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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第二章 中学生編
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 新学期が始まった。

 こんがりと日に焼けた友人たちと、夏休みにあったことなんかを報告し合う。うちの学校は部活動にかなり力を入れているので、大抵は部活の話だった。休みの日も学校や遠征やらでなかなか大変だったみたい。玲ちゃんもシングルスで大会に出たと言っていた。レッスン日と重なったので応援には行けなかったんだけど、そんな私の不義理を玲ちゃんは「いいよ、いいよ。来年の最後の大会は見にきてよね!」と笑って許してくれた。

 

 私が周りのみんなにどれだけ甘えていたか気づかされたのは、二学期が始まってすぐの朝のこと。


 登校中、絵里ちゃんに、咲和ちゃんと麻子ちゃんと一緒に花火を見に行った話をしたら「私も行きたかった!」と文句を言われてしまった。


 「えー。だって絵里ちゃんは間島くんと行くと思ったからさ。朋ちゃんも誘ってないよ?」

 「気を遣ってくれてるのは分かるけど」


 交差点の信号待ちの間、絵里ちゃんは「寂しいよ」と小さく呟いて、そっと瞳を伏せた。


 「ましろとは、高校では離れるでしょ? 私そんなに成績良くないし、ましろが昔から青鸞に憧れてるの知ってるし」


 絵里ちゃんはそこまで言うと、目を上げてまっすぐに私を見つめた。


 「だから、こうやって一緒にいられるのも今のうちだけだと思うんだ。今度どこかに遊びに行くときは、私も誘ってよ。ましろとの思い出、もっと欲しいもん」

 「絵里ちゃん……ゴメン」


 家が近所だということもあって、絵里ちゃんとは前世の記憶を取り戻す前からずっと仲良くしてきた。小2で私の態度が急変した時も、小5でクラスに馴染めなかった時も、絵里ちゃんはいつでもニコニコ笑って私の傍にいてくれた。

 今までの彼女との日々が一気に蘇ってきて、私は唇を噛んだ。

 亜由美先生の言葉が脳裏をよぎる。

 

 ピアノを練習しなきゃ。勉強頑張らなくちゃ。

 自分のことばっかりで、私は大切な友達の気持ちを真剣に考えたことさえ、なかったんだ。


 「私、恥ずかしい。――どっかで勝手に、絵里ちゃんとはずっと一緒だと思ってた。家も近いし、おじさんとおばさんもよく知ってるし。だけど、そういうことじゃなかったね。本当にごめんね」

 「え……や、やだなあ。そこまで深刻にならないでよ! ちょっと拗ねただけだって!」


 私の口調に、絵里ちゃんは慌てだした。

 お人よしで優しくて、のんびりしてる絵里ちゃんに私は随分助けられてきたんだな、と改めて感じる。彼女とくだらない話で笑いあうのが好きだった。だけどそのことにすら、私は気づいていなかった。


 「花火、すごく綺麗だったよね。絵里ちゃんも今頃、間島くんと見てるかな、って3人で話してたんだよ」


 涙が出そうになったので、慌てて話題を元に戻す。

 絵里ちゃんもホッとしたように、目元を和ませた。


 「間島くんはその日夏期講習だったから、約束してなかったの。結局、家の近くの堤防からちょっとだけ見たよ」

 「マジですか!! もう、本当に申し訳ないっ!!」


 自転車を降りて土下座しようかと思う位、冷や汗をかいた。

 絵里ちゃんは笑って「そうだよ。ましろにメールしようかと思ったけど、ピアノのコンクール前だからやめとこうって我慢したのに、ひどいよ」とほっぺを膨らませた。

 か、可愛い。可愛くて、つらい。

 そして浅はかな自分が憎い。バカバカ! 絵里ちゃんの予定を確認するくらい、すぐに出来たはずなのに!

 

 咲和ちゃん達と「カップル羨ましい~。絵里ちゃんと朋ちゃんも浴衣なんて着ちゃって『そんな恰好も似合うね』とか言われてるのかな」「間島め!」「木之瀬め!」と騒いでたことだけは知られたくない。学校着いたら、速攻咲和ちゃん達に口止めしとかなきゃ。

 休み時間、恐る恐る朋ちゃんにも確かめに行ったら、こっちのカップルはちゃんと2人で花火を見に行っていた。良かった! これで朋ちゃんにまで一人で見たとか言われたら、しばらく立ち直れなかったよ。


 それからしばらくすると、学校のみんなの話題は体育祭と修学旅行のことで持ちきりになった。だけど私は、ちょうどコンクールの一次予選が土曜日の体育祭と重なってしまい、初めて学校行事を公欠することになってしまった。

 耳ピアスの田崎くんはそれを聞いて「え~。せっかく俺のカッコいいとこ見せてやろうと思ったのに」と口を尖らせている。

 「いっつもカッコいいじゃん」と冗談で返すと、満更でもなさそうに髪をかき上げた。咲和ちゃんも「そうそう。めいっぱい応援してるからね」とダメ押しする。「やり!」と無邪気に喜ぶ顔につられて、私たちまで笑顔になった。

 

 言っちゃ悪いけど、こういう可愛げが紅にはないんだよね。

 同じチャラ男でも、田崎くんの軽口は憎めない。女の子が好きだ! というオーラが素直に伝わってきて微笑ましいというか何というか。

 

 紅は田崎くんと違って、基本的に紺ちゃん以外は信用していない。特に異性は警戒してる。

 でも付き合いの長い私のことくらいは、友達として扱ってくれてもよくない? ここ最近、私に対する態度が異様に優しいのは、なんで?

 前はもっと本音で接してくれてたよね。ボンコとか言ってたじゃん。あれはあれで腹立ったけど、嘘で誤魔化されるよりマシだ。

 知らないうちに、紅の気に触る言動をやらかしてしまったんだろうか。ありうる、と自省して落ち込んでると、携帯が震えた。


 

 『もうすぐ予選だな。応援しにいくから、頑張れよ』


 紅からの不気味なメールを一瞥し、溜息をつく。


 ――私にまで、営業しなくてもいいのに。

 そんなことしなくても、私は紺ちゃんの味方なのになあ。


 『デート優先でどうぞ』


 わざわざ来なくても大丈夫だよ、というつもりで打ったら、やけに嬉しそうな返事がすぐに返ってきた。


 『珍しいな、ヤキモチやくなんて。心配しなくても、ましろのコンクールより優先する用事なんてないから』


 なんだろう、このメール。

 紅よ。

 私は最近、君が分からないよ。



 


 コンクール前日の放課後。

 帰ろうと思って机を片づけていたところに玲ちゃんが駆け込んできた。


 「良かった! まだいた!」


 今から部活なのか、ジャージ姿で息を切らせている。


 「せっかく作ったのに、家に忘れてきちゃってさ。今、ダッシュで取りに行ってきたとこなんだ」


 はあはあ言いながら、玲ちゃんは私の手に小さな御守りを握らせてくれた。


 「明日、頑張ってね! ましろがめちゃくちゃピアノ頑張ってきたの知ってるから。絶対、大丈夫だから」

 「――玲ちゃん」


 どうしよう。泣けてくる。

 

 明日のことを思うと、実はかなり不安だった。

 亜由美先生は、「ファイナルまでは気楽に弾いて大丈夫よ」なんて太鼓判を押してくれたけど、コンクール自体初めてなんだもん。本音を云えば、緊張しまくりで恐い。ミスしたらどうしよう。頭がまっしろになって暗譜が吹っ飛んだらどうしよう。

 公欠届を出した時なんて、職員室にいた先生たち全員から激励された。もちろん校長先生にも。松田先生だけが「あんまり気負うなよ」と笑ってくれたんだっけ。

 期待に応えたいと思えば思うほど、焦ってきてしまう。


 「わわ。な、泣かないでよ、ましろ」

 「うん……ありがとうって言いたかったのに、ごめん」


 右手を開いて、いびつな形の御守りをじっと見る。一生懸命刺繍してくれたんだろう、必勝祈願という文字が涙に滲んだ。玲ちゃんの指は絆創膏だらけだった。私は、玲ちゃんの試合を見にも行かなかったのに。


 「じっと見たらダメ! ああ、家庭科の授業をもっと真面目に受けとくんだったわ」

 「ふふ……だから言ったじゃない。学校の勉強は全部」


 目尻から溢れてくる涙をハンカチで拭きながら、私がいつもの台詞を口にしようとすると。


 「自分の為になる、でしょ。ホント身に沁みた」


 玲ちゃんが先回りしたので、一緒になって笑った。

 一気に肩の力が抜けて、私は足取りも軽く家に帰った。ポケットに入れた御守りをぎゅっと上から触っては、ニヤけながら自転車を漕いでいたら、仕事帰りの近所のおじさんに「お! ご機嫌だね~。彼氏できたか?」と冷やかされた。えへへ。もっといいものですよ!


 夜には絵里ちゃんが家に来て、みんなで寄せ書きしたという可愛い色紙を渡してくれた。


 『自分を信じろ』とか『絶対ましろが一番』とか、いつもの仲良しメンバーの直筆が並んだ色紙を胸に、私はまた泣いてしまった。

 こんなにどうしようもない私なのに、なんでここまでしてくれるんだろう。木之瀬くんと間島くんはまだ分かるけど、田崎くんと平戸くんまで書きこんでくれている。

 

 『がんばれ』『ゆうしょうしろよ』


 平仮名だったことに別の涙が出そうになったのは、ここだけの話にしといて下さい。わざとだよね? 漢字が浮かばなかったんじゃないよね?


 


 そして一次予選当日。


 私は亜由美先生に連れられ、芸術会館の裏口から控室に向かった。

 今日が中学生、明日が高校生、そして3日目が大学生の部になる。初日ということもあり、大勢の取材陣が集まっているみたいだった。サディア・フランチェスカは大の親日家で知られていて、日本にもファンが多い。記事に需要があるんだろうな。


 「大丈夫? って聞かなくても平気そうね。いい顔してる」


 亜由美先生は私の顔を覗きこんで、安心したように頬をゆるめた。

 思ったより緊張してないのは、先生をはじめとするみんなのお蔭です。父さんと母さん、それに花香お姉ちゃんも応援しに来てくれてる。演奏で、少しでもこの感謝の気持ちを伝えたいな。


 控室は5人一組で同じ部屋だった。

 保護者と一緒に来ている子もいれば、私みたいに師事してる先生と一緒に来てる子もいる。舞台そでには、スタッフの人が誘導してくれるみたい。自分の名前が呼ばれるまでは、何をしていてもいいと説明された。


 事前に行われた公開練習で、今日の相棒ピアノの音色はチェック済みです。

 今回のコンクールの協賛に入っているからだろう、シロヤマの最新型のコンサートピアノが用意されていた。

 その時には見かけなかった参加者も、ちらほら目についた。青鸞の制服の子もやっぱりいる。声をかけて話を聞いてみたかったけど、ライバル同士、という意識もあってみんな自分の世界に入っている。ここは空気を読んで、大人しくしとこうっと。


 課題曲の中でショパンを選んだのは、私と他数名いた。

 エチュードの中で最も難易度が高いとされている第1番ハ長調Op.10-1を選んだ子は中学生ではいなかったので、亜由美先生はそっちを勧めてくれたんだけど、あの難曲を完璧に弾きこなす自信はまだなかった。

 出だしのアルペジオのアクセントがどうしても上手くつけられない。指が途中で疲れてきて、最後まで情熱的に弾ききることが難しい。

 ショパン自身はそんなに手の大きな人ではなかったそうだ。10鍵に手が届くくらい、とどこかで読んだことがある。その代わり、すごくてのひらが柔らかかったとか。ああ、もっと力が欲しいな。自由に指を操れる力が欲しい。


 コンサートドレス姿の子もいたけど、私は中学校の制服で来ていた。亜由美先生も「それでいいわよ」と言ってくれたので、問題はないんだと思う。

 録音してきた自分の演奏を携帯音楽プレイヤーで聴きながら、楽譜を思い浮かべて確認する。演奏時間をコンパクトするために、繰り返し記号は全て省略、だよね。うん、大丈夫。

 この日の為にずっと練習してきたんだから、と自分に言い聞かせた。御守りは胸ポケットに入れてある。色紙は楽譜と一緒にレッスンバッグに入れてきた。


 「島尾さん。準備をよろしくお願いします」

 「あ、はい」


 亜由美先生に荷物を預けて、ハンカチを握りしめ案内のお姉さんの後に続く。前の人がちょうど終わる頃に、私は舞台そでにいた。スポットライトが眩しい。

 何度か深呼吸して、御守りに手を当てた。

 玲ちゃん、みんな。

 私、頑張るからね。


 自分の名前と曲名がアナウンスされる。

 眩く照らされているステージに、私は大きく足を踏み出した。



 ショパン エチュード第10番変イ長調Op.10-10


 親指に対し、人差し指から小指を使って6度を押さえるための練習曲だ。

 明るいメロディ、弾むようなリズムに乗って、同じ音形が続いていく。私は伸びやかな気持ちで、指を蝶のように舞わせた。――楽しい。ピアノってやっぱりすごく楽しい!

 腕全体を使って優雅に、そして軽やかに1音1音を響かせていった。強弱ははっきりとつけて、テンポは揺らしすぎないように。思い通りの音が耳に届いてきて、ますます嬉しくなる。アクセントを上手くつければ、真珠のネックレスのように連なった音から、メロディだけが浮き上がってくるんだよね。ほら、こんな風に。

 今までで一番集中して弾くことが出来た。

 ノーミスで弾ききり、最後の和音に優しく指を乗せる。


 椅子から立ち上がり、ピアノの譜面台のはしに置いていたハンカチを取って、観客席に向き直った。ペコリと一礼して、足早に下手に移動する。

 あっけにとられたように静まりかえっていた客席から、割れるような拍手が返ってくるころ、私はもう舞台からはけていた。


 


 予選を通過したと聞かされたのは、全ての演奏が終わった後、しばらく経ってからだった。

 テクニック、表現力とも申し分ない、という審査評に涙が出そうになる。そんな私を、亜由美先生はぎゅっと抱きしめてくれた。

 サディア・フランチェスカの採点は「A-(マイナス)」

 通訳さんの文字だろうか。「もっと愛を込めて弾くと完璧になる」とある。愛、かあ。ノボル先生もよくそう言ったっけ。

 上手く弾けた気がしたけど、何が足りないのかな。


 帰る準備をして、控え室を出てからも私は考え続けた。ぼんやり考え込んでいたもんだから、うっかり紺ちゃんと紅の前を通り過ぎそうになって、慌てて足を止める。ホールから出てすぐのところに2人は立っていた。


 「あ」

 「あ、じゃないよ。お前今、素通りしようとしただろ」


 紅がしかめっ面で腕組みしている。

 それだけで、無性に嬉しくなった。そうそう、これこれ。


 「ごめん……ちょっと考え事してて。今日は、聴きにきてくれてありがとね!」

 「ううん。すごく良かったよ、ましろちゃん。また上手くなったね」


 紺ちゃんは眩しそうに瞳を細めて私を見た。

 紅も気を取り直したのか、表情を元に戻している。


 「亜由美が一緒に夕食食べにいかないかってさ。ましろのとこのご家族も来てるんだろ? 一緒にどうかって話だったぜ」

 「え? いいの?」

 「うん。それを伝えようと思ってここで待ってたの。先生達は先に駐車場に行ってるって。私たちも行こう」


 こんなことなら、制服じゃなくてワンピースでくれば良かったなあ。そうぼやいた私に、紅は色っぽく微笑んでみせた。


 「ましろは制服姿も可愛いよ」


 あれ。ホストな紅に戻っちゃった。

 露骨にがっかりした私の顔を見て、紺ちゃんはプッと噴きだした。

 


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