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世界平和に不都合なぼくたち  作者: さんかく
第三話 独裁者さん、お断り
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第116回 世界平和とスピーク・アズ・ア・クイーン

 ながい独白を終えると若松真由美さんは肩で息をして、からだをぐったりと椅子にゆだねた。そのころには、彼女のなかにうごめいていた感情のながい吐露が、熱病のようにぼくの中をかけめぐっていた。彼女がはいりこんで同化するようなそんな感じだった。


 若松真由美さんのひとみの、そのぽっかりとした真っ黒な中心がぼくをみつめている。ぼくもみつめかえして、その深淵をのぞきこんでいる。そこにぼくがうつっている。のぞきこむと、向こうものぞきこむ。そうしていつのまにか、彼女にとりこまれていた。


 ぼくは若松真由美さんで、若松真由美さんはぼくだった。


 ぼくが彼女をみるとき、彼女はぼくとひとつになる。


 彼女がぼくをみるとき、ぼくは彼女とひとつになる。


 目はあたかも感情の循環機能だった。いま、ぼくと彼女はおたがいの感情を目をつうじてめぐらせていた。ぐるぐるぐるぐるめぐらせて、ふたりがいっしょにいることがあたりまえのように……むしろ、あたりまえなんだ。


 しめきった部屋の夏の気温は、ぼくらの体温もおなじようにたかめる。


 熱と湿度をおびた空気はまるでみずのなかだった。


 この部屋はひとつの臓器のように、そしてぼくらはそのなかでうごめく細胞のように、たがいの意思をつぶさにやりとりをしている。


 シャツのすそがめくられ、彼女のてのひらが、ぼくのしんぞうまですべりこんでくる。


 その一点だけが、この部屋のなかでもっとも、あつい。


 ぼくが息をはけば、彼女が息を吸い、


 彼女が息をはけば、ぼくが息をすう、


 すー、はー、すー、はー。


 それは、生命活動だ。


 ぼくが死ねば、彼女は死ぬ。


 だから、彼女が死ねば、ぼくも、死ぬ……。


 同一生命体だ。


 それが、とうぜん…………


 とつぜん。


 からりと静かなおとを立てて、保健室のドアがひらいた。


 空気が動く。


「佐倉ユウタ、わたくしに2度も迎えにこさせるなんて、いい度胸をしているじゃありませんの?」


 その声にぼくは意識をとりもどした。


 ベッドの仕切りカーテンで姿はみえない。


 だけど、ぼくにはその声に聞き覚えがあった。


 悪魔でもモンスターでも、そんな無礼はぜったいにさせない、ゆるさないとばかりの、いてつくひかりをたたえたメスのような声が、真っ暗で熱を帯びた臓器にも似た保険室をきりさいた。


 あっけにとられているなか、声の主の影はスイッチを探って点灯させた。


 真っ暗闇を無機質なライトのひかりがぬりかえ、そのあかりのしたでもあわい金色がまばゆくきらめく。


 それはたしかに、アマテラスのすがただった。


「あ……なたは、アイノースの……?」


「あら。少し前にこちらでお会いした先生でしたわね、わたくし、そこの……」


 といって、金髪碧眼のぼくより2つ歳上のおねえさまは、ベッドにしばりつけられたぼくのすがたを見て、顔を真っ赤にさせた。その赤さが、つぎの瞬間にはいっそう色をまし、アマテラスは一転、あしゅらに形相をかえた。


「な、なんてハレンチなことをなさっているんですの、佐倉ユウタ!」


 ハレンチって。


 でも、側からみればそうだろう、ぼくだってそうおもう。からだをベッドにしばられ、シャツのすそはめくられている。いや、たしかに、そんなプレイの最中だと誤解されてもおかしくない。ぼくだって誤解するだろう。


 だけどリンカはぼくの手首に強くまかれたロープの、そのうっ血した部分にすばやく目をとめると、ずんずんとぼくとまゆちゃんのほうへと向かってきた。


「お取り込み中ですけれど、こちらもいそいでおりますの。そこの、佐倉ユウタはかえしていただきますわ……さあ、さっさとロープぐらい、引きちぎりなさい」


 いや、手伝ってくれないのか。けっこうこれ、きつくしばられているんだから、はずすのたいへんなんだ……なんていったら、きっと手首、足首から切り落とされる。まさか小説の再現をリンカにされるわけにはいかない。ぼくはちからをこめると、右腕にからまったロープをまず、ひきはがした。


 そのミシミシいうおとに、あっけにとられていたまゆちゃんの意識がもどったのか、とたんに立ち上がって、メスをとりにいこうとかけだそうとして、ばったーんと床にたおれた。どうやら、リンカがあしをひっかけたらしい。うーわ。


 リンカは机のうえの物騒なものをめざとく認識すると、締め切った窓をあけて、ほおりなげた。


 ちりん、っとかわいた金属音がひびく。


「立ち聞きする趣味はありませんが、そちらもご都合があったようですし、こちらも都合がございましたので、そとでタイミングをはからせてもらいましたの。ずいぶんユニークなおはなしで、たいへん興味ぶかかったともうしあげましょう」


「ユニーク……ユニークですって?」


 まゆちゃんは床からからだをひきはがすと、きっとリンカの顔をにらみつけた。


「あなたみたいなひとに、わたしの何がわかるっていうの! わたしが苦しんできたことのなにがわかっておもしろがれるの?」


「おもしろがってはおりませんわ。でも、そうですわね。ユニークは誤解をまねくいいかたでしたわ、あやまりましょう。たしかに庶民のみなさんの考えていることは、わたしにはわかりませんわ。でも、そんなこと、そこで寝ころんでいる人間も同じことじゃありません? ましてや」


 そう言ってリンカはさもおろかしいとばかりにフッと鼻を鳴らした。


「男にいっている時点ではなしになりませんわ。男に女のなにがわかるんです? 男が女に対して抱く感情なんて、同情と哀れみと下劣な性欲だけです」


 うーわ、とつぜん、ぶっ込んできた。


 特に、とリンカはつづけた。


「女が男に寄りかかろうとしたときですわ」


「わたしは寄りかかろうなんて! むしろユウタくんを……」


「守ろうとしていた? ええ、たったひとりのために生きることはすばらしいことですわ。でもそれを口にして、ましてやその行為を成し遂げるために強要することを、寄りかかるといってなにがちがってまして?」


「ふ、ふざけないで! おためごかしを! あなたがたはユウタくんをかついで、あぶない目にあわせて、下手したら死んでいたのよ」


「ええ。世界中がこのかたに頼ろうとしていたことは存じていますわ」


「なら……」


「でも、わたくしはちがいますわ。魔王とのたたかいに、このひとを巻き込んだことはありません。わたしは、わたしのたたかいを、わたしで解決してきました。あなたのなかの葛藤、それを否定する気はありません。わたくしも自問自答をくりかえしますもの。ひとを殺したくなる、ひとの死をよろこびたくなる。それを理解することは困難ですが、そのような嗜好があること、害がないかぎりは個人の範疇ですわ。ですが、あなたはじぶんのたたかいからにげた。そのにげる口実に、このひとをたよっただけですわ」


 真っ赤だったまゆちゃんの表情は、だんだんと真っ白に移ろいで行く。彼女の口からは、ひどくこまかくうすい呼吸のおとだけ。すっす、はっは、すっす、はっは。それも、リンカのことばだんだんと乱れていく。


「そして、そのステージにこの男を引きずりこむために、コントロールするために愛をかたっている。それだけですわ」


「いい加減に……」


「いい加減にするのはそちらのほうです。わたしにはまだ愛やらはわかっておりませんが、あなたが目をくらませているのはただの依存です。それはすべてにおいて依存して逃げているだけです」


「わたしは彼を愛しているのよ! そんなことをあなたにとやかく言われるすじあいはないわ! 愛している、だから彼を守りたい。わたしが守れなかった、わたしが殺してしまった生徒たちのぶんも……」


「なら、まずはじぶんの足でたってごらんなさい。たって歩きなさい。あなたはまだ過去にとらわれている。とらわれながら、それでも前にすすみなさい。でなければあなたはあなたの愛するひとを、過去のなかにおしこめようというの?」


「うるさいっ!」


 うるさい、うるさいうるさいうるさい……! まゆちゃんはじぶんの耳をひきちぎるばかりにつかみ、リンカのことばをさえぎった。しかし、リンカはまゆちゃんの腕をつかむと、引きはがすように、そして正面にみすえた。


「あなたはずーっと過去の世界にいきようというのですか? あなたひとりなら、それもかまいません。すべてをそうやって拒絶なさい。でも……」


 そういって、リンカは息をとめ、まゆちゃんの顔をてのひらで押さえ込み、ゆっくりとつげた。


「ひとの死を、あなたの、物語に、勝手に加えないで」


 リンカが最大限に怒っていることが、そのひとことでわかった。


「人生や戦争から、なにを考えて得たかはあなたの自由で、財産です。ですが、生徒や周りのひとの死はあなたの人生をいろどるイベントではありません。ましてやひとことですませられるものではありません。三浦さん、今井さん、夏目さん、黒岩さん、仲村さん、杉田さん、城島さん。このひとたちのことをわたくしはまったくしりませんが、彼らの死はあなたの悲劇を引きたてるものではない。だれもが、最後まで必死に生きていたことでしょう。あなたのいう呪いで片付けてはいけないのですわ」


「わ、わたしがあの子たちの死を、じ、じぶんのためにですって? ふざけないでちょうだい、あなたのほうが、まわりでたくさんのひとが兵士として死んでいるでしょう! そのひとたちのこと、数でしかおぼえていないんじゃないの? だからなんにも気にならないのよ!」


「まったく話になりませんわ」


 リンカはつめたく言い放った。


「おぼえているにきまっているでしょう? すべておぼえているわ。でもあなたのようにさいなまれたりしません。なぜ敬愛するひとの魂をあたかも悪霊のようにひきとめるのです。悲劇は、彼らと彼らの家族のものです。魂は愛しいひとたちのもとにあります。わたしは彼らの魂を、勝手な都合で側においておくことはしませんわ。でもおぼえている。ぜんいん。そして、家族の悲しみをすこしでもいやすことが、わたしの役目だとおもっています」


 リンカは、さっきまゆちゃんが語っただけの名前を完ぺきに繰り返した。ほんのすこしのことかもしれないけれど、何にもまして、説得力のある言葉だった。


「……あなたは傷ついている。それに余計な理由をつけるのか、わたしにはわかりません。なぜ、まっすぐに受け止めないのです。あなたがなさるべきは、傷ついていることをそのまま受け入れることです。それがあなたのかなしみです。じぶんでいやすべきものです。その過程に、慰霊があります。だからこそ家族のもとにあなたはおもむき、魂と会話をなさるのです。あなたはもしかしたら、ちゃんと亡くなった生徒さんたちを向き合っていないのではないですか? そこからはじめなければなりません」


 だいじょうぶですわ。


 リンカはそうつづけた。


「生徒のみなさんは、愛する家族のもとであなたを待っています。()()()()()()()()()()。あなたに会えることを、きっと楽しみにしていますわ」





 ぼくとリンカは保健室をでた。ぼくの両手両足はロープのあとがしっかりとのこっている。けっきょく、無理やりに引きちぎった。あ、少し皮がむけてる。


 廊下にはスーツすがたの女のひとがたっていた。リンカが小さくうなずくと、女のひとは入れ替わりにすっと保健室に入っていった。


「あの先生のことは、彼女にまかせてください。十全に対応します。万が一にも死なせはしませんわ」


「……リンカ」


「とーへんぼく」


 ひでえ、いわれようだ。


「もういちどいいますわ。わたしに2度も迎えにこさせるなんて、いい度胸しているじゃありませんの?」


「ごめんなさい」


「あなたはいつもそればかりですわ」


 そういって、ものすごーくふかいため息をついた。


「でも、よくこの場所がわかったね」


「真木村対策官が、あの教師のことを思い出してくれまして。モバイル端末の位置情報からわりだしましたわ」


「リンカ」


「なんですの?」


「ありがとう」


 ぼくがそういうと、またリンカはぴたっととまり、しばらくしてから、えへん、とせきばらいをして、くるりとこっちをむいた。


「……えー。えへん。さ、さあ、ぐずぐずできませんわ。メイが作ってくれた時間を佐倉ユウタは女性教諭との密会に費やしてしまいましたから」


 そういうのとまるでタイミングを合わせたように、外からまたバリバリバリバリと空気を切り裂くようなプロペラ音が聞こえてきた。


「佐倉ユウタ」


「うん」


「これが終わったら、ちゃんとなさい」


「ちゃんと?」


「カタチはどうあれ、愛してるといってくれた女性にちゃんとお答えすること。どちらにしても、きちんということ。せめてもの最低限の男の甲斐性ですわ」


「そういうものかい?」


 ぼくの問いにリンカはもういちど盛大なため息をもらした。


「そういうものですわ。さあ、いきますわよ。時間は限られてますもの」

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