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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
142/161

秋休み旅行裏話~上代 慎視点~

 非常識なくらい豪華なサロンカーに押し込まれ、あれよあれよという間に始まった秋休み旅行。

 イタリアモダンファニチャーの代名詞と名高い高級ブランドのソファー。毛足の長い絨毯が敷き詰められた通路。シャンデリアもそこらの玩具じゃない。

 庶民代表の看板しょってる島尾が、どうしてそんなに平然としてられるのか分からなかったが、きっとこの車にいくら注ぎ込まれてるか気づいてないんだろう、という結論に達した。興味のないことには全く関心を示さない。半年ちょっとの付き合いだが、そのくらいのことは分かってる。


 栞の実家は関西では有名な家具メーカーだ。小さい頃から一流品に取り囲まれて育ってきた栞は、すばやく別荘に置いてある調度品に目を走らせ「いくら娘の為とはいうても、こんな別荘ポンと立てるやなんて美坂の名前は伊達やないな」と呟いた。激しく同意だ。

 土地と箱もんだけでもいくらになるやら。関西人の悲しいさがでつい金勘定に走ってしまう。

 

 島尾は、別荘に案内された後すぐに音楽室を見に行きたいと言い出した。一応、俺も覗いてみることにする。

 彼女は臆することなく磨き上げられたスタインウェイに近づき、立ったまま鍵盤に右手を乗せた。

 何をするのかと見守っていると、おもむろに和音を叩き、残響に耳を澄ませはじめる。ドミソ。ミソド。ソドミ。ピアノ・ピアニッシモからフォルテ・フォルティッシモまで、強弱を変えながら執拗に和音を崩したアルペジオを弾き鳴らし、島尾はようやく満足げな微笑みを浮かべた。


 「輪郭がくっきりしてる。いい子だね」


 まるでピアノが生きてるみたいな言い方に驚いてしまった。俺とは聴こえてるものが違うのだろうか。


 「上代くんも触ってみる?」

 「俺は後でええわ。調律完璧なんは、今ので分かったし」


 普段は暢気に笑ってることが多い島尾が、大変な努力家なのは周知の事実。ピアノも勉強も、彼女の辞書に「手抜き」って言葉は載ってないんじゃないかと疑うことがしばしばだ。

 だけどそれだけじゃない。

 ピアノに向かう時の島尾は、いつもと雰囲気がガラリと変わる。まるで獰猛な肉食獣のようでもあるし、直視するのも眩しいミューズのようでもある。スタインウェイの音色を確かめていた時の島尾は、保母さんみたいだった。

 学院のアイドルと呼ばれ城山と女子の人気を二分してる成田が、島尾に落ちたのもよく分かる。「釣り合ってない」なんていう陰口は全くの的外れだ。むしろ成田の方が、必死に島尾を追ってる気がする。


 そういう俺も、サディア・フランチェスカコンクールの二次予選で島尾を見たとき、「運命の相手なんじゃないか」って勘違いしそうになったもんな。

 彼女の奏でた「亡き王女の為のパヴァーヌ」はそれくらいヤバい代物だった。

 切ないまでに訴えかけてくる静かな愛情は、もしかして自分に向けられたものなんじゃないかって。聴き手に勘違いさせてしまうような、そんな吸引力が島尾の演奏にはある。きっとそれが、彼女の持つ力の秘密だ。



◇◇◇◇◇◇◇



 「――ねえ。なんで日記だと標準語なの?」

 「うわああああ! ちょ、なんで読むん!?」

 「こんなところに広げて置いてるから、読んで欲しいのかと思って」

 「んなわけあるかい!」

 

 人がちょっとトイレに行ってる隙に、メモ帳を城山に読まれてしまった。急に催したので、そういえば片付けるのを忘れてた。リビングのテーブルに置きっぱなしだった俺が悪い。悪いけどっ。


 「自分用のメモに会話文形式とか、上代って変わってる。あ。あと真白をストーキングするのは止めて。回想も気持ち悪い」

 「してへんわっ! それに自分にだけは言われたないなあ、城山くんよ。胸に手え当ててよう考えてみ?」

 「俺は大事な家族を見守ってるだけ」

 「その思い込みがまず怖いです。現実みよ。な」




◇◇◇◇◇◇◇


 

 その後、成田が島尾を無理やり押し倒そうとして盛大な悲鳴を上げられたよ事件が勃発した。女子たちに散々説教された成田が、珍しくぐったりした様子で三階の踊り場部分にやってくる。

 ちなみに二階を女の子たちが、三階を俺らと水沢さんが使うことになった。だだっ広い踊り場にはソファーセットが置いてあり、ちょっとした憩いスペースになっている。


 「誤解って、結局なんだったわけ?」


 ソファーに座り、文庫本を読んでいた城山が目をあげる。だいたい読書するなら自分の部屋ですればいいのに、わざわざ共同スペースに出てきてる所がツンデレたる所以だろう。


 「真白は本気で照れてるんだから、からかうなよ」


 そう前置きして成田が話したテディベア抱きしめ&話しかけ事案に、城山はプッと噴き出した。


 「なにそれ。そんなことで悲鳴あげるなんて、相変わらず可愛い」

 「だろ?」


 以前の成田なら、城山の「可愛い」発言をそんなに軽く流したりはしなかった。

 学内コンクールの後くらいから、明らかに変わってる。前にはなかった余裕があるというか何というか。まさかとは思うけど、すでに彼女と男女の一線を超えた、とか? うっわー。身近なところでそういう生々しいの嫌やな……。


 「いたっ! 急になにすんねん!」

 「よからぬことを考えてる顔だったから、つい」

 「つい、で叩くなや!」


 成田にいきなり頭を叩かれ、涙目になってしまう。

 けど、まあちょっと。ちょびっとだけ想像してもうたから、それ以上は俺も何も言えなかった。

 

 「それにしても、成田はええなあ。彼女おって」


 話を変えようと思ったけど、急に全然別の話題にするのも不自然だったので、とりあえず羨ましがっておく。男というのは総じて見栄っぱりだ。同性から素直に賞賛されて悪い気はしないはず。


 「上代だって作ればいいだろ。もてないわけじゃないの、知ってるぜ?」


 ところが相手は一枚も二枚も上で。

 ゆったりとソファーに凭れながら長い脚を組み、艶然とした微笑みつきの流し目を寄越しやがりました。男の俺でも一瞬くらっとくるんだから、これはファンクラブの子が可哀想だ。成田はもっと自分の特性を自覚してコントロールした方がいい。


 「あー、うん。そやけど俺は、自分から好きにならな嫌やねん」

 「それ分かる。あとうるさく言われるの、面倒だよな」


 城山くん、ごめん。面倒なほどはモテたことないわ……。


 そこから何故か2人は目配せしあい『皆川とはどうなってるのか』と質問してきた。正直、そんな話をされるとは思ってなかったのでキョトンとしてしまう。


 「なんや、急に。なんでそんなこと聞くん?」


 栞は隣の家の子。それも、まだ歩かんうちから一緒にいたという筋金入りの幼馴染だ。親同士も仲がいいので、何かというと俺たちを一纏めにしたがる。それがうっとおしい時期もあったけど、知り合いのいない青鸞にやってきてからはあんまり気にならなくなったって感じだろうか。


 「真白が知りたがってたから」


 2人の声がユニゾンで響く。

 島尾を中心にして、こいつらは綺麗な輪を完成させてるんだろう。油断するとすぐ、俺と栞が閉じた世界に入ってしまうのと同じだ。


 「うーん。改めて聞かれると困ってまうな。おもろいヤツやとは思う」

 「じゃあ、俺が皆川と付き合っても平気なんだ」


 城山の台詞に、目玉が飛び出るかと思った。


 「はあ!? お前みたいなのは絶対あかん! 婚約者持ちのくせに未練がましくよその女を想い続けてるアホは面倒すぎるし、栞には向いてへん」

 「じゃあ、婚約を正式に解消して真白とも距離を置けば、皆川を俺のものにしてもいいんだな?」

 

 後になって冷静に考えたら、思いっきり引っ掛けられてるって分かりそうなものなのに、その時はただ頭に血が昇ってカッとしてしまった。


 「っざけんな。――ええか。栞に適当な真似してみい。絶対に俺はお前を許さへんからな」


 ソファーを揺らし立ち上がった俺を見て、成田が溜息をつく。


 「蒼。やりすぎ」

 「悪い。けど、今ので分かっただろ?」


 城山は瞳に不思議な色を浮かべ、じっと俺に視線を当てた。


 「そんなに大事なら、自分に言い訳してないでさっさと気持ちを伝えろ。じゃないと、後から泣く羽目になるよ」

 「――なんや、それ」


 さっきまでの激情はスコンとどこかに抜け、盛大に脱力してソファーに倒れ込んでしまう。


 「悪趣味やわ、自分」

 「だからゴメンって。付き合ってないとか言いながら所かまわずイチャついててさ。なんかイラっときたんだよ」


 それが謝罪する態度か! 

 あとな。そんな台詞は、お前の右斜め前でスカした態度取ってる赤い髪のイケメンに言えや!

 突っ込みたかったけど、気力は残っていなかった。

 

 栞のことは深く考えないようにしていた。あいつは今まで通り、ずっと隣で笑ってるものだと思い込んでいた。踏み込まなければ、壊れようがないとも。

 城山に指摘され、初めて栞に男が出来た場合をリアルに想像した。あかん、そんなんあかん。栞を触っていいのも、泣かしていいのも俺だけや。

 あまりに自分勝手な思考回路に今更ながら気づいて、めちゃくちゃ気分が悪くなった。


 「――そやかて、幼馴染の関係まで崩れてまうかもしらんのやで? 普通に怖いやろ。今のままでも俺は満足しとるのに」

 「お前はそれでいいのかもな。皆川も同じ気持ちかどうかは分からないけど」

 「蒼。それくらいにしといたら」


 よっぽど気に入ったんだな、と意味不明な言葉を呟き、成田は俺と城山を見比べ笑った。

 余裕たっぷりの笑顔が急に憎らしくなり、足を蹴ってやろうとしたが避けられた。




 旅行に来たおかげで、成田や城山との距離はグッと縮まった気がする。

 あーだこーだと下らない話をしてるうちに、「こいつらも普通の男子高校生なんやな」となれば言うことなしだったのに、呼吸するレベルでカッコつけなのは標準装備らしく、クールなところは相変わらずだった。

 最終日の午前中。

 せっかくだからアンサンブルしたいな、と島尾が言い出した時も、この2人だけがサラリと「いいよ」と答えた。どんな曲でも合わせるから安心して、と言わんばかりの彼らの自信に、島尾の顔が嬉しそうにほころぶ。けっ。めちゃくちゃ難しいやつ言うたれ。


 「私はパス。真白の完璧主義がまた発動したら困るもの」

 「うちも聴く方に回りたいなあ」


 早々に美坂と栞は戦線を離脱した。

 じゃあ、と島尾は視線を巡らせ、今度は俺をキラキラした瞳で見つめてくる。え。嫌な予感……。


 「上代くんは? せっかくピアノも二台あるし、モーツァルトのソナタやらない?」

 「ふあっ!?」


 難しいヤツ、こっちにきた! 

 2台のピアノのためのソナタニ長調 第一楽章っすか。超有名な連弾曲だから、楽譜さえあれば弾けないことはないけど、相手の音をしっかり聴いてピッタリ合わせるのにはかなりの技術がいる。しかも相手はモンスタークラスだ。


 「いやあ。流石に今すぐここでっていうのは、無理やな」

 「そっかー、残念!」


 しょんぼり肩を落とした島尾を見て、馬鹿2人が俺を睨んできた。『さっさと弾けよ、このグズが』って感じの氷の視線を必死にかわす。

 仲良くなったせいで遠慮だけなくなるとか、なんなん。もうイヤや。誰か助けて。


 「私と一緒に弾く?」


 それまで黙っていた玄田が、おもむろに口を開いた。天使が! 天使がここにいましたよ!


 「いいの!? 嬉しいっ!」


 島尾は満面の笑みを浮かべ、いそいそとピアノの前に陣取った。優雅な足取りで玄田も向かい合わせのピアノへ歩み寄り、背筋を伸ばして椅子に腰を下ろす。


 「まさか、暗譜してるの?」

 「……ほんま、あの子ら怖いわ」


 美坂と栞のひそひそ声に、俺も内心激しく同意した。


 「準備おっけー?」

 「いいわよ」


 朗らかな応酬のあと二人は同時に息を吸い込み、鍵盤に指を落とした。

 空恐ろしいほどのシンクロ率に、鳥肌が立つ。難所と呼ばれる部分も、二人は幸せそうな顔で軽やかに奏でた。そんな難しくないんじゃないか、と錯覚してしまうほどだ。強弱さえも完璧に調和させた彼女たちは、ただの一音も外さなかった。

 何ヶ月か呼吸を合わせる練習をしたとしても、ここまで合うものだろうか。


 鼻がツンとする。

 悔しい。だけど、うまくいえないけど、それだけじゃない。

 美しい世界に向かって生きる喜びを歌うような彼女たちの演奏に、心が震えた。

 


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