第115回 世界平和とスピーク・ライク・ア・モンスター
はじめはいつだったか、よくおぼえていないわ。
でも、死がわたしのこころを動かしていたことはきっとまちがいない。命にかかわること、そういったものにこころがうごかされていたのはほんとうよ。でもそれが少しずつ変わってきていたのかもしれない。ちょっと変わってるっていわれていた。ジェットコースターや、ホラー映画とかそういうエンターテインメントが好きだったしね……きみがいっていた「ミザリー」だってしっているわ……でもいつからか、そうじゃないの。それだけじゃなくなっていたの。
中学生のとき、ニュースでジェットコースターの事故がとりあげらた。その週末に家族でいくことになっていた遊園地の。安全バーがはずれて、乗客が落下して、亡くなった。それを聞いて遊園地に行くのは中止になったけど、わたしがすごくがっかりしているのを見て、両親はよっぽど遊園地に行きたかったんだなって思っていたみたい。
……ううん、ちがう、最初、わたしは行きたくなかった。むしろ弟のほうがせがんでいたぐらいだったわ。
わたしが行きたいとおもったのは死亡事故が起きたから。ほんとうにひとが死んだ場所を見たいとおもっていた。それがかなわなくなって心底がっかりしたの。週末に行く遊園地っていう、わたしの身近に死がせまっていたっていうことにこころを奪われていたの。
それまで、わたしはそんな現場もみたことがなかった、死はひどくとおい、テレビの向こう、ドラマを盛り上げる悲劇のもとだった。たぶんそれがしあわせなのよね。でも、ほんとうのわたしにとってはちがっていた。それが不幸だった。
そこから歯止めが効かなくなっていった。
高校生になって、大学生になって行動範囲がひろがって、わたしの世界の半径に死が存在しないなら、わたしから死のほうへといこうってなっていった。事件がある場所、そういった場所にじぶんから向かった。
じぶんでもおかしいのよ、その死の現場にいったら、さわりたいし、むしろ頬擦りをしたり、キスをしたいとおもったことがあったぐらい。勘違いしないでほしいけど、怨霊とかには興味ないの。むしろものすごくこわいぐらい。ね、死はそこでおしまいなの。死の後が存在するなんて、わたしはぞっとしない。
ほしかったことは死が身近に存在しているっていうことだけ。それだけがわたしのこころをうごかしていた。だけど、依然としてわたしの世界には死は不介入なものだった。
苦しんだわ、じぶんという存在を理解しようとしていろんな本をよんだ。話もきいた。
でも知ればしるほどじぶんのことが空恐ろしくなっていくし、その片方で怒りにも悲しみにも似たものがいっそうわたしを死への興味へと誘っていくの。
避けようさけようとすればするほど、わたしのこころは死へと傾倒していく、死のある世界に、死が蔓延する世界に。
段々とわたしはわたしから離れていって、いつのころからか、ふたりのわたしがたがいに否定をし合っていたの。おたがいをしばりあっている。普通のわたしを演じているわけじゃない。それをおもてにだしていないだけ。出せなかっただけ。でも、いつの日か、そんな世界が向こうからわたしのほうへやってきてくれるとそう思っていた。
だから魔王が最初にテレビに映ったとき、あのうすら笑みを浮かべたとき、ああ、あれはわたしに微笑んでいるんだ、ほうら、おまえが望んだとおり、やってきたぞ、お前が望む死の蔓延する世界だって言っているとおもったわ。
なんども、なんどもなんどもなんども、あのときの映像をみたの、繰り返し、繰り返し、繰り返して。その日からわたしの目にだれもが死のレッテルが貼られているように見えていた。この人はどんなふうに死んでいくのかしらって、想像していたわ。親にまで。
でもそんなわたしをとどめていたのが、教師としての「ワタシ」よ。「ワタシ」は教師というカタチになって、もうひとりの「アタシ」を制していた。わたしはこの学校というところに縛られていた、もしかしたら、守られていたのかもしれないわ。「ワタシ」が死を不介在にしていた、この魔王からもはなれた場所で。
だけど、あの日、死がわたしの前にほんとうにやってきてくれた。目と鼻のさき、わたしがたったこともある校庭に、モンスターというかたちになって。そうして、ユウタくん、あなたとかえでちゃんの英雄があらわれた。死の象徴を、死というちからをつかって排除したあのシーンを見て、わたしは……ああ……ドキドキがとまらなかった、からだが火照ってしまって、服を脱いですべてその場に放り出してしまいたい、あの血のなかにひたりたいという感情がとどめられなかった。
わたしはわかったの、わたしのそばにはあなたやかえでちゃんっていう死がもっとも近い存在がいたって。
なんて幸せなのかしら!
そのとき、わたしのなかの名前のないバケモノが、のっそりと立ち上がって、こっちをまっくろな目に鈍いひかりをたたえてのぞいていた。
ほうら、見てみろよ、あんたのなかの「アタシ」はこんなにもふくれあがったよ、はちきれそうだ。さあ、ばらしちゃいなよ、ごまかすなよ、ときはなてよ。だれもあんたをおかしいなんておもわない。そう誘うの。
わたしはがまんができなかった、恍惚に叫び出したかった。名前のないバケモノ……ううん、若松真由美っていうバケモノをようやく解き放つことができるって。ジェットコースターの死に魅せられた、あたまの中の、だれにもみせられなかったわたしが、「アタシ」を、わたしのために!
ああ、だけど、生徒たちの悲鳴にわたしのなかの「ワタシ」がわたしを正気にもどした。わたしはまたほんとうのわたしを解き放つこともできなかった。だけど、もう止められなかった。くろぐろとしたマグマのような熱をはらんだ、ナマぐさいものがわたしの中をかけめぐるの。かけめぐって、わたしのからだを火照らせる。その熱だけはごまかせない、どうしようもない、熱は火炎になって口から吐き出されるようだった。
アタシは…………わたしは、おもったわ、わたしが教師でなければよかったのに、わたしを良識に留める「ワタシ」の世界である学校という場所がなければ、わたしは「アタシ」を解き放てるのに。ああ、壊れてしまえばいいのにこんなところってそう思ったわ。
いいえ、そう願ったわ、願ってしまったのよ。
恐れおののき、恐怖に我を忘れて、わたしに助けをもとめるこの生徒たちが、死んでほしいほどにどうしようもなく憎くて、絶対に死なせられないほどにどうしようもなく愛しくて、わたしのこころを引き裂くの。真っ二つに。こいつらがアタシを真っ二つに切り裂く悪魔だと思い、この子たちがワタシをつなぎ止めてくれる天使だと思い、だからわたしは近くの女子生徒を抱きしめたわ、このまま締め殺してしまえという思いと、この子の代わりにわたしが身代わりになっても死なせられないという思いに突き動かされて。
そのとき、わたしの目を奪ったのが、モンスターの血に塗れながら、飄然として女子生徒を助け起こしているあなただったの。
ああ、このひとしかいない。ふたつのこころに引き裂かれていたわたしを危うくも引き繋いでくれるわたしのヒーローはあなたなのよ、あなたしかいなかったの、ユウタくん。あなたは死を引き連れながら、生をつなぎ止める。アタシとワタシの思いと願いを抱きとめてくれる、わたしの世界にいたたったひとりのひとだった。こんなにも近くに、アタシとワタシを「わたし」として抱きとめてくれるひとがいたんだ。
これが運命なんだ。運命じゃなかったら、いったいなんだっていうの?
あなたがいてくれたから、わたしはわたしでいられた。
……だから、あなたが最後のたたかいにおもむくその日、わたしはまたアタシとワタシにひきさかれる思いだった。だれの死でも想像してしまっていたわたしだったけれど、あなたの死だけは考えられなかった。
こんなわたしよ、だれも愛することもできないとおもっていた、だれにも愛される資格なんかないとおもっていた。でもあなたには、佐倉ユウタくん、あなただけにはこの思いを伝えずにいられるなんてできなかった。
こんなわたしにたったひとり神様が出会わせてくれた、わたしのヒーローに。死んで欲しくなかった。
あなたがわたしの手の届かない場所へ、あなたの死が待ち受けているかもしれない場所へ、あなたを駆り立てていく世界が憎かった。あなたの手を握って、あなたとこの魔王のいる世界で最後まで生きていけるのならば、どんな罪だって背負っていけるとおもっていた。
だから、あなたがわたしの思いを困ったような笑顔を浮かべて、去っていった後、わたしの心はすべてがばらばらになってしまった。
気づいたときには、わたしは学校の屋上にいたわ。屋上にいて、自分の死とせめぎあいながら、神様に祈っていた。
神様、どうか、わたしのヒーローを死の手から守ってほしい。他のだれが死んでもいい。だから、どうか、どうか、どうか、どうか、どうか、どうか……。
そうして、神様はこんなどうしようもないわたしの願いを叶えてくれた。
あなたは生きて帰ってきてくれた。
……ううん、叶えてくれたのは、きっと神様じゃなかったのよ、悪魔だったわ。
それはきっと取引だったのよ、あなたは助かったけれど、わたしの生徒はたくさん死んだ。あの日わたしが抱きしめた生徒……三浦さんも死んでしまった。今井くんも夏目くんも黒岩くん、仲村さん、杉田さん、城島くんも……悪魔がにんまりと笑って、見下ろすようにして、こういっているようだった。
ほうら、おまえの望みを叶えてやったぞって。その悪魔の後ろには、恍惚な表情を浮かべたアタシがいた。ああ、最高だわ。おめでとう、若松真由美、あなたのとなりにはあなたの願いで死んだ生徒がずうっといてくれるわ。ずうーっと。そのときになってようやく、わたしのなかの「ワタシ」は悲鳴をあげた。わたしのなかの「アタシ」はやっぱり名前のないバケモノだった。名前なんかつけちゃいけなかったんだ。
学校が再開したとき、教壇に立ったとき……あなたの変わらない姿が、ほんの数歩歩けば、手に触れられるところにいるとわかったとき、そして、その教室で二度と埋まらない空席を見たとき、わたしのなかのふたつのわたしが突然消えて、たったひとり、「わたし」が取り残された。これがおまえの罪と罰だと。神様がいっているようだった。
だからわたしはおもった。
わたしは今度こそ神様にちかった。
わたしはこのなかのだれひとりとしてもう死なせない。
わたしは神様が取り上げなかった、佐倉ユウタというわたしがたったひとり愛する人を一生、愛する。
絶対に。
お読み頂きありがとうございます!
ブックマークなどはたいへん励みになります。
ひきつづきよろしくお願いいたします!