Now Loading その36
修学旅行のある6年生は「仲良し同士のクラス」にしてくれるんだってよ、と登校中、絵里ちゃんは教えてくれた。
じゃあ、仲良しのいない子達はどうなるんだ。ボッチクラスが生まれてしまうじゃないか、と私はそれを話半分に聞いていた。孤独を愛する少年少女が集められたクラス、か。それもいいな。
絵里ちゃん達が首を長くして待っている修学旅行なんだけど、実は憂鬱でしょうがない。ピアノを3日も触れなくなるとかふざけるな。当日は仮病をつかって休んじゃおうかな、とも考えたんだけど、積立金のことを思うとそれも勿体無くて出来ないんだよね。八方塞りだ。
そして、始業式。
クラス発表を見て、私は絵里ちゃんの言葉が正しかったことを知った。
「わ~い、みんな一緒だあ~」
「すごくない? 修旅の班、もうこのメンバーでいいじゃん!」
6年3組の教室に入るや否や、みんなが集まってきて喜び合っている。
絵里ちゃん、麻子ちゃん、咲和ちゃん、朋ちゃん。そして平戸くん、木之瀬くんまで同じクラスだ。
去年は教室に居づらかったから、しょっちゅう図書室に避難してたんだよね。それでもいいや、と思ってたはずなのに、やっぱり気のおけないメンバーが揃ったのは嬉しかった。
担任は、一年ぶりのクマジャー先生だ。
帰り際、「島尾!」と呼び止められた。何だろう、と思って振り向くと、クマジャー先生が真剣な表情で「何でも相談してこいよ。思い詰めるな」と両肩を掴んできた。
先生こそ思い詰めないで下さい。
去年私がクラスで浮いてたことを気にしてるのかな。……してるんだろうな。
「はい。じゃあ、修学旅行先での自由時間、ピアノの練習が出来るようにして貰いたいです」
「それは難しいな」
即答かよ!
「そのこと以外では、特に相談したいことはないです。気にかけて下さって、ありがとうございました」とお辞儀をしてくるりと踵を返した。「しまおー。ピアノもいいけど、六年生は人生に一度きりだぞー」とクマジャー先生は後ろから叫んでいる。二度目なんだよね、と私は思わず遠い目になった。
ピアノの方は、手が大きくなってきたこともあり、練習が短時間ではかどるようになってきていた。一時間かかっていたところが30分で済む、みたいな感覚がある。ソルフェージュの成果なんだろう、初見も楽にこなせるようになってきた。
今やっているのは、ベートーベンのソナタ、ショパンのエチュード、そしてバッハの平均律。亜由美先生に言わせると、音楽学校の高校生くらいのレベルまではきているらしい。
ただ、楽譜通りに弾けるだけでクリア、というわけではない曲も沢山ある。
なぜこのように指示しているのか、作曲家の意図を自分なりに解釈して演奏することも求められてくるのだ。その為には、作曲家の生まれた国、育った環境、影響を受けた音楽家なども頭に入れておかなくてはならない。
「本当は、中学から青鸞に行くのがいいと思うんだけど……」
亜由美先生は何度も、「ご両親に話してみましょうか」と言ってくれた。大学生のお姉ちゃんにお金がかかっている今、そんな余裕は家にはない。父さんなんて、とうとう禁酒してしまった。
「いえ。父たちにこれ以上無理をさせたくないので、公立で。でも、高校は青鸞を目指します」
私の決意が固いのを見て取ると、亜由美先生は仕方ないわね、と残念そうにしながらも出来る限りのサポートを約束してくれた。
6年生になって変わったことって、他には特にない気がする。
私の行動パターンは殆ど前と同じだ。学校、家、亜由美先生のところ、玄田邸。その4つをぐるぐる回ってるうちに、あっと言う間に日にちは過ぎていく。
紺ちゃんは、ますます綺麗になった。大人になったら、どれだけの美女になるんだろう。想像するだけで、口元が緩んでしまう。紅さまの背は165センチを越えたらしい。紅さまに比べると小柄だった蒼くんも、しっかりとした体つきになってきている。それでランドセル背負って学校通ってるなんて、似合わなさ過ぎる! と大笑いしたことがあったんだけど、青鸞の高学年は学校指定のランドセルなんて使わないんだってさ。
「じゃあ、普通のバッグに教科書入れていくの?」
「そうだよ。ほら」
紅さまが見せてくれたのは、超高級ブランドのトートバッグだった。瞬時に殺意が湧いてしまったのは、当たり前の反応だと思う。僻みって言うな。
5月になって蒼くんは、自分のことを呼び捨てにして欲しい、と言ってきた。
それが誕生日プレゼントのリクエストだそうだ。
日頃から色々お世話になってるし、もっとちゃんとしたプレゼントじゃなくていいのかな。私の去年の誕生日には、すごく可愛いキーチェーンを貰ったんだよね。今もちゃんと玄関の鍵をつけて使ってる。
「んーと。そんなんでいいの?」
私が渋ると、蒼くんは「お願い」と小首を傾げた。
不覚にも胸がキュンとしてしまった。いや、キュンじゃ足りない。ギュンときた。時と場所を選ばない無自覚攻撃には、だいぶ慣れたと思ってたんだけどなあ。自分のルックスを計算し尽くしての仕草だったら、本気で恐ろしい。
うちのソファーに座り、立体的な亀の折り紙に挑戦しようとしてる蒼くんを見て、私は腹をくくった。
「いくよ。言っちゃうよ?」
「うん、どうぞ」
すうっと息を吸って、えい、と口を開く。
「蒼」
「……やば。想像以上に嬉しい」
今、顔ニヤけてるからこっち見んな、と照れる蒼の愛らしさときたら、国宝級だった。
その照れ顔に錯乱してしまった私が「かーっ!! やってらんないっ!!」と叫んで、クッションで彼をボカスカ叩き始めたので、蒼は真剣に困っていた。すみません、甘酸っぱい雰囲気に耐えられませんでした。
そうこうしているうちに、夏休みがやってきた。
紺ちゃんの提案で、玄田邸が所有している海辺のコテージに遊びに行くことになって喜んでいたら、何故か紅さまも蒼もついてきた。もれなくついてくるおまけか。いらんわ。
紺ちゃんと二人、プライベートビーチで気兼ねなく遊ぶ予定だったのに!
例のロールスロイスが家の前に停まったのを見て、私は麦わら帽子越しに頭を押さえた。
「マシロ!」
「やあ、久しぶり」
当たり前のような顔をしてラウンジシートに腰かけてる彼らを親指で指し、紺ちゃんに「どうなってるの」と尋ねると、危うく紅さまに親指をもぎ取られそうになった。「ごめんね……バレちゃったみたいで」と紺ちゃんは両手を合わせた。
「あのさ。……なんでいっつもついてくんの? シスコン? シスコンなの?」
「だ、ま、れ。逆に聞くけど、どうしてそんなに嫌がるの。疾しいことでもあるわけ?」
「ないよ! ただ単にゆっくり出来なくなるのがイヤなの!」
私と紅さまがギャアギャア喧嘩し始めたのを見て、紺ちゃんは深い溜息をついた。
蒼は、眩しそうに目を細めて私を見ている。その視線が気になって「なに? 今日の恰好、変?」と自分の服を見下ろした。何の変哲もない黒の膝丈キャミソールワンピに、編上げのサンダル。普通、だよね。
「いや、そういうシンプルな恰好も似合うなって。……誰にも見せたくなくなる」
君のお綺麗な瞳には、私しか映ってないわけ? 流石の紅さまもドン引きしてるじゃない。紺ちゃんに至っては「助手席に移ろうかな」とか呟いているし。
「そういう事言うのも禁止っ!!」
私が叫ぶと、蒼は「マシロ、耳真っ赤」と笑った。
車で一時間半くらいの場所に、そのコテージはあった。
小さな入り江の端に佇んでいる瀟洒な建物に、思わず目を奪われる。
「すてき! 紺ちゃん、誘ってくれてありがと~!!」
真っ青な空。その空の下に広がる人気のない海。近くで見てみると、想像以上に綺麗だった。
荷物運びは、水沢さんと紅さまと蒼が3人でやってくれた。私も手伝おうとしたんだけど、紅さまに頑なに拒否されたんだよね。紺ちゃんは「カッコつけさせてあげようよ」と微笑んでいた。そういうものなのかな。
私達は、さっそくコテージの二階の個室で水着に着替えた。
紺ちゃんは、レイヤードフリルのついたビキニ姿。濃いピンクに小さな花柄が散っている可愛い一着だ。色が白くてスラリとしてるから、ビキニでも清楚な雰囲気が漂っている。私は、黒地に水玉のシンプルなタンキニに着替えた。
「あれ。ましろちゃん、胸けっこう大きくない!? 私達まだ小学生なのに、ずるい~」
「そんな言うほどないよ!」
無遠慮に見つめられ、思わず胸元を隠す仕草をした私を見て、紺ちゃんは「わあ、ヤバイ。コウ、がんばれ」と謎の台詞を吐いた。紺ちゃんがそんなこと言うもんだから、無性に恥ずかしくなってきて、私は水着の上にパーカーを羽織った。
水沢さんは、万が一に備えて浜辺で私たちを見守ってくれるらしい。
いざという時は海に飛び込めるように、とハーフパンツに白いTシャツを着た水沢さんを見上げる。すごく新鮮だった。だって今までスーツ姿しか見たことないんだもん。カジュアルな恰好をしてるといつもより若く見える。
「今日はよろしくお願いします」と頭を下げると「あまり沖まで行かないで下さいね」と優しく微笑んでくれた。う~ん、素敵!
紅さまと蒼は、去年より逞しくなっていた。細かった二の腕にも筋肉がついてきてる。少年から青年への過渡期にある瑞々しい肢体を直視できない。
本音を云えばじろじろ見たいけど、やっぱ色々とマズイよね。青少年保護条例を思い出すのよ、真白。
「早く来いよ、一緒に泳ごうぜ!」
蒼は珍しくはしゃいでいた。紅さまもすでに海に入っている。濡れた髪をかき上げる仕草は、けしからんほど色っぽい。
腐っても鯛ならぬ、小学生でも攻略キャラ。
胸がドキドキしてしまう。
だから一緒に来たくなかったんだけど、この際グダグダ言っててもしょうがない。
「紺ちゃん、いこっ!」
羽織っていたパーカーを脱ぎ、ポイ、とビーチパラソルの下に投げ入れた。
柔らかな紺ちゃんの手を引いて、波打ち際まで走っていく。もちろん、コテージで準備体操は済ませてきてますとも。
「せーの!」
二人で同時に海に飛び込むと、白い波しぶきが思い切り顔にかかった。
それだけで可笑しくなって、紺ちゃんと顔を見合わせて笑った。
「……来て良かった」
「だな。分かってると思うけど、紺のことはやらしい目で見るなよ」
「マシロのことも見んな」
蒼と紅さまは顔を寄せて何かボソボソと話している。
きっとロクでもないことに違いない。
小脇に抱えてきたビーチボールを、私は思いっきり彼らに向かって投げつけた。




