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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
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 先輩方によるモーツアルトの連弾も、亜由美先生のハンガリー狂詩曲も、息を飲む素晴らしさだった。発表会だというのにアンコールの拍手が鳴りやまないので、先生は苦笑しながら舞台に出ていった。


 そして再び、ピアノの前に座る。

 てっきり挨拶だけして戻ってくるのだと思っていた私達はみな、驚いてお互いの顔を見合わせた。プログラムに載っていない先生の最後の曲は、ショパンのノクターン第八番だった。


 極上のシャンパンから立ち上る泡のように美しい音の粒子が、薫り高くホール全体に広がっていく。最初の一音で、ぶわっと鳥肌が立つのが分かった。

 明るい舞台の中央で、亜由美先生の白い腕は鍵盤の上を撫でるように滑り、客席は静まり返った。

 静かな音が柔らかく空に舞う。そして雷鳴のような拍手。

 私の初めての発表会は、感動の涙と共に締めくくられた。


 

 「ましろ! 頑張ったね!! お姉ちゃん、泣いちゃったよ~」


 来てくれたお客様への挨拶の為、全員でロビーに出る。

 あっという間にみんなバラバラになった。いち早く私を見つけてくれたお姉ちゃんは、ハンカチ片手に駆け寄って来てくれた。


 「来てくれてありがとう。えっと……初めまして」


 花香お姉ちゃんのすぐ後ろにいる、背の高い二人の男性にもペコリと頭を下げた。多分、緑色のショートヘアの方が、例の彼氏だ。いかにもモテそうな甘いマスクで、にこにこ笑っている。その隣にいるのが、確か松田さん、だっけ? この世界では珍しい黒髪黒目という外見だけが特徴の真面目そうな人だった。カッコいいのは文句なしに三井さんの方だ。

 花香お姉ちゃんってば、面食いだなあ。


 「あ、ご丁寧にどうも。三井です」

 「松田です」


 三人で軽く自己紹介しあうと、すぐに三井さんの方が「それにしても、妹さんがこんなに可愛い子だったなんてな。花香ちゃんそっくりだね」と言い出した。

 私を褒めつつお姉ちゃんを持ち上げるのも忘れない如才のなさ。むむ。やるな。


 「でしょう? 頭もいいしピアノも上手いし、ホントに自慢の妹なんだ~」


 姉馬鹿全開で、お姉ちゃんは私の肩を抱き寄せた。


 「あ、せっかくだから写真撮ってくれない?」


 お姉ちゃんの出したスマホを受け取ったのは、手を出そうとした三井さんではなく松田さんだった。


 「俺が撮るよ。三人で入ったら?」

 「いいんですか? ありがとうございます!」


 お姉ちゃんは松田さんに向かって満面の笑みを浮かべた。「いや、このくらいいいよ」と答えた松田さんに、私のレーダーはぴくりと反応した。ん? もしかしてこの人……。

 注意深く見守ってると、写真を撮った後、松田さんは慎重過ぎるくらい慎重に、お姉ちゃんの手に触れない様にそっとスマホを返した。


 「結構うまく撮れたと思うよ」

 「どれどれ。うわ! 松田さん上手いですね~」


 画面を覗き込む無邪気なお姉ちゃんを、松田さんは眩しそうに見つめている。

 そんな親友に気づく風もなく、三井さんは私に色々話しかけてきていた。ピアノ、いつから始めたの? とか凄く上手いね、とかそんな話。適当に相槌を打ちながら、私は何故か松田さんが無性に気になっていた。


 「父さん達は控室で待ってるって言ってたよ。ましろ、また家でゆっくり今日の話聞かせてね」

 「うん。分かった。三井さん、お花ありがとうございました」


 彼氏さんのくれたブーケを手に、私はお姉ちゃんたちに手を振った。

 ピンクの大輪の薔薇とライスフラワー、薄い黄色のスプレーカーネーションにユーカリの緑でアクセントをつけた可愛いブーケだ。本当にそつのない人だなあ。三井さんに感心しながらブーケを眺めていると、紅さまと蒼くんがやって来た。


 「ここにいたんだな、マシロ」

 「お疲れ」


 彼らがやってくると、辺りがざわつくのですぐ分かる。ただでさえ人目を引く容姿なのに、正装してるもんだから余計に視線が凄かった。


 「どうだった?」


 わくわくしながら尋ねると、紅くんは「80点」そして蒼くんは「めちゃくちゃ良かったぜ」と一斉に返事をしてくれた。出来れば、片方ずつ喋って欲しい。


 「80点って、いい方?」

 

 蒼くんの方は褒め言葉って分かったけど、紅さまの点数の基準がよく分からない。不安げな声になってしまった私を眺め、紅さまはフッと笑みを零した。

 最近、紅さまはたまにだけど、今みたいなすごく優しい目をするんだよね。悪いものでも食べた? と聞きたくなる。


 「うそ。100点だよ」

 「素直に褒めろよ」


 思わずツッコんでしまった。私のしかめっ面を見て紅さまは噴き出し、幼い笑顔になった。普段からそんな顔してればいいのに。


 「今日はもう帰るの? せっかく可愛いカッコしてんのに」


 蒼くんが名残惜しそうに私の両手を取った。

 

 「中華とか食べに連れてきたいな」

 「いいね、それ」


 紅さまが口を挟むと「お前には言ってない」とすかさず言いかえしている。

 全く。友達を取られたくなくてムキになる子供ですか。

 私は宥めるように蒼くんの手を握り返し、その後やんわり振りほどいた。


 「それは無理。先生に挨拶してから帰るね。父さん達も待ってるし。今日はお花、ありがとう」

 「……分かった」


 蒼くんは私を見つめ、それからしょんぼりと肩を落とした。

 こんなに上等な男の子なのに、どうして私に拘るんだろう。

 インプリンティング、という言葉が頭をよぎった。

 あの日、歩道橋の上でピアノの折り紙を渡した瞬間、私は蒼くんの心の奥にあった何らかのスイッチを押しちゃったんじゃないだろうか。


 「今度、また一緒に遊ぼうね」


 背伸びをしてよしよし、と頭を撫でると、蒼くんは困ったように笑った。

 そんな私を見て、紅さまは「あんまり甘やかすと、蒼の為にならないぞ」とお父さんのような台詞を吐いた。



 


 とりあえずの目標をクリアした私は、3年後に行われる予定のコンクールに照準を合わせ直すことにした。

 紺ちゃん情報によると、どうやら中学2年の10月に大規模な学生ピアノコンクールが行われるらしい。参加資格は中学生以上で、中学生・高校生・大学生部門の3つに分かれる。それぞれの優勝者は、JNK交響楽団と共演する特典を与えられるのだという。


 「予選の課題曲は、5種類の中から一つ選ぶの。本選は、J.S.バッハのシンフォニアだったと思う。『ボクメロ』では、ましろちゃんは自由曲にラヴェルの亡き王女の為のパヴァーヌを選んでた」

 「ラヴェルかー。……頑張らないと」


 夏休み、私は紺ちゃんの家に通ってピアノを弾かせてもらっていた。

 発表会の連弾の為に建てた離れと2台のピアノが勿体無いから、いつでも練習に来て、と千沙子さんに何度も誘われていたのだ。最初は遠慮してたんだけど、そのうち断り続けるのも失礼かなって雰囲気になってきちゃったので、有難く厚意に甘えさせてもらってる。

 

 その日は花火大会があるというので、夕方で練習を切り上げさせられた。

 桜子さんも後から合流して、花火の見える高台の料亭で夕食を頂くことになっている。「そこまでしてもらうのは」「そんな! 遠慮しないで」というもはや定番となった押し問答の後、これまたいつも通りに私が押し切られた。

 紺ちゃんは「いい加減、諦めたら?」とこっそり囁いてきた。ああ、出世払いの負債が雪だるま式に増えていってるよ……。


 千沙子さんに着つけてもらった上布の麻の着物を着て、中庭に面した広い縁側に腰を下ろした。私の帯は朝顔模様、紺ちゃんの帯は花火模様。

 8月もお盆を過ぎ、夕方の風は涼しくなってきている。

 遠くから聞こえるひぐらしの鳴き声に、私達はしばらくの間耳を傾けた。


 「あと3年あるし、このまま頑張れば大丈夫だよ」


 紺ちゃんは、確信を持ったような声で太鼓判を押してくれた。

 本当にそうだといいな。

 下駄をぶらぶらさせ、私は高い空を見上げる。薄くたなびいた雲の隙間から覗く濃いオレンジの光に目を細めて、私は紺ちゃんに尋ねてみた。


 「紺ちゃんは出場しないの?」

 「うん。そのコンクールには出ない。私が出るのは、高校1年の青鸞学院コンクールだよ」


 紺ちゃんは、私と同じように空を見上げて華奢な白い腕を伸ばした。

 傾きかけたお日様を遮るように手を翳し、紺ちゃんはふう、とため息をついた。


 「そこで優勝して、私は必ず目的を果たすつもり」

 「そっか」


 カナカナカナ。

 蜩のなく声が、一際大きくなった気がした。


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