Now Loading 13
春休みももうそろそろ終わり、という頃。
私は前世の記憶を取り戻して以来初めて、学校の友達を家に連れてきていた。
同じ地区に住んでる登下校友達の絵里ちゃんとは、幼稚園からの付き合い。
麻子ちゃん、咲和ちゃん、朋ちゃんとは、二年連続で同じクラスになったことで、仲良くなった。
「もうすぐ、4年かあ。みんな同じクラスになれるといいよね~」
「ホント! ほら、夏に林間学校あるでしょ。あれ、5人でグループ作るんだって! みんな同じクラスだったら、一緒の班になろうね」
「クマジャー先生は、好きな子同士では班を作らせてくれないんだって。くじ引きだって」
「ええ~、やだあ。じゃあ、担任の先生って誰がいいかな」
今日の為に母が作っておいてくれたクッキーとジュースを出して、私も会話に加わった。
「みっちゃん先生は? 優しそうじゃん」
私の六畳の部屋に子供とはいえ5人がひしめいているもんだから、一層賑やかに感じてしまう。
『ましろんの部屋が見たーい!』と全員にせがまれたので、しょうがなくリビングから移動したのだ。大事な癒しアイテム・べっちんは慌ててクローゼットの中に避難させた。
「あ、ありがと。いっただきまーす」
「みっちゃん先生、若いし可愛いよね。私も好き」
「でも、宿題多いって聞いたよ~」
わいわい学校の話をしながら、みんなでクッキーをつまむ。
ちょっとしたことで、すぐにコロコロ笑う彼女たちの中にいると、自分まで小学生になったような不思議な感覚を覚えた。
いや、実際小学生なんだけど。
「あ、そうだ! ましろん、ピアノ弾いて欲しいな」
「私も聞きたいと思ってたんだ」
しばらくすると、絵里ちゃんがアップライトピアノに目を留めた。
他のみんなも口々に賛同する。この中でピアノを習っているのは私だけなので、気になるのかもしれない。
「うん、いいよ」
おしぼりで手を拭き、ピアノの蓋を開けた。軽く鍵盤を叩いて、指慣らしをする。
「何、弾こうか」
「うわ~、なんかカッコイイっ!」
咲和ちゃんは瞳を輝かせながら両手を合わせた。
「ねえ、あれ弾けない? SAZEの新曲。キミスキの映画の主題歌のさあ」
「私も好き! 昨日もTVに出てたよね」
ちょっと前まで『アイレボ』一色だった皆なのだが、最近はアイドルグループへと興味がシフトチェンジしている様子。
SAZEというのは、4人のメンバー全員が16歳の美少年という売出し中の歌手なのです。
ちなみにキミスキというのは、『君のことを好きな僕が好き』という漫画のこと。ドラマ化されてヒットしたので、今度は映画が公開されるらしい。
一度学校でこっそり麻子ちゃんに見せてもらったのだけど、余命わずかな少年が同じく余命わずかな少女に恋をして……という、何なんだかよく分からない漫画だった。
「楽譜ないし、適当になっちゃうよ?」
「それでもいいから!」
麻子ちゃんは大のキミスキファンなので、お願い、と拝んでくる。
お姉ちゃんがお風呂で最近よく歌っている曲なので、なんとなくは分かる。毎週土曜日のソルフェージュのおかげで、聴音のこつも掴めてきていた。
原曲キーはたぶん、Dマイナー。
右手で、おおよそのメロディを奏でてみると、みんなが一斉に「それそれ!!」とはしゃぎ声を上げた。
左手のコード進行は、かなり適当。Dというのはレの音のこと。長調だとレファ♯ラの和音が基本になるけど、キミキスの主題歌は短調なので、レファラの短三和音を使う。短7度のドの音を加えると、Dマイナー7になるってわけ。減三和音に減7度の音を加えた和音、レファラ♭シとかも混ぜると、カッコいい感じになる。
まあ、簡単に言っちゃうと、ピアノのコード進行にはおおよその決まりがあって、その中で右手のメロディにしっくり当てはまるコードを選べばいい、ってこと。
コード進行については、前世で嫌というほど勉強した。ボクメロの作曲パートの為に。付け焼刃の知識じゃ、歯が立たなかったけどね!
みんながピアノに合わせて歌ってくるので、幼稚園の先生にでもなったような気分だ。
何回も歌って気が済んだのか、ようやく解放される。
ピアノの蓋を閉めると次は、朋ちゃんに高校レベルの問題集を発見された。
慌てて「お姉ちゃんのだよ。どんなのかな~と思って、見ただけ」と言い訳しておく。
……ふう。突撃お部屋訪問は、いろいろ心臓に悪いな。
新学期が始まった。
話してた通り、5人とも同じクラスになれたのは良かったんだけど、担任はまたしてもクマジャー先生だった。3年連続同じ担任って……。いい先生なんだけどね。
「お、島尾。また今年も一緒に頑張ろうな!」
豪快に笑いながら先生は、私の背中をポンポンと叩いた。
「お前はちょっと頑張り過ぎる傾向があるから、もっとリラックスしていけ。何でも相談に乗るぞ。気軽に言ってこいよ」
続けてそう言われ、「はあ。ありがとうございます」と曖昧に返事をする。
何でだろう、微妙に心配されてる気がする。職員室で「あの子はちょっと変わってるので、卒業するまで私が見守りますよ!」とか言われてたら嫌だな。
蒼くんには、相変わらず歩道橋で会っている。
「また、マシロのうちに行きたいな。……ダメ?」
「私、勉強しなきゃいけないし、ピアノも練習しなきゃいけないし、蒼くんのこと構えないよ? そんなのつまんないでしょ」
「いや。邪魔しないように、大人しくしてる」
いけないと思いつつも、つい家に連れてきてしまう。
どんどん絆されてきてるよね。いいのかな、これで。
蒼くんがあんまり嬉しそうについてくるもんだから、無下に断れない。
「ピアノは、どこに置いてるの?」
一度、不思議そうに蒼くんに聞かれた。
「2階の私の部屋」
「練習したいんなら、してきていいよ。俺が勝手に押しかけてるんだから」
そうは言うものの、お客さんを放っておいて2階に上がることは出来ない。
かといって、曲がりなりにも男子を自分の部屋に入れることにも抵抗があったので、蒼くんが来る日はリビングで勉強することにしていた。
「マシロって、頭いいな」
私が解いている高校の問題集を見て、蒼くんは目を丸くした。
そんな顔をすると、年相応に見えて可愛い。
「賢くはないけど、勉強は好きかな」
ひらめき、とかセンスとか、そういう天賦の才には縁遠い。ただ、努力することが苦じゃないってだけ。
「それが、頭いいってことだろ」
蒼くんは私の返事を謙遜と受け取ったのか、クスッと笑った。
得意げな笑顔に、微妙な気持ちになる。
まるで『俺のマシロはすごいだろ』と云わんばかり。
いつまで、彼の前を走ってあげられるんだろう。すごく不安になる。
本当の同い年になった蒼くんの目に、私はどう映るんだろう。
手持ち無沙汰そうにしてた蒼くんには、折り紙の本を貸してあげた。
静かな部屋に、私のシャーペンを走らせる音と蒼くんの紙を折る音だけが響く。
ソファーの上ですっかりくつろいでいる蒼くんに時折目をやると、非常に満足そうだった。
特に会話がなくても、私たちの間に流れる空気は親密で暖かい。
蒼くんは自分の家にいるのが寂しいんだな、と嫌でも思い知らされた。
紅さまにも時々遭遇していた。
あっちは「遭遇」という表現がピッタリだ。何故なら、紅さまがピアノ教室のサロンに来ることはなくなったのに、たまに出かける先々でバッタリ会ってしまうから。
基本、学校と家と亜由美先生の家をトライアングル状態で往復している私が出かける機会なんて、滅多にない。それなのに――。
その日は「ああ、お味噌切らした!」と嘆く母の為に、おつかいに出かけた。
「ごめんね。せっかくピアノ練習していたのに」
「いいよ。ムツヤでいいんでしょ?」
ムツヤというのは、家から自転車で10分ほどの所にある、まあまあ大きなスーパーのこと。
もっと近くにコンビニもあるんだけど、コンビニって高いからね。
「うん。大丈夫?」
「平気、平気。私、もう4年生だよ?」
130センチ台だった身長も、今では145センチまで伸びた。
お下がりの洋服も、大人っぽいデザインが多くなってきている。その日は7分袖のカットソーにマイクロミニのショートパンツを履いていた。ひざ丈ブーツに足を突っ込み、自転車にまたがる。
スーパーで目当ての味噌を買い、家へ戻っていた途中、人の良さそうなスーツ姿の若い男性に声をかけられた。
「ごめんね。君、ここら辺の子?」
「そうですけど。……なんですか?」
自転車は止めたけど、降りない。
小児性愛の変質者とかだったら困るからだ。
少し距離を取ったまま怪訝そうに見つめる私に、その人はふにゃりと相好を崩した。人懐っこい笑みに、少しだけ警戒心が薄れる。
「あー、良かった。お客さんの家がなかなか見つからなくて、困ってたんだ。住所はこの辺のはずなんだけど……」
若者はごそごそとビジネスバッグを探り、折りたたんだ地図を取り出した。
どうやら、この辺りを回っている営業マンのようだ。額の汗が痛々しい。
ご苦労様です、と心の中で呟き、自転車から降りた。
「コーポみかづき、って知らない?」
「ああ、それなら……」
咲和ちゃんの家の近くだ。ここからはスーパーを挟んで真逆の方向にある。
このあたりは住宅が多く道が入り組んでいるので、初めて来た人には見つけにくいのかもしれない。
営業のお兄さんの持っている地図を覗き込み、一緒に「コーポみかづき」の場所を探していると。
「真白!」
突然大きな声で名前を呼ばれ、びくんと体が跳ねあがった。
「……この子に、何の用?」
ぐいっと腕を引かれ、突然現れた紅さまの脇に引き寄せられる。
よろけそうになった私を、紅さまは片手で簡単に支えた。
「大丈夫か」小声で確認される。驚き過ぎて心臓が止まりそうになりましたよ。あなたのせいで全然大丈夫じゃない。
「え――えっ!? 違う、違う! 僕は怪しいものじゃなくて!」
紅さまにきつく睨まれ、自分の置かれている状況を察したのか、お兄さんは慌てて胸の内ポケットから名刺入れを取り出した。
「戸崎ホームの斉藤です。約束しているお客さんの家が分からなくて、この子には場所を聞いてただけなんだよ」
小学生とは思えない紅さまの物腰に、完全に気圧されてしまってる斉藤さんが気の毒になる。
紅さまは名刺を一瞥し、くるりと振り返った。少し離れたところにはでっかい黒のセダンが停まっている。もしかして。
「水沢!」
紅さまが声をかけると、車の脇に待機していた二十代後半の男性が素早く近づいてきた。ビシッと着こなしたダークグレーのスーツが格好いい。
「戸崎ホームの斉藤さんだそうだ。アパートを探しているみたいだから、そこまで乗せていってくれないか。俺は、この子を家まで送ってくる。また連絡を入れるから、適当なところで拾ってくれ」
「畏まりました」
深く追求することなく、水沢さんという名の運転手さんは、「え? いや、そこまでして貰わなくても!」と固辞する斉藤さんを連れ、車へと戻っていった。
「……あのね、ボンコ」
唖然としたまま一部始終を眺めるしかなかった私におもむろに向き直り、紅さまは眉間に皺を寄せた。
その時ようやく腕を放してもらえた。大きな手の感触が、まだ残っている。
「こんな時間に、そんな恰好で知らない男に無防備に近づくんじゃない」
何故か、説教が始まった。
遅ればせながら何が起こったのか把握した私は、ふう、とため息をついた。
絶妙なタイミングで私を発見した紅さまは、不審者に絡まれてるのではないか、と判断したんですね。
自分の着てる服を見下ろしてみる。ブーツとショートパンツの間の太腿が出てるくらいで、至って普通だ。それほど薄着の季節でもないし。
「こんな時間って、まだ5時過ぎじゃん。しかも、そんな変な恰好してないし。斉藤さんだっけ。可哀想にすごく驚いてたよ」
「口答えは許さない。ほら、さっさと行くぞ」
流石は紅さま。
俺様にしか許されない台詞をさらっと口にしてる。
――でも多分、心配してくれたんだろうな
いつも綺麗に整えられている短めの髪が、ぴょこんとはねている。車から降りて、駆けつけて来てくれたのかも。
私は自転車を押しながら紅さまの隣に並び、「お手数おかけしました。以後気をつけます」と謝った。
「分かればいい。一応、お前も女の子なんだから。世の中には変わった嗜好のヤツがいるから、気をつけろ」
ああ、惜しい。
あと少しでトキメキ台詞になるはずなのに、『一応』と『変わった嗜好』が余計だ。
「はあーい」
「語尾は伸ばすな」
「はい」
夕日に照らされ、歩く二人の影が長く伸びている。
紅さまの方がうんと背が高いことに、改めて気がついた。




