Now Loading その35
パーティが終わり、私は城山家のベンツに蒼くんと乗り込んだ。
今年はプレゼント交換はなし。「高価なプレゼントを買ってくる子がいるから、不公平だしやりたくない」と主張したのだ。残念そうな顔をしてた蒼くんと紺ちゃん。ええ、君たちのことですよ。
まだ6時過ぎなんだけど、すっかり外は暗くなっていた。
蒼くんは運転手さんに「あの場所を通ってからマシロの家まで行ってくれる?」と頼んでいた。そう云えば、寄り道して帰りたいって言ってたな。
二人きりでいる時は、いつだって色んな話をしてくれる蒼くんが、今日は大人しい。
でもその静けさは、不思議なくらい気詰まりなものじゃなかった。私は心からリラックスして、ただ車の振動に身を委ねていた。
ふと窓の外に目をやると、街の明かりが綺麗に見えた。
高台に上ってきたんだな。じっと目を凝らす。遠ざかっていく沢山の家の明かりが群生する蛍のようで、私はほうと感嘆の息を洩らした。
「ここでいい」
「かしこまりました」
蒼くんが運転席に向かって声を掛けると、車は静かに路肩に停まった。
「ちょっと寒いけど、おいで」
「え?」
「いいから」
先に車外に降りた蒼くんに手を取られる。お姫様のようにエスコートされて、私もシンと冷える冬の空気に身を浸した。
蒼くんが手を伸ばし、私のコートの一番上のボタンを留める。
更に蒼くんの腕にかけていたマフラーでぐるぐる巻きにされた。あまりに優しい仕草に、胸が詰まった。
無言のまま彼は私の手を握り、坂道を登っていった。
しばらく歩いていくと、広くひらけた場所に出た。
「ほら、ここ。綺麗だろ」
「――ホントだ!」
街の明かりは遠く下の方に浮かび、首を上げると、刷毛で塗りつぶしたような漆黒の空に沢山の星が瞬いているのが見える。
ポカリと浮かんだ月は、青白く幻想的に輝いていた。
空を見上げている私のすぐ隣に立ち、蒼くんはおもむろに口を開いた。
「ちょっとだけ、昔話。いい?」
「うん」
コクリと頷き、私は蒼くんの横顔を見つめる。
彼は夜空を見上げたまま、ゆっくりと話し始めた。
「母さんが出て行ったのは、俺が5つの冬だった。外は雪で、俺は母さんの後を追って裸足で外に飛び出した。外で待っていたタクシーに飛び乗った母さんを、追いかけて追いかけて。もしかしたら、停まってくれるんじゃないかと思って。……でも、ダメだった。あっという間に、タクシーごと見えなくなった」
蒼くんの口調は、淡々としていた。
言葉の端々にまだ塞がっていない傷の生々しい跡がみえる。私は小さく息を飲んだ。
「今の母さんと父さんが再婚したのは、それから一年も経たないうちだった。それなのに、再婚した翌年から父さんは日本へ戻って来なくなった。――ドイツには、俺達を捨てたあの人がいるんだって。俺には、大人の考えてることがよく分からない」
「蒼くん……」
きゅっと手を握り返すと、蒼くんは苦笑を浮かべて私を見下ろした。
「ドイツに行っても、あの人は決して俺に会おうとはしない。マシロ、なんでか分かる?」
「分からない」
私は、間髪入れず答えた。
分かるはずがない。5つの蒼くんを雪の中に置き去りにした理沙さんの気持ちなんて、分かりたくもない。
ピアノを弾けなくなったことは、死ぬほど辛かっただろう。それは分かる。
それでも、愛した人との間に生まれたたった一人の子供を、ここまで打ちのめすことが出来るなんて、私には信じられなかった。
「そっか……。マシロでも分からないんだから、俺に分からなくても当たり前だよな」
「会いたいんだね」
蒼くんの悲しげな瞳に、つい言葉がこぼれる。彼は、もう一度「分からない」とだけ言った。
そしてこの場所は、蒼くんを身籠っていた当時の理沙さんが好んで出かけていた場所なのだと教えてくれた。
「産まれてくる子供が女の子でも男の子でも、音楽をやらせるんだって、ここで父さんに口癖みたいに言ってたんだって」
私は、そっか、とだけ相槌を打った。
胸が固い塊で塞がれたように重い。
本音をいえば、今すぐ蒼くんを抱きしめてあげたかった。
だけど彼が望む類の愛情を返せない私が、中途半端な情けをかけるのは違う。
「……ごめんな。マシロには甘えてばっかりだ」
「そんなことない。気にしないで」
なんとか笑みを浮かべると、蒼くんは冷え切った指先で私の目尻を拭った。
「マシロが俺のことをただの友達だと思ってるのは知ってる。でも言わせて」
彼はそのまま、私の頬を両手で挟んだ。
まっすぐ過ぎるくらいまっすぐな眼差しに、怖くなる。
言わないで。
これ以上、私を揺さぶらないで。
「好きだよ。俺には、マシロだけだ」
「私も好きだよ。でも――」
「分かってる」
その先を言わせまいと、蒼くんは手を放した。
「そろそろ帰らなきゃな。行こう」
踵を返した蒼くんの背中から目を逸らし、込み上げてくる涙を押し殺す。
彼の一途な気持ちに応えてあげられないことが、苦しくて堪らない。
保護者みたいな気持ちで彼を大事に思ってる、なんて言えるわけがなかった。
ほろ苦いクリスマスが終わり、カレンダーは次々にめくられていった。
年末は「久しぶりに温泉に行こう」と父さんが言い出し、近場に一泊で家族旅行に出かけた。
指をなまらせたくない私が、紙で作った88鍵の鍵盤シートを持参して、旅館にいる間中カタカタ指を動かしていたので、旅行の言いだしっぺである父さんは涙目になっていた。
母さんは、「仕方ないわよ。ましろは本気で上を目指してるんだから」と笑って許してくれた。お姉ちゃんは寂しいのか、鍵盤を叩く私の背中にぴったりくっついてきた。
バレンタインは、いつものメンバーにチョコを配った。
ココア味のスノーボールを手作りしてみたんだけど、かなり好評だった。
お姉ちゃんは手作りに拘らないことに決めたのか、デパートのはしごをして納得いく一品を選んだらしい。三井さんの最初の印象は良くなかったけど、花香お姉ちゃんが幸せなら何も言うことはない。
木之瀬くんと平戸くんにもみんながあげるというので、仕方なく渡した。
平戸くんは「俺、モテモテじゃん!」と飛び跳ねて喜んでたっけ。ちょっと残念な平戸くんが視界に入るたび、なんだろう、すごく心が和む。
木之瀬くんには「お世話になってるから。友達だから。義理だから」と念入りに釘を刺しておいた。「わざわざ言わなくてもよくない?」と流石の木之瀬くんもへこんでいた。
よしよし、その調子で私にガッカリしていくといいよ。
蒼くんと紅さまにはあげなかった。
単にタイミングが合わなかっただけなんだけど、ホワイトデーには何故か二人から高級店のクッキーを貰った。
「なに、コレ?」
首を傾げる私を見て、紅さまと蒼くんは揃って深い溜息をついた。
「薄情にもバレンタインを忘れてたお前への嫌味のつもりだけど?」
「俺は、もともと貰えなくてもあげるつもりだったから」
それぞれ違う台詞を吐いていたけど、同じように背後から邪悪な何かが立ち昇ってきていた。
付き合いって、大事なんだな。
私は「本当にスミマセン」と小さくなって謝った。
「男にあげてないなら許す」と紅さまが偉そうに言ったので、危うく「あげたよ」と言い返しそうになってしまった。
ふと隣を見ると、蒼くんが息を詰めて私の返事を待っている。
なんとか踏みとどまり「あ、あげてないよ」と答える。ここでの選択肢が蒼くんのバッドエンドフラグだったらどうしよう。私の心臓はバクバクした。
二人とも私の返事に満足したのか、それは美しくにっこりと微笑んだ。
「そういう君たちはどうなのよ」と言いたくなったが、よく考えてみると特に興味もなかったので、私はアハハと笑ってその場をやり過ごした。
そして、4月。
私はとうとう6年生になった。
背は154センチまで伸びた。もうブラもしてるし、生理もきてる。ああ、そうそうこんなんだった、と下腹部の鈍い痛みに顔を顰めたのは2月のことだ。昔は早く元の年に追いつきたいと思ったものだけど、実際に身体が大人になると、色々と面倒くさい。
とうとうお姉ちゃんの背に追いついた私を見て、母さんは感慨深げに首を振った。
「早いわね~。あーんなに小さかったのに。子供なんてあっと言う間に大人になっちゃうんだから、嫌になるわ」
「寂しいなあ」
しょぼんと肩を落とす父さんたちを、お姉ちゃんは豪快に笑い飛ばす。
「健康ですくすくここまで育ったんだよ? 父さんたちのお蔭じゃない! もっと喜ぼうよ!」
「でも、花香。どうする? このままどんどんピアノが上手くなって、ましろが海外に行くとか言い出したら」
途端にお姉ちゃんは顔色を変え、ふにゃと眉尻を下げた。
「いやだ~。絶対反対! ましろ、どこにも行かないで!」
半泣き状態になっているお姉ちゃんを眺め、私はボソリと言ってみた。
「お姉ちゃんが結婚して、家を出る方が早いんじゃないかな」
父さんは眉を吊り上げ、「絶対に許さんっ!」と新聞を握りしめた。
グシャグシャになった新聞を見て、私とお姉ちゃんは顔を見合わせて笑った。




