閑話⑤
★マシロからの手紙(蒼視点)★
ドイツの小学校は4年で終わる。
本当は、その時点でドイツに来いと父には言われていたが、我儘を通して卒業まで日本に居させてもらった。そのまま中学も、と押し通すつもりだったが、父はそれを許さなかった。
音楽をやるにしても、ゆくゆく会社を継ぐにしても、一度若いうちに広い世界を見ておけ、というのが父の方針だ。
どっちでもいい。
昔はそう思ってたのに、マシロに出会って、俺の優先順位は大きく変わった。
マシロと離れたくない。
大人になっていく彼女を、傍で見ていたい。
異性として全く相手にされてないのは分かってる。
マシロが俺を見る目は、いつも優しい。
他に好きな子が出来た、なんて言ってみたとしても、満面の笑みを浮かべて「良かったね!」と祝福してくれるんだと思う。
それでも、良かった。
俺を突き放さない優しいマシロに、付け込んだ。
それが、あの結果だ。
きゅっと唇を引き結び、まっすぐに俺を見つめてマシロは決別を言い渡してきた。
凛とした表情に、きつい瞳に、振られたというのに目が離せなかった。
ごめん、マシロ。
今でも、好きでごめん。
「Tagchen」
自宅の近くの公園にいくと、よく散歩しているおじいさんに挨拶された。
「Tagchen.Das Wetter ist schön heute.」
軽く挨拶を返し、ベンチに座り日本からのエアメールの封を切る。
マシロに手紙を出してからというもの、毎日のようにポストを覗き、お手伝いさんに手紙が届いてないか聞いてる。
馬鹿みたいだと自分でも思う。
何度か深呼吸を繰り返し、手紙を開いた。
中学校の近況。紅に酷い態度を取ってしまったこと。
こちらの近況も気にしてる。
以前と変わらないマシロに、安堵と物足りなさを覚えた。
<体調にはくれぐれも気を付けて。ちゃんと食べて下さいね。無理せず、嫌なことがあったら、ちゃんとした大人に相談すること>
お手伝いの美恵さんから届いた手紙と、全く同じ下りには、思わず笑い声を立ててしまった。
やっぱり俺はマシロからみたら小さな子供なんだな、と改めて思い知らされる。
今は、それでいい。
レアルシューレを終えれば、中学卒業と同じ資格が与えられる。
ギムナジウムへの進学を勧められたが、13年生までドイツにいなきゃいけなくなるのは嫌だ。
父も「3年だけ」と言い張る俺に、ようやく折れてくれた。
高校はまた、青鸞に戻ることになるだろう。
あと、3年。
マシロに会えるまで、あと3年。
もしかしたら、好きなヤツが出来てるかもしれない。
俺との再会は、迷惑なだけかもしれない。
それでも、いい。
ただ、会えるだけでいいんだ、マシロ。
★紅と紺の1日★
「で? あいつ、行くって?」
「うん。喜んでたわよ。紅からだって言わなくて、本当に良かったの?」
「それだと、多分ましろは受け取らない」
せっかくあんなに手回ししてすでに完売していたオペレッタのチケットを手に入れたというのに、自分で渡すことの出来ない兄を可哀想に思う。
でも、仕方ない。
ある意味、自業自得なんだもの。
「それにしても、よく手に入ったわね。招待チケットだって、もうとっくにはけてると思ってたわ」
「父に頭を下げた」
「わあ! そこまでしたんだ!」
紅は憮然とした表情で、足を組み替えた。
「あいつの好きな楽団だって、気づくのが遅かったんだ。仕方ないだろう」
「気づくの遅いのは、そこじゃないと思うけど」
紅茶を一口飲んで、紅はハッと短く笑い、虚勢を張った。
「ましろがあんまり落ち込んで、辛気臭い顔してるからだ。特に意味はないよ」
「ふうん」
「なに?」
「なんでも」
忌々しげに舌打ちして、それでも紅は立ち上がろうとしない。
玄田の家に立ち寄るのは、いつも日曜日。
その前日にうちに来るましろちゃんがどんな様子だったのか、聞きたくて堪らないんだって私は知っている。
本当に、困った兄だ。
「そういえば、昨日ましろちゃんがね――」
練習してたピアノ曲のことや、どんな様子だったかを話してあげると、興味ない、というような顔をしてじっと聞いている。
それが可笑しいやら可愛らしいやらで、私はいつも真面目な顔をするのが大変だった。
「また、会ってもらえるといいね」
「別に。まあ、ましろから頼んでくれば会うけどな」
それじゃいつまで経っても会えないと思うよ、紅。
ましろちゃんに関することだけ、とことん不器用になってしまう自分に、早く気付けばいいのに。




