閑話③
★花香の初体験★
生まれて初めて、クラシックのコンサートに行ってきた。
寝ちゃわないか心配だったんだけど、隣のましろの真剣な表情が可愛いのと音量がすごいのとで、目は最後までパッチリ開いていた。
人間の手があそこまで動いていいもの?
ちょっと怖かったけど、ましろの練習量を思うと、納得もしてしまう。ひたすら鍵盤を叩いてるうちに、機械の手になっていくんだな、きっと。
行きに会った男の子と女の子の容姿も、そういえば人間離れしてた。
蒼くんと名乗った子は、どうやらましろが好きみたい。ましろは平然としていたけど、紺ちゃんという女の子は顔色が悪くなっていた。
残念だったね。
うちのましろが恋のライバルじゃあ、勝てっこないよ。
だって、めちゃくちゃいい子だから!
バレンタインにチョコをあげた彼氏に振られてからというもの、全く浮いた話のない私。
今まで3人の男の子と付き合ったことあるけど、振られる理由はたいてい同じ。
「なんでヤらせてくれないの?」ってやつだ。
そんなに軽い女に見えるのかな。しばらく凹んだ。
軽いキスだけでドキドキしてどうしていいか分かんなくなるのに、無理だよ。
「俺のこと、好きじゃないからだ」とか決めつけられるのにも、ウンザリ。好きじゃない男と付き合うほど、暇じゃないって!
ちょっと寂しい気もするけど、今は勉強をがんばんないと、流石にマズイ。
ましろにガッカリされたくない一心で、一応、毎日机には向かってます。一応。
ああ、集中力も恋も続かない自分が恨めしい……。
★紅と紺の攻防~その2★
「もっと前から気分が悪かったんだろ。どうして言わない」
「先生の演奏、聞きたかったもの」
ベッドに横たわると、肩まで薄いブランケットをかけられる。
紅のひんやりした手が額に乗った。
「この発作……まさか、あの傷が原因で」
「違う! それはない!」
大きな声を出したせいで、再び咳き込んでしまった。
「紺!」
慌てて立ち上がり、人を呼ぼうとうする紅の手を掴んだ。
「さわがないで……すぐに良くなるんだから」
「俺をおいていくな、紺」
泣きそうな菫色の瞳に、苦笑が漏れた。
「城山くんのこと、言えないじゃない。そんなに私に依存しないで」
「……つまらないんだ、何もかも」
「うん、知ってる」
「時々、むなしくて堪らなくなる。何をやってもそこそこはこなせるけど、それだけだ。達成感もなにもない。人は俺を羨むけど、どこがいい?」
滅多に弱音を吐かない兄が、項垂れている。
それくらい心配させたのだと分かり、申し訳なくなった。
「紅」
「感情だって、同じ。ただ演じてるだけだ。期待される通りの役割を。そのせいで、お前まで危険に晒した。俺が、あいつの上辺だけを受け止めたから……俺は、欠陥品だ。人としておかしい。いっそ、どこでもいいから体を切り裂いて、動いてる臓器を確かめてみたい」
こんな弱音、お前にしか吐けない、と呟く兄の手を握り、励ます。
「大丈夫、今に楽になれるから」
「……やけに楽観的なんだな」
「知ってるだけよ。ねえ、信じて。紅を明るい世界に連れ出してくれる人が、きっと現れるって」
私がいなくなるんじゃないかと不安がる幼い兄を宥め、なんとか家に帰した。
あの子の『姉』をこの目で見た瞬間、私は自分の足元が崩れ落ちていくのがはっきりと分かった。
名前を聞いた時以上の、衝撃だった。
天真爛漫な明るさ。無邪気な笑顔。
あの子の自慢げな表情。繋いだ手。微笑み合う2人。
――あれは、全部わたしの……
私はもう、変質してしまった。
とうに分かっていたことを、改めて突きつけられただけなのに、胸の痛みは消えなかった。




