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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
140/161

32.小旅行(前編)

 「楽しんできてね」

 「みんなによろしくねー」


 母さんとお姉ちゃんに見送られ、玄関を出る。

 買ってもらったばかりのショートジャケットを羽織り、スニーカーに足を突っ込んだ。歩きやすい靴で来てね、と美登里ちゃんからメールを貰ったので、お気に入りのブーツは今回はお留守番。


 「うん、ありがと。いってきます!」


 手を振った私に、花香お姉ちゃんは悪戯めいた眼差しを投げてきた。


 「よそでもぐっすり眠れるように、おまじないかけといたから」

 「真白、そろそろ出ないと待たせてしまうぞ」


 どういう意味が問い返そうとしたんだけど、外から父さんの声がしたので慌てて踵を返した。

 家の前の道は狭いから入れない、という水沢さんからの連絡を受け、少し離れた幹線道路まで出て行くことになっている。


 よく晴れた空には、ほとんど雲がない。日焼け止めをしっかり塗ってきて良かった。


 「いつも本当にお世話をかけます」

 「いいえ、とんでもない。真白さまが参加されることを聞き、主人も大変喜んでおりました。大切なお嬢さまを責任を持ってお預かり致します」


 自分で持つといったのに旅行バッグは父さんが手にしている。それを水沢さんに預けながら、父さんはしきりに恐縮していた。

 長時間運転するからだろう、水沢さんは濃いカーキのチノパンに七分袖のパーカーといういつになくカジュアルな格好をしてます。若々しく見えるのは、格好のせいだけじゃなくて髪を固めてないからだ。前髪を下ろしたレア水沢さんも気になるけど、それよりもっと凄いものが目の前に止まってる。

 これ……バスだよね?


 「サロンカーでございますよ」


 私の頭の中を覗いたようなタイミングで、水沢さんがにっこりと微笑んだ。


 「サ、サロンカーですか」

 「ええ。小型ですが皆様の人数ならちょうどいいかと。さあ、どうぞ」


 中は驚く程広かった。特注なのかカスタマイズしているのか、ゆったりとした応接間のような空間に、しばし呆然としてしまう。


 「おはよ、真白」「おはよう、真白ちゃん」


 すでに全員揃ってました。

 美登里ちゃんと紺ちゃん、そして蒼は自分の家のようにリラックスしてるけど、上代くんと栞ちゃんの顔には「なんや、この車」と書いてあってホッとしてしまった。ですよねー。


 「おはよう、ましろ。今日の格好もすごく可愛いよ」


 紅はサラリとそんな褒め言葉を口にし、すれ違いざま私の頭をぽんと叩くと、父さんに挨拶をしに車を降りていく。慌てて窓にくっついて外を見下ろした。父さんはニコニコ笑いながら紅と話している。

 あれ? いつの間にあんなに仲良くなったんだろう。

 ガラスにおでこをくっつけて2人を凝視してしまった私を、みんながクスクス笑ってきた。


 

 動き出したサロンカーから父さんに手を振る。紺ちゃんたちも身を乗り出し、結局全員で手を振ってしまいました。父さんは満面の笑みで応えてくれた。

 ジェントル教育をしっかり施されてる男性陣は、さりげなく進行方向とは逆向きの席に陣取る。私たちは4人並んでゆったりとした座席に腰を下ろした。テーブルの上にはティーセット。もはや私の知っているバス旅行ではない。

 

 「この車は成田んちのなん?」

 「ああ。運転するならよその家の車よりこっちがいいって水沢が」

 「そ、そうなんや。えらい豪華なバスが寮前に止まっとるからびっくりしてもうたわ」


 上代くんは居心地が悪そうに、さっきからおしぼりで手のひらを拭い続けている。ふやけちゃわないか心配だ。車も運転手もうちで手配したのに、と美登里ちゃんは水沢さんを気の毒がっている。


 「でも別荘には泊めたくないんだろ? その運転手はどうするんだよ」

 「トンボ帰りして、また迎えにくればいいじゃない」


 蒼のもっともな疑問に即答した美登里ちゃんは、そのまま蒼からデコピンをくらった。


 「いたっ。何よ!」

 「何時間も運転して連れて行ってくれる人なのに、当たり前みたいに言うな」

 「今のは美登里ちゃんが悪いわよ」


 紺ちゃんにまでたしなめられ、美登里ちゃんは救いを求めるように私を見てくる。


 「運転手さんが気の毒です」

 「ほらな?」


 私の返答にすかさず蒼が便乗したので美登里ちゃんはむきになってしまった。

 「マシロに言われたら悪かったかな、って素直に思えるけどソウに言われるのは腹立つの!」と言い返している。いつものように始まった2人の言い合いに、ぷっと栞ちゃんが噴き出す。


 「あはは。簡単に行く言うたけど、ほんまに来て良かったんかなって不安になってた自分がアホみたいや」

 「どうして不安になんてなるのよ」


 不満げな美登里ちゃんを紅が苦笑と共になだめる。


 「上代たちは公共機関を使って行くと思ってたんじゃないかな。美坂がきちんと説明しないまま段取りを進めるから、驚いて腰が引けたんだろう」

 「そう、それ!」


 ようやくおしぼりを手放し、ホッとしたように上代くんが声をあげる。


 「うちも裕福な方やと思ってたけど、やっぱほんまもんのセレブはちゃうんやなあ。俺ら場違いちゃうかなって思っとったところや」

 「……慣れだよ、上代くん」


 私のため息混じりの言葉に、上代くんは気圧されたように「お、おう」と答え、それがまたみんなの笑いを誘った。



 途中何度かサービスエリアで休憩を取った。

 その度に、行き交う人たちがぎょっとしたような顔で二度見してくる。飛び抜けたルックスを誇る紅たちが固まってると、それはもう迫力なんだよね。学院にいる間はあまり気にならなくなってきたけど、こうして外の世界に出るとやっぱり思い知らされる。彼らは別格なんだって。


 「新鮮だわ、こういうの! ねえ、あれは何かしら」


 瞳を輝かせながら屋台に突撃しようとする美登里ちゃんを、蒼が慌てて追いかけた。ほうっておくと誰が食べるんだ、という程の量を買おうとするんです。


 「だって一つ一つが安過ぎるんだもの。沢山買ってあげないと、お店がやっていけないじゃない」

 「珍しく自分の財布を持たされたからって、はしゃぎ過ぎ」

 「い、いいでしょ!」


 蒼がお守役のように美登里ちゃんを監視している。あの分なら、大丈夫かな。


 「ねえ、私たちも行きましょうよ」


 紺ちゃんがわくわくした表情で私を誘ってきた。

 上代くんと栞ちゃんはどうしたのかな、と視線を巡らせれば、お土産コーナーを物珍しげに見回ってるみたい。棚の商品を眺めてた彼らは、何か面白いものを発見したのかお互いの肩を突き合いながら笑ってる。傍からみたら恋人同士にしか見えないのに、あれで付き合ってないんだもんなあ。


 「いいよ、どこ行こっか。紺ちゃん、見たいものあるの?」

 「お土産は帰りに買おうと思ってるから特にないんだけど、座りっぱなしは疲れるわよね。その辺をぶらぶらしてみない? ずいぶん山の方に来たから空気も綺麗だし」


 私の手を取ろうとした紺ちゃんを遮るように前に立ち、紅が溜息をつく。


 「こーん。少しは遠慮しろ」

 「そんなあからさまに邪魔者扱いしなくったっていいじゃない。紅の意地悪」


 紺ちゃんは頬を膨らませ、紅を押しのけようとしています。ああ、もうっ。この間から、こんな調子なんだけど、一体どうなってるんですか。あと、紺ちゃんの『意地悪』に喀血しそう。上目遣いとか勘弁してください。

 私は心の中で可愛い! を連発しながら、紅のすぐ隣に並んだ。


 「じゃあさ、3人で展望台に行ってみようよ。大好きな妹と彼女に挟まれて両手に花の方が、紅もいいでしょ?」

 「大好きな、はお前につく言葉だよ。……はいはい。分かったから、そんなに睨むなって」

 「それなら私が真ん中がいいな。ましろちゃんと紅を独占出来るもの」

 「却下。ほら、膨れてないで、おいで紺」


 前世のことも何もかも全部、私たちに打ち明けてからというもの、明らかに紺ちゃんは変わった。

 今まで無理して大人びた振る舞いをしていたのかな? って心配になるくらい、感情をあらわにするようになっている。そんな妹の変化を紅が見逃すはずもなく、なんだかんだ言いながら紅も紺ちゃんをからかうのを楽しんでる節があった。

 私が紅の左腕に手をかけると、紺ちゃんもにっこり微笑み紅の右腕を取った。


 「では参りましょうか、お姫様方」

 「仕方ないからエスコートを許してあげるわ」

 「ええ、そうね」


 おどけて仰々しい言い方をした紅に、私と紺ちゃんも便乗してお嬢様然とした口調で返す。

 3人でくすくす笑いながら、秋の気持ちいい風を受け、展望台から初めての街並みを見下ろした。


 


◇◇◇◇◇◇



 水沢さんの素晴らしい運転技術のおかげで、誰ひとり車酔いすることもなくようやく目的地に到着。

 出発してから3時間半くらい経ったかな。あたりの景色は自然いっぱいの森林に変わっていた。全く疲れをみせない水沢さんが、てきぱきと全員分の荷物を降ろしているところへ、別荘の管理人さんを務めているという方が出迎えにやってきた。


 「美登里さま。ご無沙汰しております」

 「まあまあ、すっかり大きくなられて」


 見るからに人の良さそうな初老の御夫妻が、美登里ちゃんを見て顔を綻ばせる。嬉しそうなその声に、みてるこっちまでほんわか温かな気持ちになった。


 「久しぶりね、じいや、ばあや。少しの間だけどお世話になるわ」


 聞きましたか、皆さん! リアルじいや&ばあやを頂きましたよ!

 演劇界のサラブレッドしか言わない言葉だと思っていたので、感激もひとしおだった。両手を揉み絞って感動に打ち震えている私を紅が呆れたように見下ろしてくる。


 「……じいや、ばあや呼びに反応してる、とかじゃないよね」

 「紅」

 「なに?」

 「大好き」

 「……嬉しいけど、微妙」


 私のことをきちんと把握してくれてるんだなって、そのことにも感激しちゃったのに、なんで微妙!?

 佐藤さんという名の管理人さん御夫妻は、私たちのことも心から歓迎してくれた。せっかく立派な別荘を建ててもらったというのに、美登里ちゃんがここに友人を連れてくるのは初めてのことらしい。


 「時々はのぼるさまもご一緒でしたが、大抵は一人でやってきて一日中フルートを奏でておいででした。小さな背中をピンと伸ばして、いつも周りに苛立っておいでで」

 「ばあや! 余計なことは言っちゃだめっ」


 想像していたよりうんと豪華な別荘に案内され、私達はさっそく30畳以上はあるリビングで照子てるこさんにもてなされた。お手製のハーブティーとたっぷりのクロテッドクリーム付きのスコーン。どっしりした立派なソファーにちょこんと腰掛け、照子さんの思い出話に相槌を打つ。

 盛大に恥ずかしがる美登里ちゃんは新鮮で、蒼までくつくつ笑っていた。


 そしてやっぱりありましたよ、暖炉! 

 もちろんまだ火は入ってないけどすっごく大きな暖炉で、これなら絵本に出てくるような体格のいいサンタクロースだって余裕で降りてこられるな、と感心してしまった。

 中央の大屋根が特徴的な総二階建ての瀟洒な建物は、別荘という言葉には収まってない気がする。迎賓館です、って案内されても「はあ、そうですか」って納得しちゃうよ。

 重厚なホール階段はゆったりした螺旋状になっている。一人ずつに与えられた部屋の内装もアンティーク調でまとめられていて、私はしばし見入ってしまった。


 「シャワールームは各部屋についてるけど、大浴場もあるから男女で時間を分けて入ることにすればいいわよね」

 「大浴場!?」


 私と栞ちゃんの声がシンクロする。

 個人の為に建てられた別荘に、どうしてそんなものが必要なんでしょうか。誰か教えて下さい。


 「俺はシャワーでいいよ」


 蒼が答えると、紅も上代くんもそれに賛同する。


 「なによ。日本人ならこういう時は裸の付き合いをするものでしょ?」


 美登里ちゃんは海外生活が長かったせいか、どこか日本に夢見がちな部分がある。修学旅行でもないのにみんなでお風呂って、普通に気恥ずかしいと思います。


 「えっと、私も」


 恐る恐る手をあげようとしたんだけど、美登里ちゃんがとっても残念そうな色を瞳に浮かべ、じっと私を見つめてきたので、そっと挙げかけた手を下ろす羽目になった。うるうるした瞳と上目づかいの強力コンボは卑怯だよ。


 「まあ、たまにはええやんか。温泉気分が味わえて楽しそうやし」

 「そうね。背中の流しっこもしましょうか」


 栞ちゃんも紺ちゃんも何故か乗り気だ。


 「背中の流しっこ……」


 何故か耳まで赤くして呟いた上代くんは、紅に肩パンされていた。呻いて肩を押さえてるところを見ると、かなり強いパンチだったみたい。ピアニストの肩を叩くなんて、絶対だめだよ。紅の手だってヴァイオリンを弾く大切な手なのに、何しちゃってんの!


 「紅っ!!」

 「いや、ごめん。俺があかんねん。そやけど、しょうないやろ、成田!」

 「無理。一ミリの想像も許さないから」

 「ええ~」


 しょぼんと項垂れる上代くんに、蒼はやれやれと首を振っていた。男の子も大変だ。


 


 晩ご飯まで、各自自分の部屋で休憩することになった。

 さっそく旅行バッグのファスナーを開ける。よれないうちに、プレゼントを紺ちゃんに渡さなくっちゃ。ところが私が真っ先に見つけたのは、部屋に置いてきたはずのべっちんだった。

 ぎゅむっとお辞儀する格好で二つ折になったべっちんが、ファスナーをひっぱった瞬間にぴょこんと顔をのぞかせる。つぶらな黒い瞳とばっちり目が合い、私はお姉ちゃんの言葉を意味をようやく知ることになった。


 もうっ! 確かに大事なぬいぐるみだけど、旅行先に持ってくるほど子供じゃありません!


 着替え一式をクローゼットにしまい、空っぽになったバッグにべっちんをしまっておこう、と手を伸ばす。うう……やっぱりそれは可哀想。

 

 「こんなところまでついてくるなんて、べっちんは悪い子!」


 胸にひしっとかき抱き、小芝居をしちゃってたそのタイミングで、スーッとした空気が背中を撫でた。


 ――あ、そういえば部屋のドア、開けっ放しだったわ。


 すぐ後ろからコンコン、とノックの音がする。

 ぎしぎしと油のきしむような首の動きでゆっくり振り返ると、そこには紅が扉にもたれかかるように立っていた。

 わざとらしく右手を掲げ、「ノックはしたんだけど」なんて言う。キラキラしたその目、一部始終を見てたんですね。そうなんですね!

 

 「やだああああ!!」


 高校生にもなってテディベアに名前つけてしかも抱きしめて話しかけてるの、よりにもよって紅に見られちゃった!

 思わず大きな声で悲鳴をあげてしまう。


 慌てた紅が私に駆け寄り、悲鳴を止めようと口を塞いできたのと、紺ちゃんたちが何事かと駆けつけてきたのはほぼ同時でした。


 「兄様。ちょっとよろしくて?」

 「うん、これはアカンな」

 「コウってば、襲うならせめて夜まで待ちなさいよ」


 ちょっと待て。最後のやつだけ何か違う。


 「はあ!? 違うから。誤解だから!」


 林先生のガン見にも平然としていたあの紅が、しどろもどろになって弁解しようとしている。


 「ましろがあんまり可愛かったから」

 「やめて、言わないでっ」


 べっちんとのやり取りを暴露されそうになり、私はあまりの恥ずかしさに「ばかばか!」と繰り返し紅とみんなを部屋の外に追い出した。


 「しばらく一人にして!」


 大声で言い放ち、バタンと扉を閉める。

 はた、と我に返ってみれば、くったりしたべっちんが右腕にすっぽり抱かれたままではないですか。ああ、もうどうしてくれよう。お姉ちゃんってば!

 べっちんをそっと枕元に置き、私はそのままうつぶせにベッドに倒れ込んだ。


 どうか、紅の記憶から今の出来事だけ綺麗さっぱり消去してください!



「ましろがあんまり可愛かったから、……何なの?」

「やめて、言わないで、……って自分なにしたん?」

「とりあえず、誤解だから。蒼、落ち着け」


とかなんとか。

男連中にも責められてる紅だと楽しいです。



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