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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
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 前世から通算しても生まれて初めて、ようやく手に入った楽器・アップライトピアノを、私は柔らかな磨き布で撫でまわした。


 二階の自室に設置してもらい、調律もばっちり終わったその子にまず名前をつけることにする。

 何故かって? 

 実は『ボクメロ』で紅さまと仲良くなると起こるイベントの一つに【楽器の名前】というのがあったんですよ。


 ――恋人のように大事に扱えよ。そうすれば、ちゃんと愛を囁き返してくれるから


 その台詞の紅さまの細かなイントネーションまでも、ありありと思い出せる。

 『くれるから』の部分は、ほぼ吐息だった。実際にアレを目撃したら、私どうなっちゃうんだろう。……鼻血吹いて倒れたりして。


 ネーミングセンスには全く自信がない。べっちんでそれは証明されている。

 というわけで、階下に降りてみることにした。

 

 夕食の準備をしている母に「ねえ、赤ちゃんの名づけ辞典って家にない?」と聞いてみる。


「――――は?」


 夜はトンカツなのか、お肉に衣をつけていた母は完全に固まってしまった。


「な、な、なにに使うの?」


 母の視線は、私のぺったんこのお腹にまっすぐ突き刺さっている。

 もしかしなくても、恐ろしい連想をしているらしい。


「ピアノに名前をつけたいの! とびきり可愛いヤツ」

「ああ、なあんだ~、もう。寿命が縮まるかと思ったじゃないの!」


 初潮もまだの8歳児が身籠ってたまるか。

 母の思考は、いつも飛びぬけて明後日の方向に爆走していく。

 以前父さんに愚痴ったら、生温かい目でじっと見つめられたっけ。……似てないよ! 


「押し入れのアルバム入ってる場所、分かるでしょ? その近くに確か残ってたと思うわよ」

「ありがと。ちょっと借りるね」


 埃を被ったお目当ての本を見つけ、乾いた雑巾で軽くふいて部屋へ戻った。

 『大切な子供につけたい名前1000』というその古い本は、何度も開かれたらしく、小口が広がり切っている。

 自然に『花香』そして『真白』というページが開いた。他にも候補があったらしく、几帳面なアンダーラインがあちこちに引いてある。


 きっと、向こうの両親もそうやって私たち姉妹の名前をつけた。

 急激な記憶の洪水に、目頭が熱くなる。彼らを悲しませてしまったという負い目は、いつも私の頭のどこかにあった。

 

 涙を逃がそうと何度もまばたきを繰り返しながら、ピのつく名前を探してみる。

 今更考えたってどうにもならない。私は今、自分に出来ることを精一杯頑張るしかないんだ。


 ページを最初に戻り「あ」から探すことにした。

 亜美、朱莉、愛結……きりがないほど、沢山の名前がある。

 そのなかで私の琴線に触れたのが「愛音アイネ」という名前だった。

 モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を連想させる、良い名前ではないですか。


「よし、今日から君は、アイネちゃんですよ」


 ピアノに話しかけて、うろ覚えの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の主旋律を右手でたどたどしく弾いてみた。

 うわあ! 本物のピアノの音だ! 鍵盤が重い。

 耳を近づけ、鍵盤を叩いては響きに聞き入る。とっても素敵な音だ。

 なかなか音が拾えず、悪戦苦闘しながら30分。なんとかそれらしく聞こえるようになった。

 運指法は前世で学習済みだけど、本で読むのと実際に自分でやってみるのでは、難しさが段違いだった。

 これは、気合を入れなければ!


 ドレミファソラシド

 12312345


 真ん中指(3の指)の後ろをくぐらせ、親指(1の指)でファの音を叩く。

 速度を上げるとスムーズにいかない。左手だと、もっとぎこちなかった。

 

 私は何かに取りつかれたように、ハ長調の音階練習を繰り返した。

 4オクターブをスタッカートで区切って。シンコペーションで。一つの滑らかな音の塊になるまで。

 何回も何十回も上って、降りて、を繰り返す。


「うわああ~~! もう、いやだああ~~!!」


 突然、部屋の扉が大きな音を伴い開け放たれた。

 切羽詰まった表情の花香お姉ちゃんが、ぜえぜえ息を吐きながら私を拝んでくる。


「マジでこれ以上は勘弁して下さい! 私が帰って来てからでも、1時間は同じことやってるじゃん。怖くなってきたよぉ。もうやめてください~!」


 気がつくと、レースのカーテン越しに見える外はもう真っ暗だ。


「ごめんね、うるさくしちゃって。次からはソフトペダル踏んで、音量を絞るね」

「そ、そういう問題な、の? ――はあ、もういいや。ご飯いこ」


 私を見るみんなの目が、いつもと違う。

 花香お姉ちゃんを始め、家族全員が口を揃えて『悩み事があるなら聞くからね』と念を押してきた。解せぬ。



 

 そして、初めてのピアノレッスン日。

 今日は先生との簡単な顔合わせと自己紹介、購入しなくてはいけない楽譜の受け渡しがメインで、ピアノに触れることはない。

 それでもガチガチに緊張した私は、母の手をしっかり握りしめた。


「こんにちは。ましろちゃん、って先生も呼んでいいかな?」


 大きな邸宅の二階のレッスン室に通され、完全防音のだだっぴろい空間に圧倒されていると、20代半ばにみえるスレンダーな美女が入ってきた。

 磨きぬかれた美、という印象に圧倒され、口が半開きになる。


「は、初めまして! 島尾 真白です。8歳です。ピアノを弾くのは初めてですが、一生懸命頑張ります!」


 緊張のし過ぎで、はからずも自然体な8歳児の挨拶になった。


 「ふふっ。そんなに固くならないで。リラーックス。ね? 音楽って楽しいなあって思えるように、先生と沢山ピアノ弾こうね!」


 美人なだけじゃなく、優しいなんて女神か……。


 その後、母と月謝や楽譜の事務的な話に移った先生の指を、こっそりと盗み見みる。

 白魚のような手というものを、私は現実で初めて目にした。華奢な指は非常に長く、オクターブの和音を軽々と鳴らせそうだ。

 うっとりと先生の指に見惚れていると、母が気まずそうに咳払いした。


 「す、すみません。良い子なんですけど、ちょっとユニークなところがありまして」

 「そんな。お気になさらず。ましろちゃん、良かったら、先生たちのお話が終わるまで、お隣のサロンで待ってる? 本や漫画もおいてあるわよ」


 サロンですと!? 

 聞き慣れない言葉に興奮し、私は鼻息も荒く頷いた。

 

 先生に連れられて隣の応接間に足を踏み入れた。

 重厚な両開きの扉を押せばそこは、まさしく『サロン』という雰囲気の部屋だった。

 アンティーク調のサイドキャビネットに飾られた白磁の壺。

 シックな配色のストライプの布張りソファーは、5人くらいゆったりと座れそう。豪奢な作りのドローリーテーブルの上には、色とりどりのキャンディが盛られたガラスの器が載っている。

 

 先生は例のホワイトフィッシュな指で、天井近くまである造り付けの大きな本棚を指さした。


「好きな本を読んで、ここで待っていてね。レッスンが始まる前と終わった後は、お迎えが来るまでここでくつろいでいていいのよ。他の生徒さんも来るかもしれないけど、みんな良い子だから安心してね」

「はい! ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げる私を見て、先生はにっこり微笑むと、サロンを出て行った。


 早速、本棚に近寄ってみる。

 バレエ漫画や音楽を題材にして漫画から、少年向けのスポーツ漫画まで置いてあるのが意外。

 本は予想通り、楽典や楽譜、音楽関係のエッセイ本などが多かった。


 何から読もうかなあ。


 浮き浮きしながら、書架を漁り始めた。ちょうどその時――。


「こんにちは。って、……あれ?」


 一人の少女がサロンに入ってきた。

 悪いことをしていたわけじゃないのに、慌てて手を引っ込める。

 

 さっき先生が言ってた他のレッスンの子、かな?


 おそるおそる振り向き、出来るだけ感じよく「こんにちは」と挨拶してみた。

 茶色のロングヘアにぱっちりとした二重の瞳と白い肌が、真っ先に目に飛び込んでくる。

 二次元からそのまま抜け出てきたような、紛れもない美少女がそこには立っていた。


 あれ、なんか見覚えある。


 誰だったっけ? と記憶を辿ろうとした私をまじまじと見つめ、その少女は何故か力強くガッツポーズを決めた。


「やったあああ~! 会えた! 会えちゃったっ!!」


 楚々とした容姿とアグレッシブな言動が、激しく一致していない。

 私は気圧され、大きく一歩後ろに下がった。


「あ、ごめん。引かないで! っていうか、引かないで」


 なぜ2回言う。

 そうか。気持ち的な意味と物理的な意味か。

 少女は嬉しそうに瞳を輝かせ、固まったままの私に近づくと、まっすぐ顔を覗き込んできた。

 大きな瞳にうすい膜がゆらめいている。え? なんで、泣きそう?


「私は、玄田げんだ コン。あなたは、島尾 真白ちゃんで、合ってる?」


 ゲンダ コン……。


 ――――ゲンダ コン!?


 私の目が驚愕に見開かれるのを確認して、ゲンダさんはにっこりと花開くような微笑を浮かべた。瞳はうるんだままだ。


「初めまして、って感じしないな。私が前作ヒロインです。あなたはリメイク版のヒロインだよね? 私の言ってる意味、分かる? それとも、何いってんのこの電波女! って感じ?」


 ちょ、ちょっと待って……っ!

 混乱極まった私の脳みそが、タイムを要求しております!


「わ、わ、分かる……と思う。で、でも、リメイク版って、なに? もしかしてゲンダさんも」

「名前でいいよ。この苗字あんまり好きじゃないの。――うん、私もこの世界に、転生してきたんだよ」

「そ、そんなことって」


 あるの!?

 

 ――――いや、ありえないことはないか

 

 一世界につき一転生者って決まりはないだろうし。

 ゲンダ コンなんて、なかなかそこらには無い名前を持ってる時点で、この子が主人公である可能性は高い。

 リメイク版というのは、私が前世で最後に見たあの告知ポスターのヤツだろう。

 実際にプレイする前にマンホールでログアウトしちゃったから、彼女が何を興奮しているのかまでは分からないけど。


「本当にびっくりだよね。ちなみに前世は何歳で?」


 最初の興奮がようやく落ち着いたのか、彼女は落ち着いたトーンで尋ねてきた。


「18、です」

「そっかあ。……私は24だったから、ましろちゃんよりお姉さんだね」


 にっこりほほ笑むその顔は、まるでお人形さんのように整っている。

 8歳の子供が『24歳』『お姉さん』とのたまう姿、すごく違和感あります。

 私も人のことは云えないので、気を付けよう、と改めて心に刻んだ。


「今、時間ある?」

「ううん、多分もうすぐ母さんが出てくると思う」

「じゃあ、レッスン日が決まったら教えて? 私もその時間の近くを予約するから!」

「う、うん」


 コンと名乗った少女は、一目で高級ブランドのものだと分かるレッスンバックからスマホを取り出した。


「ましろちゃんは持ってないよね。番号、メモするから待ってて」


 なんで持ってないって分かったのかな。

 私の周りは庶民だらけだけど、同級生でスマホを持ってる子は割といる。もしかしてそれも、リメイク版の情報に入ってるのかな。


 聞いてみたいことは山ほどあった。


「はい、コレ。いつでもいいから、ましろちゃんの都合のいい時に電話して。家の電話からかけてくれたら、それ登録しちゃうし」


 こうして私はヒロイン(前作)と出会った。

 彼女との出会いのおかげで、私の迷走は更に激しくなる。

 



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