第101回 世界平和とスケープゴート③
モバイル端末をわたすと、運転手さんはなにもいわず、くるまに乗り込む。損傷ははげしいけれど動くという。
「乗っていくか、英雄」
ぼくはくびをふった。
「ひとりで行くか?」
「ええ。だいじょうぶです。残りは近そうです」
「そうか」
「なにがあったか、きかないんですか?」
「ああ」
そういって、エンジンをかけなおす。しばらく不安定なエンジン音がひびくと、めんどうくさそうにぶるぶると動き出した。
「あんたの顔をみりゃあ、すくなくとも死んではいないようだ。それに死んだとしてもカメラや端末をわたされたら、おれは会社に持って帰らにゃならん」
「仕事だから、ですか」
「いいや、使命さ。んでもって、あいつとの約束だからだ」
衝撃でぱっかりと開いたダッシュボードのなかから、青地に白文字で「報道」とかかれた腕章がのぞいた。
「お気をつけて」
運転手さんは片手をひらひらとふると、くるまを走らせていった。
ぼくはうごきだした。行先の見当は、モンスターの咆哮とモノを壊すおとだ。ちかい。ぐぐっと足にちからをいれる。がれきのかべを足場に、ひょいっと高いところへとかけのぼると、距離と方向を見定めた。
……いちばん向かって欲しくないところ、蛍さんと真壁先生が入院している病院の方向だった。
ぼくは飛び降りると駆け出した。
はしりながらまた失敗したことに気付いた。あけみさんの端末で、方々に連絡もできたのに。いま、端末は運転手さんとともに、すでにとおくはなれていた。ヘコむよ。また単独行じゃない。
竹下さんが3頭押さえていてくれた。20頭のうちの3頭だ。なら病院にむかっているのは何頭だろう?
はしりながらかんがえて、やめた。何頭であろうとやっつけるだけだ。
おとがどんどん近づいてくる。大きかったり、小さかったり、モンスターの叫び声にまぎれてカン高い悲鳴がきこえる。ひとがいる! ぐんっと速度があがった。ずんずんと突き進む。もともとはオフィスビルだったらしいガレキの山をするりとぬけると、目の前にモンスターの巨体があらわれた。
ぼくはおもわず身構えた。
そこにいたのは、さっきの3体とはくらべものにならない巨大な、とてつもなくデカい巨竜型の群だった。それも、たぶん10体よりもおおい。ふたつの群れにわかれたといっても、半分にわかれたわけじゃないらしい。そりゃあ、そうだ。
巨竜型からずいぶんはなれたところに、警官のすがたがある。ときおり、空をきるかわいたぱーんっというおとが、銃撃で応戦しようとしていることがわかった。それは最適じゃない。避難誘導がすんだらすぐさま逃げるべきなんだ。
でもそれができない理由がわかった。警官のうしろには、倒壊したビルの建材に脚をはさまれ、もがいている男性がいる。そのまわりを複数のひとたちが囲ってなんとかひっぱりだそうとしていた。
ぐおおおおおおお、っとモンスターの咆哮がひびく。
大群のいっぴきがあたまをぶんぶんとふりまわしながら、あたりをなぎ倒し、警官たちのほうへとつきすすんでいった。おまわりさんのからだが恐怖にのけぞる。それでもあしをふみしめる……だけど、ちがった。モンスターはおまわりさんたちのほうへ向かうんじゃなくて、もう少し右側のほうへと突き進んでいく。
あっ! とぼくは声を上げ、地面を蹴った。
おまわりさんは突然とびだしたぼくにあわてた様子で「出てくるな! あぶない!」と呼び止めてくれた。けれどぼくは目もくれずに、巨竜型へとつっこむ。さっき聞こえた、カン高い声の主……女の子……そしてそれはぼくがもっとも懸念していた、人物だった。
「ほのか!」
ああ、サイアクの事態に、サイアクの事態がかさなった!
ほのかは地面にぺたんと腰をおとし、恐怖のまなざしをむけていた。彼女をとめることはできなかったとしても、病院にいてくれれば防ぎようがあったかもしれない。でもその予想を違え、彼女はその向かうさなかに、モンスターたちの襲撃に巻きこまれた。
逃げろ、逃げてくれ、逃げるんだ、ほのか!
何度もなんどもよびかける。
だけど、彼女のからだは逃げるコトをあきらめ、視線は巨竜型にべったりとはりついて、はがれない。
やがて視界すべてをその巨大な鱗の体が占めた。
ぼくの視界からもほのかの姿が巨竜型の影にきえる。
ふたたびモンスターがおおきく頭をふり、ほのかに一撃を………………ちがう。ぼくの目にふたたび信じられない光景がとびこんできた。
巨体が横向きに弾かれる。
その光景を追いかけるように、ごう音が差し込む。
ふりかぶったんじゃない。横からの攻撃が頭部を直撃した。その破壊力にモンスターは悲鳴もあげず、ごう音と、土煙をあげてたおれた。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!」
雄叫びが廃墟をゆるがす。
ざっ、ざっ、と足をする重音。
ガラガラガラっ、と重い車輪が小石をすりつぶすよう回転する激音。
うおおおおっ、と勇ましく、激しく、そして折り重なるおとこたちの低音。
それらがうねりをあげ、昼日中、地面に人影を焼き付けんばかりの陽をつきあげるようにして、ディストピアに響く。
自衛隊じゃない。復興対策本部でもない。ましてやアイノース航空隊なはずもない。おとこたちのすがたはいびつだった。統一した格好はなく、おのおのが個別の武装に身をつつみ、ただただ粗野だった。でも、彼らがひきつれる強大な車体の兵器は相反してひどく近代的でおぞましい殺戮の物体。だけれど、対象を破壊する点においては機能美にあふれていた。
戦場を音のわれたスピーカー音がひびく。日本語じゃない。中国語……それとも韓国語だろうか、ぼくにはわからない。その号令に雑踏はぴたりと止まり、機械の操作音だけが宙をとぶ。
横ツラを射抜かれたモンスターがよろよろとこうべを持ち上げる。巨体の影からアゴがのぞく。その瞬間を、声がのがさなかった。
「放ッ!」
ごう音がふたたび天を突き刺し、閃光が宙を切り裂く、モンスターを貫く。
雄叫びが雄叫びと重なり、ふたたび進軍が始まる。激しくも、しかし、的確にモンスターのからだは破壊され、方程式を解くようにいのちを堅牢なウロコの檻から解き放つ。
それは完ぺきと呼べる戦いだった。
その軍隊はけっして人数に恃むものではなかった。しかし、まるでグランドマスターのチェス運びをながめているように、残る巨竜たちを排除していく。
ゆめをみているのか、ぼくは?
ちがう。これはまぎれもない真実だ。
ほのかに走り寄った。アゴを貫かれたモンスターの血をべっとりと浴びている。鼻先に耳を近づける。呼吸はある。生きている。気を失っているだけだ。ほのかのからだを抱え込んだ。華奢なからだからはほとんど体重を感じられない。だけれど、全身のちからは抜けていて、重心をつかみとらないと、彼女のからだはぼくの両腕からするりと流れていってしまいそうだった。
「か、彼らは……? いったい……?」
うしろからかすれた声が聞こえる。さっきのおまわりさんだった。彼の背中には、ガレキから救い出されたおとこのひとの姿もあった。奇跡的に全員、無事だった。
彼らは?
そう、ぼくもそれを知りたい。
すくなくとも、あの大戦中、ぼくのまわりにいた戦士たちとも合致しない。あれだけの精鋭、あれだけの兵器。だけど、それがどこから来た誰なのか。さっぱりわからない。
やがて部隊の討伐は全方位的から局所的になり、そのあとには巨竜のしかばねがメルクマークのようにぽつんぽつんと残されていった。
ふたたびわれたスピーカー音がひびく。言葉はわからないけれど、作戦終了を告げていることはつづく勝利の雄叫びでわかった。するとおとこたちは十数頭のモンスターにかけより、次々と戦利品を獲得していく。その手際も、あざやかだった。
だけど、戦いの奇跡といっしょに、その軍隊はもうひとつ別の驚きをぼくにもたらした。
おとこたちの群体からひとり、こちらにむかってくる。
むくつけき鍛えあげられた彼らの体躯とはことなって、ほそいその影は夏のカゲロウにぼやけてみえにくい。だらだらと汗がふきだし、それが目にはいっていることも理由かもしれない。ぬぐいたいけれど、両腕にかかえたほのかを落としてしまいそうで、ぼくはまぶたを細め、その走り寄るすがたを見さだめようとしていた。
炎天はひとにまぼろしをみせるほどに照りつける。
カゲロウのゆらめきと、汗ににじむその視界の先のすがたは、それでも距離をつめるたびにはっきりとしてきた。そしてお互いの正体は、先にそのほそい影が気付いたのだった。
「さ、佐倉くん……!」
こえがシルエットと記憶のなかの肖像を無理やり結びつけた。
そこにあらわれたのは、真木村ナナミさんだった。
「ナナミさん、いったい、なんで……? 無事だったんですか?」
ナナミさんはちらりと視線をうしろに投げやると、ふたたびぼくのほうへかけより、ほのかのからだを抱きとめた。いいや、奪うように、がただしい。ほのかのからだを抱えると、ナナミさんは声をおとした。
「佐倉くん、逃げて。ここから、逃げて」
「逃げるって……」
「いいから、逃げなさい」
その声は、モンスター討伐のときの凛とした指示の声だった。ぼくは経験から学んでいる。その言葉に従う。それは必須条項だ。だけど、遅かった。
待て。
声がひびく。
おとこがひとり、立っていた。武器ももっていない。戦場におもむくにはあまりに簡素な姿で、顔には笑顔が張り付いていた。
「真木村対策官、さっそくの依頼成就、感謝しよう」
ナナミさんがこっそりと舌打ちをする。
「偶然だわ。それに彼は正式に受けたわけじゃない」
「構わない」
そういって、すっと、ほのかを指さした。そして、口元の角度をいっそう吊り上げた。
「彼はやぶさかではないだろう、わたしたちの話を聞くコトを」
「あなたたちは、いったい?」
「申し遅れた。おれはCJ。真木村対策官の、いわばビジネスパートナーだ」
「ビジネスパートナー」
「そうだ、そしてきみにはわたしたちの代表と話をしてほしい。有用な話だ」
代表?
「わたしたちの代表は高俊熙という。われわれJ国の首相だ」
ぼくはナナミさんをみる。そのことばにナナミさんは反応しない。じっとCJって自称したおとこのひとの顔を見ていた。
「ナナミさん、これはいったい……?」
わずかに、有能な対策官の顔がゆがむ。言葉をえらぶように、考えをめぐらす様子がわかる。そしてそれはぼくがキーになっていることを裏付けていた。ナナミさんの答えが声になるまえに、CJが言葉をついだ。
「双頭の竜、信じられるか、対策本部を。病の検査と称して、お前を軟禁していた。その理由をお前はわかっているか?」
「CJ!」
ナナミさんが止めようとするのを、CJは無視してつづけた。
「お前は日本という国がどんなことを考えていて、お前たちを囲っているか、わかっているか、双頭の竜よ?」
マオウ熱の検査が想定以上にかかっていること、そしてエリカの捜索隊と称して攻撃対象としていたこと。ぼくは対策本部の真意を探りあぐねていた。いったい、どうなっているんだろう。いや、ほんとうはシンプルに、単純に考えればいいのかもしれない。
ぼくと対策本部を結びつけているもの。
それはいったい、なんなんだろう。
たしかにあったはずの答えが、とつぜんに、消え去った。
その答えをもっているかもしれないナナミさんは、ただただCJの顔を睨みつけていた。