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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
153/161

44.紅の幸せな一日

紅視点を一話挟みます。


 真白が変わってしまったのは、去年のチャリティコンサートからだ。

 

 コンサート前日、電話で話した時には、ひどく興奮していた。

 

 『お花持って行くから! やっぱりクリムゾン・グローリーがいいよね』

 

 お金の計算をしてるに違いない間が一瞬空く。

 一本いくらで計算してるんだろう。

 噛み殺した笑いを気取られないように大真面目な声を作って「来てくれるだけで嬉しいんだし、手ぶらでいいよ」と告げると、真白は『こういうのは気持ちだから』と言い張った。

 

 『真紅の輝きクリムゾン・グーローリー、なんて紅のコンサートに贈るのにぴったりの名前だしね』


 受話器越しに耳に響いてくる声に、胸が痛くなった。

 真白が俺にくれる感情は、いつだって激しい。

 愛しさも苦しみも何もかも。


 

 当日、真白は客席にいなかった。

 すぐに見つけられるようステージからよく分かる席を取っておいたから間違いない。

 何かあったのだろうか。

 あんなに楽しみにしていたのに、一体どうしたんだ。

 不安にかられながら、それでも会場にはいるはずだ、と自分をふるい立たせ、曲に集中しようと努める。

 恋しい相手を狂おしく求める気持ちが演奏にも表れたのか、後から向井さんには「今まで一番良かったんじゃないか」と褒められた。

 苦笑いを返して控え室に急ぐ。楽屋に届けられた沢山の花から目当てのものを探そうとやっきになった。

 絶対に来ているはずなんだ。

 

 ……あった。


 「――心からの賞賛と愛を込めて」 


 片手では抱えきれないほど大きな花束に添えられた一枚のカード。

 差出人の名前はなくても、すぐに分かった。

 クリムゾン・グローリーはこれひとつだけだから。

 ……ずいぶん奮発したんだな。

 潰してしまわないよう、そっと花束を両手で抱えあげた。

 

 どこにいるんだよ、真白。

 結構、頑張っただろう?

 お前に聴かせたい一心で、格好悪いくらい必死に練習したんだぜ。


 ボタンを留める手間も苛立たしいほど急いで着替え、控え室を飛び出す。

 大泣きしたんだとひと目で分かるくちゃくちゃの顔で、真白はホールに佇んでいた。

 俺と目があった瞬間、真白の唇がへの字に曲がる。

 苦しげな表情のまま、それでも彼女は懸命に笑おうと口角をあげた。


 

 あの日から、真白は変わってしまった。

 開けっぴろげな笑みは消え、周りの人間に対しいつもどこか後ろめたそうな表情を浮かべている。

 蒼もすぐに彼女の変化に気づき、俺を問いつめてきたが、本当に何も知らされていないのだと納得したらしい。


 「いいのか、紅」


 哀れみを多分に含んだ蒼の口調に、自分が情けなくなる。

 仕方ない、と肩をすくめてみせるのが精一杯だった。

 もっと追求してくるかと思ったが、蒼はただ深いため息をついただけ。

 こんなヤツ相手に退くんじゃなかった、と後悔しているのかもしれない。それでも俺は真白を離せない。自分でもおぞましいほどの執着にも、蒼は気づいているのだろうか。

 

 何かがあったのだ。

 そしてそれは、紺と前世絡みの何か。

 そこまでは分かったものの、そこから先は何も掴めない。


 真白が俺に打ち明けないと決めてしまっている以上、追求しても無駄だ。

 以前それで痛い目にあったことを思い出し、ぐっと拳を握り締めた。

 

 二度は耐えられない。

 少なくとも彼女は隣にいてくれている。

 それで満足するべきなんだ、と何度も自分に言い聞かせて。



 誰よりも大切な人が迷い悩んでいるというのに、手も足も出せないままいたずらに月日は流れていき、またひとつ俺は年を重ねようとしている。


 真白の憔悴は、軽くなるばかりかますます深まっているようにみえた。

 あれで自分では隠せているつもりなんだから可愛いもんだ。

 やけにはしゃいでみせたり、甘えてきたり。寂しそうに俺を遠巻きに眺めたり、突然夜中電話をかけてきたり。

 今にも泣き出しそうな顔で「急に私がいなくなったらどうするか」と尋ねてきた時には、危うく彼女をめちゃくちゃにしてしまうところだった。


 お前が無理して笑うたび、もどかしさでおかしくなりそうだなんて、夢にも思ってないんだね。

 気づかせないよう俺だって努力してるんだから、責めることは出来ないけどな。

 まるで騙し合いだ。


 俺からお前を奪おうとしてるものは、一体何なの。

 いつまで俺はお前相手に、虚勢を張り続ければいい。


 ピンと張り詰めた糸が今にも切れそうになっていたところに、救いの手は差し伸べられた。


 

 「――俺の誕生日?」

 「うん。今年は手作り関係は無理かもしれないけど……あ、でも紅が欲しいなら頑張るから。遠慮せずにリクエストしちゃって!」


 秋休みのうち、予定の入っていない日は極力俺と過ごすようにしてくれたことも知ってるし、特別実習と年末のコンサートの準備に追われ、睡眠時間が削られてることも分かってる。

 それでも我が儘を言ってみたくなり、俺はゆっくりと口を開いた。


 「どこか景色の綺麗な場所へのんびりしに行きたいな。彼女お手製のランチボックスを持って」


 行けるはずがないことは百も承知だ。

 ごめんね、と申し訳なさそうに眉尻を下げて断ってくるはず。

 そしたら俺も「しょうがないな」といつものように笑えばいい。


 ところが真白は大きく目を見開き、「そんなことでいいの?」と呟いた。


 「無理しなくていいよ。寮に自炊設備はないし、本当に作ろうと思ったら一回家に帰らなくちゃいけないだろう? 遠出したら一泊になるかもしれない。そんな暇があったら、ピアノを練習したいんじゃない?」

 「そんなことより、紅の方が大事だよ」


 嘘だ。

 そう叫んで、思いっきりなじったらどうなるだろう。

 俺とお前を隔てているものの正体を、今度こそ教えてくれるだろうか。

 結末をうっすら想像し、やはり無理だと思い直す。

 

 真白が傷つくくらいなら、俺が血を流した方がマシだ。


 


 ところが彼女は、俺のリクエストをしっかり叶えてくれた。

 水沢に連絡を取り、相談を持ちかけたらしい。

 ご両親には何と言って出てきたのかと問いただせば、「紺ちゃんと旅行に行く」と告げたと恥ずかしそうに教えてくれる。

 水沢の運転する車の後部座席でぴったりと身を寄せてきた真白は、何かを決意したかのような静かな目をしていた。

 

 ――別れを告げられるのかもしれない。

 

 最後の旅行のつもりで、こんな思い切ったことをしたのではないか。

 目の前が真っ暗になる。

 一度疑ってしまえばいかにもありそうで、俺は平然とした表情を取り繕うのに全神経を尖らせる羽目になった。


 見事な紅葉が見渡せる高台まで、真白はニコニコ笑いながら俺の手を引っ張っていった。

 ブランケットの端と端を持って、せーの、で大きく広げる。

 突然吹いた強い風にそれを飛ばされそうになり、真白はうわあ! と悲鳴をあげた。


 「びっくりした~。良かった、紅がちゃんと持っててくれて」


 楽しげな表情で「じゃあ、もう一回。せーの!」と掛け声をかけ、地面にしゃがみこむ。今度はうまく広がってくれた。真白は靴を脱ぎ、柔らかなブランケットの上に座り込むと「ではでは、披露させていただきます」とおどけた。


 夢のような時間だった。

 真白が心から笑っていたから。

 

 何時に起きて作ったんだろう、豪勢な手作りのランチボックスにお世辞ではない感嘆の声をあげてしまう。


 「なかなかスゴイでしょ? 週末のたびに家に戻って練習したんだよ。紅から何かを望むなんて滅多にないから、張り切ってしまいました」


 えへへ、とはにかむ彼女に、気づけば俺の視界は涙で曇っていた。

 ポタポタと透明な雫が、膝の上に落ちる。

 情けないとか格好悪いとか、自制する暇もなかった。


 物心ついて以来、誰かの前で泣いたのはこれが二回目で、そういえば一回目もこいつの前だったな。


 俺には無理だ。

 無理なんだよ。


 お前を知らなかった頃には、もう戻れない。


 

 真白はびっくりしたように俺をぽかんと見つめ、それからうわあん、と子供のような声を上げた。

 ボロボロと涙をこぼしながら、天を仰いで真白は叫んだ。


 「ごめんなさい。無理です。私には無理です。花ちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい」


 言葉の意味は全く分からなかった。

 どうしてそこで花香さんに謝るのだろう。

 

 驚きすぎたせいだろう、ありがたいことに俺の涙はピタリと止まった。

 真白は号泣しすぎたせいで吐きそうになっている。

 せっかくの手作り弁当は、結局水沢がメインで食べた。


 分かったのは、どうやら真白は俺を捨てないことに決めたらしい、ということ。


 

 そして夜。

 すっかりしょげかえった真白は、雛鳥のように俺から離れたがらなかった。

 こんな風に無防備な彼女を目にするのは初めてで、激しい庇護欲と恋情が俺を揺さぶってくる。

 

 「紅さま。万が一何かあれば、私は腹を切って真白さまのご両親に詫びねばなりません。よろしいですね?」


 真剣すぎるくらい真剣な水沢に迫られ、俺は頷くしかなかった。

 あれは本気だ。あの目はやばい。


 ソファーで俺にくっついたまま眠ってしまった真白を抱え、ツインベッドの片方に横たわる。

 狭くて落ちてしまいそうだから。

 心の中で言い訳しながら抱きしめ直すと、苦しかったのか真白が顔をしかめた。

 泣き腫らしたせいでとんでもない顔になっているが、それさえ愛しくてたまらない。


 開け放たれた扉の向こうの続き部屋に水沢がいて、良かったのか悪かったのか。


 鼻先に触れるだけの小さなキスを落としてみる。

 途端、真白の頬がふわり、と緩んだ。

 ああ。この上もなく、幸せだ。


 彼女がこの日、何を捨てたのか。

 俺は最後まで分からないままだった。



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