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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
126/161

20.疑惑

 成田邸に到着すると、そこには千沙子さんまでやって来ていた。

 みんなが集まっている応接間まで案内してくれた執事の田宮さんが、去り際小さな声で「今日のお召し物も、とてもよくお似合いです」と褒めて下さいましたよ。片目ウィンクつきのチャーミングな言い方で! 成田邸には老若問わず色男しかいないのか。恐るべし。


 部屋に入った私を、まっさきに出迎えてくれたのは紺ちゃんでも紅でもなくて、セレブママーズでした。

 上品なサテンのツーピースをお召しになってる千沙子さんと、淡い紫のカシュクールワンピースをお召しになってる桜子さんは、満面の笑みを浮かべて私を取り囲んだ。


 「ましろちゃん、久しぶりね! 学院では酷い目にあったんですって? 傷は残らなかった? 主人から話を聞いた時は心臓が止まるかと思ったわ。ご両親もさぞご心配なさったでしょうね」

 「女の子にたとえ見えないところでも傷が残るなんて、ぞっとするわ。でも大丈夫! うちの紅が喜んで責任を取りますからね!」

 

 口々にそんなことを言ってくるもんだから、返事をするタイミングが掴めない。

 大歓迎して下さってる事と、あの事件で心配をかけてしまったらしい事は分かりましたが、途中とんでもないワードが混ざっていたような――。ん? 責任?


 「母さん! 千沙子さんまで!」


 紅は、ゆったりめの七分袖のカットソーに濃い色目のジーンズを合わせて、おうちカジュアルって感じの恰好。着る人を選ばない無難なスタイルなんだけど、紅が着ていると物凄く垢抜けて見えるのが流石という他ない。お値段もかなりのものなんでしょうね。ゴクリ。

 どこぞのドンのようなファッションチェックに逃避している私をママーズから奪還し、紅は彼女達を軽く睨んだ。


 「ましろが驚いてるだろ。はしゃぎ過ぎ」

 「ええ~、だって」

 「そうよ、ようやく紅の恋人になって貰えたんでしょ? 私達、嬉しくって」


 こ、恋人!?

 うわあ、めちゃくちゃ恥ずかしいです、その表現。私たちの身の丈に合ってない感がひしひしと迫ってくる。

 だって『恋人』ってもっと密な関係のことを言わない? 愛し合ってて一時ひとときも離れたくない~ひしっ、みたいな。私と紅の場合はまだ、喧嘩友達にちょろっと毛が生えたレベルですよ。

 デートだって一回しかしてないし。べ、別にもっとしたいとか思ってないけど。


 「もう~。母様たちは紅を応援してるの、してないの? 母様たちのせいで紅が振られちゃったら可哀想でしょ」


 呆れ顔の紺ちゃんにまで窘められ、2人は揃ってがっかりしたように肩を落としている。

 ああ、そんな顔されると心が痛む。


 「あの、大丈夫ですよ。歓迎してもらえるの嬉しいですし、本当に良くして下さって、私って幸せ者だなっていつも思ってます」

 「ましろちゃん!」

 「ん~、やっぱり可愛いっ!」


 テンションが非常に上がってしまった桜子さん達にしばらく構い倒され、そのままお昼ご飯まで同席させて貰った。何だかんだ云って付き合い長いし、私は本当に楽しいんだよ?

 だけど、紅と紺ちゃんは明らかに不満そうです。

 ちらっと目が合う度、紅は何かを言いたげに口を開くんだけど、桜子さん達がすぐに気づいて興味津々の眼差しで食い入るように凝視するもんだから、そのまま黙って食事に戻ってしまう。


 「紅ってば、まさか照れてるの? 気にしないで、あまーい会話を繰り広げていいのよ」

 「そうよ、私達のことは空気とでも思って」


 こんな濃い空気じゃ息も上手く吸えません。

 紅も私と同じ意見だったらしく、軽く首を振って


 「母さん達こそ、俺のことは気にせずにましろと話したら? どうせ、昼からは出かけるんだろ」


 と平然とした顔で答えた。


 「え? 特に用はな――」

 「出かけるんだろ?」


 桜子さんの声に多い被せるように、紅が声を強める。

 にっこり微笑みながらの台詞だったのに、桜子さんと千沙子さんはサッと視線を逸らして食事に集中し始めた。紺ちゃんはクスクス笑って肩を震わせている。


 「言っとくけど、私は出掛けないわよ、紅」

 「それは残念」


 わずかに眉を上げて即答した紅を、紺ちゃんは含みのある視線でいなした。


 「ましろちゃんと少しでも長く一緒にいたいのは、紅だけじゃないんだから」

 「ふうん」


 紅も、一瞬怪訝そうな表情を浮かべて紺ちゃんを眺めた。

 まただ。

 昨晩の電話での会話が脳裡をよぎる。


 「紺ちゃん、どうしたの? なんだか急に寂しがりになっちゃったみたい」


 何の気なしに口にした言葉だったのに、紺ちゃんは食い入るように私を見つめ返してくる。まるで、目に焼き付けておこう、とでもいうように。


 「寂しい、のかな。……そうだね、寂しいのかもね。分かっていたことなのに、いざその時が来ると、決意が鈍りそうになっちゃう」


 言っている意味がよく分からない。

 

 紅も、困惑の視線を私と紺ちゃん、両方に向けた。

 紺ちゃんは一人納得したように頷き、紅茶のカップに手を伸ばす。

 

 桜子さんが「紺にもそのうち、きっといい人が現れるわよ。お兄ちゃんを取られて寂しがってる暇もなくなるわ」とのんびり口を挟んでくるまで、私と紅は紺ちゃんから目が離せなかった。


 素敵なフレンチを頂いた後、桜子さん達は「私達は用事があるみたいだから。ゆっくりしていってね」と名残惜しそうに私の手を握り、出かけていってしまった。あるみたいって、何だ。


 せいせいした、と言いたげな顔つきの紅に促され、二階のサンルームに上がった。

 張り出し窓がすごくお洒落で、天井にはアンティーク調のシーリングファンが回ってます。ゆったりとした一人掛けのソファーは、いかにもヴィンテージっぽい落ち着いた色目の小花柄。明治時代の外国人居住地のような素敵インテリアに、溜息が出ちゃいましたよ。


 「うわあ、素敵だねえ」

 「気に入ったなら良かった。好きな場所に座って」

 「ありがとう」


 部屋に入って真っ先に目についた、片側だけに大きな肘掛のついている猫足ソファーを選ぶことにした。珊瑚色のビロウド生地にタッセルがついてるやつ。少女趣味でもいいの。ロマンティック、最高!


 「紺、悪いけど飲み物を入れてきてくれない? あとは、そうだな。お茶請けに甘くないビスケットを焼いてきてくれると嬉しいな」

 「さっき食べたばかりなのに?」

 「だって、作るのに時間がかかるだろう?」


 紅も今日はちょっとおかしい。

 まるで紺ちゃんを追い払おうとしてるみたい。……まさかね。シスコン紅様に限ってそれはないか。

 もしかして遠まわしに、私に作ってこいって言ってんのかな。


 「分かったわ、しょうがないわね。ましろちゃん、ちょっと待っててね」


 紺ちゃんは、言葉とは裏腹な優しい眼差しで紅を一瞥し、両開きのガラス扉を押し開け、広い廊下に出ていってしまう。

 2人きりになった途端、紅は私の隣りに移動してきた。

 

 ええっ。

 

 このソファーは一応二人掛けなのかもしれないけど、華奢な作りで実際は一人用だと思う。微かな息遣いまで聞こえそうな距離の近さに、反射的に逃げ場を求める。が、スペースがありません!

 

 も、も、もしかして、これはファーストキスフラグですか!?


 脳内を独占し始めたピンク色の妄想は、次の瞬間、見事に粉砕された。


 「紺がおかしいって話、入学してすぐくらいにしたの、覚えてるか?」


 紅の口から飛び出た言葉に、私の意識はパチンと音を立てて切り替えられた。広いサンルームに落ちた一瞬の静寂が、耳を焼く。紺ちゃんの態度について不審を抱いてたのは、私だけじゃなかったんだ、とどこか安堵する気持ちと、何を言われるんだろうという不安がないまぜになった。


 「――うん、覚えてる。塞ぎこんで切羽詰った感じだったよね、あの頃。でも……そう、新歓明けくらいからかな。今度は急に明るくなって」

 「ああ。それに最近は、妙に周りを構いたがるようになってる。明らかにおかしいんだ」


 紅の所見に、私も大きく頷いて同意を示した。

 最近の紺ちゃんからは、上手く説明出来ないけど、何かが噛み合ってないような違和感を感じるんだよね。


 「――あいつが襲われた話は、ましろも知ってるだろ? それまでの紺は、どちらかと言えば甘えたがりで人懐っこい子だったんだ。だけど、事件以来、すっかり人が変わったように周囲に対して距離を置くようになった。無理もない話だよな。……だけど、亜由美のところに通い始めたばかりのお前には、すぐに心を許して懐いていった。初めてのピアノ繋がりの友達だからか? それにしては急すぎる。俺には、それが不思議で仕方なかった」


 紅の瞳の色が濃くなる。

 それに合わせるように、私の心拍数も上がって行った。

 

 ……紺ちゃんが前世の記憶を思い出した引き金は、刺されたショックだったのか。


 思わずお腹に手を当てる。どんなに恐くて痛かったことだろう。

 その話だけでも、私を動揺させるのには十分だったのに、紅は容赦なく言葉を紡いでいく。


 「頼む。何か隠してるなら、それが何なのかを俺に教えてくれ」


 ――ああ、どうしよう。どうすればいい?


 多分、酷い顔色になってしまっているんだろう。紅は辛そうに目を細め、私の頬に手を伸ばしてきた。私は堪らず、視線を外す。

 今、そんな風に優しく触れられたら、何を喋ってしまうか分からない。


 言えないよ。

 少なくとも、私の一存で話せることじゃない。

 それに、信じられると思う?

 私には前世の記憶があって、今のこの世界は恋愛シミュレーションゲームと同じ設定なんです。あなたはそのゲームの登場人物で、私が主人公ヒロインですだなんて。

 

 そんな荒唐無稽な話を、一体誰がそのまま受け入れられるだろう。

 私が紅なら、まず真っ先に相手の精神状態を疑う。頭、大丈夫? って思う。


 一言も発そうとしない私を見て、紅は再び口を開いた。


 「紺の発作が起きた、あれは中学の夏休みだったか。ほら、お前が電話で知らせてくれたことがあっただろう? あの日は、お前まで苦しそうで――」

 「もうやめて」


 ようやく押し出せた声は、みっともなく震えている。

 紅は、「一体何があるっていうんだ。俺では力になれないのか? そんなに信用出来ない?」とさらに追い打ちをかけてきた。


 「ごめん。違うの、そうじゃないんだよ」


 紅のせいではない。

 ううん、誰のせいでもない。ただ、『転生者』という私達にとっては紛れもない現実が、私と紺ちゃんをこの世界から浮いた存在にしているというだけ。

 ただそれだけのことが、こんなにも重い。


 紅を傷つけたいわけじゃない、それだけはない、と訴えたくて、紅の胸に手をついた。懇願するように、声を振り絞る。


 「でも、私を疑わないで。お願い。今は確かに上手く話せないことがあるけど、そのことで私の気持ちを疑わないで」


 紅は驚いたように息を呑み、それから「分かった」と短く答えてくれた。きっと納得はしていない。

 私の取り乱しようを見て、一端引いてくれたんだ。


 「――お前が話してもいい、と判断したら、その時は全部打ち明けてくれるか?」

 「約束する」


 真剣な表情で頷くと、ようやく紅の眉間の皺はなくなった。

 強張ったままの私の手は丁寧にほどかれ、そのままゆっくりと引き寄せられる。


 まだ胸がざわざわしてる。

 

 不安と苦しさを忘れたくて、素直に彼の腕に従い、胸元に額を押し当てた。そうだね。前にもこんなことがあったよね。

 あの時は、自分を好きじゃない紅になら許してもらえるかも、なんてふざけた言い訳をくっつけて彼に縋ったんだっけ。


 今は違う。

 大好きな人に、ここに居てもいいんだと許されたい。

 重大な隠し事をしたままの君でも好きだと――。


 「紅。……こう」


 何度も名前を呼ぶ私を、紅はきつく抱きしめてくれた。


 「大丈夫だよ、ましろ。俺はお前の味方だ。何があっても、だ」


 ああ。本当にそうなら、どんなにいいだろう。

 きつく目を閉じ、彼の温もりに救いを求める。


 


 ――本当のことを打ち明けますか?


 そんな選択肢が出ていたとしたなら。

 私はこの時、確かに『いいえ』にカーソルを合わせた。



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