統一
赤、黄、茶。これだけの色が散りばめられているだけなのに、何故こんなにも感覚を激しく刺激されるのだろう。
秋の時期だけに見られる紅葉。毎年見ている筈なのに、何度見ても抱く感想は変わらない。ただ、美しい。圧巻され、それ以外の言葉は口をついて出ない。
今回もそうだった。橋の上から見る紅葉は自分を忘れるほど綺麗で、水面に映る姿もまた麗しい。
人間にはどうしても好みに差が生じるが、この美しさは万人に共通する美しさだろう。人間にそう思わせる力があるこの木々は、まさに人と人の垣根を超えた象徴。少なくとも、少女はそう信じていた。
行き交う人々も紅葉を見て呆気にとられ、同じく呆気にとられた者とお互い顔を見合わせる。
「うわ……これまたすごい紅葉だね」
美しい紅葉に度肝を抜かれながら少年が少女に話しかけた。年齢も背丈もほとんど変わらない、少女の幼馴染だった。
「そうでしょう。なんて言ったって、死んだおじいちゃんが植えた紅葉の木なんだから。自分のことのように誇らしいわ」
少女は着物で強調されたにしては些か薄すぎる胸を張った。まだ成長途中だと言っているが、もう育つ見込みはなさそうである。
「確かにすごい。なんというか、それしか言葉が思いつかないよ」
「でしょうでしょう。ふふふん」
鼻歌を混じらせているあたり、相当機嫌がいいのだろう。着物の袖を振りながら跳ね、気分の良さを表す。
「本当に綺麗な紅葉。こんなの、誰が見ても美しいと思うはずよね」
少女の堂々とした態度に異議を唱えたいのか、少年は視線を逸らし、言葉を詰まらせつつも「それは……」と少女の言ったことを否定した。
「え?どうして?こんなに綺麗じゃない。去年の秋にちょっと遠くの隣町まで行って紅葉を見たときはとても感動してたじゃない。紅葉はいつでもどこでも綺麗なものでしょう?」
「いや、そうだけどさ……」
少年はなかなか続きを切り出そうとしなかった。少女の綺麗だ、という言葉は否定できないが、という言葉選びの難しさである。まだ元服すらしていない少年には細かい言葉の選択は些か難しかった。
結論を出せないままうーん、うーん、と唸っていたところ、少女が怒り口調で少年の思考を遮った。
「もう、何がいけないのかしら。いいよ、そんなにこの紅葉が綺麗じゃないって言うなら、色んな人に聞いてみましょう」
単純明快な話だった。二人でああだこうだと言い合うより、他人の意見を仰ぐほうが遥かに合理的だと判断したのだ。
「いいけど……」
少年はあまり行動的な性格ではなく、人見知りする性質だった。故に、あまり見知らぬ者に話しかけるのは得意ではない。
「気持ちはわかるけど、話が平行線な限り仕方ないよ。さ、行きましょう」
かくして半ば強引に少女に手を引かれ、二人は橋の近くに乱れ咲いた紅葉の感想を聞いて回る、少年少女の小さな旅が始まった。
彼女の性格上、こうなってはもうどうしようもないことは百も承知だったので、おとなしく少女に従い、少女の後ろを従僕のように歩いた。
少女がまず最初に目をつけたのは、暇そうに辺りを歩いている酔っ払いであった。
真昼間から酒を煽ってフラフラになっているあたり、相当な遊び人なのだろう。
が、そんな怪しさ全開の酔っ払いの男に臆するなとなく、少女は紅葉の感想を伺いに行った。
「ねぇおじさん。あの紅葉綺麗だと思うの?」
紅葉の木が紅葉を始めてもう一週間。いかに町が広いとは言っても、もう誰もが橋近くの紅葉を目にしていた。少女の祖父が植えた紅葉はそれほど有名になっていた。
「紅葉?あぁー、あれか。ヒック。綺麗だなぁ、確かに。でも、出来るならもう二度と見たくないような光景だな、ありゃ」
綺麗だと思う、の方に一票入った。が、少女は回答に納得がいかなかったらしく「なんで見たくないの?」と重ねて質問をした。
「そりゃ、見りゃわかるだろうよ。ひひっ」
酔っ払いは少女の頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でると、おぼつかない千鳥足でどこかへ去っていった。
「気に入らない。綺麗な物は何回でも見たくなるはずでしょ?」
ぶつぶつと文句を言いながら、次の狙いを、目を凝らしながら歩いて探す。
「やっぱり酔っ払いなんかはあてにならないよ。次はもっとちゃんとした人を見つけるわ」
前回の反省を生かし、次はまともな者に狙いを絞ると言う。少年はまともな者ほど……と思ったが、それを口にすることはない。
しばらく歩いていると、ちょうどおあつらえ向きに井戸端会議をしている女達を発見した。今度はまともだろう、と少女は少年の手を引き、走って集団に近づいた。
「ねぇ、橋の近くの紅葉って綺麗よね?」
突然話しかけてきた少女に一瞬ぽかん、とするものの、女達は笑って少女を井戸端会議の一員として迎え入れた。
「綺麗よね。とても。でも、ねぇ」
「綺麗なことは綺麗なんだけど……」
「うん。違うわよね」
口々に紅葉の感想を言うが、どの意見も酔っ払いと同じく『綺麗だが』という精妙さを持っていた。
綺麗側に三票追加、四対零である。
勝負は少女が有利なのだが、反対に少女の機嫌はますます悪くなっていった。
こんなにも綺麗な紅葉を見て心を動かされないなんて、なんと心が枯れた人達なんだ。
いくら綺麗だと肯定されても、その後に言葉を付け加えられてしまえば否定されたのとほとんど変わりがない。時に肯定が否定するより否定的な力を持つのだ。
情緒の欠片もない大人達の感性に酷く失望した少女が次に目をつけたのは、感受性豊かな子供達である。
まだ幼い子供達ならば、きっと紅葉の素晴らしさを理解してくれるだろう。
そんな期待を胸に、少年の手を引いて子供達のもとへ駆けて行った。
「ねぇねぇ、橋の近くの紅葉は見た?」
「見たよ。すごく綺麗」
「あそこに紅葉があるなんて、僕知らなかったよ」
それもそのはずである。何故なら、去年まであの場所では紅葉は見られなかったからだ。
今年になって突然姿を見せた紅葉なのである。お陰で、次の秋からは隣町まで行って紅葉狩りをする必要がなくなった。
突然現れたというのは面妖だが、それ以上に癒される気持ちは大きかった。
「去年はなかったわ。ねぇ?」
「そうだね」
少年に話を振り、紅葉が突然現れた、という事を前提とし、盤石を固める。二人いれば嘘も真実である。この場合、嘘ではないが。
「でもねぇ」
「うんうん」
また同じである。
肯定に十、否定に零。最早少女の勝ちといってもいいくらい圧倒的な差が開いていたが、それでも少女は納得がいかない。
こうなれば、なにがなんでも納得のいく話を聞くまで止まれなかった。少女はとても頑固な負けず嫌いであった。
子供達のもとを去り、次の狙いを定めようと、今度は橋の近くで待ち伏せを試みた。
酷く苛立っているのか、握っている手に力が篭り、少年の手は破壊されてしまいそうなくらいひしゃげていた。苦痛で表情が歪む。
「もう、みんなしてなんなのかしら。みんな感性が死んでるのよ。酔っ払いやおばさんならまだしも、子供達ですらだなんて。この町にはまともな人はもう私しかいないの?」
紅葉云々は抜きにして、自らのことをまともだという者にまともな奴はいない。そう言ってやりたがったが、これ以上握る力を強くされると二度と箸を握れなくなりそうなので、ここはぐっと堪える。
「おじいちゃん、貴方の愛した町はもうここにはないわ。あるのは、人が人であることを忘れてしまった亡霊の町」
怒りのあまり、死人にすら話しかける始末である。
「ねぇ、貴方は私のことどう思う?」
少女はぱっ、と手を離し、少年の目を見てそう問うた。ようやく責め苦から解放されたが、ここで選択を誤れば死が待っている気がした。
「どう思って……どう?」
いまいち質問の意図が見えない。
「ありのままの感想を言って。さぁ、さぁ」
橋の欄干にから頭がはみ出るほど迫られ、途轍もない緊張感が少年を襲う。これ以上迫られては川に真っ逆さまの可能性がある。
顔を青くして赤くして、少年は少女の容姿を褒めた。
「可愛いと……思う」
「え」
お世辞抜きで、少女の容姿は同年代の者と比べても頭一つ抜きん出ている美人だった。
少女が予想していたのは髪が長い、や背が低い、といったものだったらしく、一時惚けたものの、頭が冷静さを取り戻した頃には可愛い、と言われたことが頭をぐるぐる回り、再び冷静さを失い、恥ずかし紛れに少年の服の襟元を引き寄せては雛してを繰り返して揺さぶった。少年の頭は冷静でも興奮状態でもどちらでもなく、ただ、これ以上揺さぶるなという救助信号を発していた。
「ま、まぁそれでもいいよ」
少女が真に冷静さを取り戻したのは、少年の顔が真っ青になり、もはや返事をすることができなくなった頃であった。
半ば臨死体験という物珍しい経験をした少年は疲れ果てた表情でへたり込み、座ったまま乱れた襟元を直した。
「それで、なにがいいたいの?」
「貴方は私を可愛い、と言ったけど、それは間違いないわよね?」
そこが間違いならば最初から言っていない。
少年は否定することなく、軽く頷いた。
「そう。なら次。その、私のか、可愛さは数時間経てば失われると思う?」
自らのことを褒めちぎるのは流石に羞恥するらしく、詰まりつつそう言った。
それはそうと、少女の質問。
時間が経てば少女の可憐さは失われるか、ということだが、もちろんそんなことはない。
「失われないよ。だって君は君だもの」
そう、少女の可憐さは時が経っても変わらない。流石に数十年経てば話は変わるだろうが、少女の言い方の含意は短い期間の話である。
そう短期間で顔が変わられては、こちらが困る。
「そう。なら、わかるでしょ?この紅葉は美しいの。いついかなる時でも。去年見た隣町の紅葉となんら変わりはないわ。その美しさは失われないの。だというのに、なんでみんなわからないのかしら。みんな口では綺麗と言ってるけど、あれは絶対真意ではないわ。だって、本当に綺麗と思っているならもっと絶賛するはずだもの」
少女はつまらなさそうに欄干を蹴った。こつん、と乾いた木の音が返ってくる。
いつの間にか聞き込みは中断されていて、少女は紅葉をぼうっと見つめてた。何度見ても美しかった。
なんで?なんで?と頭の中を同じ言葉が駆け巡る。答えに達せず巡回を続ける思考は止まることを知らない。
逆に少年は、何故少女がここまで紅葉を絶賛出来るかが謎だった。
しかしそれより、もうどうでもいいという考えの方が強かった。正直、そこまで時間を使いたくなかったのだった。
しばらく二人は黙りきっていたが、しかしそれも、例によって少女の手によって破られることになった。実に十分の時間を必要としたが。
「そうだわ、みんな別のことに気を取られているのよ。だから、じっくりと紅葉を見つめられていないの。どうりで良さがわからない筈だわ」
いまいちズレている気がするが、やはり少女には逆らえない。思いつきで即行動を開始した少女に強制的に引っ張られて連れられ、ため息をつく暇すらない。
少女が始めたのは、宣伝のための散広告を作ることであった。
「なにするの?」
「今度の休みにみんなを連れてあの紅葉を見るのよ。それこそ、何もせずにね。心が休まった状態で見れば、みんなきっとわかるはずよ」
そんなことをしても無駄な気がするが、逆らえば死んだほうがマシかも知れないくらいに責められるので、渋々少女の作業を手伝った。
少女は美しいものはいつでもどこでも美しいと言ったが、少女のその性格はいつでもどこでもキツく、辛いものだった。
黙々と作業を進め、やがて散広告は束になる程度完成した。少女は表情を明るくして、早速それを持って道行く人々に配布を開始した。
「今度、橋の近くの紅葉をみんなで見るので、よかったら来てください」
自ら受け取ることはおろか、拒否反応を示した者にまで散広告を無理やり押し付け、大量に作った筈の広告はあっという間に数を減らしていった。少女は気分上々である。
「ああ、私がみんなとおじいちゃんと紅葉の架け橋になれているなんて、とても気分がいいわ。るんるん、舞踊でも舞ってみましょうか」
そこまで大仰な話だっただろうか?と少年は首を傾げた。少女はなにかと大袈裟に話したがる傾向にあったのだ。
これで誰もが紅葉の美しさに見惚れると信じていた少女は、また少年の手を強引に引っ張り、油断とでも言うべきか、近くの茶屋で一服を始めてしまった。もちろん、金を払うのは少年である。
「次のお休みが楽しみね。ああ、楽しみだわ」
同じことを何度も口にしていることから、少女の頬が緩みきっていることから、どれだけ楽しみなのか見て取れた。
が、少年には人々は揃いも揃って眉をひそめ、少女が思うような反応を見せないことを理解していた。
教えてやったほうがいいだろうか?と気弱な少年も流石にそう思った。当日、少女が恥をかくのは見ていられない。
ここだけの話、少年は少女に憧れていた。大きく澄んだ目、可愛らしい鼻、桜色の柔らかそうな唇。気が強いところもまた愛嬌。よく軽々しく手を握ってきて、握られるたびに少女のことをますます好きになっていく。
そんな少女が恥をかくのは耐えられなかった。
ただ、少女には多少夢見がちで現実が見えていないきらいがあった。
いい加減現実を見るべきだろう。
少年は恐る恐る、元からか細い声を更に震わせながら、少女にゆっくり話しかけた。
「ね、ねぇ。多分みんな、思ったような反応は見せてくれないと思うよ……」
その少年の発言は少女の琴線に触れてしまったようで、楽しげな表情から一転、山姥と落ち武者を合体させたかのようなそれはもう凄まじい表情へと変貌した。
「なんで?なんでそう思うの?」
化物のような表情をしつつも、未だその美しさは保っている少女の顔が目の前に来て、少年の高まる鼓動が収まることを知らなかった。
「い、いや……だって……」
「歯切れが悪いわね。言いたいことはさっさと言うの」
言ったら言ったで怒るくせに、と少年は心の中で突っ込んだが、今そんなことを口にすれば命はない。
が、なけなしの勇気を振り絞り、身を削る思いで少年は本題を切り出した。
「確かに紅葉は綺麗だけど、で、でも、今の季節は夏だもの」
ーー二人の間に妙な空気と不思議な間が生まれた。
少女は口をぱくぱくさせ、そんな、そんな、と声にならない空気のような声でそう呟いていた。
「紅葉はいつでもどこでも綺麗だと思ってた……」
「そ、そんなわけないよ」
「そ、そそ、そうだったの……」
動揺を隠せない少女はその場でがくり、と膝をついてうな垂れた。
そこまで衝撃を受けるか。少々大袈裟ではないだろうか。
ともあれ、少女が学んだ今回の教訓はどんな物でも時と場合によってはその美しさを損なう、というものだった。変わらない美しさなどなく、この世のものはすべからく、例外なく、逃れることが出来ずに劣化しては、また美しさを取り返したり取り返しがつかなくなったり。
少女は固定観念にとらわれていた。美しいものは常に美しいという、既成概念。
愕然とする少女。それを見る少年。
確かに美しさは次第に劣化していくものだが、それが美しかった、という事実には変わりはない。美しくなくなった、美しくないものにいつまでも固執して美しいと言うことは愚かだが、劣化することを分かっていてそれをなお美しいというならば、その想いは本物の愛である。
夏の紅葉を綺麗だと思った少女の想いもまた本物の愛。
少女の祖父が少女と同じくらいの年だった頃、少女と同じことを思っていた若かりし祖父が植えた、はた迷惑な季節外れの品種だった。
それが時を超えて孫にまで変な勘違いをさせているというのだから、本当にタチが悪い。




