表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
50/161

Now Loading 29

 結局あれから私は、朝までぐっすり眠ってしまったらしい。

 まだお風呂も入ってなかったし、晩御飯も食べ損ねた。ピアノも勉強も、ノルマを達成してない。かなり悔しい!

 それにしても、そんなに疲れてたっけな。

 最近は気候がいいせいか、夜もよく眠れてたのに。

 勢いよくベッドから飛び起き、時計を見れば6時を少し過ぎたところだった。

 不思議なことに、頭の痛みは嘘みたいに消えてなくなっていた。むしろ、今までよりスッキリしてる。


 シャワーを浴びて軽く髪の毛を乾かした後、リビングに戻るとちょうど母さんが起きてきた。


 「母さん、おはよ~」

 「おはよう」


 パジャマ姿のまま母さんはこっちに近づいてきて、そっと私の頭に手を当てた。「痛くない?」「ないよ」「ここは?」「そこも痛くない」という会話を繰り返し、恐る恐るあちこちを押していく。本当に何ともないんだけどな。


 「やっぱり今日は学校をお休みして、一緒に病院に行こう」

 「え? なんで?」

 「なんでって、だって、ましろが」


 唇を震わせた母さんは、そのまま私をぎゅっと抱きしめた。


 「パートも休みをもらったから。夜のうちに電話しといたの。ね、お願い。ちゃんと診てもらおう」

 「――うん、分かった」


 よほど皆に心配をかけてしまったらしい。

 その後、起きてきた父さんも「何かあったら、すぐに携帯に連絡入れてくれ」と真剣な顔で母さんに頼んでいた。お姉ちゃんはデートをキャンセルして、あれからしばらく私についていてくれたのだという。悪いことしちゃったな。今は全然、何ともないんですけど。


 いたたまれない気持ちを抱えたまま、大人しく母さんに連れられ、隣町にある大きな病院に行った。あちこちの科をたらいまわしにされ、MRIを取ったり採血したりと、朝一番で行ったのに、結局昼過ぎまで病院にいる羽目になった。

 結果はその場では教えてもらえず、後日また来ないとダメなんだって。

 うわ~、面倒くさい~。

 問診を受け持った若い先生からは「ジャングルジムから落ちたりしてない? 階段からは? 滑り台からは? ブランコからは?」としつこく尋ねられた。どんだけバリエーション豊かに落ちるんだ。小学校は危険がいっぱいだな。

 もちろん全てに首を振ったのだけど、先生の目は疑いに満ちていた。……だから、落ちてないってば!


 帰り道、母さんと手をつないで広い駐車場を歩いていく。大規模な入院施設もあるからか、来院者数が凄まじく多い。うちの軽自動車までかなりの距離を歩かなくちゃいけなかった。


 「母さん、大丈夫? 疲れちゃったね」

 「私は大丈夫。ましろこそ、平気? こんなに時間かかると思わなかったわ」

 「うん。でも、お腹空いたあ」

 「母さんも! なんか食べて帰ろっか」

 「やった!」


 繋いだ手をぶらぶらさせ、にっこりと微笑みあう。こんなにゆっくり母さんと過ごすことって滅多にないから、嬉しくて堪らない。機嫌よく鼻歌を歌う私を見て、母さんは口をへの字に曲げた。


 「ましろがいなくなったら、母さんどうにかなっちゃうな」

 「なに、急に」

 「お願いだから、母さん達より先に死なないでね」

 「当たり前でしょ!」


 今にも泣き出しそうな母さんの手をぎゅっと握り込む。

 そして、そんなに心配しないで、と笑ってみせた。


 

 病院に行った次の日。

 ソルフェージュの後で、私は紺ちゃんのおうちに呼ばれていた。

 

 私たちが発表会で弾くのは、くるみ割り人形組曲。

 元はバレエ音楽で、クラシックに興味ない人でもどこかで一度は耳にしたことがあるんじゃないかなってくらい有名。ピアノ連弾用アレンジもポピュラーなんだけど、今回は一台ではなく二台のピアノでの連弾ということで、難易度は高かった。

 隣に座って弾く時みたいに、目や呼吸で合図出来ないんだよね。

 ちなみに主に高音部を受け持つ奏者をプリモ、主に低音部を受け持つ奏者をセコンドと呼ぶんです。今回のプリモは紺ちゃんで、私がセコンドだ。主旋律と伴奏、と勘違いする人がいるみたいだけど、そういう分け方ではない。

 二台使っての連弾は、向かい合わせに並んだピアノに座り、お互いの癖を掴んだ上で、テンポを合わせてぴったりと音を重ねないといけない。

 その代わり、一台で弾く連弾よりもダイナミックに表現出来る。

 亜由美先生のレッスン室には、今、なんと合わせて3台のピアノが並んでいる。

 中高生の先輩方は、更に一台増えた計三台で連弾するからだ。二台でもひーひー言ってるというのに、レベルが違い過ぎる!

 

 個人パートはお互いばっちり暗譜済み。あとは何回も合わせる練習をするだけだねって紺ちゃんと話していた。

 その日だって連弾の練習をしようって誘われたから来たはずなのに、どうしてこうなっちゃったんだろう――。


 「こっちも大人っぽくて素敵でしょう?」

 「ホント! でもまだ小学生なんだし、こっちのデザインも可愛くて捨てがたいわ~」


 私と紺ちゃんは、下着姿であちこちを採寸された挙句、沢山の生地を胸元に当てられ、顔映りとやらを検証された。その後も桜子さんと千沙子さんは、仕立て屋さんの持ってきたデザイン帳を広げ、あーでもない、こーでもない、と盛り上がっているのだ。


 「母様、もう行ってもいいわよね。練習出来なくなったら困るもの」

 「そうね、付き合わせてしまって悪かったわ。頃合いを見計らって、お茶を運ばせるわね」


 我慢しきれなくなった紺ちゃんに、千沙子さんは両手を合わせた。そのまま、私にも「せっかく来てくれたのに、ごめんなさいね」などと言うので、飛び上がりそうになった。


 「と、とんでもないです! でも、いいんでしょうか。私の分のドレスまで……」

 「やあね。私達の我儘でやってることなんだから、怒ってもいいくらいよ! 勝手に決めないでって」


 桜子さんはオホホと笑った。

 一緒にアハハ、と力なく笑ってみる。


 「発表会当日、楽しみにしててね!」


 張り切りまくってくる桜子さんと千沙子さんに、もう一度お礼を言って、広すぎるくらいに広い和室から出た。流石の紺ちゃんも、額に手を当てている。


 「……あんな母たちで、ごめんね」

 「全然! むしろ可愛がってもらえて嬉しいよ」

 

 いつか恩返しできるといいな、と続けた私に、紺ちゃんはとびきりの笑顔を見せてくれた。


 肝心の練習は、紺ちゃんの部屋ではなく、離れに作ってもらったのだという防音室ですることになった。ピアノも二台買い足してもらったのだという。セレブの金銭感覚って、やっぱり普通じゃない。


 「最初からとりあえず、流してみる? 気になるところは、楽譜に書きこんでいこうよ」

 「了解!」


 万が一、ずれてもすぐに立て直せるように、当日は楽譜を立てて演奏することになっていた。譜めくりには加南子さんと葵さんがついてくれるのだという。演奏者がどこを確認してるか読み取ってくれる人がめくらないと、大変なことになっちゃうんだよね。


 今日は加南子さん達がいないので、気になる部分で止めながら小刻みに練習していった。

 テンポの早い『ロシア人の踊り』が特に難しくて、何度もやり直してみるんだけど、完璧には程遠い。


 「なかなか合わないね。チャチャカチャッチャーチャッチャッチャー、のとこ、ずれると壮絶に気持ち悪いっ!」

 「確かに。見せ場だもん、ぴったり合わないとまずいよね。あと、最後のテンポアップするとこ」

 「う~ん。――そうだ。声に出しながらやってみない?」


 私が提案してみると、向かいのピアノから紺ちゃんは目を丸くしてこちらを見つめた。


 「え? どういう風に?」

 「ハイッ、とか今っ、とか合図を大声で出すの。あと要所要所のメロディを歌う」

 「……いいかも」


 無茶苦茶なやり方かもしれないけど、背に腹は代えられない。なんでもいいから合わせたもん勝ちでしょ。


 「じゃあ、まずトレパークだけやってみようよ」

 「うん!」


 結果的に、その方法でかなり上手く合わせられるようになったんだけど、「ハイッ」とか「そこっ」とか大声で言い合っている私達を誰かが見たら、爆笑ものだったと思う。いやでも、大声じゃないと聞こえないんだって。

 夕方、千沙子さんたちにお暇のご挨拶をした時の私の声は、すっかりしわがれていた。


 

 そして夜。一本の電話がかかってきた。

 玄田邸に何か忘れ物しちゃったかな。

 紺ちゃんからかも、と私は慌てて二階の子機を取った。


 「もしもし、島尾です」

 「あ、マシロ? 蒼だけど」


 受話器の向こうから流れてきた声に、私はかなり驚いた。

 蒼くんから電話がかかってくるのって、去年の冬の合奏の打ち合わせ以来な気がする。

 

 「蒼くん、わざわざ電話してくるなんて、どうしたの?」


 何かあったのかと思って尋ねてみると、蒼くんは言いにくそうに口ごもった後、ようやく切り出した。

 

 「あのさ。……美恵さんから遊園地のチケット貰ったんだけど、一緒に行かない?」

 「遊園地! いいね~」

 「じゃ、決まり。いつが空いてる?」

 「んーと、来週末からは発表会関係で、ずっと埋まってるんだよね。来月じゃ遅い?」

 

 自分の部屋に戻り、カレンダーを確認してみる。

 蒼くんは、「明日は無理?」と重ねて聞いてきた。

 明日の日曜日は、何も予定は入れてなかった。とにかくゴールデンウィーク中はピアノを練習しようと思ってたんだけど、どうしよう。


 「空いてる、けど。発表会前だし、練習しようかなと思ってる」

 「六月だと雨の日多くなるだろ? 明日は天気いいっていうし……どうしてもダメ?」


 しゅんと肩を落とす蒼くんの様子がありありと伝わってくる。ああ、罪悪感が。

 それになんとなくだけど、こんな風に急に誘ってくるなんて蒼くんらしくない気がした。


 「明日って、何かあるの?」

 「……うん。あー、でも言いにくい」

 「言いなよ、気になるじゃん」


 私が急かすと、蒼くんは小さな声で「誕生日」と呟いた。


 「え?」

 「俺の誕生日。だから、マシロと一緒にいたいなって」


 その言い方の可愛らしさときたら! 

 私はしばらく子機を握りしめたまま、固まってしまった。しばらくの沈黙の後、遠慮がちな声が聞こえてきた。


 「ごめん、困らせた?」

 「ううん、違うって。じゃあ午前中ピアノ頑張って、昼から空ける。いっぱい遊ぼ!」

 「やった! じゃあ――」


 待ちあわせの時間と場所を決めて、「おやすみ」と受話器を置く。

 「おやすみ、マシロ」と返してくれた蒼くんの声は、ひどく優しかった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ