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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
135/161

27.仲直り

 泣きじゃくる私の肩を抱き、紅は寮への道といざなった。

 音楽の小道に設置された等間隔の街灯には、早くも明かりが入っている。薄黄色と橙色の入り混じった夕陽のグラデーションに透かされる木々の中を歩んでいくうちに、ようやく気持ちが落ち着いてきた。


 「――ごめん。もう大丈夫。歩きにくいでしょ?」

 「いや、いいよ。俺が今、お前を離したくない」


 紅の苦渋に満ちた声が耳を打つ。私はハッと顔を上げた。


 「紺だったんだな。まさか、あいつが真白を傷つけるなんて……」

 「あれには何か理由があったんだと思う。紺ちゃんの演奏を聞いたら、紅だって分かったはずだよ。私を閉じ込めなくたって紺ちゃんが一位を取ったって」


 私を探して走り回ったからだろう。ネクタイは歪んでいるし、髪もほつれている。

 だけど、そんな紅は今まで一番、素敵に見えた。恋しさで胸が高鳴る。どうしよう。こんなにもこの人のことが好きだ。

 

 閉じ込められた準備室の扉が開き、紅が姿をみせた時、私が真っ先に感じたのは『安堵』だった。

 心配して探してくれるくらいには、私を想ってくれてるのかな、って。

 正直に思ったことを口にした私に向かって、紅は「違うんだ。あんな風に追い詰めるつもりじゃなかった」と囁き、抱きしめてくれた。

 

 あなたの優しさがまだ特別なものだって期待してもいい?

 問いかけるように紅を見つめ返す。


 「びっくりするくらい突拍子もない事情が私と紺ちゃんにはあるの。上手く説明出来ないかもしれないけど、聞いてくれる?」

 「無理することない。支えになりたい、なんて綺麗事並べたけど、結局は俺のエゴなんだ。お前のことなら何でも知っておきたい。一番に頼って欲しいって。……それで逆に傷つけてちゃ、世話ないよな」


 そう言って表情を強ばらせた紅を見た次の瞬間、私は衝動的に彼に両腕を回してしまっていた。

 身長差があるから、ちょうど私の頬が彼の胸にあたる。心音が早まっていくのが聞こえて、ホッとした。ドキドキしてくれてる。私と、一緒だ。

 戸惑ったように紅が身じろぎする。

 だめだ。好きな気持ちがとまらない。

 分かってくれたらいいのに。紅がどれくらい私にとって大切な人なのか。


 「紅が好き。お願い、どこにもいかないで。ずっと私の傍にいて」

 「ましろ」

 「上手く伝わってないのが、すごく悔しい。どうすればいい? どうすれば紅の不安はなくなるの?」

 「煽るな、バカ」


 紅は忌々しげに私を抱き返し、かがみこんだ。小さなキスが私の頬を掠める。

 一つ。また一つ。

 それは、触れるだけのままごとのようなキスだった。

 だけど相手が紅だと思うだけで、頭が沸騰しそうなくらい熱くなる。


 「……抵抗しないの?」

 「するわけない」


 紅は盛大な溜息をつき、最後に鎖骨の上に口づけた。

 トビーに噛まれた傷はすっかり治っている。紅はよっぽど腹に据えかねていたみたいで、最後のキスは長かった。膝が震えてくる。


 「いつか俺がましろの全部に責任もてるようになったら、ちゃんと上書きするから」

 「え?」

 「それまで、もう誰にも触れさせるなよ」


 すでに充分、紅で上書きされた気がするんですけど。

 そう言い返したかったけど、目眩がしそうなほど艶っぽい笑みに何も言えなくなった。心臓に悪いよ。誰か酸素ボンベ下さい!

 

 あっという間に寮の玄関前に着いてしまった。しまった、肝心の話が出来てない。私はまだバクバクいっている胸を押さえながら、寮生が外部生と会う時につかう談話室に誘ってみた。


 「こみ入った話なら、二人きりの方がいいな。明日、予定がないのなら出かけないか?」

 「そっか。今日、金曜日だったっけ」

 「曜日の感覚までなくなってたのか」


 紅は私の目の下に綺麗な指を這わせた。

 あ、やっぱり気になる? 酷いくまができてるんですよね。今朝、鏡をみた時、自分でもびっくりしたもん。夜中知らないうちにバイオなハザードが起こって、ゾンビ化したのかと思った。


 「今日は何も考えず、早く寝なさい。分かった?」

 「了解です!」


 先生みたいな言い方にクスクス笑ってしまう。


 「紺ちゃんのこと、怒らないでね。ちゃんと話を聞いてあげて」

 「……努力する」


 いかにも不承不承ふしょうぶしょうというように紅が答えたので、意外な気がした。紺ちゃん至上主義な彼だけど、今回の件については正義感の方が勝っちゃうのかな?


 「上代や皆川さんも心配してるだろうから、あんまり引き止めてもまずいな」

 「うん、じゃあまた明日ね。10時でいい?」

 「ああ。どこに行きたいか、考えといて」


 外門での待ち合わせを決めて、手を振る。

 紅に背中を向け、玄関の両開き扉に手をかけたその時。


 ぐい、と後ろ手を掴まれ、紅に引き寄せられた。

 次の瞬間、サラリとした真紅の髪が私の頬にかかり。柔らかな感触が唇を捉える。

 それは本当にあっと言う間の出来事だった。


 く、くちに、キスされた……。


 「大好きだよ、ましろ。また明日ね?」


 してやったり、といわんばかりのやんちゃな笑顔。

 ああ、もうっ。どれだけトキめかせたら気が済むんですか!

 耳まで真っ赤になった私にひらひらと手を振り、紅は身を翻した。


 

 



 夕食の後、思い詰めた顔をした栞ちゃんが部屋にやってきた。

 周りに人目があったから、食堂では当たり障りない話をしてたけど、きっと後から事情を聞きに来るだろうと思ってたよ。でも、まさかこうくるとは――。


 「ごめん、ちょっと窓開けさせて」

 「いいよ」


 てきぱきとカーテンを開け、栞ちゃんがガラリと掃き出し窓を開け放つ。途端、暗闇からぬっと顔を出した三人に、もう少しででっかい悲鳴を上げるところだった。


 「土足で上がるのはアカンよな」

 「部屋に入る前に靴を脱げばいいだろ。見つかったらまずいんだから、早くしろよ」


 上代くんと蒼、それに美登里ちゃんまでが、バルコニーの外側にずらりと雁首を揃えている。

 ちょ、なにやっちゃってんの!?


 「待ちなさいよ、ソウ。レディファーストって言葉を知らないの?」

 「そんな短いスカートで何いってんだ。下着、見えるよ」

 「naughty!(やらしい) ソウのばか!」

 「見たくないから最後に来ればって言ってんだよ!」


 精一杯声を低めてはいるみたいだけど、十分騒がしい。

 慌てて壁時計を確認する。もう少しで、寮長さんの見回りの時間だ。


 「何でもええから、はよせいや! バレたら真白もうちもヤバイんやで!?」


 ドスのきいた関西弁の迫力は、半端なかった。訓練された狩猟犬のような素早さで、男子二人がバルコニーの手すりを乗り越え飛び込んでくる。美登里ちゃんは蒼が引っ張り上げた。

 

 「大丈夫? 重くなかった?」「重かった」「なんですって!? そこは『羽のように軽かったよ』でしょ!」「社交辞令とかめんどくさい」「何もかもが失礼っ」 


 あのー。漫才はそこまでにしてもらってもよろしいか。


 「とりあえず、みんなピアノの部屋に行ってて! 栞ちゃん、点呼が来たら私は練習してるって返事しといてくれる?」

 「了解」


 一旦家に帰ってからやって来たんだろう。栞ちゃんも蒼もカジュアルな私服に着替えていた。

 こんなに焦ってなけりゃ恒例のファッションチェックに突入したんだけど、部外者でしかも男の子を部屋に連れ込んでることがバレたら、速攻父さんたちに連絡が飛んでしまう。ただでさえ色々心配かけてるのに、これ以上の面倒事はダメ、絶対!

 問答無用で隣の防音室に三人を放り込み、私も滑り込む。

 鍵はないから、こっちまで調べに来ないように祈るしかない。


 私は急いでナハトの蓋を開け、とっさに思いついたショパンの黒鍵を弾くことにした。

 華やかな冒頭部や軽快なリズムを気に入っているので、よく指慣らしに弾いている曲なんです。

 一音一音の粒がキラキラと煌くよう、繊細かつ大胆に鍵盤を鳴らす。右手で奏でる主旋律が、一部を除いて全て黒鍵によって演奏されることから、黒鍵の愛称をつけられたらしい。初めて楽譜を見た時は、なんじゃこりゃ! ってなったっけ。そのくらい、初見では弾きにくい難曲。

 だけど、とってもチャーミングな曲でもある。どこまでもクリアに弾いても面白いし、ペダルを効かせて甘めに揺らすのも素敵だ。

 いつのまにか熱中していたらしく、栞ちゃんが入ってきたことにも気付かなかった。

 指が温まってきたので、そのまま英雄ポロネーズ、木枯らしのエチュードとショパンを堪能する。ひとしきり気が済むまで弾いて、そろそろいいかな、と指を下ろすと、唖然とした顔で私を見つめているみんなが視界に入った。


 「――あ、ごめん。もう大丈夫そう?」

 「うん。ピアノの音がちっさく聞こえててな。サオリ先輩、この分じゃ大丈夫やなって、笑ってはったわ」

  

 栞ちゃんは気を取り直して、寮長さんとのやり取りを教えてくれた。

 私がコンクールを欠場したことは、寮でも噂になっているらしい。その話を聞いた誰もが、島尾は嵌められたんじゃないか、と心配してくれているという。仲間意識が強いせいかもしれないけど、逃げ出したとは思われてないことが嬉しかった。


 上代くんは深い溜息をつき、「簡単に弾いてくれやがって。自信なくすわ、ほんま」と呟いている。蒼は瞳を輝かせているし、美登里ちゃんは「excellent!」と拍手してくれた。

 いえいえ、お粗末さまでした。つい夢中になってしまったよ。ごめんね。


 防音室の方が声が漏れなくていいだろう、ということになり、急遽部屋からクッションを持ってきた。座談会のように輪になって座る。この部屋には毛足の長いカーペットが敷きつめられているので、そんなにお尻は痛くない。けど、寄せられた視線が痛いです。穴あきそう。


 「ほんなら、ここ最近の事情からチャキチャキ吐いてもらおうか」

 

 口火を切ったのは、栞ちゃん。

 真摯な表情から、決して興味本位で尋ねているわけじゃないと分かる。随分心配させてしまったんだ、と改めて反省した。


 「エントリーしてないはずのコンクールに出ることになってて、理事長を問い詰めに行ったら、逆に返り討ちにされたっていうか。奨学生なんだから絶対出ろ! 的なことを言われて、首を噛まれて、それが紅に見つかったの。ずっと長いこと隠し事をしてる私に怒った紅が、『これ以上お前の傍にいられない』的なことを言って、あまりのショックに錯乱しました。すみません」


 出来るだけ簡単にまとめたつもりだったのに、上代くんがすかさず突っ込んできた。


 「いやいやいや。怖いわ、それ。しかも何なん、首噛まれたって。そういえば、しばらくでっかい絆創膏してたよな。もしかして、アレがそうなん?」

 「うん」

 「……紅が暴走して、真白を押し倒したのかと思ってた」

 「私も」


 蒼と美登里ちゃんは、とりあえず無視でいいかな。


 「理事長、キモいし、最低! そんなんパワハラやんか。許されへん!」

 「えーと。なんというか他にも色々あって……それは紺ちゃんにも関係あるから、私からは言えないんだけど」


 いきり立つ栞ちゃんに「おおごとにしたくないから、ここだけの話にして」と頼み込む。渋々でも頷いてくれたので、ホッと胸をなで下ろした。

 美登里ちゃんはそこまでのやり取りを聞き、形のいい顎に手をあてた。


 「理事長って、あの金髪碧眼の王子様みたいなヤツでしょ? 山吹家の。ホテルのラウンジでコンとデートしてるのを見かけたことがあるわ」

 「ホンマに!? 紺ちゃん、アカンって。どんなに顔がようても、高校生に手え出すとか犯罪やし」


 そんなんが理事長なんて嫌過ぎる、と身悶えする栞ちゃんを、蒼が「落ち着けよ」と宥めてる。上代くんは「なにがどうなってるんか、俺にはさっぱり分からんわ」と頭を抱えてしまった。

 

 正直に打ち明けたら、こうなりました。ええ、収拾がつきません。

 ここに紅がいてくれたら、きっと皆を上手く丸め込んでくれたんだろうなあ。思わず遠い目になってしまう。


 「隠し事っていうのも気になるけど、真白が話したくないのなら無理することないと思う。でも、今日はどうしたの? めちゃくちゃ心配した」


 蒼のまっすぐな視線を受け、私はどう説明したものか、と言い淀んだ。


 「誰にも言わないで。理由も聞かないで、っていうのは、勝手すぎるよね?」


 質問に質問で返すのは好きじゃないのに、こう問うことしか出来ない。


 「いいよ、それで。真白の判断を信じる」


 揺るぎない蒼の眼差しに、ふっと肩の力が抜けた。

 嘘はつきたくない。ここにいる四人は、私の大切な友達だ。大事な人に何も打ち明けてもらえない辛さは、よく知っている。


 「桔梗館の準備室に閉じ込められたの。閉じ込めたのは、紺ちゃん。だから、犯人なんていない、私の過失ですって理事長には説明した」


 当然だけど、みんなの反応は『トビーに首噛まれちゃった事案』以上に凄かった。

 紺ちゃんにはコンクール以外に目的があって、どうしようもなく追い詰められた結果の行動だったと分かってもらえるまで、私は根気よく言葉を尽くす羽目になった。


 「お願いだから、紺ちゃんを責めないで。出来ればこのことは忘れて欲しい。来年のコンクールには私もちゃんと準備して出るよ。そこで正々堂々競い合って、勝ちたいと思ってる」

 「――ほんなら、俺も出ようかな」


 真っ先に上代くんが応えてくれる。


 「やられっぱなしは、悔しいしな」

 「シンも男の子ね。じゃあ、私も出るわ。ソウも出なさいよ」

 「……いいよ。紅も引っ張り出すか」

 「なんやお祭りみたい。うちも出るで!」


 栞ちゃんが右手を伸ばして、私たちの中心に掲げた。

 何も言ってないのに、上代くん、美登里ちゃんがその上に手のひらを重ねていく。蒼も手を重ね、私を横目で見て笑った。

 無邪気な笑顔に、胸がいっぱいになる。

 勢いよく、一番上に私も手を乗せた。


 「ふふっ。いいわね、こういうの。マシロが音頭を取ってよ」

 「おっけー、いくよ? 全力で音楽を楽しもう!」

 「おー!!」


 五人の声が、大きく防音室に響く。

 慌てて「しーっ!」と唇に指を立てた栞ちゃんに、たまらず皆が噴き出した。




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