第102回 世界平和と身近なひとたちを救うために
「ほのか!」
病院の入り口をおおう50人以上のひといきれをかき分けて、蛍さんが姿を見せた。松葉杖をこぐように、からだを前へとかしがせる。ドロや血でまみれたなか、入院患者用のまっしろな服は、そこだけ色を塗り忘れたようだった。前にあったときと比べても顔色は悪い。まるで雲のように、白と影を顔に浮かべていた。
ほのかを見て、その顔が高潮する。
大丈夫ですよ、とぼくは伝えた。
蛍さんは崩れるようにほのかの横にひざまつく。いもうとの手をにぎる。服以上に白い手をとおして、いもうとのあたたかさを感じたようだ。安心したようにふかく長いため息をついた。
「すみません、早く助けられれば」
「バカ言わないでくれよ。こんな状況で生きているだけで奇跡だ」
病院はたくさんの負傷者があふれていた。お医者さんと看護師さんが病院を忙しく出入りして、するどく指示を飛ばしている。状況は予断を許さない。
あたりは緊迫していた。
それはけが人の数のためだけじゃない。
怪しげな中国人の集団に、だれもがおびえていた。
敷地には100ちかい武器が無造作に置かれ、火薬や油、モンスターの血や体液の匂いがあたりいちめんに立ち込めていた。
60がらみの髭をはやしたドクターが、体つきなら倍もある司令官らしきひとに英語でつたえている。
手振り身振りを見る限り、武器を病院の外にだすようにいっているみたいだ。けどあいてはお尻をがりがりかきむしりながら、笑っているだけだった。
街に軍隊がいるのは珍しいことじゃない。数百人が隊列をなしているのもよくある光景だった。ちがうのはその集団がいちようにたのしげなことぐらいだ。まるでゲームの点数を自慢するように談笑している。
なかでもCJはきわだって異様だった。
ナナミさんをビジネスパートナーと呼び、風態はベンチャー企業のサラリーマンのようだ。鉄仮面に笑顔を貼り付けたまま、ぼくに視線をむけていた。ぞわっとする。いろんな意味で。
そして、パートナーと呼ばれたナナミさんが彼に向ける視線はけっしてそんななまやさしいものじゃない。彼女はやつれ、格好もちぐはぐで、いつもの凛としたたたずまいじゃない。でも全身から放たれるやいばのような気配は前にも感じたことがある。いるのは、戦争真っ只中の軍人だったころの真木村ナナミさんだった。
ナナミさんはCJがぼくに近づこうものなら阻止しようと身構えていた。
ほのかが担架で奥へと運ばれていく。蛍さんがこちらを向く。
「ユウタくん、いもうとを助けてくれてありがとう」
「ぼくはなにもしていません」
「でも」
「ほんとうに、なにもできませんでした」
蛍さんはぼくの視線の先……CJに目をむける。その目は無機質な蛍光灯のようなひかりがぱっと点った。細く息を吸う音が口端からもれる。
「あなたがたがいもうとを助けてくれたんですね。ほんとうに、ありがとうございました」
CJは組んでいた腕を解く。その言葉をどう受け止めようか考えるようにしばらく沈黙してからいった。「命令です。われわれは命令でうごきます」
蛍さんは戸惑ったようすだったけれど、もう一度あたまをさげて、ほのかの後を追いかけた。CJは蛍さんの後ろ姿を不思議そうに見ていた。そうして鼻で笑いをもらした。ぼくは頬がかっと熱くなる感覚を覚えた。
CJはつかつかとぼくの方へと近づいた。ナナミさんがすばやくぼくとCJの間にからだをすべりこませる。CJはつまらないものを見るようにナナミさんに視線を走らせただけ。すぐにぼくをみる。
「あのむすめを病院へ運んだ。用はすんだ。われわれと来てもらおう」
「……どこへ行こうっていうんです」
「愚問。われわれの国だ。われわれには必要だ、お前のちからが。そして」
CJはぼくの顔をまじまじとながめた。「最近、おまえは眠気がつよいか?」
「眠気?」
「そうだ。最近だ」
ぼくはうなづいた。
ナナミさんの顔が青ざめる。
CJは確信を抱いた様子でいった。「お前もわれわれのちからが必要だ。腕を出せ」
有無をいわさずにぼくの腕をつかむと、ポケットから取り出した棒状のものを突き立てようとした。あわてて振りほどく。
握られていたのは注射器だった。
「逃げるな、これはとても大事なことだ」
いや、とつぜん注射を突き立てられそうになったら、誰だって逃げる。
「いちばんお前が納得できる方法だとそう判断した。疑わしかったら、真木村対策官に聞くがいい、なぜかを」
ナナミさんは自分の左の二の腕をつかんだ。CJはしばらくニヤニヤとナナミさんを見ていたが、口を開かない彼女にいらだったように、
「真木村対策官!」
そう怒声を上げ、彼女の袖をまくり上げた。
ひねり上げるように腕をつかんでぼくの眼前に押しだした。小さな赤い円形の腫れがあった。
「ワクチンだ、マオウ熱の。真木村対策官はマオウ熱に罹患していた。われわれが助けた。慢性的な眠気。それがマオウ熱の発症兆候だ。きさまは罹患者なのだよ、佐倉ユウタ」
「まさか……」
「まさか? 事実だ。真木村対策官、さあいうんだ、世界の英雄を失うぞ。これがおまえの存在価値だろう?」
ナナミさんは視線を地面に放りなげ、ことばを吐き出すようにいった。
「受けてちょうだい。あなたは死んではいけない」
「そうだ。それでは契約が履行できないからな」
契約?
ナナミさんの青ざめた顔色が瞬間でたぎる。「ちがう!」
「違わない。英雄。われわれは真木村対策官と契約をした。マオウ熱のワクチンを提供する代わりに、おまえを差し出すという契約」
「うそだ! うそをつくな、CJ!」
「本質はそうだろう? 双頭の竜、われわれのワクチンを受けろ。そしてわれわれのちからになれ。そうれば」
そういって、CJは病院の入り口を指さした。
「おまえから感染したであろうあの娘も救えるぞ」