30.初めての秋休み
紅への秘密もなくなり、紺ちゃんの転生理由も分かってスッキリした私だったけど、何もかもがそう上手くいくはずもなく、しばらく学院での居心地は悪かった。
学内コンクールを土壇場で欠場してしまったのだから仕方ない。
「奨学生なのに、ねえ?」
「プレッシャーは分かるけどさ」
「ほんとに誰かに閉じ込められたのかな。っていうか、そもそもなんで準備室へ?」
「自演だったりしてね」
幸い、同じ授業を選択してる子達や寮仲間が味方についてくれたので、噂がどこまでも広がるような事態にはならずに済んだ。それでも、露草館でお昼ご飯食べてる時とかね。聞こえてきちゃうわけですよ。
一緒に食べてる皆に悪いな~と思いながら、私は溜息を噛み殺した。
欠場のいきさつ全部を知ってる紅や紺ちゃんは、ただでさえ私を守ろうと必死になってる。
これ以上2人には、どんな負担もかけたくないのに。
「心配しないでよ。欠場しちゃったのは本当のことだし、人の噂も75日っていうじゃない」
紺ちゃんが消えてしまうかもしれなかった未来に比べればこんなの、どうってことないもんね。
「75日って二ヶ月ちょいあるんやで? 普通にうっとおしいやろ! わざと聞こえるように陰口いう奴、ほんまにムカつくわ」
正義感の強い栞ちゃんはプリプリ怒っていて、それを上代くんが「まあまあ。こういうのはスルーが一番や。島尾の為にも、つっかかっていったらアカン」と宥めている。
蒼も私にまた危害を加える人が出てくるんじゃないか、と神経を尖らせていた。どこにいくにも、紅か蒼が護衛のようにくっついてくるので、かなり恥ずかしい。
「ましろ、どこ行くの?」
「……お手洗い」
「紅はまだ選択授業から戻ってきてないのか。俺も行く」
「…………」
って感じなんです。
女子トイレのすぐ前の廊下で美少年を待たせる私。
どんな羞恥プレイだ。勘弁して下さい。
富永さんは、学院側がきちんと原因を調査しないことにご立腹のようだった。
「中に人がいるかどうか確認せずに、開いてる部屋の鍵を施錠するなんてあまりにも不注意だ」というのが、彼の言い分。先輩の脳内にいる架空の犯人に、私は両手を合わせた。濡れ衣ごめんなさい。
「私が嘘をついてるとは思わないんですか?」
あまりにもまっすぐな先輩に何だかいたたまれなくなり、気づいたらそんなことを口走っていた。
富永さんは虚をつかれたように一瞬目をパチクリさせ、すぐに温かな笑顔になる。
「短い付き合いだけど、君はそんな子じゃないって僕にも分かってるよ。来年の学コンにも出るんだろ? そこで証明すればいい。だから、元気出して」
ね? と顔を覗きこんで念を押してくる彼は、本当にいい人だ。
富永さんと話してると、心に清々しい風が吹き込まれたような気分になります。トビーとは真逆の人。
と、同時に自分の黒さが身に沁みるというか何というか……。中原中也の詩のフレーズが心に浮かぶ。汚れちまった悲しみに、か。とほほ。
氷見先生と亜由美先生は、ひどく同情してくれた。
付き合いの長い亜由美先生が全面的に味方してくれるのは分かっていたけど、氷見先生まで「あんなに頑張ってたのにな」と悔しげに呟いたのには、不覚にも涙が出そうになった。
信じてくれるんだ。
コンクールに出たくないがための狂言じゃないって。
感極まり、深々と頭を下げた私を見て、先生は優しく微笑んだ。不意打ちに、今度は鼻血が出そうになりました。普段あまり表情が変わらない先生の、とっておきキラースマイルですよ。
白状しましょう。かなり胸キュンしました。氷見 隆(45歳)に。
本来の私の好みって年上なんだ、と改めて再認識。そういえば、友衣くんも年上だったっけ。二次元では断然紅だったけど、生きてる人と紙の人ではまた違うんだろうな。
ごめんね、紅。もう絶対、油断しないから!
タイプと実際好きになる人は別のはず。それに、紅だっていつかはおじさまになるもんね、うん。
「喉渇いてない? 何か買ってこようか?」
「いや、大丈夫」
「そっか。何かしてほしいことあったら、なんでも言ってね」
後ろめたい気持ちのせいで、その日一日下僕のようだった私に、紅は首をひねっていた。
紺ちゃんが私を閉じ込めた事実は、それを知ってる栞ちゃん達よりも、紺ちゃん自身に大きな影響を与えてしまったみたい。私とさえ、学院では必要以上に話そうとしない。
内心寂しいけど、彼女の気持ちが落ち着くまで待った方がいいのかな、と迷っていた。
そんな紺ちゃんが、徐々に私たちから距離を置こうとしていることに、まっさきに気づいたのは栞ちゃんだった。
10月に入り「用事があるから」などと言い訳をして、一緒にお昼ご飯を食べなくなった紺ちゃんに痺れを切らしたんだろう。栞ちゃんはある日の放課後、とうとう勝負に出た。
「ちょっと、ええかな」
腕組みして仁王立ちになった栞ちゃんに、紺ちゃんも逃げられないと悟ったのか、足をとめる。
クラスメイトが教室からいなくなるのを待って、栞ちゃんはおもむろに口を開いた。
私をはじめ、誰も口を挟めない雰囲気だ。上代くん一人がのんびりと机に腰掛け、窓の外の色づきはじめた銀杏を眺めてる。
私と目が合うと、彼は声を出さずに唇だけ動かした。「大丈夫や」だって。上代くんが栞ちゃんを止めないってことは、本当に心配いらないってことだ。
「あのな。そういうの、やめへん?」
「……何のことかしら」
「自分がやったことの責任を感じてるんかもしらんけど、ましろが許してるんやで? 外野がどうこう言うことちゃうやん。もう、うちらとおるんが嫌でたまらんのなら、話は別やけど、そうやなかったら前みたいに一緒におりたい。こんな風にちょっとずつ距離置かれて、自然消滅みたいになるのイヤやわ」
まっすぐな子、ここにもいました。
ストレートな愛の告白に、さすがの紺ちゃんも言葉を失ったみたいだ。
「がさつで言葉もこんなんで、紺ちゃんみたいな子からしたら相手にしたない奴かもやけど。でもうちは、最初に学校きた時から、よそもんのうちらにもめっちゃ優しかったあんたが好きやねん」
そこまで言っちゃうんですか!
私と紅はあっけに取られ、美登里ちゃんはウンウン頷き、蒼は眩しそうに栞ちゃんを見つめている。
紺ちゃんは、どんな風に返すんだろう。
私も今まで通りみんな一緒にいたいと思ってたけど、彼女はどうなんだろう。
ハラハラしながら、黙ったままの紺ちゃんを見つめる。
「――そこまで言われたら、諦め、つかないじゃない」
紺ちゃんは、スッと顔をあげ栞ちゃんを見つめ返した。まるで泣き笑いのような表情を浮かべて。
「栞ちゃんのこと、大好きだよ。でも私は汚いから、これ以上、一緒にはいられないと思ってた」
「そんなん、勝手に決めんといてよ。……汚くてもええやん。間違ってもええやん。そっから、またやり直したらええんとちゃう?」
「うん。――ごめん」
紺ちゃんは栞ちゃんに近づき、そのまま彼女をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんね、栞ちゃん」
「わ、わ、分かってくれたら、ええねん」
思わぬハグに驚いたのか、栞ちゃんはあたふたし始めた。可愛いなあ。
――良かった。良かったね、紺ちゃん。
紅もホッとしたのか、小さく息をもらし目元を和ませている。美登里ちゃんは「わ~い、これで仲直りね!」と喜び、棒立ちのままの栞ちゃんの背中に飛びついていった。
「あんなに情熱的だったくせに、ハグで照れちゃうシオリが私も大好きっ」
「うわっ。ちょ、やめて、挟まんといて! あんたらもニヤニヤしてんと、助けてよ!」
「いや、本望かなと思って。『好き』なんだろ?」
すかさず蒼が、栞ちゃんの台詞を繰り返す。
からかう気満々のいたずらっぽい蒼の表情に、紅がまっさきに噴き出した。つられて、みんなが笑い出してしまう。
紺ちゃんまでクスクス笑い始めたもんだから、栞ちゃんは「なんや、これ。こんな笑いはいらん!」と叫んだ。
◇◇◇◇◇◇
噂は75日を待たずに終息した。
上代くんの言ったように、スルーが一番だったのかな。私があんまり平然としてるもんだから、コソコソ言う方もつまらなくなったんだろう。周囲を取り巻く雰囲気が元通りになった頃、秋休みがやってきた。
10日間という長いのか短いのか微妙なこの秋休み。
なんと青鸞では、一切課題が出ないらしいんです!
夏休みは混雑するから、とこの期間に海外旅行に出かける生徒たちが多いせいなのかもしれない。ちょっと物足りないけど、美登里ちゃんと栞ちゃんは小躍りしていた。
「コウとコンは、毎年家族とヨーロッパをまわってるんだっけ。今年はどうするの? 他のみんなの予定も知りたいわ」
休みに入るちょっと前の放課後。
露草館のカフェテリアでうだうだお喋りしてる時に、美登里ちゃんが秋休みの予定を尋ねた。
あ、私も知りたかったんだ、それ。
スプーンですくったコーヒーゼリーを口に入れる寸前で止め、彼らの返事を待つ。
「日本にいるつもりよ。ようやく真白ちゃんと同じ学校になれたんだもの。一緒に過ごしたいわ」
「紺まで行かないとなると、母さんも千沙子さんもがっかりするだろうな」
「あら、じゃあ紅がついていけばいいじゃない」
「冗談いうな」
突如始まった兄妹の口喧嘩。美登里ちゃんは「Got it.(了解)だいたい分かったわ」とあっさり手を振り、次は上代くんたちの方に向き直った。
「俺らも向こうには帰らんと、こっちにおるつもりやねん」
上代くんの言葉に、栞ちゃんも頷く。
「向こうの友達とも久しぶりに遊びたいんやけどな。みんな三学期制の学校に行ってんねん。秋休みなんてあらへんし、都合つかんのやって」
いかにも残念、という顔をした栞ちゃんを見て、美登里ちゃんは瞳を輝かせた。
「わお! じゃあ全員フリーなのね。ちょうどいいわ。みんなで、うちの別荘に遊びにいかない? 秋といえば、ハンティングシーズンかしら。多分、狩りも出来たと思うのよね」
もうどこからツッコんでいいのか分かりません。
なに、ハンティングシーズンって! あと、私と蒼の予定も聞いてよ!
「狩猟免許は20歳にならないと取れないよ。それに、俺と真白の予定は聞かないわけ?」
蒼が呆れた声を上げてくれたので、それな! とスプーンで彼を指したくなった。お行儀悪いし、ゼリーが飛んでいったら困るからやらないけどね。もう食べちゃおう。
「マシロはピアノさえ弾ければ、どこだって構わないに決まってるじゃない。もちろん、別荘には音楽室もあるわ。私の為に父が建てたものだから。ソウは、マシロが行くところに自動的にくっついてくるんだから、わざわざ聞く必要ないでしょ」
決まってるのか。そうなのか。……否定はしないさ。
「まあ、そうだな」
蒼よ。お前は否定しろ!
いつのまにか口喧嘩をやめた紅と紺ちゃんが、一斉に私の方を見る。
えーっと。表情から察するに、紅は「行くな」で、紺ちゃんが「行こうよ」かな。
「栞ちゃん達は、どうするつもり?」
とりあえず、残り二人の意見を聞くことにした。
「うん、うちは行きたい。練習も出来るみたいやし。シンは?」
「俺も特に予定もあらへんし、美坂さんちのご迷惑にならんのやったらお邪魔させてもらおうかな」
みんなで別荘に遊びに行くって、楽しそうだもんね。
バーベキューとか出来ちゃうのかな。
秋の木立に囲まれた瀟洒な別荘を想像し、私はうっとりと目を細めた。暖炉とかもあったりして!
「じゃあ、決まりね」
美登里ちゃんが嬉しそうに両手を合わせたのを見て、紅は溜息をつきながら首を振った。
「まだ俺も真白も、返事してないだろ。というか、どうしてよってたかって俺らの間に入ろうとするわけ?」
「泊まりでいくのよ? コウ。パジャマ姿のマシロを見たくないの?」
腕組みして顎に手をやった美登里ちゃんが、悪辣な笑みを浮かべる。
「マシロに直接『おやすみ』と『おはよう』を言ってもらえるチャンスなのに」
「……そういうの、卑怯」
「なんとでも!」
今にもオーホッホッホと笑い出しそうなくらいふんぞり返った美登里ちゃんに負けて、紅も行くことになった。
秋休みの半分は家に帰ろうと思ってたから、その時に父さん達に許可をもらうことにしよっと。
でも学生だけでお泊り、しかも男女混合なんて、大人の監督がない限り許してもらえない気がする。
私がそう言うと、紅は何でもないように「じゃあ、水沢に頼むよ」と答えた。
え、そんな簡単に、いいの?
「うちの人間は、何でもお祖父様に報告するから連れて行きたくない」と美登里ちゃんが言い張ったせいもあるんだけど……。
水沢さんって結婚してないのかな。してるんだとしたら、奥さんは紅のことをどう思ってるんだろう。
あのクソガキ、またうちの旦那を巻き込みやがって、とか恨まれてたらどうしよう。
うわ~、ごめんなさい!
偉そうな俺様ですけど、悪気はないんです!
「ましろ。なんで俺を睨むの」
「水沢さんをもっと大事に!」
「は?」




