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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
128/161

22.寮祭準備と新学期

 「本当に何かあったらすぐに連絡するんだぞ」と何度も念を押してくる父さん達と別れ、寮に戻った。

 花桃寮プリマヴェーラホール山茶花寮インヴェルノホールにも活気が溢れている。寮祭の準備期間は、OBたちが大勢やってきて準備を手伝ってくれると話には聞いていた。

 

 「はい、じゃあトラックが到着次第、中庭に機材を運ぶの始めるよ」

 「でっかいビニールシートも必須だぞ。天気予報、確認してある?」

 「だいじょーぶ」

 「屋台用のテントの手配って終わってる?」

 「そっちは終了。射的の景品の買出し、誰か行ってきて!」


 その日も朝から、沢山の人の声が飛び交っていた。

 かつての寮生であることを証明するIDを発行して貰い、カードホルダーを胸から下げたOBの皆さんは大変元気です。20代から30代の方が多いかな。中にはどこぞの偉いさんじゃないの? って雰囲気のおじさまも混じってる。

 春冬祭の実行委員のメンバーも、半分はOBなんだよね。残りの半分が3年生。

 

 午前中いっぱいは、私のノルマである飾り用の花作りとマナー案内のポスターを頑張った。

 造花ですね! 任せて下さいよ!

 張り切って見本をいくつかミチ先輩に作って見せたんだけど「そ、そんなハイレベルなのはいらないわ。ほかの子の分と差がつきすぎるから、普通のヤツでお願いします」って言われちゃいました。残念。

 蓮の花をモチーフにした折り紙造花はかなりの自信作だったんだけどな。

 腰を伸ばしう~んと伸びをして、お昼ご飯を食べに食堂に降りる。


 「まっしろー。お疲れ!」


 混み合っている食堂には、すでに栞ちゃんが来ていた。こっち、こっち、と手を振ってくれる。一緒に座っている人達は、きっと劇の音楽隊のメンバーだ。


 「席、取っててくれたんだ。ありがとう~。すみません、私もご一緒していいですか?」

 「もちろん! ほら、早くご飯取っておいで」


 管楽器科の先輩や同級生に快く承諾してもらって、急いでカウンターに並びに行く。普段と違って人の出入りが多いからか、ランチは無くなり次第終了なんだよね。


 「島尾も遅かったやん。ギリギリセーフやったな、俺ら」

 「きりのいいところまでやっちゃおうと思って、つい」

 「ほっぺに絵の具、ついてんで。取ったりたいけど、成田に殺されたないから後で洗面のとこ行っといで」

 「うわ~、恥ずかしい! 教えてくれてありがとね」


 上代くんと合流して、栞ちゃんのところに戻る。

 案の定、栞ちゃんは上代くんの分も席を取っていて、食べるのを待っていてくれた。


 「ん? どしたん、ましろ」

 「ほっぺに絵の具ついてるって……」

 「ああ、そことちゃう。こすらんとき、せっかくのすべすべお肌が赤なるやん」


 スカートのポケットからウェットティッシュを引っ張り出し、栞ちゃんはそうっと拭ってくれる。

 優しい手つきに、疲れが吹っ飛びましたよ。ホント可愛いなあ。


 「何から何までごめんね。あ、そうだ。午前中の音合わせ、どうだった?」


 今年の劇は「ロミオとジュリエット」に決定した。

 一、二年の寮生の殆どは、音楽隊のメンバーになるのが恒例だけど、私と上代くんは除外されている。ピアノ科からは二年の森下先輩と神崎先輩が参加してるので、人手は充分足りてるらしい。


 「かなり難しいで。プロコフィエフのバレエ版をジロー先輩が管と弦のバランス考えてアレンジしてくれたんやけどな、もうちょい簡単にはできひんかったんかいな、って問い詰めたいくらいやわ」

 「ジローは凝り性だからねえ」


 オーボエ専攻のリホ先輩もため息をついている。

 当日は裏方担当の私と上代くんは、「聴き手としては楽しみが増えたよね?」「そやな」と顔を見合わせて「ね~」と声を揃えた。

 

 「ジュリエット役はヴィオラ専攻の明日香あすか先輩らしいじゃん。これ以上ないハマり役だと思わない? 衣装着たら、もっと綺麗なんだろうなあ」


 一人がうっとりとした声を上げると、次々に賛同の声が上がる。

 明日香先輩っていうのは、ヴィオラ専攻の艶やかな美人さんのこと。プリマヴェーラでもかなり人気が高くって、私たち下級生にもとっても優しい人です。

 私が嫌がらせを受けてた時なんて、食堂で顔を合わせる度にプリンとかゼリーを奢ってくれたんだっけ。「ましろちゃんは何も悪くないんだから、顔をまっすぐ上げてなね」って微笑まれ、あまりの神々しさに椅子ごと倒れそうになったこともある。聖女ですよ。リアル聖女。

 そんな先輩のジュリエットなんて、想像しただけで泣ける自信がある。


 「ロミオ役の文ちゃん先輩も悪くないんだけど、明日香先輩の隣に並ぶには、ちょっとイケメン度が足りないよねえ。上代かみしろの方がハマったんじゃないの?」

 「えっ!? 俺ですか? 怖いこと言わんといて下さいよ!」


 キリッとした雰囲気のある上代くんに、脳内で騎士様の格好をさせてみる。

 ……ホントだ、なかなかいいんじゃないでしょうか! 

 黒髪のストイックなロミオが、禁断の愛に苦悩する。うん、これは萌える!

 私がそう言うと、上代くんは嫌そうに顔を顰めた。


 「島尾さんにまで言われると、ごっつ複雑やわ。ものすごいイケメン見慣れてるやんか、自分。……そういえば、来年からは成田も山茶花寮インヴェルノにくるんやろ? 俺らが三年の時の主役は、あいつで決まりやな」


 急にチヤホヤされ始めた上代くんを面白くなさそうに眺めていた栞ちゃんは、パッと瞳を輝かせた。


 「それ、ええや~ん。ほんなら、相手役はましろしかおらんな」

 「そやな。他の子をヒロインにしようもんなら、『俺はいいよ』ってしらっと辞退しそうやもんな」


 上代くんの紅の真似が意外と似てて、周りの子たちと一緒に私も笑ってしまった。


 「シンはあんまり目立たんといて欲しいわ」


 小さな声で付け足された栞ちゃんの声が聞こえなかったのか、上代くんは「ん? なに?」と聞き返している。この難聴系男子め! 


 

◇◇◇◇◇◇


 

 新学期が始まった。

 提出物のチェックが終わったら、早速実力テストです。

 寮生は、春冬祭の準備とテスト勉強が重なって青息吐息になってたけど、私はいつも通りの調子で問題を解くことが出来た。積み上げ科目である数学や国語、英語は特に勉強せず、暗記科目である社会と理科に絞ってテスト勉強したのが功を奏したみたい。


 掲示板の発表をみんなで見に行き、結果を確認する。


 「また満点なん!? 化け物か! ましろなんて、嫌いや~」

 「……そうなんだ。ふーん」

 「ちょ、城山くん、そんな怖い顔せんといて。冗談やんか!」


 蒼と栞ちゃんの掛け合いを見て、美登里ちゃんはクスクス笑っている。

 紅にも「流石だな」って頭を撫でてもらいました。うわ、これは地味に嬉しい。えへへ、とみっともなく顔が緩んでしまう。

 みんなで和気あいあいと喋りながら教室に戻ろうとしていた途中、突然紅と蒼がピタリ、と足を止めた。


 厳しい視線の先を辿ってみる。


 あ。宮路さん達だ。


 彼女の両脇には、宇都宮さんと寺西さんもいる。

 その場にちょうど居合わせた同級生達は、私と彼女達が対面しそうになっているのに気づき、お喋りをやめた。野次馬を決め込むことにしたらしい。その中には、宮路さん達を明らかに蔑む視線も混じっていて、私はぐっと拳を握り締めた。

 ……私が嫌がらせされてた時は、その視線の先は私だったよね?


 「ごきげんよう、島尾様。皆様」


 宮路さんの声は高らかで、凛としていた。

 だけど、私は気づいてしまった。ハンカチを握り締めた彼女の指が、細かく震えていることに。


 「おはよう、宮路さん。宇都宮さんと寺西さんも。今日から、復学?」

 「ええ。お目障りだと承知しておりますが、どうかよろしくお願い致しますわね」


 サラリ、とまっすぐな黒髪が流れる。深々と頭を下げた宮路さんと残りの二人に周囲は息を飲み、私の胸は激しく痛んだ。

 陰湿な嫌がらせや集団リンチまがいの行動は、確かに断罪されるべきだ。だけど、見るからにプライドの高そうな彼女らが今日ここに立つまでには、どれだけの葛藤があったことだろう。

 潔く謝るって、そう簡単に出来ることじゃない。


 私を守るように立ちはだかる紅と蒼を押しのけ、前に進み出た。

 不安げに瞳を翳らせる二人に、大丈夫だと一つ頷いて見せる。


 「もういいよ。正式な謝罪は受けたし、話は済んだはずでしょ? 今日から、また一緒に頑張ろうよ」

 「島尾さま……」

 「紅のことで苦しめちゃって、ごめん。でも誰を傷つけても、この人の隣にいたいの。私も大好きだから。ちゃんと大事にするから、許して」


 まっすぐに自分の気持ちを伝える。

 宮路さんは、驚いたように目を見開き、それから上品に眉をひそめた。その瞳には、さっきまではなかった温かな光が灯っている。


 「あなたにはかないませんわね。ですがもう少し、慎みをお持ちになってはいかが?」

 「だよね~。自分でも思うんだけど、なんせほら、庶民育ちなもので」


 悪戯っぽく片目をつぶってみせる。

 宮路さんは、あっけに取られた顔で私を見つめ返し、それから微かな笑みを浮かべ首を振った。宇都宮さんと寺西さんも苦笑いしてる。


 「困った方ね。では、これで失礼しますわ。ごきげんよう、島尾様」

 「うん、またね」


 ばいばい、と手を振り、隣をすれ違っていく3人を見送る。

 仲良くなるのは無理かもしれない。だけど、同じく音楽を愛する生徒同士、お互いを尊重できたらいいな、って思うんだ。


 「――お人好し」

 「けど、ましろらしい」

 「Yeah. I’m with you.(同感)」

 「いや、なんで皆つっこまへんの!? 超ド級の愛の告白が混じってたやんか!」


 栞ちゃん、蒼、美登里ちゃんの順にコメントされました。上代くんはスルーでOK。恥ずかしいので、反復いりません。

 

 お人好しなんかじゃないんだよ。そんないいものじゃない。

 脛に傷ある身だからこそ、彼女達の気持ちが分かるってだけ。


 「紺ちゃん。……ごめんなさい」


 一部始終を静かに見守っていてくれた紺ちゃんを振り返り、改めてそう言うと、彼女は小さく息をつき「あれはあなたのせいじゃなかったわ」と答えた。

 紺ちゃんには何もかもお見通しなんだ。そのことに、深く安堵する。

 紅は黙ったまま、私と紺ちゃんのやりとりをじっと見つめていた。



 ようやく休み明けの浮き足立った雰囲気が落ち着いてきた頃。

 とうとう春冬祭の前日がやってきましたよ。

 前夜祭なんて云う楽しいイベントはなく、私たちはお揃いのスタッフTシャツを着て、最終チェックに走り回った。

 途中で見かけた栞ちゃんは「唇が疲れ過ぎてハイトーン出えへん」と半べそをかいてました。頑張れ! と大きなジャスチャーで励まし、パイプ椅子の運搬を手伝いに行く。指に怪我をしないように、軍手の下には更にぴっちりしたゴム手袋をはめさせられてるから、暑いのなんのって!


 「先輩~。手が燃えてるんすけど~。軍手外していいっすか?」


 泣きそうな声が遠くで上がったものの「燃やしとけ! 指に怪我したらぶっ殺すぞ!」という野太い返事が返ってきてます。

 近くで長机を持ち上げたていた上代くんは「今ので寒なったわ」とぼやき、私も深くそれに頷いた。


 ようやく全ての設営と劇のリハーサルが終わり、春冬祭実行委員長の草野先輩が、当日のタイムテーブルを全員に配布した。

 中庭に全員を集め、注意事項をメガホンで叫ぶように説明する。

 多分喉が嗄れちゃって、叫ばないと声が出ないんだよね。彼が声楽科じゃないことを祈るばかりです。


 「くれぐれも怪我のないように! 一年に一度の伝統あるこの祭りを、寮生全員で成功させましょう!」

 「おー!!」


 盛大な応答が周りから上がる。私も一緒に、拳を突き上げた。

 こうやって汗まみれになりながら、一つのことをみんなで頑張るのってすんごく楽しいっ。


 「じゃあ、また明日ね~」

 「寝坊すんなよ」

 「そっちこそ!」


 口々に言い合いながら、建物の中に戻ろうとしたところで、ちょうど私の部屋の外にあたる場所に誰かが立っているのに気がついた。

 何かあったのかな?

 近づいてみると、30歳後半くらいの女性だった。首から下がっているIDを確認して、警戒心を緩める。


 「こんばんは。何か気になることがありましたか?」


 19時近くになっているけど、まだ8月の空は薄明るい。

 懐かしそうに目を細めてプリマヴェーラを見上げているその人の表情はよく見えた。


 「あら、こんばんは。設営お疲れ様」

 「いえ。こちらこそお手伝い、ありがとうございました!」


 勢いよくペコリとお辞儀をした私を眺め、女性はふふ、と口元に手を当てた。


 「元気ねえ。私にもそんな時代があったのかと思うと、不思議な気分だわ」

 

 そして、視線を再び建物に向け、「ねえ」と言葉を続ける。


 「今、スタインウェイの置いてある101号室に入ってる生徒さんがどんな方か、ご存知?」


 どうしてそんなことを聞くんだろう。

 私です、って正直に答えてもいいけど、ここは様子をみるべきかな。

 俊巡した私の表情を見て、彼女は大きく手を振った。


 「いやね、これじゃ探偵みたいよね。違うの」


 彼女は瞳を和ませ、遠くに視線を放った。

 思い起こしている相手は、きっとこの人にとって大切な人に違いない。

 

 「私の大好きなピアニストがね、101号室に住んでいたのよ。私は彼女が世界的なコンクールで優勝する前からずっと、この先も輝かしい音楽家の道を進んでいくに違いない、と信じていたの」


 ひとつため息をつき、女性は肩をすくめた。


 「人生はままならないものね。彼女の足元にも及ばなかった下手っぴいな私がプロになれたのに、彼女は音楽を失ったんだもの」


 ――――音楽を失った――――


 心臓が早鐘を打ち始める。

 私は、乾いた唇を舐め、短く息を吸った。


 「それは、もしかして森川もりかわ 理沙りささん、ですか?」


 彼女は、おや、というように首をかしげ、それから嬉しそう手を合わせた。


 「まあ、お若いのにご存知なのね! ええ、そう。『世界の森川』はプリマヴェーラに住んでいたの。ほら、あの窓。101号室のあの窓を開けて、彼女はよくピアノを弾いていたわ。まるで、誰かに聴かせるみたいにね」


 それが、カンタービレなのかどうか。

 確かめる勇気は、どうしても出なかった。


 ……そうなの? トビー。

 あなたが中庭でヴァイオリンを構えていたのは、二度と聞こえるはずのないピアノの音色を追う為だったの?



 

折り紙造花についての一文を付け足しました。

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