スチル26.青鸞クリスマスコンサート(鳶&紅)
「あら? 今日は紺ちゃんの学校のクリスマスコンサートに行くって言ってなかった?」
午前中いっぱいアイネで練習した後、お昼ご飯を食べようと一階に降りてきた私を見て、母さんは首を傾げた。
「うん、そうだよ。電車で行こうと思ってたんだけど、紺ちゃんが能條さんを迎えに寄こしてくれるって言うから、甘えちゃった」
開場は2時だけど、車で送ってもらえるなら、そんなに慌てて準備しなくてもいいよね。オペラやフルオケを聴きに行くわけじゃない。適当にワンピースか何かを着ていけばいいか、と私はおっとり構えていた。
先にテーブルについていた花香お姉ちゃんがピクリ、と眉を上げる。
「クリスマスコンサート? それって、デート?」
「で、デートなのか、ましろ!!」
リビングのTVでラグビーを観戦していた父さんからも、素っ頓狂な声が上がる。私は苦笑しながら首を振った。
「残念ながら、違います。今回は一人でいくつもり」
チケットをくれる時、本当に一枚でいいの? と紺ちゃんは念を押してくれたんだけど、生憎誘える心当たりがなかったんです。玲ちゃんは部活があるって言ってたし、彼氏のいない咲和ちゃんと麻子ちゃんもそう。
お姉ちゃんは忙しいかなって遠慮しちゃったし、父さん母さんと一緒に出かけるのは保護者同伴みたいで気恥ずかしい。
松田先生と一緒に行けたらいいのになあ、とちょっと思ったけど、すぐに諦めた。花香お姉ちゃんと三井さんが一緒なら話は別だけど、私と2人でって知ったら断るに決まってる。そういうけじめはキチンとつける人だからこそ、好きなんだもん。
「紅くんはエスコートしてくれないの?」
花香お姉ちゃんは何故か不満そうだ。
「無理だよ。紅は今日、出演者側だもん。そうじゃなかったとしても、私の相手をしてる暇はないと思うな」
どうして、と食い下がってくるお姉ちゃんに、紅のファンクラブについて簡単に説明してあげた。
沢倉さんも宮路さんも、かなりの美人さんだ。紺ちゃんや美登里ちゃんレベルとまでは言わないけど、私は隣に立ちたくない。というか、関わりたくない。
次に向こうが喧嘩を吹っかけてきても無視しよう、と心に決めている。うっかり紅に、私とお嬢軍団との対決シーンを目撃されようもんなら、後から盛大にからかわれそうで嫌だ。
私の説明を聞き終るや否や、お姉ちゃんはすっくと立ち上がった。
「なに言っちゃってんの? ましろが一番可愛いに決まってるじゃない!」
そんな話はしていない。
「そうじゃなくて。面倒は困るから、こっそり聴きに行こうと思ってるって話で――」
「早く食べちゃいな! この花香さんが腕によりをかけて真白をお姫様にしてあげるから!」
話を聞こうよ。
溜息をついた私を見て何を勘違いしたのか、母さんまで「そうよ。ましろが一番可愛いに決まってるわよ。お姉ちゃん、やっちまいな!」なんて言い出してる。
カチコミですか。
もう、好きにして。それにしたって、母と姉の盲目っぷりが恐いです。『家族愛フィルター』ってとてつもなく強力なんだな、としみじみ思った。
そういえば、蒼が私のことを可愛いとかスゴイとかいうのも、これに似てる気がする。
蒼にとって私は理沙さんの代わりみたいなものだから、あれも一種の『家族愛フィルター』なのかも……。この若さで13歳の子持ちか。つらいな。
お姉ちゃんに急かされながらオムライスを食べ、そのまま二階に連れていかれた。
高校の時に比べて、お姉ちゃんの部屋は段違いに綺麗になっている。
「うわ! きちんと片付いてるじゃん!」
びっくりして思わず口に出してしまった。
「そりゃあね。シンくんにだらしない女だって思われたくないし、さ来年は社会人だよ? 流石に自分の部屋くらいちゃんとするって」
お姉ちゃんは照れくさそうにしながら、クローゼットを開いた。
どれにしようかな、と唸りながら、どんどん服をベッドに積み上げていく。それから、私にあててみては、「色が」「うーん、もっとキュートな方が」などとぶつぶつ言っている。こうなったら誰にも止められない。20分後、ようやく私は着替えることが出来た。
肩が半分見えそうなオフショルダーのニットに、黒いミニフレアのスカート。すっきりと開いた首元にはベビーパールのネックレス。タイツを履こうとしたら大きな声で止められてしまった。
「ダメダメ! ましろは脚が綺麗なんだから、タイツで隠さないで。ニーハイブーツを履けば寒くないから」
「やだ~。このスカート短すぎて、パンツ見えそうじゃん!」
「大丈夫。見えそうで、見えないから」
どんなチラリズム。
全力でお断りしたかったけど、お姉ちゃんはそのまま私を洗面台に引っ張っていった。
ゴムで一つに結んでいた髪の毛を丁寧にブローしたあと、ふんわりと編み込んでいく。短い後れ毛はコテでくるんとカールして、わざと散らしていた。
ベロアの黒リボンバレッタで、サイドを留めて「こんなもんかな」とご満悦そうに私を眺めている。
軽くフェイスパウダーを叩かれ、艶々のグロスを塗られてから鏡の前に立たされた。
おっ?
おお~!!
中学生とは思えない大人っぽい私が、そこに立っていた。
服だけみた時はギャルっぽい、と思ったけど、着てみると「可愛い」という印象の方が強い。
髪を巻いてアップにするだけでも、随分印象が変わるんだな。
「どう? 可愛いでしょ~」
「ありがとう!」
ぎゅっとお姉ちゃんに抱き着き、時計を見る。
もうそろそろ約束の時間だった。
急ぎ足で二階に戻り、とっておきの白いショートコートを羽織って、ニーハイブーツのジッパーを上げる。ファー付きのフェルトのバッグを持ったところで、チャイムが鳴った。
「あ、多分能條さんだ。いってきまーす!」
綺麗にしてもらったことで、気分が浮き立ってくる。
私は足取りも軽く、玄関を飛び出した。
クリスマスコンサートは、かなりの盛況っぷりだった。
3000人収容可能な大ホールの殆どが埋まっている。
チケットの座席番号を確認して、腰を下ろした。前から5列目の中央。かなりの良席だ。
他のお客さんたちは、ロビーで出演者と話したりしてるからか、まだあんまり席にはついてないみたい。隣は、どんな人なんだろう。
そう思いながら、パンフレットをめくっていると、辺りがざわめき始めた。
ん?
様子が変わったことに気づいて、顔を上げる。
タキシード姿の紅が、深青のロングドレスを身に纏った紺ちゃんをエスコートしながらこっちに来るのが目に入った。演奏の邪魔にならないようにか、紅の長めの赤い髪は後ろに撫でつけられている。今日は首元をはだけてない。きちんと着ていても色っぽいとか、どういうことなんだろう。
紺ちゃんのノースリーブドレスから伸びている白い腕の艶やかさにも、目が眩みそうになった。
超絶美形双子、か。
遠くから眺める分には最高だけど。
――まさか、私に挨拶、とかじゃないよね。
「あれ、成田くんじゃない?」
「いや~ん、今日もカッコいい~!!」
「紅さまよ!」
「やっぱり素敵ね~」
辺りの同い年くらいの女子がさざめき始めた。
だけど紅も紺ちゃんも、全然気にしていないみたい。日常茶飯事ってことなのかな。
「来てくれたんだね、ましろ」
「お花もありがとう! 早速、ロビーで受け取ってきちゃった」
紺ちゃんはカスミ草とデルフィニウム、そしてミニバラで作ってもらった小ぶりのブーケを掲げてお礼を言ってくれた。
紅はといえば、私をまじまじと見つめて「いいな、その恰好。よく似合ってる」と微笑んだ。グッとお腹に力を込めて次にくるだろう貶し文句を待ったんだけど、何もこない。あれ? それだけ?
「あー、あはは。小さいブーケで恐縮です。お姉ちゃんの服なんだけど、おかしくないなら良かったよ」
とりあえず当たり障りのない返事をしながら立ち上がった。
向こうが立ってるのに、私が座ったままなのは悪いかな、と思ったんだよね。ところが。
「……ちょっと短すぎない?」
私の全身を改めて眺め、紅は眉を顰める。
さっき褒めてくれたばっかりなのに、もうこれだよ。やっぱりね!
「いいの。見えそうで見えないんだから」
お姉ちゃんの言葉をそのまま引用すると、紅は何故か怒ったような口調で「誰の目を意識して言ってるの?」と追撃してくる。
少なくとも貴方じゃないから、安心して下さい。
紺ちゃんは、「いいじゃない。大人っぽいのに可愛いし、ましろちゃんにピッタリ」とにっこり微笑んでくれた。うう、紺ちゃん、ありがとう。紅も妹を見習え!
「まあいい。手を打っといて良かった」
どういう意味?
私が問いただすより先に、紅は話を続けた。
「最後までいるんだろ。終わったら俺たちと夕食に行かないか?」
「この後予定がないなら、是非!」
口々に誘われ、私はしょうがなく頷いた。
ここで押し問答してたら、ますます周囲からやっかまれてしまいそう。
「家に電話してみて、許可が出たらね」
私の返事に2人はにっこりと微笑み、ようやく去っていってくれた。
長い溜息をつきたいのを堪え、バネ仕掛けの椅子を下ろして座る。
紅たちと話していたのは、ほんの僅かな時間だったはず。なのに開幕ぎりぎりまで、私は周囲の好奇と嫉妬の目に晒される羽目になった。
救いだったのは、両隣二つずつとも空席のままだったこと。
私の近くの席に紅ファンが座ったらどうしようと心配だったから、ホッとしてしまった。
ピリピリした空気の中で音楽鑑賞しなくちゃいけないなんて、最悪だもんね。
第一部は、弦楽器科専攻の発表だった。
一曲目は、コントラバス独奏による「ヴォカリーズ」
ピアノの控え目な伴奏に合わせて、豊かな音が立ち上ってくる。
パンフレットによると、3年生らしい。かなり上手い。出だしの数フレーズで、ぐっと聴衆の意識を引っ張っていってしまう。
ラフマニノフはもともと、コントラバスの為にこの哀切でロマンティックな曲を書いたと言われている。全14曲からなる歌曲集の第14曲目がこのヴォカリーズだ。
ヴォカリーズっていうのは『歌詞のない母音唱法の歌』って意味。だからってわけじゃないけど、主旋律を歌うように弾く演奏が私は好みなんだよね。
もっと情感たっぷりに奏でてくれてもいいかな、と思ったけど上品で優しいヴォカリーズだった。
二曲目は、チェロの独奏でサンサーンスの「白鳥」
三曲目は、弦楽四重奏でラヴェルの「弦楽四重奏曲 ヘ長調」
どの曲も、中学生とは思えない水準の高さだ。
これが小さい頃から音楽の英才教育を受けてきた人たちの実力なんだ。
ふつふつと闘志が湧いてくるのが分かる。
素晴らしい、と思えば思うほど、負けたくないと感じてしまう。
いつからこんなに貪欲になっちゃったんだろう、と自分でも不思議だった。
第一部の締めは、紅だった。
彼がステージに出てくるだけで、会場がドッとどよめく。
正直、こんなに人気があるとは思ってなかった。
急に紅を遠くに感じて、無性に寂しくなる。勝手なもんだよね。
紅の演目は、プロコフィエフの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」
無伴奏をわざわざ持ってくるあたり、俺様の本領発揮ってこと?
それとも、伴奏のピアノを誰が弾くかで揉めたのかな。
テクニックだけでいうなら、もっと難しい曲はいくらでもあるだろう。だけど、紅は余裕たっぷりにこのヴァイオリンソナタをどこまでも美しく歌い上げた。高音の濁らなさ、重音の深み。どこを取っても文句のつけようのない完璧な演奏。
すっと背筋を伸ばし、ヴァイオリンを愛しげに奏でる紅の姿はそれだけで絵になるっていうのに、音まで凄いって、ねえ。そりゃ、ファンクラブも出来るわ。
私も紅の演奏に、惜しみなく拍手を送った。
ステージから去る直前の彼と一瞬目があい、ふわり、と微笑まれた気がする。
キャア! と周りから悲鳴が上がったので、多分誰に向けてってわけじゃなくてファンサービスの一環なんだろうな。まるでアイドルのようなプロ意識を見せて頂きましたよ。
ドキっとしてしまっただなんて、悔しいから絶対に認めないもんね。
第一部が終わって10分の休憩に入ったので、今のうちに、とトイレへ向かう。
誰にもつかまりませんように!
必死の祈りが届いたのか、挙動不審なくらいの警戒っぷりに他の人が引いたのか、無事席まで戻ってくることが出来た。
なに自意識過剰的なこと言っちゃってんの? って感じかもしれないけど、この世界のご都合主義といったら、凄まじいものなんですよ。
私はそれを身を以て味わってるからね。
修学旅行先での惨事は、決して忘れまい。
肩の力を抜いて、ゆったりと自分の席に腰を下ろす。
私は完全に油断していた。
「Hi! マシロ。How have you been? ここ、空いてるならいいかな?」
げっ。
今日ってトビーのイベント発生日なの!?
後ろからかけられた聞き覚えのある声に、ぎくしゃくと体を向けてみる。
予想通り、白いジャケットを羽織った金髪碧眼の王子様が、麗しい笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「I've been good. 誰も来ないみたいなので、どうぞ」
紺ちゃんになるのよ、ましろ。
女優の仮面を被るの!
内心の動揺を隠して、私も口角を引き上げた。
◆◆◆◆◆◆
本日の主人公ヒロインの成果
攻略対象:成田 紅
イベント名:君の為に弾く
前作ヒロインの成果
攻略対象:山吹 鳶
イベント名:将来への布石
無事、クリア




