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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第二章 中学生編
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Now Loading その48

 「――クリスマスコンサート?」

 「うん。23日なんだけど、どう? 予定が空いてたら、聴きに来て欲しいな」


 土曜日の午後。

 玄田邸の離れでいつものように練習させてもらった後、紺ちゃんにパンフレットを渡された。コンサートという名目だけど、青鸞学院の成績優秀者が日頃の成果を発表する場でもあるらしい。

 23日が中等部、24日が高等部、そして25日には青鸞音楽大学の選抜メンバーと地元のオーケストラによるコンサートが行われる、とパンフレットには載っていた。


 「わあ~。すごいね! 流石、青鸞。やることのスケールがでっかいわ」


 地元のオケを振るのは、有名なコンクールで優勝を果たした新進気鋭の指揮者だった。最近のメディアでもよく取り上げられてるから、一度は彼の指揮で協奏曲を聴いてみたいと思ってたんだよね。

 私が25日のプログラムに見入っていることに気づき、紺ちゃんは申し訳なさそうに眉を下げた。


 「ごめんね、25日のチケットは持ってないの。もし真白ちゃんが聴きたいなら、今から手配してみようか」

 「え? ああ、いいのいいの! すごいなあって感心しただけだから!」

 「トビーの初めての企画らしいわ」


 紺ちゃんがひんやりした声で説明してくれた。

 トビー王子は今、山吹グループの商事会社にお勤めらしいんだけど、今年から青鸞の経営陣にも加わってきたんだって。それで3年後には理事長になるっていうんだから、彼がどれほどの遣り手なのかおのずと知れるってもんだよね。


 「青鸞の卒業生を大々的に売り出して、学院の名前をもっと高めていこうっていう方針なのよ。青鸞には伝統と歴史があるけれど、最近は新興の音楽学校もどんどん増えてきてるから、経営陣にも対抗意識が芽生え始めてるんでしょうね」

 「そっか。トビー王子は、野心家なんだね」


 仕事熱心なのは悪いことじゃないと思うけど。

 続けて言おうとして、口を噤む。紺ちゃんの表情はとても険しかった。

 

 場の雰囲気を変えようと、23日のプログラムを改めて目で追ってみる。紺ちゃんと紅の名前もちゃんと載っていた。


 「紺ちゃんは、ベートーヴェンのピアノソナタ熱情の第三楽章か~。うわあ、楽しみ!」


 ピアノ科からは、紺ちゃんと沢倉さわくら 雪子ゆきこって子がエントリーしている。紺ちゃんは、【沢倉雪子】と印刷されている文字を細く長い指で指した。


 「この子も、紅の取り巻きの一人よ。ほら、キラキラ星の楽譜の子」

 「沢倉さんっていう子なのか。コンサートに出るくらいだから、かなりピアノが上手いってことだよね」


 どんな演奏をするんだろう。

 日頃、自分と同い年の子の演奏を聴く機会がない私は、紺ちゃんの常人離れしたピアノしか知らない。そう考えると、今度のコンサートは青鸞中等部のレベルを知るいい機会だよね。楽しみだな。


 「紅と一緒にオペレッタを観にいったのも、沢倉さんだと思う」

 「ふうん。じゃあ、あの青い髪の美少女がキラキラ星の楽譜を貸してくれたんだ。それにしても、紅って面食いだよね」

 「……それだけ?」

 「他にも何かあるっけ」


 何故かがっかりしたように、紺ちゃんが私の顔を覗き込んでくる。拍子にふわり、と茶色の髪が頬にかかって、くらくらする程の美しさを私の目に焼き付けてきた。ううっ。ま、眩しい。


 「はぁ。自業自得とはいえ、可哀想になってきちゃった」


 ぶつぶつ文句を言っている紺ちゃんから目を逸らし、パンフレットの続きに視線を落とす。

 あんまり紺ちゃんをまじまじと見ちゃうと、帰ってから鏡を見た時のショックが大きいんだよね。綺麗な人とずっと一緒にいると、自分まで綺麗になったような錯覚を覚えるのって私だけ?


 ピアノ科以外にも、弦楽器科、木管楽器科、金管楽器科からそれぞれの代表が出るみたい。

 ふと、ある名前が目に留まった。


 【クラリネット専攻 宮路みやじ 璃子りこ


 うーん。どっかで聞いたことある名前だなあ。

 誰だっけ。

 必死に記憶を手繰って、ようやく思い出した。

 黒目黒髪のエキゾチック美人じゃん! 紅の親衛隊隊長みたいなあの子!


 「この宮路さんって子も、紅の取り巻きじゃない?」

 「え? 知ってるの?」

 「やっぱりか~」


 小学校の時に、ショッピングモールで一度会って釘をさされたことを思い出し、手短に説明してみる。私の話を聞き終え、紺ちゃんは苦々しく顔を顰めた。


 「彼女ならそれくらい言うでしょうね。あとは、ほら、ここ。ヴィオラ専攻の宇都宮うつのみや 美沙みさ。そして、フルート専攻の寺西てらにし 花梨かりん。この2人が、宮路さんのグループの子達よ」


 言われてみれば、隊長みやじさんの両隣に仲間がいたような……。


 「ファンが全員、顔も良くて楽器も上手いなんて。紅のたらし能力、恐るべし! だなあ」


 思わず感心してしまった。

 ところが紺ちゃんは、苦い顔のままで首を振った。


 「学院には、もっと上手い子だって他にいるの。トビーは親が納める寄付金の見返りとして、彼女達をメンバーに選んだのよ」

 

 うわっ。

 それは流石にえげつない!

 でも、トビー王子なら涼しい顔でやりそうだな、とも思った。

 『勝てば官軍』を地でいくタイプにみえる。


 「紺ちゃん。そんなろくでもない男を攻略するの、止めようよ」


 私が唇を尖らせると、紺ちゃんは微かな笑みを口元に浮かべた。


 「しょうがないわよ。前作ヒロインわたしのお相手はトビーって決まってるんだもの」


 その言葉に、引っ掛かりを覚える。

 前に紺ちゃんは私にこう言った。


 ――ましろちゃんは自由に生きられるんだよ?


 私「は」自由に生きられる。

 じゃあ、紺ちゃんは?

 紺ちゃんは、どうして『ボクメロ』の進行通りにトビー王子を攻略したいの?


 ううん、そうじゃない。

 したい、のではなく、しなければならない、のであれば。

 これまでの彼女の行動が、オセロをひっくり返すように違う意味を持ってくる。


 紺ちゃんの抱えている秘密をほどく糸口が見えた気がして、私はその後もずっと、紺ちゃんの放った言葉の意味を考え続けることになった。




 

 冬の日没は早い。

 17時を回る頃には、辺りは真っ暗になっていた。

 能條さんの待つベンツに向かう途中、一緒に外までついてきてくれた紺ちゃんに一枚のDVDを渡された。


 「これ。迷ったの、渡そうかどうしようか。紅には渡すなって言われた」


 紺ちゃんの美しい唇から、白い息が漏れる。

 灯りのともった石灯籠に照らされた紺ちゃんは、羽織ったロングコートの襟をかき合せながら、私を見つめた。


 「秋休み、私と紅がヨーロッパに行った時にね。オーストリアのグラーツで芸術祭が行われてたの。そこで、城山くんに会ったわ」

 「蒼に?」


 思いがけない名前にびっくりする。

 文化祭のことで相談に乗ってもらった時、紅はそんなこと一言も言わなかった。


 「元気にしてた? ちゃんとチェロを続けてた?」


 勢い込んで尋ねると、紺ちゃんは目元を和ませ、私の手にあるDVDを指差した。


 「みてみたら分かるよ。……コウを責めないでやって。まだ辛いんじゃないかって、兄なりに気を遣ったのよ」

 「――うん。だろうね」


 入学式の日の自分の醜態を思い出し、私は素直に頷いた。

 紅はああ見えて、気遣いの人でもある。私だって今までも、何かと助けられているのは確か。その事実を帳消しにするような、傲岸な言動さえなければ、文句なしにいい男なんです。

 そこまで考えて素直な紅を想像し、余計に不気味だ、という結論に達した。

 

 「紺ちゃんは、蒼のこと警戒してるんじゃなかったの?」


 あまり彼には近づいて欲しくないみたいなこと、だいぶ前に言ってなかったっけ。

 不思議に思って尋ねてみると、紺ちゃんはきっぱりと言い切った。


 「ましろちゃんに関していえば、もう私の知ってる『ボクメロ』じゃない気がするの。だから、私は、コウでも城山くんでもなくて、ましろちゃんの味方だよ。絵葉書に彼が何も書いてこないこと、ずっと気にしてたでしょう?」

 「……バレてたのか。紺ちゃんには、何でも分かっちゃうね」


 蒼からの絵葉書は、一週おきにきちんと届く。

 だけど、一度だって返事が綴られていたことはなかった。


 だから私は、いつも当たり障りのない手紙しか書けないでいた。

 <元気にしていますか? ちゃんと食べていますか? ドイツは楽しい?>

 質問ばかりの手紙をしたためるのが辛くなり、最近では折り紙を折って封筒に入れている。

 遺跡シリーズは不評だったみたいだから、楽器シリーズにしてみた。

 チェロ、ヴァオリン、トランペット、トロンボーン。

 一番最初に蒼にあげたグランドピアノに加えられるよう、オーケストラの楽器を網羅するつもり。


 「ありがとう、紺ちゃん」


 DVDをしっかりと胸に抱き、私は車に乗り込んだ。


 


 家に着いてすぐ、リビングのTVの前に陣取る。

 珍しく家にいた花香お姉ちゃんが「なに、なに?」と瞳を輝かせ、ソファーの隣に腰掛けてきた。


 「蒼の映ってるDVDだって」

 「蒼くんの!? うわ~、久しぶりだね。私も見てもいい?」

 「もちろん」


 花香お姉ちゃんは私の分のココアも一緒に淹れてきてくれた。

 焼いたマシュマロを浮かべた甘いココアは、私が淹れるよりもお姉ちゃんが淹れた方が美味しいんだよね。私が感心する度、お姉ちゃんは「コツは愛情だよ?」と笑ってくれる。


 2人で並んで、DVDが始まるのを待った。

 両手でカップを持って、息を吹きかけながら少し冷ましていると、懐かしい声が液晶画面の向こうから聞こえてきた。


 「撮影? やめろよな」

 「いいじゃないの、ケチケチしないでよ」


 蒼と、この声は――。

 どうやらビデオカメラを回しているのは美登里ちゃんみたい。


 黒いジャケットを羽織った蒼が、しかめっ面でこっちを見てる。

 サラサラの水色の髪は、少し短くなった? 背が伸びたせいか、私の覚えている可愛い蒼じゃなくなっている。ファンブックで見た城山 蒼にそっくりの大人びた少年がそこにはいた。


 「演奏前なんだから、今はまだ撮影禁止じゃないんだろ? 女の子のお願いは聞いてあげないとね」


 美登里ちゃんのカメラは蒼の隣に並んだ紅を捉える。

 そのままズームアウトして、2人の姿を画面に収めた。

 

 「露出狂のお前と一緒にするな。写真とかビデオとか、苦手なんだよ」

 「そっちこそ、俺をどういう目で見てるわけ?」


 気づけば、涙がじわりと溢れていた。

 慌ててココアをローテーブルに戻し、手のひらで目尻を拭う。

 お姉ちゃんは、そっと私の膝に手を置いてくれた。


 懐かしい。

 こうやって、よく2人でじゃれ合ってたよね。

 口では文句を言ってるのに、顔は笑ってて。


 「ねえ、この映像をマシロに送ってもいいでしょ?」


 美登里ちゃんの声だけが入ってくる。蒼は、ふと目元を和らげ画面をまっすぐに見つめてきた。


 「マシロが見たいって言えば。無理強いはしないで。マシロには、何の負担もかけたくない」


 紅より少し高いアルトの甘い声。

 愛しげな眼差し。


 蒼はまだ、私のことを想ってくれてるんだ、と分かってしまった。


 胸が苦しい。

 会いたい、と強く思う。

 でも、これが恋情なのかと聞かれれば、否定するしかない。

 大切で、守ってあげたくて、そして誰より幸せになって欲しい人。

 

 それからしばらく他愛もない話をする紅と蒼、そして紺ちゃんが映し出された。


 「そろそろ演奏かな? お前のチェロを録画できなくて残念だよ」

 「どういう意味」

 「後から細かくチェックしてミスを探してやれるのに、ってこと」

 「言ってろ」


 蒼は紅に軽くハイタッチして、広場の中央にしつらえられている舞台へと向かっていった。前よりうんと広くなった背中が遠ざかり、そこで映像は終わっている。


 「蒼くんも、紅くんもますますカッコよくなっちゃったね」


 しみじみとしたお姉ちゃんの台詞に、私も涙を拭きながら頷いた。


 恋や愛で結ばれなくていい。

 音楽で、彼らと肩を並べたい。


 痛烈に私は、そう思った。



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