表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
59/161

とある女の告解

 私には、一つ下の妹がいた。

 名前は、里香りか

 たった一つしか違わない妹と私は、まるで双子のように育った。

 「花ちゃん」とたどたどしく私を呼んだ可愛い妹は、あっという間に大きくなり、そして5年前に物言わぬ人となった。


 ――私が殺した。


 一足先に小学校へ上がった私の帰りを、家の前の細い道で待っていてくれたあの子を。

 初めての失恋に傷ついた中学生の私を、ただ黙って泣かせてくれた優しいあの子を。


 ――私が、殺した。


 置かれた状況がドミノ倒しのように悪化を辿るきっかけは、大抵はとてもくだらない一押しだったりする。私の場合も、まさにそうだった。


 高校に入ってから出来た二つ年上の恋人の存在を、私は何故か里香に打ち明けることが出来なかった。寂しがるかもしれない、と思ったのか、単に照れ臭かったのか。今となっては思い出すことすら困難な些細な理由で、私は彼を妹から隠した。

 

 能天気で馬鹿みたいに楽観的だった私は、自分の知らないところで二人が出会う可能性など、考えてみたこともなかった。どんなことだって起こり得るのが人生だ、と知った時には遅かった。


 里香は、友衣ともいを好きになった。

 一見地味で取り立てて人目を引くタイプではない友衣の、隠された誠実さや真摯さを、賢いあの子は見抜いてしまった。

 「花ちゃんのお友達なの?」

 そう聞かれた時に、私は告げるべきだったのだ。ううん、私の彼氏だよ、と。

 混乱した私は、逃げることを選んだ。

 「そうだよ」

 仲のいい先輩だ、と私は説明した。他に好きな人がいるみたいだよ、と牽制すらした。

 里香はふうん、と呟いて「どんな人なのかな」と思案気に溜息をついた。


 戻れない。

 私は、曖昧に笑ってやり過ごした。

 里香はまだ、16歳だった。きっとそのうち違う人を好きになる、と私は思い込むことに決めた。

 あの時、私はたった一人の妹を、最も卑怯なやり方で裏切った。


 それから1年後。

 里香はとうとう自分の想いを告げた。

 温め続けていた一途な恋情は、友衣の一言によってあっという間に散った。


 『花香とは、付き合ってるんだ。里香ちゃんも知ってると思ってた』


 まっすぐな気性の里香は、すぐに私の所へやって来た。


 『どうして、教えてくれなかったの!?』

 『違うよ。友衣とはそんなんじゃないから』


 私は、その後に及んでまだ逃げ切ろうとした。

 妹だけでなく、恋人をも裏切った瞬間だった。

 可愛い里香を傷つけたくない、と。いいえ、そうじゃない。自分が傷つきたくないと思った。

 どこまでも卑怯な姉を、里香はしばらく黙って見つめていた。

 そして、こう言った。


 『私が、花ちゃんを追いつめたんだね』


 あまりの自分の醜悪さに恥ずかしくて堪らなくなった。

 「ごめん、ごめんなさい」と泣きながら無意味な謝罪を繰り返す私を、里香は微かに笑って許した。

 

 初めての失恋だったというのに、私は妹から泣く機会すら奪った。


 それからしばらくして、里香はあるゲームに夢中になった。

 架空の見目麗しい男の子と恋に落ちる、という恋愛シミュレーションゲームだという。

 

 私はどうしていいか分からなくなった。


 「そんなんばっかやってると、現実で彼氏が出来なくなっちゃうよ! 妹がヲタクなんて嫌だ!」


 一度そんな風に斬りこんでみたこともあった。

 責めてくれたらいいのに。

 誰のせいだと思ってるの、と私をなじってくれたらいいのに。


 理香は「だって、すごくカッコいいんだもん」と、ふにゃりと笑った。

 

 友衣からの連絡は、とうに断っていた。

 会って一度きちんと話そう、と何度も電話をくれたのに、私は「ごめん。もう無理なの」と突っぱねた。

 好きだった。

 どうしようもなく彼が好きだったのに、私の愚かさが全てを台無しにしたのだ。

 

 

 それからしばらく経ったある冬の日。

 センター試験を受けるという里香が心配になって、私は途中まで迎えに出た。

 大きな道路を挟んで向かい側。

 里香は、ゆっくりと歩いていた。

 そこから声をかけようかな、と少し迷って、私は横断歩道を渡ることにした。

 後ろから飛びついて、驚かせてやろう、と思ったのだ。


 「花ちゃん!」

 きっと目を丸くして、それからふんわり笑ってくれる。

 その笑顔が見たかった。


 なかなか変わらない横断信号を、私はせっかちに何度も押した。

 ようやく青になった歩道を、走って渡る。

 もうちょっと。あと少し。

 声を掛けようと思った瞬間。

 

 里香の背中は、まるで魔法にかかったみたいに突然消えた。


 

 何が起こったのか分からず、ただ立ち竦む。


 里香のすぐ近くにいた女性が、盛大な金切声をあげていた。その声に、沢山の通行人が集まってくる。


 「きゃあああああ!!」「女の子が落ちたっ!」「誰かっ!! 救急車!!」


 なに、言ってるの。

 里香。

 里香は、どこ?


 雲を踏むような気持ちで、一歩、二歩、と進んでいく。

 そこでようやく私の目には、ぽっかりと開いたマンホールの入り口が映し出された。

 

 そこからは、あまり記憶がない。

 日がな一日中泣き叫んでいた気もするし、一言も喋らなかったような気もする。横断歩道なんて渡らなければ良かった、と繰り返し自分を呪った。


 里香は全身をチューブで繋がれ、「意識が戻る可能性は低い」と宣告された。

 脳が大きく損傷しているのだという。

 父も母も「それでも可能性がゼロではないなら」と、延命を乞うた。


 私には分かった。

 これは罰なのだと――。

 

 罪を償わない限り、里香は戻ってこない。


 どんな手段を使っても、里香を取り戻そうと決めた。

 その時にはもう、私は狂っていたのかもしれない。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ