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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
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エピローグ(紺視点)





 真白ちゃんからの電話を貰ってすぐ、私はコウ経由で蒼くんの自宅の番号を知った。

 電話口に出てくれたのは、お手伝いさんみたい。


 「蒼様は、まだお戻りではありません」


 憂わしげな声に、私は「そうですか。では、また掛け直させて頂きますね」と快活に答えた。

 電話を切り、すぐに部屋の内線で能條を呼び出す。


 「車を出して欲しいの。ええ、今すぐ」


 真白ちゃんの懸念が当たってしまったみたい。

 どうか、そのまま動かないでいてね。

 私は足早に、自室を飛び出した。


 

 多田小学校の近くの公園というのは、一つしかないみたいだった。

 近くで降ろしてもらい、すぐに戻る、と能條に告げる。

 花柄の傘を広げてちらつく雪を防ぎながら、私は目印の東屋を目指した。

 薄闇が広がる中、街灯の明かりだけがぼんやり辺りを照らしている。


 真白ちゃんの言ってた場所に、蒼くんはいた。

 彫像のように固まったまま、彼はじっと自分の手のひらを見つめていた。


 「城山くん」


 声をかけた瞬間、彼は弾かれたように顔をあげてこちらを振り向いた。

 待っていた相手じゃない。

 それがよく伝わってくる落胆ぶりに、私はそっと息を吐いた。


 「ましろちゃんなら、来ないよ。車で送っていくから、もう帰ろう」

 「……紅から?」


 自嘲の笑みが、城山くんの口の端に上った。

 

 「ましろは紅を頼ったのか。……可哀想な俺を頼むって? 傑作だな」

 「頭を冷やして。今のあなたは、まともじゃない」


 私は首を振って、彼を見つめた。


 「あの子は、もうコウには会わないわ。私が直接頼まれたの。ちゃんと家に戻ったか、見てきて欲しいって」

 「――は?」


 意味が分からない、というように蒼くんは目を見開いた。


 「本気でましろちゃんが兄を頼ったと思ったのなら、今後二度と、あの子には近づかないで」

 「なん……」

 「大切に思ってた相手を突き放して痛めつけて、それであの子が無傷でいると本気で思うのなら、あなたはましろちゃんにふさわしくないもの」


 一気に言い放って、冷たく蒼くんを見下ろす。

 困惑した表情を浮かべたまま動こうとしない彼を、私は急かした。


 「寒い。早く、車に乗って。自棄やけになるのは勝手だけど、一度家に戻ってからにしてくれる?」

 「はは。……きっついな」

 「あの子の頼みじゃなきゃ、こんなところまで来てないわ」

 

 ほら早く、とブーツのつま先で蒼くんのスニーカーを蹴った。


 「紅の自慢のお姫様じゃなかったのかよ」

 「そんな大層なものなわけないじゃない」


 呆れた、というように天を仰いでみせると、蒼くんは苦笑を浮かべようやく立ち上がってくれた。

 暖房のよく利いた車内に彼を押し込め、能條に指示を出す。

 蒼くんは、まるで抜け殻のように従順だった。


 「……ましろちゃん、泣いてたよ」

 「え?」

 「一番聞かせたくなかった言葉で、あなたを抉ったって泣いてた。そうするしかなかったって」

 「…………」

 「絶対にあなたには言わないで、って口止めされたのに今喋っちゃったから、このことは内緒にしといてね」

 「分かった。――ごめんな」

 「私に謝られても困る」


 生気の戻った彼の瞳を見つめ、私は軽く肩をすくめた。

 蒼くんは、ぎゅっと唇を噛み締め、しばらく空を睨んでいた。

 それから長い溜息をつき、何度か瞬きを繰り返した。


 「何やってんだろうな。……泣かせたくないってずっと思ってたのに。自分の気持ちでいっぱいいっぱいで、ましろの気持ちなんて無視して。ずっと優しかったあいつに引導を渡させた」

 「うん」

 「――ドイツに行くよ。ごめんってマシロに伝えて」

 「嫌です」


 は? と目を丸くした蒼くんに私は笑みを浮かべた。


 「手紙でも何でも書けばいいじゃない。二度と会えないって決まったわけじゃないでしょ」


 彼はしばらくポカンとしていたけれど、そのうちククッと肩を震わせ始めた。


 「なんか、お前ってマシロに似てる」

 「……口説き文句のつもりなら、零点ね」

 「は? んなわけないだろ」


 さも嫌そうに顔をしかめた蒼くんから、フイと顔を背ける。

 何の気なしに放ったのであろうその言葉に、思いのほか動揺してしまった。

 表情に出てないといい。


 車の窓に映った自分の顔に、ゆっくりと指を当てた。

 ましろちゃんとは似ても似つかない、今の自分の顔に。



 城山の家で彼を降ろし、深々と座席にもたれこんだ。


 「遠回りして家に戻って貰えないかしら?」

 「畏まりました」


 能條は言葉少なに答えると、「何かおかけしますか?」と聞いてくれた。


 「そうね」


 口を開こうとしたその時――



 『ワタシはあれが聴きたいな』


 私のすぐ隣にアイツが腰かけていた。

 ご丁寧に、シートにくぼみまで作っている。

 

 『チャイコフスキーの悲愴。こんな日にぴったりな一曲だろう?』


 さも嬉しそうに両手を組んで、黄金色の髪を揺らす。


 「チャイコフスキーの悲愴をかけて。ベルリンフィルの一枚があったはずだから」

 「はい、お嬢様」


 これでいいの? 

 私が眉を上げると、満足そうに口元を緩めて人差し指を指揮棒代わりに振り始める。


 『ああ、素晴らしい。マシロの嘆きは、とても甘美だったよ、コン』


 私は黙ったまま、窓を叩く雪の粒を眺めた。

 暗闇を切り裂くようにぶつかってくる、眩い白。


 『君も今回は、きちんと役目を果たしてくれたね。本当に嬉しいな。騎士が舞台から降りてしまっては、物語が台無しだからね』


 これでゲーム続行だ、と猫のように目を細めた彼を睨みつける。


 「最後は、私が勝つ」

 『そうでなくちゃ! 希望の光が強ければ強いほど、絶望の味は複雑に深まるものだ』


 にんまりと笑って、彼はくるりと指を回す。

 何も起こらなかったかのように、私の隣は空っぽになった。


 「何か、仰いましたか?」

 「いいえ。もういいわ。曲を止めて」

 「――はい」


 約束のタイムリミットまで、あと4年。

 

 青鸞の学内コンクールで優勝した前作ヒロインわたしを、鳶はその手に囲い込む。

 玄田グループの一人娘という肩書を持った、新進気鋭の女性ピアニストとして売り出す為に、嘘っぱちの愛を囁き、初心な娘を絡め取るのだ。

 誰にも心を開いたことのない鳶が、もしかしたら彼女には本気になってしまうかもしれない、という暗示を含んだエンディングで、隠しルートは終わる。

 バッドエンドへの分岐は一つ。

 コンクールでの失敗だ。

 優勝を逃せば、鳶は紺をその気にさせた上で、無残に捨てる。

 「きっとあの人は戻ってくる」

 浜辺でイギリスからの船を待つ紺のスチルは、購入者から「いくらバッドエンドでも酷過ぎる」と盛大に叩かれたそうだ。


 万が一、バッドエンドを迎えてしまえば、私は二度とあの子を取り戻すことは出来なくなる。

 それだけは避けなければならない。どんな手を使っても、私は優勝しなくてはならない。


 ああ、里香。

 あなたに会いたい。

 もう一度微笑んで、あの人ではなく、私をあの名前で呼んで。

 

 その為なら、私はどんなことだってやり遂げてみせるから。



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