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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第二章 中学生編
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 お姉ちゃんと友衣くんは、三井さんの誕生日のプレゼントを一緒に選びにきていたみたい。夕方まで用事のある三井さんとこの後合流予定だと聞いて、やっぱりねと安堵した。


 「良かったら、ましろと紺ちゃんも一緒にくる?」


 花香お姉ちゃんは私達を誘い、友衣くんを「いいよね」と無邪気な瞳で見上げた。友衣くんも「ああ、かまわない」と頷いている。思い出してしまえば、何もかもが昨日のことのようだった。

 花ちゃんと友衣くんと私と3人で、よくご飯を食べに行ったっけ。私は彼らと今みたいに年が離れていなかった。妹ポジションに甘え2人にまとわりつく私を、花ちゃんも友衣くんも「しょうがないなあ」って優しく扱ってくれたよね。

 中学生の私が松田先生に感じた恋心は、前世の名残のようなものだったのだろうか。淡い雪が太陽に照らされ溶けるように、焦がれる想いは薄まり、今はただ彼に懐かしさしか感じない。真面目なところも、融通の利かない頑固さも、全部全部大好きだったよ、友衣くん。


 「ごめん、紺ちゃんは早く帰らないといけないんだ。三井さんによろしくね」


 いかにも残念そうに言って、手を振る。

 無言のままただ笑顔を振りまいていた紺ちゃんを引っ張って、私はずんずん歩いた。エレベーターに乗り込み、屋上ボタンを押す。紺ちゃんの手はまだ震えていた。

 ショッピングモールの屋上には、案の定誰もいなかった。ちらつく雪が、ベンチや植木を白く彩っている。空気は刺すように冷たかったけど、屋内の暖房でほてった肌にはちょうどよかった。

 私はそこでようやく紺ちゃんの手を離し、向き直った。


 「花ちゃん、だよね」

 「――――」

 「前世を思い出した。ずっと一人にさせちゃって、ごめん」


 紺ちゃんは大きく瞳を見開き、それからボロボロと涙を零しながら首を振った。

 どういうわけか、紺ちゃんは一言も口を開かなかった。まるでいばら姫みたいに。言葉を発したら、魔法が全て台無しになってしまう、というような頑なさで、紺ちゃんはただ首を振っていた。


 「友衣くんのこと、一度ちゃんと謝りたかったんだ。……私ね、知ってたよ。2人が付き合ってるって。それなのに花ちゃんが知らんぷりするからさ、ちょっと意地悪してやろうって思ったの。すごく性格悪いでしょ? 友衣くんに告白したのも、嫌がらせだよ。振られるのなんて分かってたけど、花ちゃんばっかり見てる友衣くんをあたふたさせてやろうって」

 

 紺ちゃんはぎゅっと唇を噛みしめ、私の両手を取った。


 「里香はちゃんとトモのこと好きだったじゃない。誤魔化そうとしないで。そのくらい分かるよ」

 「花ちゃんほどじゃなかったよ」


 私は間髪入れずに答えた。本当のことだ。


 「あれから2人が離れちゃって、死ぬほど後悔した。何度も友衣くんに言ったの。『花ちゃんを諦めないで』って。そしたら、なんて言ったと思う?」


 いつのまにか、私の頬も濡れていた。

 私たちはお互いにみっともない顔で、しかも雪の舞い散る寒い屋上で、前世の話なんてしてる。そう思うと、あまりに馬鹿げていておかしくなった。


 「『諦めるわけないだろ』だって」


 私の言葉に、紺ちゃんはとうとう泣き崩れた。「トモ……トモ……」と繰り返し、もういない恋人の名を呼ぶ紺ちゃんを私は一生懸命立たせようと頑張った。だって、服が汚れちゃう。


 「今の花香お姉ちゃんには、三井さんっていう恋人がちゃんといるの。だから、友衣くんの花ちゃんが紺ちゃんなんだって気づけば、友衣くんはきっと紺ちゃんを好きになると思う。ねえ、トビーなんてやめようよ。あの人、ものすごく性格悪そうだよ」

 「“松田さん”は玄田 紺を好きになったりしない」


 よろよろと立ち上がり、紺ちゃんは涙にぬれた頬を拭ってようやく微かに笑ってくれた。さっきまでの嘘くさい笑顔じゃない。ホッとして私は「そんなの、分かんないじゃない」と答える。


 「分かるよ。だって彼は――」


 そこまで言いかけ、紺ちゃんはくうを見つめると口を噤んだ。厳しい表情で、私の後ろを凝視する。思わず誰かいるのかと思って、後ろを振り向きそうになる。紺ちゃんはそうはさせまいと、私の両肩を掴んだ。


 「里香。お願いだから、幸せになって。それだけを私は願ってる。今度こそ、私は間に合ってみせるから」


 唖然とする私に、紺ちゃんは更にこう言った。


 「今日が最後。もう前世の話はしないで。約束して、里香。これはすごく重要なことなの」


 あまりの迫力に、私は頷く他なかった。食い下がったとしてもおそらく何も教えてはくれない、と感じたからかもしれない。紺ちゃんの美しい瞳は、怖いくらいに真剣だった。


 「今のご家族を大切にしてね。生まれてから今まで、あなたを大事に慈しんでくれたのは、この世界のご両親と花香さんなんだから」

 

 急に年上ぶってそんなことを言い出す紺ちゃんに肩をすくめる。


 「当たり前じゃない。前世の記憶とそれは別だよ」


 そうやってやり過ごさないとまた泣いてしまいそうだった。あまりに懐かしすぎて。紺ちゃんはホッとした、というように胸に手を当てた。

 それから私たちはそれぞれ涙を拭い、モール内に戻った。いつの間にか辺りは暗くなっていたので、お茶はまた今度、ということになり家まで送ってもらった。


 「じゃあね、紺ちゃん」

 「またね、ましろちゃん」


 私は能條さんの差し出してくれた傘に入りかけ、紺ちゃんを振り返った。


 「これからも、ずっと一緒だよね?」


 虫の知らせってやつかもしれない。吹っ切れたように明るく振る舞う紺ちゃんに、変な胸騒ぎがしていた。紺ちゃんはとっておきの笑顔で私を見つめた。


 「ずっと一緒だよ」


 どんな気持ちで、この時紺ちゃんはそう言ったんだろう。

 後から何度考えても、答えは出ない。

 ただ一つ言えるのは、私達の道はもともと分かたれていた、ということだ。すごくすごく残念でたまらないけど、私がマンホールに落っこちてしまったあの日にそれは決まってしまった。

 だけど、紺ちゃんと出会わなければ良かったなんて思ったことは一度もない。どんな宝石とも引き換えに出来ない、それはそれは煌めいた日々だった。


 

 


 憑き物が落ちたように、松田先生の名前を出さなくなった私を玲ちゃんは不思議がっている。


 「とうとう幻滅した、とか?」


 バレンタインも結局チョコを渡さなかった私を、玲ちゃんは心配そうに覗き込んできた。


 「まさか。松田先生みたいに素敵な人はいないって、今でも思ってるよ」

 「そこまで!? じゃあ、なんで朝のストーカーも止めちゃったわけ?」


 ストーカーって言うな。女子中学生にありがちな可愛い片思い行動だったでしょうが。……だったよね。


 「松田先生には、もうずっと好きな人がいるから。あ、これ絶対誰にも言わないでよ? 変な噂立ったら私、キレるよ」

 「ましろを敵に回すなんて、そんな恐ろしいことしませんよーだ」


 玲ちゃんはしかめっ面をしたけど、その後しばらく不自然なほど優しかった。私が失恋したと思い、彼女なりに慰めてくれたんだと思う。「鬼平犯科帳」という時代小説も貸してくれた。ピアノの練習の合間にちょこっとずつ読み進めてるんだけど、とにかく名言が多くて痺れる。

 私と玲ちゃんは、よく鬼平犯科帳の真似をして遊んだ。


 「えー、また宿題やってきてないの? 学生のうちにちゃんと勉強しないと、将来困るのは玲ちゃんだよ」

 「女という生きものには、過去もなく、さらに将来もなく、ただ一つ、現在のわが身あるのみ、なのですよ、ましろ」

 「平蔵か」


 とかね。そんな感じ。

 中学生なんて、ほんとくだらないことに笑いながら毎日を過ごしてるんだって。この感覚もすごく懐かしい。

 

 バレンタインといえば、一個だけ余ったチョコは自分で食べた。シャンパントリュフを口にするわけにはいかないもんね。だからそっちは水沢さんに渡した。

 「いいんですか? ありがとうございます。大事に食べますね」とにっこり笑ってくれた優しい水沢さん。紅は、そんな水沢さんを親の仇のような目で睨みつけていた。車の中は、紅が貰ってきたチョコで溢れかえっていたというのに、まだ欲しいのか。

 「くどいようだけど、俺にはないの?」と食い下がる紅に「青鸞の子から貰うような高いチョコは、私のお小遣いじゃ買えないよ。手作りなんてもっと嫌でしょ?」と言ってやった。紅は何とも言えない表情で、何度もため息をついていたっけ。そういう思わせぶりな手管は、ファンクラブ限定でお願いしたい。


 ピアノの練習も、前よりうんと楽しくなった。

 クラシックにハマったきっかけは、半ば自棄になってのめりこんだ『ボクメロ』だったけど、私なりに音楽を好きになっていた。あのまま生きていれば、大人になってからピアノ教室とかに通ってたかもしれない。今の私は、すごく恵まれている。気づいてからは、変わり映えのしない反復練習さえも貴重な贈り物のように思えた。


 「最近のましろは、毎日楽しそうだね」


 父さんが嬉しそうに目を細めて、晩御飯の時に私をしみじみ眺めてきた。


 「前はどこか張りつめてて、不安そうだったけどそれがない」

 「うん。学校も楽しいし、ピアノも楽しいし。父さんたちも優しいしさ。私って恵まれてるなって最近よく思うんだよね」

 「ましろも大人になったのねえ」


 母さんまでニコニコ笑っている。お姉ちゃんは「それでこそ、私のましろですよ」ともっともらしく頷いていた。大好きな私の家族。今世では、二度と悲しませないように全力を尽くす所存です。



 

 そうこうしているうちに、私は中学二年生になった。


 10月に開催されるコンクールの概要も、大々的に発表になり、いよいよなんだな、と緊張してくる。もうしばらくしたらエントリーする為の録音をしましょうね、と亜由美先生には言われていた。

 

 2―3の私のクラスには、咲和ちゃんと間島くん、そして田崎くんがいた。玲ちゃんは隣のクラス。絵里ちゃんは1組で、朋ちゃんと木之瀬くんが5組。そして麻子ちゃんと平戸くんが7組だって。

 全体の人数が多いからしょうがないんだけど、見事にバラバラになってしまった。


 「今年は修学旅行があるから、一緒のクラスが良かったのに~」


 玲ちゃんはしょんぼりしていたけど、自由行動のテーマパークはクラスに関係なく好きな子同士で班を組めることになっている。


 「玲ちゃんさえよければ、5人グループらしいから一緒に回らない? 私と咲和ちゃんと麻子ちゃんでしょ。あと、美里ちゃんとかどうかなって皆で話してたの。誘えない?」

 「え、いいの!? もちろん私はオッケーだよ。美里にも声をかけてみるね!」


 修学旅行は、11月。まだまだ先の話なんだけど、女子同士はわりと早いうちから根回ししとくみたい。玲ちゃんと同じクラスになった美里ちゃんも、喜んで賛成してくれたそうなので、咲和ちゃんと麻子ちゃんに「オッケーだって」と報告しておいた。

 

 「よし。これでギリギリになって慌てなくて済むね」

 「うんうん。下手に3人でグループ作って、苦手な子を後から先生に押し付けられたら嫌だもんねぇ」


 麻子ちゃん達はそう言って喜んでいる。

 こういうとこ、中学生は残酷だ。5人の仲良しグループを作れない子はどうするんだろう、と胸が痛くなる。


 「どしたの、ましろ」

 「……ううん、何でもない。だれも仲間外れにならないように、上手くグループが出来るといいな、って思っただけ」

 

 私の顔を見て、咲和ちゃんも麻子ちゃんもちょっとトーンダウンして「そうだね……」と同意してくれた。

 もちろん彼女たちに悪意があるわけじゃない。上手く想像できないだけだ。友達を作れない子にとって、学校のイベントは苦痛でしかないって。

 前世の中学校でも色々あったっけ。主義主張の違う、精神的に未熟な子供が狭い箱庭の中にひしめいているんだから、トラブルが起きない方がおかしいんだけどね。

 故意だろうが偶然だろうが誰かを傷つけてしまえば、その痛みは自分にも跳ね返ってくる。蒼はどうしてるかな、と思わない日がないみたいに。



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