第113回 世界平和と守ると神に誓ったから
じいいいいいりいいいいいいいんんんんん。
じりりりりりりりいいぃぃんんんんん。
意識がふかくふかく沈んでいる、そんなときに釣り上げられるような音が聞こえて来る。
眼をさますと、じぶんのからだの状態がふつうじゃないことがわかった。ベッドに横になり、おなか、手、足が何重にもロープで縛られている。大の字をイメージしてくれればいい。そりゃ、わかるだろう。
力をいれる。抜けない。外れない。スプリングがぎしぎしきしむ。あたりはすっかりくらくなっていた。時間はわからない。いったいどれだけ経ったんだろう。
しばらくからだをうごかしていると、ひたひたと足音がきこえた。つぎにぱっとちいさなあかりがつく。事務机の卓上ライトだ。それを中心にして視界の世界が広がった。
「おきた? ユウタくん」
まゆちゃんはとなりのベッドに腰をおろすと、ひざの上にひじをつき、てのひらに顔を乗せて、ぼくをみつめた。
「まゆちゃん、これはいったいどういうこと」
「いったじゃない。わたしはあなたを守る。あぶないところに行かなければ、あなたはケガもしないし、死ぬこともないわ」
ぼくも、うつくしい監禁者の顔、そして目をみつめた。卓上ライトのひかりがかすかに犯人の目を照らしている。その目の色をなんと表現したらいいだろう。真っ黒じゃなくて、真っ暗。深淵といってもいいのかもしれない。ニーチェじゃないけど、真っ暗がぼくをみつめていた。
じっとりと汗がにじむ。空調が効いていないのか。まるで生ぬるい水の中にいるように、ねっとりとした湿度がからだをつつむ。身動きがとれないせなかはすっかりぬれそぼり、きもちがわるい。
見える範囲で、窓もドアもぴったりとしまっている。
そのはずなのに、すうっと伸びて、ぼくのほおをなでるまゆちゃんの手はまるで体温をぬすまれてしまったかのようにつめたく、失われた熱をおぎなうようにぼくから体温をうばっていった。
そのまま汗でひたいにひっついた髪の毛をはらうと、こくびをかしげて、
「あつい?」
とたずねる。
でも、まゆちゃんはぼくの返事を見るまえにパタパタと部屋の隅の冷蔵庫へ向かい、製氷器の器をもってきた。
おおきなひとつを選ると、しばらく考え、それをじぶんの歯でかみくだいた。ばりばりばり……そして1つの氷をちいさなかけらにすると、ぼくの口にほおった。
からからに乾いた口のなかでいくつもの氷がコロコロところがり、じわじわととけた水と背徳感がのどをながれていく。
すると、
じいいいいいりいいいいいいいんんんんん。
じりりりりりりりいいぃぃんんんんん。
気を失っていたときに聞こえた音がふたたびした。ぱちぱちぱちっと明滅がみえる。モバイル端末なんだろう。でもまゆちゃんは聞こえていないかのように、同じ姿勢、同じかっこうでぼくをみつめていた。
「まゆちゃんは、ぼくのナンバーワンファンですか?」
とブラックなじょうだんをいってみたけれど、ホラーがお好きではないようだ。
小さくくびをかしげ、愛してるっていったじゃん、と真顔で返された。状況が状況なら、ラブコメまっしぐらのはずだけど、このシチュエーションだと斧かハンマーが出てきて、足首が今生別れになってもおかしくない。
「まゆちゃん。やっぱりおかしいよ」
「おかしいね」
「まちがっている」
「まちがっているわ」
「こんな監禁まがいなこと」
「いまでもおとなたちがあなたたちを危険な目にあわせていること」
もういちど先生の顔をみる。そして、ぼくはゾッとした。まゆちゃんの顔からは表情が根こそぎきえて、声も一本調子。マリオネットのようだ。真っ暗なひとみの奥はくらいぽっかりとした穴のようにしかみえなかった。
時間がせまっている。
明日には、作戦が開始できる。
いまがその明日なのか、あとどれだけ時間があるのか。ロープを切って逃げることもできるだろう。ただ、かなり頑丈で時間がかかる。
「ロープをほどいてほしい」
「ロープはほどけないわ。だってこれは君を守るものだもの」
「なんにもできない」
「なんにもすることはないよ。わたしがぜんぶやってあげる。ぜんぶ。食事もおふろも、歯磨きもトイレだってなんだって、なーんだって。君は生きていてくれればいいの。わたしといっしょにいてくれればいいの」
つま先から足、こし、からだのうえを、つーっと、ゆびでなぞりたどる。ぞわぞわとする感覚がびりびりと脳をかけめぐる。ゆびはのどとあごをたどり、ぱっと花が開いたように、てのひらがほおをつつんだ。
このひとはいったいだれだろう。まゆちゃんのすがたをした別のひとじゃないかと疑ってしまう。テレビドラマだったら、ゆきすぎた愛情が狂気になったって知ったかぶりに語れる。でも、いまいえるのは、まゆちゃんがぼくにそこまでの感情を持っていたなんてこれっぽっちも信じられなかったって、それだけだ。
錯乱の魔法がかかった可能性は?
対策本部から脱走してエリカに会いにいったとき、そして救出のときのまゆちゃんはおかしかった。どっちも魔法を使っているエリカが近くにいた。水と氷の魔女は錯乱の魔法も得意だ。もしかしたらやまいのせいで別の魔法も発動してしまったんじゃないだろうか。まゆちゃんは魔法にかかっている。そうあってほしい。そうあって、ほしい。
ぼくのこころがふたつの感情にひきさかれる。まゆちゃんのためにまゆちゃんと向き合うことを優先したいきもちと、おおくの命を救えるほう。数字で考えればどれだけ楽だろう。
「まゆちゃん」
「なに?」
「ぼくはいかなくちゃいけないところがあるんだ、ぼくがいかな……」
「ダメよ。ダメ、ぜったいダメ」
まゆちゃんはぼくのことばにかぶせるようにいう。ほおをなでていたてのひらのゆびにかすかにちからがこもる。
「でもぼくが行かなくちゃ、助けなくちゃいけない」
「なんで君がいかなくちゃいけないの? 魔王だってやっつけた。それ以上世界は君になにをさせようっていうの? ダメよ。ぜったい許さない。それで世界があなたをにくむなら、わたしは世界をにくむ。世界があなたを敵とおもうなら、わたしも世界を敵とおもう。いやよ、だめなの。ぜったいにゆるさない。ユウタくんに死んでほしくない」
まゆちゃんのつめが、ぼくのほおを刺す。
そのとき、おもわずぼくの両手にちからがはいった。ロープがみしみしと音をたてる。まゆちゃんは驚いて飛びのく。ライトのあかりに浮かぶその目は、ひどく絶望したようなものに、ぼくには思えた。
まゆちゃんは棚から何かを取り出す。
それは銀色にひかるするどいなにか……手術につかうメスだった。
「ロープを、ひきちぎらないで。引きちぎったら、わたしは死ぬわ」
「まゆちゃん……?」
「嘘じゃない。ほんとうよ。もうむりなの。わたし、君が死ぬかもしれないっておもうだけで、もう生きているのもつらいの」
するどいやいばのきっさきがまゆちゃんののどに向かう。
「わたしの命と、どっちがだいじ?」
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