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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
123/161

17.再会

 いつまで続くのこの雨、とみんなが文句を言い始めた6月の終り。

 絹糸のような雨がそぼ降る曇天の中、私は露草館のオーディオルームにやって来ていた。

 ここ数年の公開試験の記録をチェックしておこうかな、ってね。

 そう、もうすぐ初めての定期試験なんです。


 紅は、演奏研究の授業で出された課題を仕上げる為、図書室へ行くという。

 私を一人にすることを渋ってか「一緒に来いよ」って何度も誘われたけど、時間は有効に使うべき。試験前なんだし、それぞれの課題に集中しましょう。


 「一人で平気だって。オーディオルームなら人目もあるし。それに、あれから一度も嫌がらせはないって、紅も知ってるじゃない。同級生も選択授業で一緒の先輩達も、みんな気を遣って親切にしてくれてるし」

 「それはそれで心配だから言ってんの」


 分かってないな、と言いたげに前髪をかきあげる紅。

 この仕草は、彼が苛立っている時のサインだ。

 あの事件以来、紅の過保護っぷりには更に磨きがかかっている。


 「ここでちゃんと待ってるから。行ってらっしゃい」


 にっこり笑って手を振ると、紅は一瞬大きく目を見開き、それから嬉しげに口元を緩ませた。


 「もう一回言って、今の」

 「ちゃんと待ってるって?」

 「違う、最後の」


 どうして当たり障りない挨拶を繰り返して欲しいのかは分からないけど、そのくらいお安い御用ですよ。


 「行ってらっしゃい、紅」

 「ああ。じゃあ、また後で」


 紅も軽く手をあげて、図書室の方へと歩き出した。

 

 ふふ。今のって、なんか新婚さんみたいなやり取り……って! 

 何考えてんの、恥ずかし過ぎる!


 ああ、きっと真っ赤になっちゃってるんだろうなあ。ほっぺが熱いもん。

 残念過ぎる自分の思考回路に悶えながら、よろよろと私もオーディオルームへ向かうことにした。



 一人用のブースに入って、メニューから見たい映像を呼び出す。公開試験の分は、前期も後期も音のみの録音記録しかなかった。

 受付で借りたヘッドホンを耳に当て、しばらく生徒たちの演奏に聴き入る。

 なるほど、こんな感じなのね。どの生徒も無難に纏めてきてるけど、跳び抜けて上手いと唸ってしまうような演奏はないみたい。今年もこのくらいの水準なら、高評価が取れそうかな。


 せっかくここまで来たんだし、他にも何か見てみよう、と少し迷って。

 富永先輩の映像つきの演奏を探してみることにした。

 今の青鸞のピアノ科生で要チェックなのは、富永先輩と紺ちゃんだよね。

 ここらでいっちょ、ライバル研究と洒落こもうじゃないの。

 

 ところがなかなか見つからない。う~ん、探し方が悪いのかな。


 「何か探してる? お手伝いしましょうか」

 「あ、はい。ピアノ科の富永翔琉の――」


 その時、タイミング良くかけられた声に、思わず返事をしてしまった。


 「僕の?」

 「え」


 僕!?

 慌てて後ろを振り向こうとした私は、自分が座っているのが回転椅子だって失念していた。

 グルンッ、とそれはもう勢いよく椅子がその名の通り回転して、振り落されそうになる。


 「ひゃあ」

 「おっと――」


 半袖の制服から伸びた筋肉質の堅い腕に、しっかり抱きとめられました。みっともなく床に尻もちをつきそうになった私を支えてくれたのは、なんと富永とみなが翔琉かける先輩ご本人。

 学院で一方的に見かけたことは何度もあるけど、こうやって近くで話すのはコンクール以来だ。

 カッコ悪すぎる。……出来ればもっとマシな再会が良かったです。


 「す、すみません! あと、ご無沙汰してます」


 ええへ、と照れ隠しの笑みを浮かべて挨拶すると、富永先輩も優しい眼差しで「うん。久しぶり」と笑ってくれた。


 

 ここじゃなんだから、とオーディオルームを連れ立って後にする。

 下のカフェでお茶でもどう? と先輩は誘ってくれたんだけど、紅が心配するといけない。

 二階の歓談スペースで、彼が出てくるのを待つことにした。

 露草館の二階は携帯電話の使用が禁止されている。

 一階まで降りてメールで連絡を取ろうにも、紅のスマホも電源が落とされてるはずなんだよね。


 「ここからなら、図書室から出てくる人が見えるし大丈夫だろ?」

 「そうですね。すみません、せっかく誘ってもらったのに」

 「いや。あんな事件があった後だ。成田が君を心配するのは当たり前だよ」


 富永先輩の耳にも、一連の事件の顛末は届いてるみたい。

 大変だったね。何も助けになれなくてごめん、とも謝ってくれた。先輩が謝ることなんて、一つもない。

 ぶるぶると首を振ると、富永さんは何故か悲しげに目を伏せた。

 

 「沢倉さん達のことは、小等部の頃から知っていたけど、まさかそこまで暴走するとは思ってもみなかったよ。――そのくらい、成田に夢中だったんだろうね」


 最後の一言を、先輩はすごく辛そうに口にしたので、私もコクンと頷いた。

 

 悪いことをしてるって自覚があってもなお、止められない激情には、覚えがある。私はかつてその感情に身を任せ、花ちゃん達に酷いことをしてしまった。

 だから余計に、彼女達のことを思うと胸が痛い。


 すっかり萎れた私を見て、富永さんは「ごめん、思い出すのも嫌だよね」と明るく話題を変えた。

 

 「新歓での演奏、すごく良かったよ。やっぱり島尾さんの抒情的な表現力はずば抜けてるなって再確認した。玄田さんの演奏も、いつもと違ってたし、怖いくらいに息が合ってて驚いたな」

 「紺ちゃんの?」

 「ああ。中等部で何度か彼女の演奏を聴いたことがあるんだけど、もっと、テクニック重視なイメージだったんだ。あんな風に自分を解放する演奏も出来るのかって、ちょっと焦ったよ」


 無邪気な笑顔で話す富永先輩からは、ピアノへの豊かな愛情が伝わってくる。

 この人も、本当にピアノが好きなんだなあ。

 つられてニコニコ笑ってしまう。


 「富永先輩の演奏も、すごく素敵でした。鳥肌立っちゃいましたよ。ミスタッチも減りましたよね?」

 「あ、気づいてくれた? 今年から僕も氷見先生に師事してるんだけど、あの先生すっごく煩いんだよね、ミスタッチに。学外でずっとみてくれてる僕の先生は『まず、音楽を楽しめ』っていうのが口癖だから、そこまで細かいダメ出しされたことなくってさ。今、ちょっとグロッキー気味」


 大げさな溜息をついて天を仰ぐ富永先輩の手を、思わずガシッと握ってしまいましたよ。

 ここにいた! 私の同士はここに!


 「え――」

 「分かりますっ。氷見先生って鬼ですよね! いや、いい鬼なんですよ? もちろん。私たちの為を想って色々言って下さってるわけですし。でも、学外でも亜由美先生の細かなチェック、学内でも氷見先生のダメ出しの嵐で、もう、へっとへとなんですよ~!」


 最初はビックリした顔で握られた両手を見下ろしていた富永先輩も、ダメ出され仲間を発見し興奮してる私の愚痴を聞いているうちに、うんうん、と納得の表情になる。


 「そうだよな。島尾さんの場合、学外も松島先生だもんね。あの二人が兄妹弟子の関係って耳にしたことあるんだけど、本当?」

 「本当みたいです。コンヴァトで同じ先生の門下生だったんですって」

 「うわあ。嫌な一門だなあ」


 ですよねえ、と相槌を打ち、顔を見合わせ笑いあう。


 「――歓談中、割り込んで申し訳ないけど、まだかかりそう?」


 共通の話題を見つけたせいですっかり打ち解けた雰囲気の中、「ピアノレッスンしんどいあるある」を披露し合っていた私達。

 そこに突然、冷ややかな声が降ってきた。


 ぎくっ。


 明らかに不機嫌なこの声は。


 恐る恐る声のした方を見上げると、数冊の本を片手に無表情で私を見下ろしている紅と目が合った。その視線が、私達の両手に向かう。


 この時ようやく私は、自分が富永先輩の手を掴んでいたことに気が付きました。


 「うわああっ。ご、ごめんなさいっ!」


 パッと両手を離し、先輩に平謝りに謝る。


 「興奮しちゃって、つい。馴れ馴れしくてすみません!」

 「大丈夫だよ、僕は。成田には悪かったかな」


 なんてね、とお茶目に笑った先輩は、しょぼんと項垂れる私の頭を小さい子をあやすように撫でて、立ち上がった。


 「じゃあ、僕はこれで。また何かあったら相談して」

 「はい。ありがとうございました」

 「成田も、そんな怖い顔するなよ」

 「……」


 紅は無言のまま、富永先輩に軽く会釈した。

 絶対零度の空気を背後に感じつつも、富永先輩を見送る。

 彼の背中が見えなくなったのを確認して、今度は紅に向かって両手を合わせた。


 「オーディオルームにで声を掛けてもらって、せっかくだから話をしようかってなって、氷見先生のレッスンとかピアノの話をしてたの。それだけだから!」


 誤解しないでね、というつもりで一生懸命説明する。

 紅は黙ったまま一部始終を聞き、それから乱暴な仕草でドカッと隣のソファーに腰を下ろした。そのまま、ぐったりと背もたれにもたれ掛る。


 目元を片手で覆ったままの紅に、恐る恐る声をかけてみた。


 「……えっと。納得できませんか」

 「してるし、そんなことくらいでいちいち目くじら立てるつもりなんてない」

 「そう、ですか」


 じゃあ、その不機嫌オーラを速やかに収納して欲しい。


 「自分に呆れてた」


 ポツリ、と零された紅の呟きにギョっとなる。

 いつだって自信満々の俺様の台詞とも思えない。

 どうしたんだ、一体、しっかりしろ、と両肩を揺さぶりたいのを我慢して、言葉の続きを待った。


 「いつからこんなに心の狭い男になったんだろうな。お前のことになると、馬鹿みたいに感情が揺れるんだ」

 

 私が転生者じゃなかったら良かったのに、とこの時、心底思った。


 ただの成田 紅という男の子と出会い、その上で彼の抱えているトラウマを癒してあげられれば、それが一番良かった。でもそうじゃない。

 私は、すでに沢山チートずるしちゃっています。

 今の台詞も、イベントみたい、って一瞬思っちゃったの。最低でしょ。


 懺悔したい気持ちでいっぱいになりながら、そっと紅の膝に手を乗せた。


 「いい加減、俺に呆れてるんじゃない?」

 「ないよ。あり得ない」


 そうやって甘やかすなよ、と紅は苦しげに吐き出した。

 紅が苦しそうだと、私まで苦しくなる。

 どうしていいか、分からなくなる。


 ねえ、紅。

 私がボクメロの主人公ヒロインじゃなかったとしても、その感情を私にくれた?





◇◇◇◇◇◇



 寮と学院をつなぐ音楽の小道が、蝉の大合唱で包まれ始めた7月。

 三日間に渡って行われた一般教科と音楽科目の試験が、ようやく終わった。

 紅たちもそんなに消耗してないみたい。

 問題は、公開試験だ。


 「そういえば、ピアノ科以外の課題曲って何なの?」


 お昼休み、露草館で歓談中のいつものメンバーを見渡して聞いてみた。


 「ヴァイオリン専攻は、バッハの無伴奏ソナタ。蒼のとこは?」

 「うちは、カザルスの鳥の歌。美登里は?」

 「フルート専攻は、モーツァルトのフルート協奏曲だよ。二番一楽章の独奏部分ね。栞ちゃんは?」

 「ペットは、ハイドンのトランペット協奏曲やな。一楽章のソロんとこ」


 みんな、全然違うんだなあ。

 紅以外は、ピアノ伴奏が必要なんじゃないのかな? と不思議に思い、重ねて質問してみる。

 それには、蒼が丁寧に答えてくれた。

 

 「伴奏は、毎年うちのピアノ科のOBに頼んでるみたい。試験直前に合わせる練習が一回だけあるけど、合わせ慣れてるのか、すぐに呼吸を掴んでくるって話」

 「ほほう。それもスゴイね」

 「まあ、採点基準はあくまでアンサンブル能力じゃなくて、テクニックと表現力にあるわけだから、少々合わなくてもそこまで神経質にならないんじゃない?」


 そんなものなのか。

 コンサート用に完璧に一曲を仕上げる、っていうのとは確かに違うかもね。

 あくまでテストなんだし。


 公開試験は、専攻科目によって日が違う。

 演奏順はあらかじめ発表されるはずだから、みんなの演奏も聴きに行きたいなあ。


 「お前と紺の演奏も楽しみだけど、個人的には上代かみしろがどんな演奏するのか気になるな」


 紅が上代くんの方を見て、にやり、と笑うと、上代くんもわざと肩を回して見せた。


 「おう、楽しみにしといてな! って、確か成田は聴いたことあると思うで。俺、サディア・フランチェスカコンクールの二次まで残ったって言うたやん。どうせお前も、島尾さんの演奏聴きに会場まで来てたんやろ?」

 「ああ。けど、ましろの演奏しか覚えてない。上代はあの時、何を弾いたの?」

 「真顔でノロけんの、もういい加減にやめよ? な! 俺が弾いたんは、リストのメフィストワルツやで」


 ん? リストのメフィストワルツって、確か――。


 「分かった! 私の前に演奏した人だ。そうだよね?」


 力強い演奏スタイルの持ち主だった背の高い男の子。

 ようやく思い出せてスッキリした私と、しゅんと眉毛を下げた上代くんを残し、他の5人は揃って同情の溜息をついている。


 「ましろのすぐ前って、悲惨」

 「確かに。どうしても高い点をつけ辛いよね、本命の直前ってさ」

 「シンの演奏も悪くなかってんけどなあ」


 口々にそんなことを言う蒼たちを見回し、上代くんは気を取り直したようにテーブルを叩いた。


 「今回はリベンジや! ショパンとバッハは結構得意やし!」


 蒼はそんな上代くんを黙って眺め、それからニコリ、と微笑んだ。


 「ましろは、どっちとも物凄く得意だよ?」

 「……でしたよね」


 うう、と呻いてテーブルに突っ伏した上代くんを、栞ちゃんがよしよし、と慰めた。




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