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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
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 私が8歳を迎えた年、大きな転機が訪れた。

 我が家に中古のアップライトピアノがやって来ることになったんです。


「三丁目の田中さんがね、もうずっと家で埃を被ってるから貰ってくれないかって仰ってくれたのよ~。成人した娘さんが小さい頃習っていたらしいんだけど、途中からすっかり飽きて止めてしまったんですって。そうは云っても高級品でしょう? 母さんも尻込みしちゃったんだけど、遠慮しないでどうぞ、って言って下さるものだから」


 

 母が私の為にご近所さんと話をつけてくれたのだ、とすぐに分かった。

 幼い娘がある日突然、勉強とそして音楽に、異常なほどの情熱を燃やし始めたのだ。

 最初は心配のあまり、お祓いに連れて行こうとしたり、スクールカウンセリングを受けさせたりしていた両親だったけど、最近ではすっかり諦めたみたい。

 お姉ちゃんは一人「才能が覚醒したんだよ、絶対そう」などと言って喜んでいる。



 幼稚園の時に使っていたピアニカを引っ張り出してきて、モーツアルトの『ピアノソナタ11番 第一楽章』を練習していた私は、飛び上がって喜んだ。

 ピアニカの鍵盤数が少なすぎて、メロディラインすら一曲弾き通すことが出来なかった今までの苦労が、走馬灯のように蘇る。

 しかし息をせっせと吹き込む作業で、だいぶ呼吸筋も鍛えられたのではなかろうか。金管楽器さえいずれは吹けるようになるかもしれない。私はポジティブに考えながら頑張っていた。

 ピアニカの間の抜けた音で奏でられる息継ぎだらけのピアノソナタを、階下で両親が涙を拭いながら聞いていたとも知らず。


「ありがとう、母さん! 本当に嬉しい!」


 興奮しすぎて、その話を聞いた日はなかなか眠れなかった。


 ピアノの運搬代、そして調律費用。実際弾けるようになるまでも、かなりの金額がかかってしまう。

 ……無理させちゃったな。せめて練習は、独学で頑張らないと。

 

 ところが母は、なんとピアノ教室まで探してきてくれた。


「ヴァイオリンは無理だけど、ピアノの月謝くらいなら何とか捻りだせそうだし。パパと話して、あんなに真白は音楽が好きなんだから、やらせてあげようか、ってことになったのよ」


 母のその言葉に、胸がズキッと痛んだ。


 ――ごめんね、母さん。

 私の動機はもっと不純な、どす黒いピンク色なんです。


 だけどここまで応援してもらったからには、もう後にひけない。

 絶対に途中で弱音は吐かない!

 私は、非常に忙しい小学三年生になった。


 

 あれから、紅さまには一度も会えていない。

 しかし何故か、蒼くんにはちょくちょく絡まれていた。


 前世の記憶、というより私の『ボクメロ』の記憶は、紅さまで占められている。

 なんせ蒼くんのイベントは一つも見てないもんだから、どんな人なのか全然知らないんだよね。

 ファンブックだって、紅さまの部分だけを舐め回すように読み込んだので、彼の個人情報なんて全く覚えていない。


 というわけで、どうして彼が私を気にかけるのか分からないままだ。

 『ボクメロ』の主人公――玄田げんだ こんという女の子を知らないか、と一度聞いてみたことがあるんだけど「知らない。なに、その変な名前」と即答された。

 

 黒にこうを混ぜたら、玄。黒にあおを混ぜたら、紺なんだよ!!

 確かにイラっとくる名前かもしれないが、私が名づけたわけじゃないもん。あの会社、何かが完全にズレてたな……。



 その日も、歩道橋の上で佇む蒼くんを発見してしまった。

 私の下校ルートが彼のテリトリーと丸被りしてるからしょうがないと言えばしょうがない。紅さまのテリトリーと被りたい。


 彼は浮かない顔で手すりにもたれ掛かっていた。

 出会った日の泣き顔を嫌でも思い出してしまう。水色のサラサラの髪が風に揺れ、一枚の絵のようだった。


「蒼っち。どうしたの! しけた顔しちゃって!」


 わざと明るい声で、呼びかけてみる。

 花香お姉ちゃんをイメージしてみたのだが、蒼くんは非常に驚いた顔をした。すみません、テンション間違えました。


「なんだ、マシロか。……なあ、俺ってさ……」


 そこまで言いかけて、ハッとしたように口を噤む。

 蒼くんには悩み事があるみたい。

 8歳の蒼くんの抱えている悩みがどれほどのものか分からないが、イジメじゃないよね。――いや、案外ありえるかな。

 モテにモテてまくってそうな彼をやっかんで、男子が苛めてる可能性に思い当たり、私はハッとした。

 加害者側は軽い気持ちでやったことでも、被害者には消えない傷が刻まれる。その結果、死を選ぶ子だって現実にはいるのだ。

 

 悪い方に考え出すと、止まらなくなった。

 ゲーム中の紅さまに過去のトラウマがあるように、蒼くんにだってあるんじゃないの?

 現実とボクメロの進行が全く同じなわけないと思いたいけど、もしこれがイベントだったらどうしよう。


「蒼くん。もし……だけど。――イジメられてるんだったら、変なプライド捨てて誰かに相談しなきゃ駄目だよ。そりゃ、恥ずかしいかもしれない。心配かけたくないって思うかもしれない。でも、黙ってるよりマシだよ。転校するのもアリだと思うし、信用出来そうな大人に相談した方がいいよ」


 喋ってるうちにヒートアップしてしまった。

 ここまで熱く語るつもりはなかったのに。ぜいぜい肩で息をする私を見て、蒼くんはブハッと噴き出した。


「なに、それ。うちの学校にイジメなんてないよ。だって、誰も自分以外に興味ない。ムカンシンってやつ」


 そ、そうなのか。セレブ校に通ってる子はまた庶民とは価値観が違うのかな。……切ない。

 

 青鸞学院は中等部までは厳選された良家の子女が通うっていう設定だった。

 一般入試が解禁になるのは、高等部から。

 主人公ヒロインは確か中等部からの持ちあがりで、サポートキャラが高等部から入学してきた可愛いドSキャラだったような。

 それにしても。

 俺様2人の攻略キャラに、サポートキャラまでドSっ子とか。

 M属性の乙女を狙い打ったにしろ、あざと過ぎる。あの会社、何かが完全に(以下略)。


「でも、まあサンキュ。心配してくれて」


 笑いをおさめ、蒼くんははにかんだ笑顔でそう言ってくれた。

 好感度パラメーターなんてものがあるのなら、確実に一メモリ分はあがった手応えを感じた。

 

 やばい……。私、間違った方向に行きかけてる気がする。


 主人公ゲンダ コンが紅さまを選んだ場合、選ばれなかった方の蒼くんはそこら辺のモブ子と結ばれる――なんていう裏設定があるんじゃなかろうか。

 そりゃ、蒼くんは美形だしいい子だとは思うけど、年の差にも程があるし、紅様をひっそり見守り隊の邪魔をされたくない。


「ま、まあね。ほら、友達だし。元気なかったら誰でも気になるよ、ほら、友達だし」


 友達、という部分を大げさなくらい強調すると、またもや蒼くんは楽しそうに笑い始めた。

 彼の好きなタイプが『笑わせてくれる子』だったらどうしよう。


「マシロはいつもにまして機嫌いいじゃん。新作、折れたのか?」


 私は蒼くんにねだられて、時々創作折り紙を渡している。今日は、あいにく何も持っていなかった。


「ううん。この間から『アンコール・ワット』に挑戦してるんだけど、なかなか上手くいかないんだよねえ。立体の大きな建物系は細部の再現が難しくて。……って、そうじゃなくて。今日ね、我が家にピアノがくるんだよ!」


 私が満面の笑みと共に発表すると、蒼くんは一瞬苦しそうに眉をしかめた。

 だけどそれは本当に一瞬で、すぐ何事もなかったような顔に戻る。


「――へえ。マシロ、ピアノ弾くんだ。で、何買ったの? ベヒシュタイン? それともスタインウェイ?」


 当たり前のように聞き返され、私は絶句した。


 そんな高価なグランドピアノなわけないじゃん。

 ハリセン持ってたら、全力で後頭部に叩き込んだと思う。それくらいムカついた。


「うちは普通のサラリーマン家庭なの。そんなの買えるわけないじゃん」


 劣等感を激しく刺激され、つい吐き捨てるような言い方になる。

 それでも、ピアニカよりはマシでしょ? 

 私はずっと、ちゃんとした楽器が欲しかったんだ。

 望めば何でもすぐ手に入るセレブ坊ちゃまには分からないでしょうけどね。


「もう行くね。母さん、パートに出てるから、家のこと私がしなくちゃいけないし。バイバイ」


 言わずもがなな家庭環境まで当てつけがましく暴露し、顔を背けた。

 

 小さな男の子相手に馬鹿みたいにムキになってしまった自分が、情けない。

 だけど、母さん達が頑張って手に入れてくれたピアノにケチがついたみたいで、我慢出来なかった。

 

 容姿にも境遇にも恵まれた蒼くんとは、きっと住んでる世界が違うんだ。


 私はそのまま歩道橋を駆け下りた。

 蒼くんは何も言わなかった。

 チラと振り返ってみると、黙ったままそこに立ち尽くしていた。

 

 

 

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