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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
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 何ともいえない微妙な雰囲気のまま席まで戻ると、すぐに二幕が始まった。

 二人とも、まだ気遣わしげにこちらを窺っている。

 大丈夫だよ、というようにニッコリ微笑んでおいた。

 

 そういえば、紺ちゃんは紅さまの序盤イベントが苦手だって言ってたな。

 

 ……ってことは、もしかするとさっきのもイベント? 

 

 嫌な予感がする。気づかないうちに順調にフラグを積み重ねていったら、どうなるんだろう。

 紅さまのことが好き過ぎて大変なことになっていたのは、過去の話。

 ぶっちゃけ、高校生になったら『ボクメロ』に全く関係ない素敵な音楽系男子と出会いたいとすら思ってるのに。

 とりあえず、俺様はもうノーサンキュー。


 紅さまのトラウマは、ボクメロPLAY中に明かされた。

 【君にだけ告げる本音】というイベントがそれ。

 

 女の子はみんな好きだよ、とのたまう紅さまの持つ暗い過去を、主人公にだけ打ち明けてくれる、というかなり胸キュンなイベントだった。

 その話に出てきた『守ってあげられなかった妹』というのが、まさか紺ちゃんのことだとは思ってなかったけど! 

 いや、紺ちゃんは紅さまの妹なんだから、必然そうなるっていうのは分かるよ。

 

 でも普通、前作ヒロインにそんな傷、負わせる?

 リメイクで大幅に設定を変えたなら、そこも変えといてよ!


 ちらりと横目で紺ちゃんを見ると、にこっと眩い笑顔が返ってきた。

 痛かっただろうな……。

 紅さまの気持ちが分かって、切なくなった。

 



 

 蝶々夫人の第二幕の見せ場は、なんといっても『ある晴れた日に』のアリアだろう。


 『蝶々さん、我が愛しき妻よ。コマドリがヒナを抱く頃に、バラを抱えて帰ってくるよ』

 ピンカートンはその場しのぎの甘い台詞を残して、本国アメリカに帰国済み。


 一人残された蝶々さんは、ピンカートンとの間に出来た子供を抱え、貧乏生活を耐え忍んでます。ひたすら夫を信じて、ピンカートンの帰りを待つ蝶々さん。

 もう彼は帰ってこないのでは……? 

 ほのめかす周囲に向かって、彼女が堂々と歌い上げるアリアは、圧巻だ。


 ――『ある晴れた日に水平線を見つめると 海の上に白い煙が見える そして船が姿を現すの』


 美しいソプラノの響きが、私の胸を揺すぶった。

 ここまで、信じきっていたのに。

 最後の結末を知っているだけに、蝶々夫人が可哀想でたまらない。

 ピンカートンめ! あんたは最低だよ!


 ――『最初になんていうかしら? 蝶々さんって呼ぶかしら 私は返事をしないで隠れるの 少しからかうくらいいいでしょう? あまりの喜びに死んでしまわないように』


 ポタポタ、と涙が紺色のワンピースに落ちた。

 ハンカチで慌てて頬を押さえる。

 DVDで何回も見たのにな。

 生で見ると、こんなに違うものなんだな。


 そして、いよいよピンカートンが再び日本へ。

 蝶々夫人を迎えにきたのではなく、彼女との関係を清算する為にやって来たピンカートン。

 なんとヤツは正式な奥さんを一緒に連れてきやがるんですよ。


 蝶々夫人にどうしてもその事を伝えることができないシャープレス。

 帰国の知らせを受け、舞い上がった蝶々さんは、貧乏生活のせいで落ち窪んだ頬に紅を差し、部屋に花をまき散らし、夫の帰りを待つ。

 このくだり、あまりに切な過ぎて、もう見ていられない。


 そして運命の第三幕。


 健気に自分を待ち続けた哀れな現地妻を正視できず、逃げてしまったピンカートン。

 残酷な事実を知らされた蝶々さんは武士の娘。取り乱したりせず、彼の奥さんに「どうか幸せに」と告げる。

 彼との間にできた子供は、ピンカートンが引き取ることに。

 芸者に戻って辱めを受けるくらいなら……と、彼女は一人、父の形見の短刀で自害して果てる、というのが物語のラスト。


 私は手が痛くなるほど拍手をしながら、心の底から思った。

 男の甘い言葉なんて信じるもんじゃない、と。


 もしも私が蝶々さんだったら、逃げたピンの野郎を地の果てまで追っかけていって、ケツを蹴り上げる。

 アメリカ式を披露してやろうじゃないの。

 それから、ガッポリ慰謝料をふんだくって、家も買って貰って、一人息子を大事に育てあげるね!


 泣き寝入りなんてするもんか。

 短刀を使うなら、ピンカートン、貴様の喉に突き立ててやる。


 まさか100年後の大和撫子が、こんな物騒な事(ふくしゅう)を考えてるなんて、プッチーニは想像も出来なかっただろうなあ。

 そうと思うと、ちょっと可笑しくて胸の痛みが薄れた。




 オペラ鑑賞を終え、先生に夕食までご馳走になって家に戻った。

 先生の愛車はジャガーでした。ジャガーってどこの車なんだろ? 紺ちゃんにこっそり聞いてみたら「イギリスだよ」と教えてくれた。

 高級車といえばベンツくらいしか思い浮かばない。なんせ庶民なボンコですから。

 

 家で待ち構えていた両親に感想を聞かれたので

 「感動して泣いちゃった。いつか私もあんな風に、自分の演奏で誰かを感動させてみたい」

 と素直に述べた。

 

 父さんはそんな私に感動した、と言ってくれた。ピュアな43歳。

 私だって、そんな親馬鹿丸出しの父さんが大好きだ。

 母さんは「そんなにスゴイものなら、一度くらい見に行ってみたいわね~」とうっとりしていた。


 蝶々夫人は不実な旦那の出てくる話だから止めた方がいい、と釘をさすと

 「マシロはお子様ね。お芝居の中なら、そういうのもアリよ。あり!」

 などと言っている。

 

 そうか。ピンを許せない私がお子様なのか。

 ……っていうか、8歳の娘にお子様ね、ってどうなのよ。母さんは相変わらずズレている。


 そんな感じで、ほぼ幸せな一日は過ぎていった。

 紅さまのことが気にならなかったわけじゃないけど、まだ高校までは時間がある。

 好感度を上げないように気を付けていれば、大丈夫なはず。

 上がるとも思えないけど、念の為。


 よくよく考えれば、この時点できちんと紺ちゃんに紅さまの攻略方法を聞けば良かったんだよね。そしたら、その逆をいけば良かったわけだから。


 でもこの時の私は、夢にも思っていなかったのだ。


 紅さまルートは、全く好感度を上げない選択肢を選ぶことによってのみ、真のエンディングを迎えることが可能になるだなんて。

 攻略方法すら、常識を超えている。



 そうこうしているうちに、私は9歳になった。

 4月になれば、もう4年生だ。

 

 ピアノのレッスンは順調に進み、ツェルニーの30番も終盤。同時進行で進めていたバイエルはあっという間に終わり、ソナチネに突入。ツェルニーの50番は流石に難しい。

 毎晩お風呂に入る度に、両手の指を引っ張っている。もっと大きな手になりたい。オクターブを楽々鳴らせるような。

 

 亜由美先生は私の上達ぶりにものすごく驚いているけど、この世界がゲームに準じて作られているのなら『主人公補正』というものが働いてるんじゃないのかな。

 一日何時間も必死になって練習してるんだから、そうは思いたくないけど、前世の私がどちらかというと鈍臭かったことを考えれば、ありえない話じゃない。

 

 ドンコとボンコなら、まだボンコの方がマシだろうか。

 ……あ、泣けてきそう。


 

 勉強の方は、今一つ伸び悩んでいる。もっとレベルの高い問題をたくさん解かなきゃダメっぽい。

 現状を分析した私は、今年受験のお姉ちゃんを引き連れ、ブックストア橘にやってきた。


「ましろー。お姉ちゃん、雑誌見てきてもいい?」

「ダメに決まってるでしょ! お姉ちゃんの偏差値聞いて、倒れそうになったよ。一体どうするつもりだったの!?」

「えー。まだ4月まで、もうちょっとあるしー。3年になったら本気出すからー」

「……知ってる? 浪人生の大半が、2年の終わりくらいまでそう思って何も対策立てないんだって。次こそは本気出す、なんて言ってるヤツに限って、本気なんて出さないよ。本気の出し方自体、知らないんだから」


 ここは本屋さん。

 人の迷惑にならないように、ボリュームを極力下げた上で怒鳴る、という高等テクニックを駆使しましたとも。

 9歳の妹に叱られ、しょぼんと項垂れるお姉ちゃん。涙目になりながらも、大人しく私についてきてる。


 お姉ちゃんの基礎学力を上げる為、そして私の更なる学力向上の為の参考書及び問題集を探す。

 流石にこのままではヤバイと焦り始めた母さんから、お金も預かった。お姉ちゃんには渡すな、と言い含められてるんだけど、言われるまでもない。


 あれこれ比較した結果、8冊を購入。

 今回は何の邪魔も入らず、じっくり厳選できた。

 お姉ちゃんは分厚くなってしまった紙袋を持って、この世の終わりのような顔をしていた。


「お姉ちゃん。私も一緒に頑張るから、ね? 将来保母さんになりたいって言ってたじゃない。自分への投資は、早ければ早い方がいいの。分かるよね?」

「うん、分かった……。マシロ、怖い」


 項垂れたままの彼女をなんとか励ましつつ、書店を出ようとしたところで、急に彼女は立ち止まった。


「ねえ、マシロ。あれ、見て!」


 花香お姉ちゃんが指さしたのは、入口近くの大きな平台に展開されている料理本のコーナー。

 『今年こそ手作り』

 ピンク色のハート型ポップで、そこら一帯が華々しく飾り付けされている。


「今年のバレンタインチョコは、一緒に手作りしない? 父さん喜ぶよ~」


 お姉ちゃんの魂胆は見え見えだ。

 手先の器用な私に面倒な工程を丸投げして作らせ、付き合い始めたばかりの彼氏にプレゼントするつもりなんだろう。


「一緒に……ねえ」

「いいじゃん! ね? 勉強頑張るから。がんばりますからー!」


 拝むように両手を合わせるお姉ちゃん。

 短いスカートにふわふわのショートコートを合わせ、ヒールの高いロングブーツを履いている。休日だからなのか、薄化粧につけ睫毛、ダメ押しの派手なネイル。見るからに能天気そうな今時高校生だけど、恋する乙女には違いない。


「うん。いいよ。お姉ちゃんのこと、大好きだし」


 生きてるうちに、言いたいことは全部伝えるべし。

 私が前世から学んだ教訓の一つだ。


 お姉ちゃんは、やったー! とはしゃぎながら、ピンク色に染まった平台に向かって行った。苦笑しながら後を追う。

 2人でどの本を買おうか話していると、ふと視線を感じた。

 ちょっと離れた入口付近。

 

「あれ……蒼くん?」


 声をかけると、真っ赤な顔で回れ右、をして外に出ていった。

 ん? 今来たばっかりじゃないのかな。


 私は不思議に思ったのだけど、蒼くんのとった不可解な行動の理由を知ったのは、ひと月後のことだった。




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