表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第一章 小学生編
12/161

スチル4:鳶(出会いイベント・紺)

 オペラといえば、声量、表現力共に豊かな歌手のイメージが強いかもしれませんが、歌劇、というだけあって、舞台装置の素晴らしさも見どころの一つでしょう。『蝶々夫人』は当時大流行したジャポニズムが色濃く影響した作品です。衣装にも注目すると楽しいかもしれません。

 

 こんにちは。日曜日の昼下がり、いかがお過ごしでしょうか、島尾 真白です。本日は、この大ホールからお届けします。

 とかいってみる。テンション高めですみません。


 もうじき幕が開く。

 逸る気持ちを抑えようと細く息を吐き、赤い緞帳を見つめた。


 

 『蝶々夫人』――プッチーニの有名なオペラは、アメリカの海軍中尉・ピンカートンが現地妻を斡旋してもらう場面から始まる。


 ピンカートンは「人生は楽しまなくっちゃ!」という非常に享楽的人生観の持ち主で、ここ日本でも着物姿のゲイシャといちゃこらしようと鼻の下を伸ばしてやってくる。

 ゲイシャっていうのが、我らが蝶々さんだ。

 ところが、彼女は元は武士の娘。

 結婚を本物と勘違いし、なんとキリスト教に改宗までしちゃうんです。その結果、僧侶である伯父さんは激怒し、彼女は親戚全てから縁を切られる羽目に。

 アメリカ領事のシャープレスさんは、清純な蝶々さんを悲しませるのは良くないよと忠告するのですが、ピンカートンには馬耳東風。


 『私が本当に結婚する日と、花嫁となるアメリカ人女性にかんぱーい!』とか言っちゃってます。


 ピンカートンめ!


 第一幕の見せ場である、蝶々夫人とピンカートンの二重唱はものすごーく素晴らしかった。

 甘い夜を共に……。束の間の幸福に酔いしれる蝶々さん。生オケの演奏とぴったり重なる見事なハーモニー。

 

 ――『今の私にとって あなたは全てです。初めて会ったその瞬間から 私の全てになったのです』


 ピンカートンを一途に慕う蝶々夫人の台詞が、私の胸に突き刺さってきた。

 うう。切ないよう。


 紙に印刷されたぺらっぺらの紅さまに一目惚れした、かつての自分が嫌でも浮かんできてしまう。

 私もまさにそんな気分だったの。分かる、分かるよ。

 

 オペラって怖い。すっかり私もヒロイン気分だ。

 二次元ヒロイン。……洒落になってない。


 一時間弱の第一幕が終わり、客席の照明が戻る。

 うっとりとハンカチを握りしめ余韻に浸っていた私の肩を、紺ちゃんが優しくつついた。


「先生がホワイエで飲み物でもどうかって。行こうよ、ましろちゃん」


 ホワイエ、というのは休憩時間に飲み物や軽食を味わえる場所のこと。

 休憩所って呼ばないところに痺れるでしょ。実はこっそり調べてきたんだ。

 私はお腹にグッと力を入れて、立ち上がった。


 そう。例のイベントは、この幕間に起こるんです。


 美しい曲線を際立たせるシャンパンゴールドのスーツを身につけた亜由美先生と、ビスクドールのように愛らしい紺ちゃんペアは、ホワイエの中でも目立ちまくっていた。

 私も一応よそ行きのワンピースを着てきてはいるんだけど、彼女たちの小間使いにしか見えないんじゃないかな。ははっ。悲しくないよ!


 先生はまっすぐにブッフェに入り、ジュースを頼んでくれた。よくここに来ていることが分かる迷いない足取りだ。席は予約してあったし。

 どこまでもスマート。それがセレブ。


 「どうだった?」と先生に感想を求められたので、素直に「ピンカートンに腹立ちます」と答えたら、鈴の音のような美声でころころと笑われた。

 「きちんと粗筋を予習してきたなんて、エライわね」とも褒められる。

 

 あらすじどころか、有名なオペラはほとんどDVDで制覇しましたとも言えないので、曖昧に頷いておいた。

 驚かれたくないし、音楽に興味を持ったきっかけなんて、今となっては思い出したくもない。

 紺ちゃんは「二幕のアリア、楽しみだなあ。最後は泣いちゃうかも」などと可愛いことを言っている。そっか、そういう風にいえば良かったのか。


 ジュースを飲み終え、さてそろそろ戻ろうか。トイレは大丈夫? などと話していた時。

 隣に座っていた紺ちゃんが、頬を強ばらせぎゅっと私の手を握ってきた。

 

 ん? どうしたんだろ。

 

 目をあげると、ブッフェの入口から長身の男性が近づいてくるのが見える。


 その男性をまじまじと凝視し、私はおお、と感嘆した。


 サラサラと流れるようの金髪は上等な絹糸のよう。

 長い前髪を二つに分け、片方は耳にかけている。碧色の瞳は、宝石のように輝き、高い鼻梁と薄い唇はこれしかないという絶妙なポジションに配置されている。中性的で繊細な美貌。

 

 間違いない。この人が、トビー王子だ。


「It’s  been such a long time.Ayumi」

「あら、トビー。本当に久しぶりね。今日はアリサと一緒なの?」


 流暢な英語が彼の口から発せられたが、亜由美先生は私達を気遣ったのか、日本語で答えた。


「いや。姉にはどうしても外せない用事が入っていてね。……今日はずいぶん可愛いお連れさんと一緒なんだね?」


 トビー王子も状況を察したのか、日本語になった。

 喋れるのなら、最初からそっちでいったらどうだろうか。ここ、日本ですし。


「うちの生徒たちよ。こちらは紺ちゃん。すでにコンクールでの入賞経験もある将来有望な子なの。こちらは真白ちゃん。最近ピアノを始めたばかりなんだけど、とっても筋が良いの。今日はいい勉強になると思って連れてきちゃった」

「ふうん。よろしくね、コン、それにマシロ。音楽を続けていくには強力なライバルが必要だ。君たちが将来有望なピアニストに育つのを、楽しみにしているよ」


 まるで台本を読んでいるかのように、滑らかな語り口だった。

 紺ちゃんの眉がピクリと動く。

 彼女は、憧れの君に会えたというのに、完全に普段通りだった。ううん。むしろ冷ややかといってもいいくらい落ち着き払っている。


 かすかな違和感が胸に浮かぶ。

 私が紅さまとファーストコンタクトを取った時なんて、舞い上がりすぎて挙動不審の塊だったのに。

 すごいな、紺ちゃんは。元24歳は伊達じゃない。


「忙しいあなたがわざわざ足を運んで見に来るなんて。もしかして、仕事の一環かしら?」


 亜由美先生が尋ねると、彼は軽く頷いた。

 その動きに合わせて、金絹のような髪がキラキラと揺れる。


「まあ、そうかな。いや、どうなるかはまだ分からないが」


 将来的に音楽学校を経営する話が、すでに出てるのかもしれない。

 何となくだけど、彼の口ぶりからそう思った。


「じゃあ、もう行くね。連れを待たせているから。さよなら、可愛いピアニストさんたち」


 私と紺ちゃんの頭を交互に撫で、トビー王子は去っていった。

 

 ブッフェの入り口で、モデルさんのようにスラリとした背の高い女性が彼を待っているのが見える。

 トビーと肩を並べ、彼女は形のいいお尻を私達に向けた。紺ちゃんは二人の背中を固い表情のまま見送っていた。

 

 恋人かな。いい年した美青年に、いないわけないか。

 紺ちゃん、大丈夫かな。


「先生、今の方は?」


 とりあえず先に先生に尋ねてみることにした。

 とっくに誰かは分かってるけど、聞かないと話の流れ的に変だから。


「ごめんなさい、あなたたちにも紹介するべきだったわね。彼は私の友人の弟なの。山吹やまぶき とびさんっていうのよ」


 納得したように相槌を打つ私達を見下ろし、先生は不思議そうに首を傾げた。


「驚かないのね。かなり変わった名前でしょう?」


 紺ちゃんは愛らしく眉を顰め「私には同意を求めないで下さいね、真由美先生」と唇を突き出した。

 

 確かに。

 ボクメロ世界のネーミングってすごいよね。

 思わず笑ってしまった私を肘で小突き、つられるように紺ちゃんも笑った。トビーの恋人のことは気にしてないみたいだった。



 和やかムードのまま席に戻ろうとホワイエを出たところで。


「紺! 亜由美と来てたのか!」


 ここにいるはずのない赤い悪魔の声が聞こえてきた。

 

 とっさに亜由美先生の背中に隠れようとしたが、時すでに遅し。

 私を認識した紅さまのまなじりがきつく上がっていく。

 おぞましい害虫でも見つけたかのような嫌悪の眼差しに、正直いってかなり傷ついた。


「……あれ。俺の目がおかしいのかな。ボンコまで見えるんだけど」

「前も言いたかったんだけど、私はボンコって名前じゃないよ」


 へこんでる場合じゃない。なけなしの勇気をかき集め、一歩前に出る。

 こうなったら、直接対決してやろうじゃないの。


「ああ、パッとしない上に察しまで悪いのか。ボンコっていうのは、俺がつけてあげた愛称だよ。平凡な子でボンコ。お前にぴったりだと思わない?」


 ――この野郎!


 カッとなった私が手を上げるより早く、亜由美先生がペチン、と紅さまの頬をぶった。


「いい加減になさい、コウ。あなたがどういうつもりか知らないけれど、私の生徒を侮辱するのは金輪際止めてもらうわ。……行きましょう、二人とも。せっかくのオペラがこれ以上台無しにされる前に」

 

 亜由美先生が庇ってくれた!

 従弟の紅さまから、弟子になったばかりの他人の私を!

 

 感激に打ち震える私をよそに、紺ちゃんまで腕を組んで紅さまを非難した。

 

 「あなたがやってるのは、ただの八つ当たりよ。いい加減、目を覚まして」


 紅さまはぶたれた頬を押さえようともせずに、ただ俯いていた。

 頼りなげなつむじが、ふと目に入る。

 

 彼だって蒼くんと同じ、まだ8歳の小さな男の子なんだ。

 

 私はこの時になってようやく、現実を客観的に見ることが出来た。

 8歳の男の子の癇癪を真に受けて、やり返そうとするなんて……。

 

 生身の彼に二次元のキャライメージを押し付け、浮かれたりがっかりしたりしていた自分が恥ずかしくなる。


「これ、濡らしてほっぺ冷やした方がいいよ。……成田くんには信じて貰えないと思うけど、私は絶対に紺ちゃんに危害を加えたりしないから」


 ワンピースのポケットからハンカチを取り出して、彼に差し出す。

 

 きっと侮蔑の表情つきで断られるだろう。

 それでも、放ってはおけなかった。

 紅さまの心の傷は、この時点ではまだ生々しいものだったはずだから。

 

 紅さまを好きになった女の子たちは例外なく、紺ちゃんの存在を許容しなかった。

 その結果、わずか6歳で紺ちゃんは、4つも年上の少女に刺されてしまったのだ。凶器はハサミ。紺ちゃんの脇腹にはその時の傷がまだ残っている。

 驚き悲しんだ彼らの二組の両親は、紺ちゃんと紅さまを別々の小学校に入れることにした。


 苗字も違えば容姿も似ていない二人を、双子だとは思わなかったのだろう。

 紺ちゃんを刺したのは、紅さまの通っていたヴァイオリン教室の子だったそうだ。

 最愛の妹を危険に晒してしまった自分を、彼はまだ許せていない。

 

 あまりにもタイミングよく、紅さまの大切な人たちの前に現れた私。

 しかも、初対面からあからさまに自分への好意をあらわにしている。

 

 ――こいつも、いつ妹を襲うか分からない。

 

 幼い紅さまが短絡的に判断したのも、ある意味仕方のないことだった。


「……ごめん」


 小さな声で紅さまは呟き、私のハンカチを受け取ってくれた。

 

 謝ってくれるとは思ってもみなかったので、カッと目を見開いてしまいましたよ。しゅんと萎れてしまった彼は、頼りなげで可愛らしかった。


「いいよ。じゃあ、次からはボンコって呼ばないでね」

「いや、それとこれは別。お前、マジで平凡過ぎ」


 ――くそー! 前言撤回! やっぱり可愛くない!!

 



◆◆◆◆◆◆


 

 本日の主人公ヒロインの成果

 

 攻略対象:成田 紅

 イベント:やっぱり犬猿けんえん

 

 前作主人公の成果


 攻略対象:山吹 鳶

 イベント:金を生む幼木


 無事、クリア




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ