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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第二章 中学生編
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 「はい、どうぞ。それからお節介かもしれないけど、携帯にはちゃんとロックかけといた方がいいよ。まあ、おかげで君のだってすぐに分かったけどね」


 富永さんは、そう言って私に携帯を渡してくれた。

 その言葉に、カーッと頬が熱くなる。待ち受け画面を見られてしまった。夏休みの花火大会で、咲和ちゃんと麻子ちゃんの3人で自撮りした一枚を、ちょうど待ち受けにしてたんですよ。仲良し、なんてハートマークと一緒に書き込んであるテンション高いヤツ。あいたたた。


 「すみませんでした。それから、拾って下さってありがとうございました」


 90度のお辞儀をきっちり決めて、ロビーに戻ろうとした私を富永さんは「ちょっと待って」と引き留めた。


 「結果発表までまだ時間あるよね。もし良かったら、話さない?」

 

 彼の口調に、敵意は感じられなかった。単純に同じコンクールの出場者と話してみたいと思ってるのが伝わってくる。願ってもない申し出に、私もすぐに頷いた。どんな練習をしたらあんな音が出るのか、めちゃくちゃ興味ある。


 「ロビーに自販機あったな。そこに行こうか」


 連れ立って歩いていく間、同じく発表待ちをしている他の出場者や聴きに来てくれてるお客さんたちの視線を感じた。あんまりジロジロ見られるので、思わず自分の足元を確認してしまったじゃないですか。

 ストッキングは伝線してないし、スカートもまくれあがってない。

 なんでそんなに見てくるんだろう、と不安になってしまった私とは対照的に、富永さんは平然としていた。


 「大丈夫。どこもおかしくないよ」

 「へっ?」


 考えを読まれて驚いたせいだろう、非常に間の抜けた声が喉から飛び出た。私が富永さんだったら、こいつ大丈夫か、とちょっと引いてしまうところだ。

 ところが富永さんは、ただ肩をすくめ「ファイナリスト候補の2人が並んで歩いてるんだから、気になるんだろう」と言って、きょとんとしている私を興味深げに眺めた。


 「ファイナリスト候補、ですか」

 「あんなスゴイ演奏しといて、本当に自覚なしなんだ。しかも師事してるのが、松島亜由美でしょ? 僕らコンテスタントの間では、最初から君はマークされてたよ」


 はあ、そうですか、と答えることしか出来ない。亜由美先生って本当に有名人なんだな。

 どう答えるべきか返答に困っているうちに、目当ての場所に到着。

 自販機の前に立ち、彼は私に「何飲む?」と尋ねてくれた。

 

 「あ、温かい紅茶にします」


 バッグをさぐってお財布を出そうとした私を片手で制し、富永さんは手際よく2人分の飲み物を買ってしまった。


 「いいよ。島尾さんは二年生だっただろ。先輩からの奢りってことで」


 爽やかな笑顔に押し付けがましさは全くない。固辞する方が失礼かも。


 「ありがとうございます。何から何まで、お世話になって」


 携帯も拾ってくれたし、ジュースまで奢ってくれるなんて。あなた、いい人ね。

 そういえばここに来るまでの間も、歩幅を合わせて歩いてくれてたんだった。

 このくらいの年で、女の子の歩調に合わせることが出来る男子ってすごく少ない気がする。お姉さんがいるのか、彼女持ちなのか。

 いや待てよ。青鸞学院生はみんなこうなのかも。カリキュラムに【女性のエスコートの仕方】なんてのがあると聞かされても、驚かないぞ。


 

 ジェントルマンな富永さんに促され、ソファーに向かい合うようにして座った。


 「プロフィールをみて、驚いた。公立の学校に通ってるんだってね」

 「はい。うちは普通の家なので、私立に通えるような余裕がなくて」


 見栄を張ったって仕方ない。正直に答えると、富永さんは破顔した。とっつきにくい硬派なイメージが途端に崩れて、可愛い感じになる。

 

 「島尾さんって、面白いね」


 金持ちの笑いのツボが分からない。

 はあ、と曖昧に相槌を打つと、富永さんは慌てて手を振った。


 「馬鹿にしたんじゃないよ。そう聞こえたんなら、申し訳ない」

 「いえ、大丈夫です」


 今度は私が笑ってしまった。意外と気にするタイプなのかな。

 顔を見合わせて笑うと、途端に打ち解けた空気が流れた。


 「あの、いろいろ質問してもいいですか?」


 失礼を承知で思い切って尋ねてみる。富永さんは「僕に答えられることなら」と快く承知してくれた。


 「普段の練習って、どれくらいやってるんですか?」

 「うーん。基礎的なことを30分やって、それから好きな曲を弾いたり新曲の譜読みしたりするから、トータル2時間、ってとこかな」

 「それだけ!?」


 二時間しか弾いてないの!?

 それであれだけ弾けるなんて、凄すぎる!!


 「うん。細かく煮詰めるのが苦手で。よくないんだけどね。ほら、だから今日もミスタッチがあったでしょう? 先生にいつも叱られてた部分なんだけど、結局本番でも弾けなかった」


 苦笑する富永さんに、私はほえ~、と感嘆の息を漏らしつつ相槌を打った。本番で緊張してミスったわけじゃなくて、よく間違う、と笑い飛ばせる心臓が私も欲しいです。

 亜由美先生に一度注意されたとしよう。彼女に「二度目」はない。……ええ、ないんですよ。ぶるぶる。


 「島尾さんは?」

 「平日は4時間くらいかな。休日は、それこそ一日弾いてます」

 「うわっ。マジで!?」


 今度は富永さんがのけぞった。口調が砕けて、年相応の男の子という感じになった。


 「もしかして、同じ曲を何時間もさらえるタイプ?」

 「うーん。上手く弾けるまでは、繰り返し練習しますね」

 「納得。すごく緻密なバッハだったし、パヴァーヌも繊細に組み上げて弾いてたもんなあ」


 感性の賜物かと思ってたけど、実は努力の人なんだね、と富永さんは微笑んだ。実は、って何でしょう。自分では、努力の人以外の何物でもないと思ってますが。よっぽどポヤポヤして見えるのかな。


 「凡人なので、努力するしかないんです」

 「なに、その凡人って」


 富永さんが可笑しそうに聞き返してきたので、とある人につけられたあだ名のことを打ち明けた。


 「ぼ、ぼんこ?」

 「そうなんですよ。酷くないですか?」


 ぶっ、と堪らず富永さんは噴きだした。くすくす笑いながら「その相手って、男?」と聞いてくる。なんで分かったんだろ。頷く私に、富永さんは「しかも小学生の頃の話なら」と続けた。


 「好きな子ほど苛めたいってヤツじゃないかな」

 「ぜーったいに、ないですね。ありえないです」


 富永さんは知らないから、そんな恐ろしいことを云えるんだよ。

 ボンコ呼びしてきた時の、紅のあの勝ち誇った顔ときたらね。「おまえごとき凡人が我に勝てると思っておるのか」っていわんばかりの顔でしたからね。

 ん? ……そういえば、最近ボンコ呼びされてなくない?



 『大変お待たせいたしました。選考が終わりましたので、出場者の皆さんはホールにお戻り下さい』


 ちょうどその時流れてきたアナウンスに背を押され、私たちは荷物を持って立ち上がった。


 「うう。緊張します」

 「そう? 島尾さんと僕は残ると思うけど」


 しらっとしたその言い方に、いっそ感心してしまう。

 コンクール馴れしてるのかな。いいなあ。こんな風に悠然と構えられたら、気が楽だろうな。

 そのまま富永さんと一緒に戻ろうとホールに向かっていく。すると入り口の扉の傍で、トビーが私たちを待ち構えるように立っているのが目に入った。


 うわあ。嫌なタイミングで嫌な人に会っちゃったな。


 顔を顰めた私をよそに、富永さんは明るい声を上げた。


 「山吹理事! 来てらしたんですか?」

 「もちろん。うちの学院の代表が出てるコンクールだよ。外すわけがない」


 ちーっす、と片手をあげて通り過ぎてやろうか、という衝動をすんでのところで押し留めた。

 富永さんの前でそんな真似をしたらドン引きされるよね。トビーに嫌われるのは屁でもないけど、せっかく色々お話してくれた先輩を不愉快にさせたくはない。

 

 「今日の演奏もすごくelegantだったよ、マシロ」

 「ありがとうございます。中で亜由美先生が待ってると思うので、ここで失礼しますね」


 にっこり笑みを浮かべ、軽く会釈して行こうとした私に、トビーは優雅に左腕を差し出した。


 「では、お席までエスコートいたしましょう。 my little princess」

 

 物腰は柔らかだけど、目が笑ってない。ここで突っぱねたら後々あとあと何をされるか分からない、と判断し、私は仕方なく右手を彼の腕に軽くかけた。


 「島尾さんと面識があったんですか?」

 「ああ。ほんの小さな頃から知ってる子なんだよ」


 目を丸くしている富永さんに軽くウィンクをして、トビー王子はホールの扉を開けた。

 間違ってない。

 間違ったことは言われてないんだけど、釈然としない。


 ホールに入り、関係者席まで案内してくれた。亜由美先生の隣に私を座らせ、トビーは私の隣に腰掛けた。その隣に富永さんを座らせる。


 「トビーといたの?」


 こっそり亜由美先生に尋ねられ、私は首を振った。


 「富永さんと話してました」

 「え? 青鸞の?」


 予想外の答えだったのか、亜由美先生は目をパチパチ瞬かせた。

 

 富永さんの言った通り、私と彼は決勝に残ることが出来た。

 盛大な拍手に称えられ、講評を聞く。

 サディア・フランチェスカは、今回も私に「A」をつけてくれた。曲の難易度的にどうか、と結果に難を示した審査委員もいたみたいだけど、彼女が一番最初に指名したファイナリストは私だったと後から聞かされ、嬉しいような恐れ多いような複雑な気持ちになった。


 「じゃあ、決勝で」

 「演奏、楽しみにしてますね」

 「ああ。お互いベストを尽くそう」


 右手を差し出され、私はしっかりと富永さんと握手を交わした。

 一回り大きな手。細くて骨ばった指に柔らかな掌。ピアノ弾きの手だ、と強く感じた。

 負けたくない、とも思う。

 審査員だって人間だ。作曲家の好みも解釈の好みも人それぞれだろう。だけど、そういう枠を越えて一番心を打つ演奏が出来たらいいな。

 やっぱり富永さんにも高評価がついたそうだ。事実上、一騎打ちになるだろう、と発表後のロビーでみんなが囁いていたみたい。紺ちゃんが帰りの車の中で教えてくれた。


 「決勝はソナタだよね。富永さんは、ラフマニノフでくると思う。好きな作曲家みたいで、学院でも弾いてるのよく見かけるから」

 

 帰りの車の中で、紺ちゃんはじっと私を見つめた。

 

 「ましろちゃんは、やっぱりシューマンでいくの?」

 「うん。『ボクメロ』進行に合わせるのは今となっては癪だけど、好きな曲だし、ずっと練習してきたからピアノソナタ第二番でいくよ」

 「うん、頑張ってね。今日の演奏も凄かったし、純粋に楽しみにしてる」


 紺ちゃんの励ましは、何より心強かった。久しぶりに2人でゆっくり話せるのも嬉しかったりするんだよね。そう、お邪魔虫こうはいないんです。

 帰り際、富永さんを応援しにきた青鸞のお姉さま軍団に掴まっちゃったんだって。


 「コウにしては珍しく不機嫌な顔してたわよ。よっぽど一緒に帰りたかったのね」


 クスクス笑う紺ちゃんに、私も深く頷いた。


 「そりゃ、紺ちゃんと接待だったら紺ちゃんを取りたいに決まってるよ」

 「え……」


 何故か紺ちゃんは絶句してしまった。

 紅のシスコンぶりに改めてガックリきたんだろうか。

 でもそれはもう、諦めるしかないと思うな。紅って筋金入りのシスコンだもん。私も人のこと言えないけどね。



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