スチル1.蒼(小学生・ランドセル)
私が前世のかなり痛い記憶を取り戻したのは、小学校2年生の時だ。
下校途中、歩道橋の上で水色の髪の男の子を見かけた。
その子は、一目で私立と分かる洒落たランドセルを背負い、小さな拳で濡れた頬を拭っていた。
――どっかで見たことある。
雷に打たれたように、私はその場に立ち尽くした。
そしてそのまま、橋のド真ん中で佇んでいるその男の子を凝視した。誰かに似てる、と喉元まで出てるのに分からなくて、気持ち悪い。
その子は自分を捉える不躾な視線に気が付くと、私を睨みつけてきた。
「なんだよ。男が泣いてるのがそんなに珍しいのかよ」
何が原因かは知らないけど、家まで待てずにこんな往来で泣いちゃってるんだから余程のことがあったんだろう。申し訳ない気持ちで、私は慌てて首を振った。
「あ、ごめん。誰かに似てる気がして、誰だったかなあって考えてただけ。男だろうが女だろうが、泣きたかったら泣けばいいんだよ」
だってうちのお母さんはいつもそう言ってる。性差別とかジェンダーとか、よく分かんないけど、「男のくせに」とか「女のくせに」って言うのは良くないんだって。
私が思ったことを口にすると、その子は、途方に暮れたように眼差しを彷徨わせ始めた。涙の跡が痛々しい。
「変なヤツ。……俺は、お前のこと知らない」
「そっかー。絶対どこかで見たことあるんだけどなあ。でもごめんね。ジロジロ見ちゃって、本当にごめんなさい」
お詫びにポケットを探り、授業中にこっそり折った『グランドピアノ』の折り紙を渡した。
黒と白の二枚の紙を使って、複雑かつ丁寧に折り上げた力作だ。
私は何故か、生まれつき異様に手先が器用な子供だった。
面白がった母は、幼い私に大量の折り紙教本を与えたのだ。
おかげで私は、若干7歳にして創作折り紙が作れてしまうんですよ。すごいでしょー。
「うわっ! 何だよ、これ!」
ですよね。驚きますよね。
クラスメイトも学校の先生も、「どうなってるんだ!?」と作業中の私の手元に夢中になった自信作ですとも。
「まさか、自分で折ったの?」
「うん。かなり時間がかかったけどね。でももう手順は覚えたから、次はもっと早く綺麗に折れると思う」
存分に褒め称えて下さいな。
運動も苦手、勉強も中の下くらいの私の取り柄といえば、この手先の器用さと折り紙くらいなのだから。
「すげえ。お前、マジですげえ!」
水色くんはそのグランドピアノを矯めつ眇めつ眺め、無邪気な歓声を上げてくれた。
整った顔立ちでどことなく取っ付きにくい雰囲気の水色くんが笑顔になると、印象が一変する。
子犬のように愛らしい黒目勝ちの瞳が、キラキラと傾きかけたお日様を反射していて、とても綺麗だった。
既視感と涙に気を取られていたからよく分からなかったけど、改めて見てみると、そんじょそこらにはなかなかいない美少年だ。
今更ながらにどきまぎした私は、頬を赤らめつつ「良かったらここで他にも折ってあげようか?」と調子に乗った。
「うん! じゃあ、これで折ってくれる?」
彼がランドセルから取り出したのは『母親参観のお知らせ』の用紙だった。
「ええっ!? これはダメだよ。おうちに帰ってお母さんに見せないと」
「いいよ。どうせアイツは来ないんだから」
年に似合わないおませな口調で、水色くんは吐き捨てるように言った。
なにやら複雑な事情があるらしい。小学二年の私にも分かったので、しぶしぶその紙を受け取る。
「こういうふにゃっとした紙だと、複雑なのは無理かなあ」
正方形になるように端を折りこみながら「何を折ればいい?」と聞くと「犬!」と即答された。
「飼いたいけどダメって言われてるから。出来る?」
「楽勝だよ。じゃあ、散歩できるように歩いてるヤツを折るね」
私は歩道橋の手すりに紙を置き、細かく折り筋を付けながら立体的な犬を折っていった。ほんの数分で灰色の犬が現れる。
水色くんは感激したように瞳を輝かせ、私の肩を掴んだ。
「お前、本当にすごいよ! ありがとう!」
「いいって。じゃあね」
空の色を見て、私はハッと焦った。今、何時だろう。
早く帰らないと夕方のアニメに間に合わない。
「ちょっと待って。お前、何小のなんて名前?」
駆けだそうとした私を水色くんが焦ったように引き留めた。
「多田小学校二年の島尾 真白だよ」
振り返って叫ぶと、水色くんも叫び返してきた。
「オレは青鶯学院初等部二年の、城山 蒼。また会えるよな、マシロ!」
シマオマシロという語感のおさまりが良いのか悪いのか判断しにくい私の名前を瞬時に聞き取り、下の名前で呼び捨ててきた水色くんに驚きつつも、私は歩道橋の下から手を振った。
「うん、またね、シロヤマくん!」
二人続けて呼ぶと、マシロヤマじゃん。
そんなくだらないことを思いながら家にすっ飛んで帰った私は、その晩突然。本当に突然、自分の前世を思い出すことになった。
「そういえばシロヤマ ソウって蒼くんと同じ名前だ……って。ああああっ!?」
ベッドに入って目を閉じようとしたその瞬間に、私が大声を上げたものだから、階下の両親が物凄い地響きを立てて二階に駆け上がってくる。
「な、なにごと!?」
「どうした、ましろ! 泥棒か!?」
両親はいい人達なのだが、親バカで、子供のことになると我を忘れがちになるのが玉に傷だ。
父よ、金属バットは置いてきて下さい。隣の部屋から8つ年上の姉も顔を出す。
「なに? Gでも出たの?」
高校一年の姉は、肌のお手入れ中だったのか、顔中にコットンを貼り付けた化け物じみた容貌で扉の隙間から顔を出した。
ぶっちゃけGより恐い。
「ち、違う。っていうか、お母さんとお父さん、日本人なのに髪が金色ってどうしたの?」
今まで全く気に留めていなかった髪の色が、激しくかつ異様に気になる。
姉なんて、ピンク色だ。染めた感じじゃなくって、地毛がピンク色。
人体に自然に発生する色じゃない。
「なんだ、寝ぼけちゃったのね。ましろだって、髪の毛ピンク色でしょ。みんなそんなものよ」
金色のショートヘアを揺らして、母はころころと笑った。
父も「もう、驚かすなよ。困ったちゃんめ」と言いながら、私のはだけたお布団をかけ直してくれる。
日本人といえば、黒髪黒目でしょうが。
呆然とベッドに仰向けになり、そこで私ははた、と気づいた。
水色くんも髪が水色だったな、と。
青鶯学院という言葉にも、強烈なデジャブ感を感じる。
――そうだ、『ボクメロ』の舞台である音楽学校が確かそんな名前だった
紅さまが好きすぎて残念死した私は、どうやら神様の慈悲深い采配で『ボクメロ』世界に転生させられたようだ、とようやく気がつく。
転生って! うわあ、まじか。
衝撃のあまり、ここは気絶したり、高熱を出したりするところじゃないの?
私はじっと息を潜め、自分に起こる変化を待った。しかし何も起こらなかった。
……前世ってなに!? 私どうしちゃったの!? イベントはなしですか。そうですか。
根が図太く少々のことでは動じない性格のせいで、いくら待ってもパニックはやってこない。
あまりの出来事に、脳みそが現状を拒否して麻痺してるんだ、ってことには気づかなかった。
しょうがないので、誰もいなくなってから起き上がり、手鏡で自分の顔を確認してみる。
髪の色を除けば何一つ変化のない、馴染み深い平板な顔がそこにはあった。
前世の私と同じ顔。
『ボクメロ』の主人公は確か、茶色のロングヘアの美少女だったよね?
……そっかあ。モブキャラに転生かー。
主人公に転生して攻略キャラとキャッホイな人生を一瞬でも期待しそうになった自分が哀しい。
そうそう上手い話は転がってない。ですよね。知ってた。
結論から言えば、全く知ってなどいなかった。
リメイク版『ボクメロ』では、主人公がチェンジされていたことを。
ピンクのボブカットの平々凡々な少女が、何故か俺様キャラ2人に取り合われる三角関係モードが追加されていたことを。
シュミレーション部分はそのまま残ったのに、恋愛パート部分が完全に【試験】から切り離され、より一層意味不明なゲームにクラスチェンジしたことを。
キャラクター攻略には全く関係ないはずの作曲が、前作と同じく『ボクメロ』ユーザーの前に最大最悪の壁として立ちはだかった。
おそらく製作会社は、その作曲システムこそに多大な時間と労力と費用を投入したのだろう。だから、無くしてしまうのが惜しかったのだろう。
だが、リメイク仕事しろ。
改善に期待をかけてソフトを購入した大半のユーザーは、またもや音楽理論の前に敗れ去った。
◆◆◆◆◆◆
この日の主人公の成果
攻略対象:城山 蒼
出会いイベント:歩道橋で慰めて
無事、クリア