Now Loading 23
ようやく二学期が始まり、始まったと思ったら、あっという間に時間が過ぎていく。
学校行事が多すぎるせいかもしれない。
運動会、合唱祭、秋の遠足。こんなに忙しかったっけ?
前世の記憶を思い出そうとしたのだけど、何一つ具体的な思い出は浮かんでこなかった。
転生者のメリットはどこ?
木之瀬くんは運動会の実行委員になり、学年リレーにも出て活躍していた。足の速い子って、小学生のうちはとにかくモテるんだよね。
「ましろも一緒にやらない?」とのお誘いも受けた。もちろん、みんなにブーイングされながらも丁重にお断りした。
涼しげな目元やまっすぐ通った鼻筋なんかは、確かにSAZEのボーカルにそっくりだ。
高校生になったら、今よりずっとモテるんだろうな。そうは思うものの、青田買いする気持ちにはなれなかった。
遠足は、あまり思い返したくない。
木之瀬くんと二人きり、半ば強制的にお昼ご飯を食べさせられた。
ニヤニヤ笑いながら見物する平田くんの口に、海岸の砂を入るだけ詰め込んでやりたい、と思ったことだけは強烈に記憶に残っている。
ピアノは、飛躍的に上達し始めていた。
ラヴェルのソナチネにも丸をもらえ、今は、同じラヴェルの『道化師の朝の歌』を練習中。
紺ちゃんに話したら、目を丸くされた。
「いきなり!? ちょっとそれはキツくない?」
「うん、楽譜も真っ黒だった。半べそかきながら、ちょっとずつ進めてるの」
「ソナチネ終わって、ソナタには進んでるんだよね。セオリー通りなら、もうちょっと後で挑戦する曲だと思うけど……」
亜由美先生曰く、私の今のテクニック的には十分弾ける、そうなのだ。
「ショパンやバッハや練習曲で基礎を固めるのと並行しながら、ましろちゃんには、どんどん難しい曲にもチャレンジしていってもらいたいの。時間はかかってもいいから、頑張りましょ!」
確かに指先がもともと器用だったこともあって、早いパッセージや指回しはすぐにマスター出来るけど、譜読みや暗譜に苦戦してる。
楽譜通りまずは正確に演奏すること。自分なりの解釈を打ち出すのは、全て作曲家の指示通り完璧に弾けてから! というのが亜由美先生の方針だ。
だから、CDを流して、それを耳でコピーすることも出来ない。
その演奏者の癖ごと、コピーしてしまうから。
「発表会の演目、ましろちゃんには物足りないんじゃない?」
久しぶりにサロンで会った紺ちゃんは、眉をひそめた。
ベートーヴェンの悲愴の第二楽章は、今弾いている曲たちに比べるとテクニック的には簡単な部類だ。
亜由美先生には「ただ譜面通りに弾くんじゃなくって、発表会ではましろちゃんらしい演奏を聞かせて欲しいな」と言われてる。
実力より下のテクニックで弾ける曲だからこそ、自分なりの曲想で弾き込めるはず、ってことなんだろうか? クラシックってまるで禅問答みたいだ。
蒼くんは、あれから前みたいなペースで家に遊びに来るようになった。パーカーも無事返せました。
10月に入ってすぐの金曜日。
その日も、蒼くんはうちに寄っていた。
少しだけ開けた窓から吹き込んでくる涼しい風が、蒼くんのサラサラの髪をなぶっていく。
私が勉強している隣で蒼くんは無心に折り紙を折るのが、いつもの過ごし方だ。
「そういえば、来週から秋休みなんだ」
「ふうん。何日くらい?」
「10日。……父さんに呼ばれてるから、ドイツに行くことになってる」
秋のドイツか。ドイツは緯度でみると、ちょうど北海道あたりに位置している。ここよりだいぶ涼しいんだろうな。
暦の上では10月に入ったというのに、日本ではまだまだ日差しの厳しい毎日が続いている。
長袖なんて着た日には暑くてやってられない。パタパタ、とTシャツの胸元をつまんで風を送り、私は相槌を打った。
「ドイツも日本と同じで四季がはっきりしてるっていうから、きっと紅葉が綺麗だろうね。いつか見に行きたいなあ」
蒼くんは作りかけの花籠から目を上げ、私の方をじっと見つめた。
「その時は一緒に行こうよ、マシロ」
「うん、大人になったら案内してね!」
脳天気に頷く私を見て、蒼くんは切なげに微笑み、作りかけの折り紙へ視線を戻した。
帰り際、蒼くんはなかなか私の手を放そうとしなかった。
「どうしたの? なんか、いつもと違う」
「なあ、俺さ」
「うん」
確か、前にもこんな会話をしたことがあった。
あれは、歩道橋の上。ピアノが家に来た日だったっけ。
随分昔のことみたいだ。
「今の母さんのこと、あんま好きじゃない。学校だってただ通ってるだけだし」
「うん」
「チェロを弾くのは、好きだと思う。けど……」
「蒼くん?」
繋いだ手が少し震えている。
蒼くんは視線を玄関のタイルに落としたまま、ポツリと呟いた。
「なんで、俺まだ子供なんだろうな」
「え?」
急に話が変わって、ついていけなくなる。
私が目を丸くしてると、蒼くんはようやく普段通りの明るい表情に戻った。
「ごめん、変なこと言った。――またな、マシロ! ドイツ土産、楽しみにしてて」
手をそっと解き、蒼くんはチョンと私の額を押した。
傍から見れば、こいつめ、なによ~ウフフアハハなやり取りかもしれない仕草だけど、直前の会話の不穏さのせいで物悲しい気持ちになった。
友達なんだからもっといろいろ打ち明けてくれていいのにな。




