第12回 世界平和とぼくの隣人
「やっほー、ゆうしゃ」
家に帰ると、ビニール袋を片手に下げた魔王が、困り顔でドアの前に佇んでいた。
150センチぐらいの小柄で釣り目がちな女の子は、ちょっと出かけてきました、というようなつっかけを履いていた。
「どうしたの、そんなところで」
「あんまり暑いからコンビニにアイスを買いに行ったらさ、どうやら鍵をなくしたみたいで中に入れないんだ。いっぱい探したんだけどね、見つからなくて」
「失せ物探しの魔法とかないの?」
「そういうのはないなあ。転生特典として日常で使える魔法をもらうんだったなあ。生活に困るよ。だいたいのことはみんな周りのひとがやってくれたしね。いまのわたしは生活力ゼロだよ」
がさごそとビニル袋を漁ると、カップ型のアイスをぼくに渡した。
「まず、ちょっと中に入れてくれない? あんまり暑くてさ、もうだめ。あと麦茶を所望」
いや、女の子をほいほいと中に入れるのはちょっと憚れるんだけど? とお断りしたかったけれど、この魔王様に他に行くところなんてないことはわかっていた。同性のかえでだってきっと家にはいないだろうし。
政府が手配したマンションは、高校生がひとり暮らしをするには十分な広さだ。
窓をあけ、家のなかに風を通しながら、溶けたアイスは冷凍庫に入れたら元に戻るものかと思案しながら、魔王ご所望の麦茶を注ぐ。
よほど喉が渇いていたらしく、魔王はいっきに麦茶を飲み干すと大きく息をついた。
「やっぱり持つべきものは優しい隣人さんだね」
といって、短いそでで汗をぬぐいながら、にこやかに笑って見せた。
「今更驚くことじゃないけれど、世界を牛耳っていた魔王様が1LDKのリビングで麦茶を飲んでいるのは違和感があるね」
そう言うと、魔王はあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。
「やめて、牛耳っていたなんて。そんなつもりはなかったし。実際そうじゃなかったもの。何度も言ったじゃん」
そういって、魔王は視線を指先に落とした。
「あと”魔王”はやめて。エリカって名前で呼んでください。この世界で”勇者様”から魔王って呼ばれたら、面倒なひとがたくさんくるんだから」
いちおう断っておくけれど、エリカは本当に魔王だ。
けれど、この世界を絶望に陥れた魔王ではない。あいつはぼくらが退治したし、あっさりと復活されても困る。
エリカはまた別の世界から転生をしてきた魔王だ。どうやら異世界はたくさんあって、魔王もたくさんいるらしい。
その代わり、魔王にも種類があるようだ。
彼女は悪逆の限りを尽くしてきたわけでもなく、魔王は世襲で形骸化た役職名のようなものだという。それでも権力というものはどこでも蠱惑的な香りで不穏で出来事呼び起こすらしい。魔王でありながら、お家騒動の末にあっけなく身内に裏切られてしまった。
こんな残念な魔王に世界は滅ぼせないだろう、とかえでにからかわれて、
「そんなことないよ、わたしだってちゃんと世界を滅ぼせる!」
と物騒にぷんすかと怒って見せてたけれど、どうにも気の弱そうなところは否めない。溶けてしまったアイスをもの惜しげにみているの姿をみると、今更ながらに彼女が本当に魔王なのかは疑わしい。
ただひとつ重要なことは、ぼくらが世界を救えたのはエリカのおかげでもある。
本当はこの世界のひとたちは彼女に感謝しなければならない。
だけれどうまくいかない。魔法は忌み嫌われる。だって世界を滅ぼしかけた力だ。ぼくとかえでが各所に招聘されたのは、この世界に他に魔法を使う人間がいないかどうかを調べられるためでもあった。
ぼくらはエリカのことをいっさい喋らなかった。
助けてもらった義理もあるし、それに下手に彼女を追い詰めて、また世界を崩壊させられても困る。
鈴本エリカ、というのが彼女の今の名前だ。ちゃんとした名前はある。けれど、ひどく長たらしいからと、日本に住むにあたって適当な名前をかえでがつけた。
戸籍なんてものは役所や官庁とともにあらかた吹き飛んでしまっている。偽造をして戸籍を得るなんて簡単。鈴本エリカは便宜上、ぼくの親戚にしている。普段の彼女は、どこにでもいるような可愛らしい女の子だ。
田舎から疎開している、という理由で政府に無理を言って同じマンションに部屋を用意してもらった。
政府担当官のお姉さんは、なんとなく感づいているようだけれど、
「若いうちから女の子囲っていたら、ロクなおとなになれないぞ」
と意味ありげに口角を釣り上げた。
誤解もいいところだ。
「ところでさ、ゆうしゃ、今日はどこに行っていたの? 午前中ずっと探していたんだけれど?」
「学校だよ。今日から再開したんだ」
「ああ、なるほどね」
エリカはもういちど注いだ麦茶をごくごくと飲み干すとぐるりとぼくのほうへ視線を投げた。
「そいつはいいね、学問は子供に与える一番の財産だよ。遅滞なく速やかに教育機関は再建したほうがいいよ」
「エリカの世界でも教育機関はあったの?」
そういうとエリカがいやそうに眉毛をひそめた。
「この国に転生して見ていろんな小説を読んでみたけれど、魔法が出てくる物語は総じて文明程度が遅れているように扱われているよね。なんかそれ、嫌だな」
「そういうものかな。ぼくはだいたい漫画しか読まないからなあ」
「もちろん学校もあったよ、大学だってあったさ。わたしの世界、というよりもわたしの国にだけどね。この世界だってたくさんの国があるし、みんないろいろ違うよね。それはきっとどこでも同じだよ」
なるほど、そういうものか。
「明日も午前中はいないの? 何時頃戻ってくる?」
「何時までかはわからないなあ」
「そっか……買い物に付き合ってもらおうと思ってね。どこで服を買えばいいかわからない」
「服か。服ね。子供服は……痛てっ!」
振り向くと魔王が人さし指をぼくに向けていた。
指先からぴりぴりと電気のようなものが光っている。
「だれが子供服だって、誰が? もっかい言ってみ?」
といって、これ見よがしに胸を張って見せた。
エリカは小柄なくせに出るところはしっかりと……というよりもひと一倍盛り上がっている。かえではそれをずいぶんと面白くなさそうににらんでいたけれど。
ふふーん、と自慢気に見せるエリカは、魔王というよりも、ちょっと頭のゆるい女の子にしかみえない。
「そういうところが子供っぽいんじゃないか」
背中がぴりぴりする。あれだ、電気系統のマヒ呪文だ。そんなところはさすがというか、エリカが得意な魔法は攻撃補助系の魔法だ。幻覚、マヒ、混乱、誘惑などだ。
その代わり攻撃系の魔法はあまり得意ではないらしい。
いちど呪文のやり方を教えてもらったけれど、やっぱり人種的な問題なのか、魔法は使えなかった。
「そうやっていちいちひとの気にしていることをいうのも、子供だと思うよ、ゆうしゃ」
「ぼくはまだ高校生だよ。それと、勇者って呼び方もやめて。名前で呼んでくれよ」
正直、はずかしい。もちろん、英雄も嫌だけれど。前にも呼称を変えてくれ、と訴えたけれど、「魔王を倒そうとする者はなべて勇者って呼ばれるものさ。あたしたちの敵だもん」と言って、呼び名はそのままだった。
「もう世界も平和になったしさ、別にぼくはエリカと敵対しているわけでもないんだから、勇者って呼び名はおかしくない?」
そういうと、なるほど、と納得したのか、エリカはしばらく考えてから、
「ユウタ」
と小声で言った。
えへへ、と照れくさそうに口元を緩めて、もう一度、ぼくの顔をみて名前を呼んだ。
「ユウタ」
なにこいつ、めっちゃ可愛いんですけど。