閑話⑦
★蒼とミドリの攻防戦★
久しぶりに、婚約者であるミドリが自宅を訪ねてきた。
彼女の気紛れは筋金入りで、訪問前にアポイントを取った試しなんてない。
もちろん、来るのを先に知ってたら家にはいないけど。
「ソウ! 来てあげたわよ」
「頼んでない」
即答すると、ミドリはいつものように怒ったりせず、何故かニヤニヤ笑い始めた。
正直、ものすごく不気味だ。
「そんなこと言っていいの? 日本のお土産あげないわよ?」
ミドリがイギリスを離れていたなんて初耳だった。
だけど、何の感情も湧いてこない。
日本が懐かしくないわけじゃないけど、本当に欲しいものはどこにも売ってないんだ。
「いらない。用ってそれだけ?」
最低限の礼儀は払った。
これ以上、同席する必要はないだろう。
腰をあげようとしたところで、俺は息を飲んだ。
向かい合せに座ったミドリが、ローテーブルに写真を並べ始めたからだ。
ただの写真なら、何てことない。
だけどそこには、片時も忘れたことのないたった一人の女の子が写っていた。
ミドリと頬をくっつけて照れくさそうに笑うマシロ。
同じジュースに2本ストローを指して、一緒に飲んでいるマシロ。
薄着のマシロは、最後に見た時よりうんと大人びていて、眩しいほどだった。
「まさか、お前――」
「ふふ~ん。日本に行ってきたって言ったでしょ」
得意げに眉をあげるミドリに、最悪の想像が脳裏をよぎる。
「なに、勝手な真似してんだよ! マシロに近づくな!」
本気で脅したつもりだったが、ミドリはフンと鼻で笑ってきた。
「何かするのなら直接あなたにするわよ、ソウ。マシロはすごくcuteな子だった。私、大好きになっちゃったわ」
「――は?」
言ってる意味が分からずに聞き返すと、ミドリは得意げに携帯をかざしてくる。
「今後一切、私にムカつく態度を取らないって約束するなら、このデータをあげてもいいわよ」
「なに言って」
――『おはよう』
ミドリが操作した途端、小さな端末から懐かしい声が聞こえてきた。
思わず、立ち上がってしまう。
この声は。
『もう朝だよ』
『早く起きて』
『今日も1日頑張ってね』
気づかないうちに、きつく拳を握りしめていたらしい。
ミドリは俺の反応に、驚いたような表情を浮かべた。
マシロ。
会いたい。
会いたくて、たまらない。
機械越しの声にさえ、こんなにも反応してしまう。
気を緩めたら、どうにかなってしまいそうだった。
「分かった。約束する」
ようやくその言葉だけを押し出すことが出来た。
ミドリは、呆れたように肩をすくめている。
「そこまで好きなら、どうしてこっちに来たりしたのよ」
「お前には」
関係ない、といいかけて、思いとどまった。
ミドリが満面の笑みを浮かべ、これみよがしに携帯を振っているのが目に入る。
溜息をつきたいのを我慢して、俺は自分に言い聞かせた。
マシロの声、欲しいだろ?
欲しいよな。
「……マシロに言われたんだ。ドイツに行った方がいいって。俺は、とっくに彼女に振られてる」
「ふうん。まともに話せるんじゃない」
小憎らしい言い方に神経を逆撫でされたが、ぐっと堪えた。
「まあ、いいわ。約束だし、マシロだけが写ってる写真と音声データはあげるわね」
「ありがとう」
素直に礼を述べる。
動機はなんだっていい。
マシロの写真も、彼女の優しく甘い声も、今の俺には最高のプレゼントだ。
ミドリは自分が言い出した癖に、眉を顰めた。
「そんなに喜ばれちゃうと、なんか調子狂うんですけど」
「はあ? どうしたいんだよ、お前は」
「……もし想いが叶わなくても、お願いだから、ストーカーになってマシロを刺したりしないでね」
何故か、心配そうな表情で俺を見つめてくる。
マシロを気に入った、というのは満更嘘でもなかったらしい。
独占欲がないとは言わないけど、それでも彼女の幸せを壊そうなんて思うはずがない。
「マシロを怖がらせるくらいなら、俺が消えるよ。彼女が笑って暮らせるなら、それが一番いいんだから」
「重っ! っていうか、あんた本当にソウ!? 偽物なんじゃないの?」
ミドリはそそくさと帰り支度をし、身震いしながら引き揚げていった。
なんなんだ、あれ。
本気なんだけどな。
写真に目を落とせば、すぐにミドリのことは頭の中から消えていった。
ピアノに向かっている1枚に目を留め、俺はその写真をカード入れにしまうことに決めた。
あと、2年と半年。
なかなか時間は過ぎてくれないけど、次に会った時ましろにがっかりされないように、俺もこっちで頑張ろう。
離れていても、マシロはいつも俺に元気をくれる。
そのことが、本当に嬉しかった。




