
「ワクチンの製造法をもちかえる。モンスター培養の研究現場を確かめる。このふたつが今回の目的です」
「確かめるって」
「もしこのことを事前にはなしていたら、あなたは研究所の壊滅をするでしょう。それはさっきのとおり、あまりにもリスクがあります。ですがこの事態を知る人間は最小限でなくてはならない。わずかな口端から培養の事実がもれることは脅威への抑止力という名目で世界中での開発をあと押しすることになります。最小で最大のちからを発揮できるのはあなたしかいません。だからわたくしはあなたをうごかしたのです」
「確認して、どうするのさ。つぎは最小のちからで壊滅させなくちゃいけないんだろう、それって……」
そこまでいってぼくはことばをとめた。
リンカはじっとぼくの顔をみつめていった。
「かえでに動いてもらいます」
まぎれもない世界最強のかえで。
国にしばられず、ほんとうの意味で意思をもった最終兵器だ。あいつならたったひとりでJ国の研究所くらいたやすくつぶしてしまうだろう。だけどあいつこそコントロールがきかない。だれの思惑にものらない。じぶんがただしいとおもったことだけに突きすすむ。ただ、たったひとり、あいつを意図してうごかせるとしたら……。
「だから、ぼくにその現場をみせて、かえでを動かさせようとしたんだね」
「ええ、そうですわ、佐倉ユウタ」
ぼくはなにも答えられなかった。魔王の襲撃に世界が震えあがっていたとき、ぼくとかえではただただたたかっていた。そこには政治もなにもない。世界を魔王の手からすくいたい、平和を手に入れたいというたったひとつの目的だけを振りかざして進んでいった。そしてそれを世界中のひとたちが支えてくれていた。
でもいまはちがう。
世界という主語は国になり、国同士は政治という対話で協調し、あるいはたたかっている。銃がにぎられるたたかいにならないように、だ。
「リンカ」
「はい」
「ぼくは行く。時間もない。ワクチンが……ひつようだ」
「わたくしも行きますわ」
「無理だ、そのからだじゃ!」
リンカはわらった。
「ここに残れと? ロープも燃えカスで降りることはできません。ここに残っていても生きのこる保証はありませんわ。なら、いきますわ」
それに、とリンカは言った。「あなたでは、ルートがわからないんじゃありませんか?」