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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
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 18歳に(中身だけ)ジャンプしたとはいうものの、私の脳みそに大した学力はインストールされていない。

 流石に小学生の問題くらいは分かるけど、数学なら二次関数、理科なら化学反応、国語なら古文・漢文、社会に至っては歴史は云うに及ばず地理さえあやしい。時差の計算が思い出せない。

 中学生レベルの学力があるかないか、といったところかなぁ。


 せっかく前世の記憶を持ったまま転生したというのに、また一から勉強しなくちゃいけないのか。面倒すぎる。

 チラとものぐさなことを考え、慌てて首を振る。

 まだ時間はある。

 今のうちから頑張ってコツコツ勉強していけば、何とかなるはず!


 音楽のことだけではなく、学力のことも非常に気になるのは、例のファンブックのせいだった。


 ――成田 紅(17歳) 

 好きな女の子のタイプ:頭のいい子


 そう! 紅さまは馬鹿な子は嫌いなんです。

 今は無理でも、いずれ何とかして彼と小数点よりも微かな接点でいいから持ちたい私としては、見過ごせない項目だった。

 奇跡的に遭遇した時に「君って賢いんだね」なんて言われたら、その場で泣いちゃうかもしれない。

 その為にも、今から学力向上に励まなければ!

 

 授業中、私はうずうずしながら担任の先生を見つめた。

 ああ、早く帰って勉強したい。

 掛け算とかかったるいことやってる場合じゃない。

 

 「なんだ、島尾。トイレなら我慢せず行ってこい」

 

 いかつい風貌でいつも紺色のジャージ姿の男性教諭は「クマジャー先生」と呼ばれている。生徒思いの優しい先生なんだけど、40を過ぎても独身な理由が今、分かったわ。

 クラス中がドッと笑いに包まれる中、私は「違います」と蚊の鳴く様な声で答えるしかなかった。

 ……7歳児に『トイレネタ』で笑われる女子高生。つらい。



 耳が痛くなるほどの騒音の中、苦痛しか感じなかった半日をなんとかやり過ごし、家が近所なエリちゃんと並んで学校の門を出た。

 小学生って、ほんっと五月蠅い。

 口の中がカラカラに乾くんじゃないのってくらい、ひっきりなしに皆が喋るもんだから、まさしく耳元にたかってくる蠅の集団ようだった。

 ついこの間まで自分もその蠅だったことを棚にあげ、内心大きな溜息をつく。

 小学校の先生ってスゴイわ。よほどの子供好きじゃないと勤まらない職業だな。

 

 「ねえ、今日遊べる? たっくん達がくじら公園でドッジボールやるって言ってたよ。ましろんも、もちろん行くよね?」


 エリちゃんが意味深な目つきで、口数の少ない私を覗き込んできた。


 たっくんというのは、二年生の女子の間で人気度ナンバーワンを誇る男子の名前。足が速くて、ドッジボールが上手い。

 その二つの条件さえ満たせば、7歳のガキンチョの心なんて簡単に掴めてしまう。

 私も以前は、ちょっといいなあと憧れの眼差しで見てたっけ。

 ないわ~。全部なかったことにしたい。


 「私はいいや。エリちゃん行ってきなよ。たっくん、今日もエリちゃんの髪の毛引っ張ってきてたでしょ。気になってるからじゃないの? 小学生男子は好きな女子ほど苛めるんだってよ」


 7歳児に混じって球遊びとか、今更勘弁して下さい。

 本音を抑えて当たり障りなく断ろうと思ってそう言ったんだけど、エリちゃんは一瞬不思議そうに私を見つめた後、何故か大笑いし始めた。


 「やだあ! ましろん、うちのお母さんみたい!」


 ……早く家に帰りたい。



 


 「ただいまー」


 誰もいない家に私の声だけが響く。

 首から下げた鍵を使って玄関を開け、芳香剤の香りのする靴箱に小さなスニーカーをしまった。母さんは近くのドラッグストアのレジ打ちのパートに出ているし、お姉ちゃんはいつも19時くらいまで帰ってこない。


 台所を覗くと、手作りホットーケーキがお皿に乗っていた。

 ランドセルを片付け手洗いうがいを済ませて、やけに広く感じるリビングのソファーに腰を下ろす。

 しーんと静まり返った中に1人ぼっちでいると、無性に気持ちが沈んでいった。

 さっきまで、早く家に帰りたいと思ってたのに。

 考えないようにしていた前世での色んなことが、堰を切ったように溢れてきそうで私は瞬きを繰り返した。

 いやだ。深く考えたくない。


 「いただきまーす」


 わざと明るい声を上げ、両手を合わせてフォークに突き刺したホットケーキに齧り付いた瞬間。


 突如としてボタボタと大粒の涙が両頬を伝って流れてきた。


 ――前世でお母さんが作ってくれたのと、同じ味。


 当たり前だ。

 ホットケーキミックスを使えば、誰が焼いたってこの味になるに決まってる。なに、泣いてんの。馬鹿じゃないの。


 分かっているのに、涙が止まらない。

 

 受験頑張れって毎晩夜食を作ってくれたのに、お母さん、ごめん。

 成人したら一緒にお酒飲もうなって楽しみにしていてくれたのに、お父さん、ごめん。

 「だからゲームなんか止めとけって言ったのよ!」ってお姉ちゃんは泣いたかな。

 ゲームショップの真ん前のマンホールに落ちたんだから、きっと原因が何か分かっただろうな。

 

 もう会えない。

 どんなに会いたくても、私が彼らを置き去りにしてしまったんだから。


 大声で泣きながら、私はただひたすらホットケーキを食べ続けた。

 口を動かすのをやめたら、心が壊れてしまいそうだった。

 

 今度こそ、家族みんなより長生きしよう。

 そして幸せになろう。

 それが、今の私に出来るたった一つの償いなんだから。

 固く決意しながら、私は気が済むまで泣いた。



 


 カーテン越しに差し込む光がオレンジ色に変わった頃。

 仕事から疲れた顔をして帰宅した母さんが、洗濯物を片付け、父さんのワイシャツにアイロンまでかけている私をみてぎょっとした。

 7歳児の頼りない手だと舐めてもらっちゃ困る。器用さには自信があります。


 「ええっ!? なんで今日はお友達と遊んでないの? も、もしかして……い、いじめ……いじめられてるの? 大変、お父さんに電話しなくちゃ!」


 震える指でバッグから携帯を取り出し、父さんの番号を呼び出そうとしている母に、流石の私も仰天した。

 普通にお手伝いしてただけだよね? 

 それまでの自分がまったく何もせず、ただ遊び歩いていた呑気な小学生だったことをすっかり失念していた私は、母さんをひどく驚かせてしまった。


 「ちょ、ちょっと待って! 違うから、落ち着いて!」


 「ましろ、何か困ってるんじゃないの? 朝もそういえば変だったし……。何があったって、母さんはましろの味方なんだよ。だから、何でも相談して」


 どんな妄想が脳内を駆け巡っているのか、母は涙目で私をぎゅうっと抱きしめてきた。おっけー。まずはその腕の力を緩めようか。


 「なんにもないって! クマジャー先生が言ってたの。お母さんは毎日家族の為に頑張ってるんだから、お手伝いをしてあげるのは大事なことだぞって。だから私も今日からやってみようかなって」


 ――学校の先生が言っていた。

 

 この台詞が保護者に与える安心感は絶大だ。


 「そうだったの。熊沢先生は、いい先生だね。ましろも偉いね! 人生経験を積んだ人生の先輩からのアドバイスを素直に聞けるって、いいことだからね」


 私は母のこういう部分が好きだった。

 『先生や親の言うことを聞きなさい』って一括りにしないところ。

 私はにっこり笑顔で頷いて、アイロン台を片づけた。

 熊沢先生って、と内心ツッコんでおく。クマジャー先生の本名は武光 伸夫だからね。


 夕食の支度も手伝おうと思ったんだけど、「今日はもういいから、宿題を終わらせちゃいなさいよ」と言われたので二階に上がることにした。

 学校の宿題は瞬殺で終わらせ、お姉ちゃんの部屋から中学の時の教科書をこっそり拝借してくる。

 勝手に部屋に入るのはいけないことなんだけど、理由を聞かれても上手く誤魔化せない気がしたんだよね。お姉ちゃんまで驚かせたくない。


 久しぶりに入った姉の部屋は汚部屋と化していた。

 床が見えない! せめて脱いだ服くらいはハンガーにかけようよ。

 触られたくなさそうな私物は避けつつ、ゴミを捨て、ベッドメイクしてあげた。窓を開けて部屋の換気をするのも忘れない。

 このままだと、そのうち本当にGが出そうで嫌だ。


 部屋に戻り、教科書を広げる。

 お姉ちゃん、よく高校生になれたな。

 ……教科書、まっさらで綺麗なままなんですけど? 

 

 気を取り直し、アンダーラインを引きながらじっくり読み込んでいく。

 数学・国語・英語あたりは大丈夫そうだけど、社会と理科がやばい。

 こんなに難しかったっけ? 

 今度、本屋さんに行って問題集を探してこなくちゃ。


 「ましろー、御飯よー」


 お母さんの呼ぶ声に慌てて時計を見てみると、もう7時を回っていた。

 階段を下りてダイニングに入ると、珍しくお父さんも帰ってきている。

 「おかえり」私が飛びつくと「ただいまあ」とふにゃりとした笑顔で抱きとめ、頭を撫でてくれた。

 お姉ちゃんも、嬉しそうな顔で二階から降りてくる。


 「母さん、朝あんなに怒ってたのに、部屋片づけてくれたんだね!」


 茶目っ気たっぷりの表情でウインクを飛ばし、「ありがとうございます」なんて言って敬礼のポーズを決めてる。

 だらしなくて面倒くさがり屋のお姉ちゃん。

 同時に、大らかで邪気のない性格の彼女はいつも私たちを明るく照らしてくれる。

 母もそんな姉を叱りきれず、苦笑しながら首を振った。


 「私じゃないわよ。……もしかして、ましろ?」

 「うん。母さんのお手伝いばっかりじゃ不公平だから、学校を頑張ってるお姉ちゃんのお手伝いもしたんだよ」


 教科書借りパク事件のことがあるから、妙に後ろめたい。

 もっともらしく聞こえますように。

 自分でもあざといかな? と思うくらいの口調で言ってみた。それを聞いたお姉ちゃんは、感極まったのかいきなり抱きついてくる。


 「なんて可愛いのっ! お姉ちゃん、一生ましろについて行くからねッ」


 それから何故か、父さんと声を合わせての「ま・し・ろ! ま・し・ろ!」コールが始まった。

 わー。すごい姉馬鹿。

 

 涙が出そうになって、私は慌てて席についた。

 一生懸命、ハンバーグをほおばる。

 前世の父さんもよくこうやって私を褒めてくれた。前世のお姉ちゃんも、私のことをものすごく大切にしてくれた。

 家族みんな、めちゃくちゃ仲が良くて――。


 「ほらほら、騒いでないで冷めないうちに食べてよ」


 黙り込んだ私を気遣い、母さんがさりげなく2人を窘めてくれる。

 幸せと悔恨が入り混じった複雑な気持ちで、私はひたすら口を動かした。




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