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ショックが襲ってきたのは、夜、自分のベッドに潜り込んでからだった。
冷たい目。警戒に満ちた口調。
へらへら笑うしかなかった私を、紅さまは疑いと軽蔑の眼差しで見下していた。
そうだ、見下されてた。
何かしらの思惑があって紅さまの大切な蒼くんと紺ちゃんに纏わりついている胡乱な女、とジャッジされ、そして排除されようとしている、とその時になってようやく気がついた。
紅さまには幼い頃に負った心の傷がある。
それはゲーム終盤、二人の仲が深まってくると明かされるんだけど、どうやら私は、そのトラウマを大いに刺激してしまったらしい。
「あはは。……これは、きっついね、べっちん」
枕元のふわふわのテディベアを抱きしめ、私は固く目を閉じた。
紅さまに会えたことが嬉しすぎて、舞い上がってた。
ゲームの中のキャラクターと完全に重ねて見てたんだと思う。ここは確かに『ボクメロ』の世界かもしれないけど、ちゃんとした現実でもあるのに。
かっこいい、と一目で惹かれた。初めは紙とインクで出来た彼に。次は、生きて呼吸してる彼に。
付き合いたいとかそんな大それたことを考えたわけじゃない。友達の友達くらいの遠いポジションでいいから、彼を見ていたかった。
でも現実の紅さまにしてみたら、頭の悪そうなストーカー予備軍でしかない私。
そりゃそうだ、とは思うけど。
こっちの世界で一生懸命勉強してることも。向こうの世界で必死に楽譜とにらめっこしてたことも。
紅さまにとってみれば、ぜーんぶが迷惑行為でしかないわけだ。
「……ふっ、く」
嗚咽が込み上げてきた。
恥ずかしい。悲しい。悔しい。
泣き疲れて眠りに落ちるまで、私の脳裏には、紅さまの放った一言一句がエンドレスで再生された。
彼の冷酷さを恨む方が楽だった。浮かれてはしゃいでいたみっともない自分のことは考えたくなかった。
そして次の日。
元来図太い性格の私は、完全に開き直っていた。
――確かに私はバカだったけど、初対面の人間にあそこまで言われる筋合いなくない?
しくしく乙女な感傷で泣きじゃくっていた昨日の私なんて、丸めてゴミ箱に捨ててやるわ!
それに落ち着いて考えてみれば、蒼くんだって紺ちゃんだって、私の方からちょっかい掛けたわけじゃないよね?
そりゃあ、ピアノ教室に通い始めた動機は不純だったけど、あそこで紺ちゃんに会ったのは完全に偶然の産物だったよね?
最初から、紅さまに何かを求めてなんかなかった。
知り合いになれるかな、くらいは期待してたけど、それすら迷惑だというのなら、完全に手を引いてやろうじゃないの。
でも紺ちゃんは別。
奇跡的に見つかった唯一の転生仲間なんだもん、彼女との付き合いに文句は言わせない。
……こうなったら意地でも青鸞学院に入学して、アイツをぎゃふんと言わせてやる!
私は、前にも増して勉強とピアノに没頭するようになった。
2回目のピアノレッスンを次の日に控えたある日の放課後。私はまたもや、蒼くんを発見した。
しかも、明らかに誰かを待っていると分かる状態で、ですよ。
彼はうちの小学校の門を出てすぐの壁に、軽くもたれていたのだ。
隣のエリちゃんが「見て、あの子。すっごくカッコよくない?」と目を輝かせ、私の脇をつついて同意を求めてくる。
背中に冷たい汗がつーっと流れた。
「マシロ! ……良かった、会えて」
エリちゃんの影になるように隠れコソコソ通り過ぎようとしたんだけど、流石蒼くん、目もいいんだね。バッチリ見つかり、駆け寄られてしまう。
エリちゃんは、ニヤニヤ笑いながら「先に帰るね! ばいばーい」と手を振り、去って行ってしまった。
「この間はごめんね。嫌な態度取っちゃって。じゃあ」
ピアノ云々の話かな、と予想した私はさっさと謝った。
もう紅さま関係者とは距離を置くと決めている。蒼くんも例外じゃない。だから、そのまま通り過ぎようとしたんだけど――
「待って! 紅から聞いた。あいつがマシロに酷いこと言ったって」
その言葉にピタリ、と足が止まる。
「それは誤解だって、言っといたから。だから、気にするなよ。あいつも悪い奴じゃないんだけど、色々あって……」
蒼くんが悪いわけじゃないのに、必死な顔で話しかけてくる。
まだ幼い蒼くんの頬が上気しているのを見て、思わず溜息をついた。18歳の私が「大人げない真似はダメ」と心の中で警告を発してる。
「どんな事情があるにせよ、私はよく知らない人からあそこまで威嚇されて、サラッと流せるほど性格良くないんだよね。基本、負けず嫌いだし。……だから、もう成田くんには近づきたくない。でも」
そこで一端言葉を切ると、蒼くんは食い入るように私の口元を見つめてきた。
――はあ
「遊ぼ、ねえ、遊ぼ」と云わんばかりに足元に纏わりついてくるワンコですか、あなた。
そこまで思い詰めた顔されちゃったら、ばっさり切り捨てられないじゃないですか。
「私と会ったり話したりしてるって、成田くんに言わないのなら、また折り紙おってあげる。それでいい?」
「っ!! うん、それでいい。サンキュ、マシロ」
ぱあっと満面の笑みを浮かべた蒼くんは、すごーく可愛いかった。
しょうがないようね。
なんだかんだでこの一年、構って構われての関係だったんだし。
「っていうか、マシロの喋り方、大人みたいでカッコイイ! 本当にマシロはすげえな」
がくー。
蒼くんは私のことを何でも出来ちゃう大人だと思ってるみたい。
罪悪感、はんぱないです。10歳も年上だから当たり前なんだよ、って教えてあげたい。
そして迎えたレッスン日。
どんよりとした重い足取りでサロンに向かうと、今日は紺ちゃんが一人で私を待っていた。
「良かった! ちゃんと来てくれて!」
私の顔を見て安堵したように表情を和ませる紺ちゃんに、笑みが浮かぶ。
この前の紅さまの無礼な振る舞いを気にしてくれてたのかな。嬉しいな。
「来るよー。紅さまには『紺に近づくな!』って怒られたけど、言うこと聞く義理ないし」
「じゃああの後、ちゃんとイベント起きたんだね。でもショックじゃなかった? 私、コウの序盤イベント苦手なんだ~」
……は? イベント?
あっけに取られた私を見て、紺ちゃんは眉を下げた。
同情に満ちた優しい眼差しに、あの夜の涙が誘発されそうになる。
「そっか……リメイク版のこと、全然知らないんだもんね。私が先にフォローしておけばよかった。今日も全部は伝えられないかもしれない、と思って、ノートに纏めてきたの。私に分かることなら何でも答えるから、とりあえず読んできてくれる?」
可愛いデザインのA4サイズのノートを手渡される。
「ありがとう」答える私の声は、感激で震えていた。
「これだけは言っておくけど、この世界は『リメイク版』の方だよ。玄田 紺はヒロインになりえない。私と紅は、双子の兄妹だから」
……え?
えええええええええっ!?
「ましろちゃん。どうぞ、入って」
亜由美先生の声が聞こえてくる。
私は母さんお手製のレッスンバッグの中にノートをしまい、慌てて立ち上がった。
お迎えの軽自動車の中で、母さんが心配そうにバックミラーを覗いてくる。
後部座席に乗り込んだ私が無言のままなのが、気になったらしい。
「……レッスン、上手くいかなかった?」
「ううん、それは大丈夫。この調子で頑張ろうって言って貰えたよ」
私が首を振ると、ホッとしたように笑みを浮かべ母さんは前を向いた。
「ましろ、すごく頑張ってるもんね。ソルフェージュ、だっけ? そっちも大変なんでしょ?」
「うん。聴音とか結構難しいかな。全部初めてだし、ついていくので精一杯。でも平気だよ。好きでやってるんだし。母さんこそ、送り迎え大変だよね。私、来年からは自転車で通うよ」
「それだと、30分以上かかっちゃうでしょ。小学生のうちは、甘えときなさい」
「好きでやってる」という自分の台詞に、決意を新たにした。
ちょっと前まで、その好きの対象は紅さまだった。今は違う。
重ねた努力が成果として表れる過程が、好き。
優しかったり悲しかったり、弾き方によって自由自在に色を変えるピアノの音が、好き。
紅さまのことはほんのきっかけに過ぎなかったんだと、今なら分かる。
私は、ピアノが好きだ。
夕食をみんなで食べ、お風呂に入って、勉強する。
本当は今日注意された部分をおさらいしておきたいのだけど、時計を見て諦めた。ピアノを触っていいのは、9時まで。もう、10時近くになっている。
机の上を綺麗に片づけ、明日の準備をチェックしてから、ベッドに潜り込んだ。
もぞもぞと体勢を整え、紺ちゃんノートを恐る恐る広げてみる。
読み始めるまで、すごく勇気がいった。
――主人公:島尾 真白
ピアノの特待生として、青鸞学院高等部に入学。家柄は普通の庶民。持ちあがり組の良家の子女から数々の嫌がらせを受けるものの、全てを華麗に打ち返す強さを持った女の子。
パタン。
いや、もう勘弁して下さい。
セレブ校にイジメは存在しないんじゃなかったのか!
……そうか。セレブじゃない異端者は見逃さないんだな。怖い、怖すぎる。
深呼吸して気持ちを落ち着け、もう一度ノートを開く。
――リメイク版では、前作ヒロインがまず登場。登録画面で、蒼・紅どちらの妹になるかを選ぶ。攻略キャラはどちらもかなりのシスコン。前作ヒロインの兄が、今作ヒロインのお相手となるシステム。一度クリアすると、過去回想モードが出現。ましろと紺の出会いから遡ってPLAY出来るようになる。
はぁ!? どんな斬新なリメイクっぷりだ!
前作ヒロインが出てくるのに、新ヒロインのお相手は前作と同じキャラクターって時点で、かなりのユーザーをふるい落としてるよね、これ。
地雷満載ゲームじゃないですか、やだー。
……ちょっと待って。
これでいくと、私の相手は紅さまってこと!?
今となっては全く、嬉しくないんですけど。
一度受けた屈辱は、そうそう忘れられないものですわよ。100年の恋もいっぺんに冷めちゃってる。侮蔑されてなお、恋心を保てるほどの愛は最初からなかった。なんせ、紅さまの見た目から入った口なので。
これ、もっと早く知っておきたかった。
そしたら、あの見下しイベントだって「なるほど、最初は犬猿の仲から始まるのね」って達観できたかもしれないのに。
紅さまなんてどうでもいい。むしろ、かかわり合いになりたくない。
目標は変更だ。
こうなったら、全部のイベントのフラグを折ってやる!