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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
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Now Loading その33

 再びせわしない秋が巡ってきた。

 この季節は、本当に学校行事が目白押しで辛い。

 運動会、合唱大会、遠足などで容赦なく削り取られる精神力と体力に、私はへとへとになっていた。

 木曜日のレッスンの始まる前に、サロンでつい居眠りしてしまった時なんて、最悪だった。


「ましろちゃん、目の下に隈が出来てるわよ」


 いつも厳しい亜由美先生が、その日口にしたのはその一言だけだった。細かい指摘をする気にもなれないほど、私が集中力を欠いていたせいだと思う。

 一生懸命練習して仕上げたはずの「シンフォニア 7番」はミスタッチの連続だった。バッハのインヴェンションを終えた私は、随分前からシンフォニアに移っている。あともう少しで平均律クラヴィーア曲集に取り掛かれるというところ。

 二声に比べ、三声は格段に難しくなる。他の曲と違い、左手の複雑なタッチが要求されるのも特徴だ。

 でも、あんなに練習したのに! 

 母さんのお迎えの車の中で、私は悔し涙を零した。


 家に戻ってすぐ楽譜を広げ、今日ダメだった部分を重点的に練習する。左手が右手と同じくらい美しく響くように。ううん、そうじゃない。もう一度。今のはいい感じだった。感覚を忘れないうちにもう一度。

 取りつかれたように鍵盤を追う私を見て、二階に様子を伺いに来た母さんはそっとドアを閉じ引き返していった。


 

 クラスでは相変わらず、木之瀬くんと二人でいることが多い。初めに喧嘩をふっかけてきた峰田さんは、木之瀬くんにさっさと見切りをつけ、今は隣のクラスのたっくんに熱を上げているという。

 それを教えてくれた絵里ちゃんに、たっくんの本名って何だったっけ? と聞き返した私は、盛大な溜息を投げつけられた。

 木之瀬くんに未練がないなら、例のやり取りを水に流してくれても良さそうなものなのに、峰田さんグループには避けられまくっている。峰田さん達以外にも女子はいるんだけど、すっかりグループが出来ちゃっていて、今さら加わるのは大変そう。

 木之瀬くんの害のないサッカー話をフンフン聞いてる方が楽だった。


 平日はアイネで練習。

 土曜日のソルフェージュの後は、お弁当を持っていき紺ちゃんのところでグランドピアノを借りて練習、というのがすっかり私のルーティンになってる。

 快く離れを貸してくれる紺ちゃんと玄田家のご両親には、感謝してもしきれない。

 一度だけ挨拶させてもらった紺ちゃんパパは、恰幅のいい覇気に満ちた男性だった。豊かなバリトンで「いつも紺と仲良くしてくれてありがとうね」と声をかけてもらったのだが、力強い握手に気圧されてしまった。

 しどろもどろで挨拶と日頃のお礼を述べた私の頭を撫でて、風のように紺ちゃんパパは去っていった。スケジュールは分刻みらしい。


 


 そして12月。

 今年もクリスマスパーティを開くという桜子さんから、直接お誘いを頂いた。

 玄田邸の離れで練習してる時だった。

 いつもはお手伝いさんがお茶を運んでくれるのに、その日お盆を持って現れたのは桜子さんだったので、私はびっくりしてしまった。

 正直に言ってもいいですか。ドレッシーなワンピース姿でのお盆持ち、似合わないです。


「クリスマスパーティに来て欲しいなあって。でね、お願いがあるんだけど、千沙子さんも私も、また真白ちゃんのアンサンブル演奏が聴きたいの!」

「え? で、でもあと2週間くらいしかないですよね」


 独奏なら、今先生に見てもらってるショパンの革命のエチュード辺りを弾けばいいかなって思ったんだけど、誰かと合わせるなら時間が足りない気がする。

 口ごもった私を見て、紺ちゃんは桜子さんに向かって眉をひそめた。


「母様。無理は言わないで」


 私はコンクールに照準を合わせ、普段の練習に加えてラヴェルを研究中だった。

 『私の音楽は解釈するには及ばない、書かれた通りに弾いてくれればいい』とラヴェル自身が語っていたというのは有名なエピソード。

 楽譜通りに演奏すればいい、と聞くと簡単に思えるけど、実際はそうじゃない。

 ロマンティックな主旋律に引きずられ、ついテンポを崩して弾いてしまったり、強弱を大げさにつけてしまったり、というのはラヴェルを弾くときに陥りやすい罠だった。

 予選はバッハだというので、対位法も同時に勉強中。

 亜由美先生にも「中学で一度コンクールに出たいです」と伝えてあった。亜由美先生はしばらく考えた後で、「分かったわ。出るからには一位を目指しましょうね」と答えてくれた。

 こんなに早めに言わなきゃ良かった、と後悔しそうになったくらい、亜由美先生のスパルタ度は増している。


「だって、去年の合奏がすごく素敵だったから、もう一回聞きたいんだもの。練習時間が足りないなら、簡単な曲でいいから!」


 人前で演奏するのに、簡単な曲を適当に合わせてお茶を濁す、なんて真似は私達には出来ない。

 ううん、真剣に音楽をやってるのなら、きっと誰にも出来ないと思う。

 

「母様!」


 案の定、紺ちゃんの美しい眉尻は吊り上ってしまった。

 私は慌てて、紺ちゃんの腕に手を置いた。


「いいじゃない。せっかくのクリスマスだもん。私も息抜きしたいなあ」

「……ましろちゃん……」


 私の言葉を聞き、桜子さんは両手を叩いて喜んだ。


「離れを使って練習してくれていいからね! 日曜日もいらっしゃいよ。紅と城山くんにも、パーティのことは連絡済みだから。真白ちゃんのオッケーが出たって知ったら、きっとあの子達も喜ぶわ~!」

「いつもお世話になってますから。少しでも楽しんで貰えるよう、頑張りますね」


 紺ちゃんとピアノ連弾じゃダメなのか、という内心の落胆を隠し、私はにっこり笑ってみせた。

 四人でアンサンブルって、一体どうなるのか想像もつかない。かといって、前みたいに二人ずつでデュオを組もうと提案すれば、その組み合わせで揉めそうだ。蒼くんは絶対私と組むっていうだろうし、紅さまがまだ絶賛ゲーム中だとすると、それに割って入ってくるだろうし。

 あ、いっそ私と紺ちゃん。蒼くんと紅さま、で分かれたらいいんじゃないかな。

 ……無理だろうな。

 

 桜子さんがお茶を置いて離れから出て行った後、紺ちゃんは私のカップに広西紅茶を注いでくれた。たっぷりのミルクを足して、ミルクティーにする。渋みがほとんどないその紅茶は、お花の蜜のような自然な甘さがあって、中国紅茶を殆ど飲んだことのなかった私を驚かせた。


「美味しい~。ホッとするね」

「口にあって良かった。冬は私、いつもこれなの」


 ゆったりと温かな紅茶を楽しみながら、私達は早速アンサンブルの打ち合わせをすることにした。

 離れに置いてある沢山の楽譜を、二人がかりでペラペラめくる。


「ピアノ二台とヴァイオリンとチェロは流石に音のバランスが取れないよね。かといって、編曲するような暇もないし」

「ましろちゃんが良ければ、三人で三重奏は? ブラームス辺りだと、華やかでパーティ向けじゃない?」

「うーん。でも紺ちゃんは?」

「私はソロで許してもらうわ。母様はましろちゃんの演奏を聴きたいんだと思うの。……本当に、ごめんね。いつも勝手なんだから」


 怒りを再燃させ始めた紺ちゃんを宥め、ピアノトリオに絞って楽譜を探すことにした。


「あ、これにしようかな。ブラームスのピアノ三重奏一番 第一楽章」

「うっわー。ましろちゃんってば、自分への追い込みっぷりが鬼畜レベル!」

「……だね。ちょっと厳しいか。好きな曲なんだけどな」


 難易度が高いだけあって、とにかく華やかで派手。

 ピアノもヴァイオリンもチェロも一歩も引かずにお互いの音を主張し合い、高め合っていくイメージの曲だ。


「メンデルスゾーンのピアノトリオも好きなんだけど、難しいし。ああ、迷う~!」

「1番でしょ。第3楽章が好きだなあ」

「あ、私も!」


 好きなピアノトリオの話で盛り上がりながら楽譜をあたるものの、なかなか選曲が進まない。

 結局、あとの二人にも意見を聞いてから決めようか、という話になった。

 紺ちゃんがすぐに紅さまに連絡を取ってくれた。蒼くんの都合もついたみたいで、日曜日、玄田邸に13時に集合、という段取りになった。

 


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