スチル2.本屋(蒼・紅―小学生・共通)
「じゃあね、ましろん!」
「エリちゃん、ばいばーい」
学校を出てすぐの道で、登下校仲間のエリちゃんに別れを告げる。今日はエリちゃんが習字の日なのだ。そういえば、蒼くんに初めて会ったのも木曜日だった気がする。
あれから、もう二週間が経った。
ようやく私も小学校生活に馴染んできた。
馴染むも何も、去年からずっと小学生をやってるんだから……って感じだけど、前世の記憶を取り戻した私にとって実年齢とのギャップをもっとも感じさせる場所。それが学校だったのだ。
紅さまに早く会いたい、と逸る気持ちも私を追い立てた。
こんなところでのんびりしてていいのかな。
私の持っている紅さまの情報は、17歳までで途切れてしまっている。
それまでに出会っておかないと、一生接点を持てないのでは……という不安が湧いてくるのだ。
焦ったってしょうがないと自分に言い聞かせ、勉強をとりあえず頑張ることに決めた。
問題集を買いたい、というとお母さんは訝しげに私を眺めた。
それはもう、しげしげと。
「ちょっと前まで勉強なんてしたくないって言ってたのにねえ」と首を傾げながらも、お金を渡してくれる。予算は二千円。ちゃんとレシートとお釣りを見せること、というのが条件だ。私はすぐさま頷いた。
そして今日。
件の歩道橋を渡って、大通りに面した立派な店構えのブックストア橘に立ち寄ったところで、奇跡が起こったんですよ!
こんな幸運があってもいいんだろうか。
私は高校受験の参考書コーナーの前に陣取り、じっくり問題集を吟味していた。出来るだけ効率のいいものを探し出したい。
隣で同じように棚を漁っていた中学生が、ちらちらこちらを窺ってくる。
はい、はい。すみませんね。お邪魔しますよっと。
驚愕の視線には気づかないふりで、最終候補を4冊に絞った。
予算的に買えるのは2冊だけ。
そうしょっちゅう母にお金を貰うわけにもいかない。なんせ傍目から見れば、まだ小学二年のちびっこなのだ。
中学お受験を目指してるにしたって、『高校受験のための必須問題500選』はまだ不必要だって笑われるだろう。
苦手な社会と理科に絞るか、それとも五教科揃った総復習ものにするべきか。
本音をいえば、4冊とも欲しい!
アルバイト出来るといいのになぁ。なんでまだこんなに小さいんだろ。
悩みに悩んでいたちょうどその時。
「あれ? マシロじゃん」
背後から、ハイトーンの柔らかボイスが聞こえてきた。
ん? この声って……。
問題集を抱えたまま振り返ると、予想通りの男の子がそこに立っていた。
「蒼くん。久しぶり」
ついうっかり、いつも心の中で呼んでいるファーストネームで彼を呼んでしまう。
知り合ったばかり男の子を下の名前で呼ぶなんて!
自分でも驚いて、慌ててしまった。
ゲームの城山 蒼なら「いきなり馴れ馴れしく呼ばないでくれる?」とバッサリ切り捨ててきそうだけど、リアル世界での蒼くんは嬉しそうに頬を緩めた。
「覚えててくれたんだ。あれから、また会わないかなーって気にしてたんだぜ?」
同じく学校帰りなのだろう、ランドセルを片側の肩にひっかけ、制服のブレザーの釦は外したまま。
小学二年生とはとても思えない洗練された立ち姿に、ドキっとしてしまう。
足が長くて、頭が小さいんだ。だから、どんな風に着崩してもカッコよく見えるのか。
私はといえば、お姉ちゃんのお下がりの白のワンピース姿。
9歳も違う姉のお古なものだから、どことなくクラシカルな形のワンピースだった。急に自分の恰好が気になり始める。
「あはは。会わなかったねえ」
スカートのプリーツ部分をもじもじと触って、視線を彷徨わせる。
蒼くんがあんまりまっすぐにこちらを見つめてくるものだから、心臓に悪かった。できれば早めに立ち去って頂きたい。
願いに反して、蒼くんは近づいてくると、平台に並べた4冊の問題集に目を留めた。大きく目を見開き、私を振り返る。
「え? マシロ、もうこんな難しい問題やってんの?」
「いや、まあね。ちょっとちゃんと勉強しようかなって……」
だめだ、上手く誤魔化せない。
元がポンコツだから、臨機応変に対処とか出来ないんですよ。
蒼くんは初めて会った日と同じように「すげえ! こんなの、オレ全然分かんないわ」と感心しながら、問題集をパラパラめくり始めた。
長期戦になる気配を察知し、内心深くため息をつく。
私は諦めて、問題集のうち2冊を棚に戻した。
もっと悩みたかったけど、とりあえずこの場から退散しするのが先だ。さっきから蒼くんの目つきが無性に恥ずかしいんだよ。
賞賛? 賛美?
とにかくめちゃくちゃ感心されている気がする。居たたまれない。
「じゃあ、買ってくるね」
ばいばい、と言外に告げたつもりだったのに、蒼くんは当たり前な顔して後ろから着いて来た。ええ~。空気読もうぜ。
「あれ、蒼。もういいの?」
その時。
まさにその時。
何度も携帯ゲーム機のイヤホン越しにうっとりと聞き入った紅様ボイスをそのまま幼くしたような声が、聞こえてきたのだ。
蒼くんより先に、音速のスピードで振り返る。
勢いがつきすぎて、その場で一回転してしまうかと思いました。
トレードマークの真っ赤な髪はまだ短い。
蒼くんと同じブレザー姿だったけど、シャツの第一ボタンは外し、ネクタイを緩く結んでいる。
匂い立つ様な色気を若干7歳でお持ちだったなんて!
濃い藍色の瞳を猫のように細め、紅さまは私と蒼くんを見比べた。
「なに? もしかして、この子が蒼の言ってた子?」
小学生だからか、まだ声変わりを迎えていらっしゃらないご様子。
それでも、腰に響く甘い声は健在だった。うわあ。涙出そう。
18歳のいい歳した女が若干7歳の男子に萌えている今の状況。
ふと冷静になったもう一人の私が「おいおい。やばいんじゃないの?」とイエローカードを掲げてくる。
分かってるよ! でも見られるうちに見とかないと、この先、こんなチャンスもうないかもだもん。
陶然と紅さまを見つめていると、蒼くんが非常に不機嫌そうに私の肩を掴み、自分の背中へ隠すように押しやった。
「――紅は見ないで。お前、フェロモン振りまき過ぎなんだよ」
紅さまが視界から消えたことへの不満を、蒼くんの発言が吹き飛ばした。
7歳の子供の口からまさか『フェロモン』なんて台詞が転がり出てくるとは思いませんでしたよ! 意味分かって言ってんのかな。
「へえ~。……蒼がそんなに執着するなんて、気になるなあ」
紅さまは『10年早いわ! でも貴方なら許す!』的な台詞を口にしつつ、ヒョイと私の方を覗きこんで「オレとも仲良くしてね? ましろ」と微笑み、ダメ押しとばかりに片目をつぶってきた。
ウィンクいただきました~!
これは、あれだ。
第一試験をクリアした時に、その力量をちょろっと認められたヒロインへ向かって紅さまが言っちゃうご褒美台詞と一緒だ!
いいんですか、そこら辺のモブ子にも使っちゃって。
――というより何より。こんな7歳児、いやだ。
私は真っ赤になって、ひたすらコクコク頷いた。
言葉では形容しがたい感情が湧き出てきて、油断すると芋虫のように身をくねらせてしまいそう。
それからどうやってレジを済ませ、家まで辿り着いたのかよく覚えていない。
脇目も振らず二階に駆け上がり、ランドセルと買った問題集を放り投げ、せいやっとばかりにベッドへダイビングした。
「べっちん……っ! 紅さまに会っちゃった! 会えちゃったよう~!」
テディベアのべっちんを抱きしめ、しばらくゴロゴロ転がってから天井を見上げる。
何度もこらえきれない溜息が唇から漏れた。
初対面の私にも、すっごく優しかったなあ。
想像してたより百倍素敵だった。
――――私は知らなかったのだ。
ブックストア橘に残された二人の間で、こんな会話が交わされていたことを。
「蒼、もっと友達選びなよ。どうってことない平凡な子じゃん」
「うるさい。お前にはマシロの凄さを分かってないんだ」
「ふうん。あのボンコちゃんが、ねえ」
――――まさか転生までして追ってきた憧れの君に『ボンコ』と命名されていたなんて。
後からそのことを知った私は、当然怒り狂ったのだが、それはまだまだ先の話。
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本日の主人公の成果
攻略対象:城山 蒼
セカンドイベント:書店での再会
攻略対象:成田 紅
出会いイベント:その子、誰?
無事、クリア