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自画像

作者: 朔 蓮司

私は絵描きではない。むしろ美術的な、そういった芸術に関しては不器用であった。

ただ祖父が、趣味で風景画に触れていたのを見ていたくらいである。

しかしなぜ、こうして鉛筆をとり紙に走らせているかというと、なんとなくというのが一番の気持ちだった。

今の私には時間が有り余っていた。ただの、気まぐれである。

5、6年前にこのアトリエを残して、祖父はガンで亡くなった。

そしてつい半年前に、父が同じくガンで亡き者となった。

母は私が幼い頃に別の男のもとへ、祖母は中学のときに他界した。

男3人で長い間過ごしてきた無駄に広い家も、ついに私一人になってしまった。

祖父が私のために残した財産は未だに多く残っており、そして父の遺産も加わったことで生きるに問題ない額を手にした。

そこで大学卒業からずっと働いてきた職場を退職し、今に至る。

辞めたい気持ちは心に持っていたものの、なかなか辞める決心がつかなかったので、これを機にようやく手放した。

今思えば、会社の環境も人もそれほど悪くはなかったのではと感じる。

単に私自身が、変に人との壁を感じ距離を置き、仕事場に居づらいと思っていただけなのだ。

人との付き合いが、下手なのだ。

そのくせどこか寂しさも感じる。

矛盾していた。

私は、鏡に映る自身に苦笑した。


描き方など、全くわかるはずがない。

鏡と紙を交互に見て思うままに描いていく。

こうもまともに絵を描くのは中学の授業以来か。

自分の顔もこんなにまじまじと見詰めることなどない。

深く濃くなったシワや、血色の悪い頬などを見ていると、自分が歳をとっていることが改めて感じられる。

子供のときに見ていた父の顔と同じだった。

一度鉛筆を傍らに置き、紙を手にしてみると、とてもじゃないがお世辞にも上手いとはいえない出来だった。

しかし、鏡に映る自分の顔よりも、この絵のほうがより自分に似ているような気がした。

鏡の私は私ではなく、紙に描かれた私が私なのだと思う。

不思議な感覚に捕らわれた。

手で頬や鼻、顎に口、目や額に触れて立体さ感じる。

これが私であると、言い聞かせるように。

だが、内側からじわじわと不安が襲ってきていた。

この得たいの知れない不安はなんだろうか。

この不安はどこからきているものなのか。

私は、何が不安なのだろうか。

私、だからだろうか。

ふいに激情に駆られ、紙の私を破った。

破ける音が耳に心地よい。

細かく裂いて出来た紙の欠片を、天井高く放った。

花びらが散って舞うように、それは床に静かに下りていった。

これで私は死んだ。

この一言に、私は自分自身に納得した。

そして席を離れ、右手側にある等身大の鏡の前に立った。

埃が被った布を捲ると、そこには一人の男性が現れた。

よれた服にだらしなく突っ立っている男。

もう一人の私だ。

腕を組み、考える仕草をして、頷いてみせる。

「よし、君を描こう」

祖父が使わずに残ったキャンバスや絵具、筆を準備した。

昔に見た祖父の姿を思い出しながら、見よう見まねで筆を滑らす。

色の使い方や筆の使い方、きっとほとんどが正しくないのだろうが、気にはならない。

自分がよければそれでいいのだ。

ただなんとなく、暇だったから始めた作業が、今ではなんだか楽しい。

手は休まることなく動き続けた。

日が沈み部屋が暗くなってきたため、途中で電気を灯す。

食べることも寝ることも忘れて、描き続けた。

しかし、だんだんと筆が重くなってきたのである。

思うように描けないのだ。

もう一人の私が、どう見ても別人に見える。

鏡と比べてみても、顔の輪郭や目鼻、口の位置や大きさ、髪型、立ち姿も、そのままで色もきちんと表現されてあるはずなのに、何かが違う。

欠けている部分でもあるのだろうか。それとも無駄なところがあるのか。

やけくそだ。何度も塗り重ねた。

さっきの私は私だったのに、この私は私ではない。

私を求めて描き続けた。

「――出来たぞ」

額の汗を拭う。

ようやく満足できるものになった。

黒くおどろおどろしい混沌としたそれは、まさしくもう一人の私であった。

鏡の中のもう一人の私は、嬉しさに舞い上がっている。

もしかしたら祖父より上手いかもしれない。

いや、誰よりも才能があるのかもしれない。

私を描くのがこんなに楽しいものだとは思わなかった。

パレットナイフを手にし、先程のキャンバスを引き裂くと、興奮は絶頂に達した。

そして、数々の道具の山から新たなキャンバスを取りだし、今度は窓の前に立った。

「次は窓に映った私だ」

私の虜になった私は、生涯をこのアトリエで暮らした。

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