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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
ルート:紅
117/161

11.初デート(前編)

 理事長室を出て下校口まで降りていくと、廊下の壁にもたれかかるようにして紅が立っていた。

 険しい雰囲気を漂わせているせいで、誰一人近づこうとしない。遠巻きに内部生の女の子達が「みて、紅様よ」「相変わらず、素敵ねえ」なんてうっとり眺めてるだけ。

 

 紅はすぐに私に気づき、ふっと目元を和ませた。

 今の彼にそんな優しい表情をさせられるのは自分だけだ、と思うとその場でタップダンスでも踊りたい気分になる。フレッド・アステアみたいに……って、おい。変人か。


 「どうだった。嫌なこと、言われなかったか?」

 「ぜーんぜん。逆に『大事な生徒だから守ります』的なこと言われたよ。あ、ただし新歓できっちり演奏出来たら、の条件付き」

 「また条件か。つくづく取引の好きな人だな」


 近づいてきた紅と並んで歩きながら、玄関ホールへと向かう。

 いつもは栞ちゃん達と帰るんだけど、今日はトビーに呼ばれて遅くなったから、紅が待っててくれたみたい。ぎくしゃくしてても、こうやってちゃんと守ろうとしてくれるんだよね。えへへ、嬉しい。

 さて、とローファーに履き替えようと思ったんだけど、あるべきはずの靴は無く下駄箱の中は空っぽだった。

 

 ――はい、きたこのパターン。

 もう~。窃盗はダメだって。新しく買うのにも、お金かかるんだからさあ。

 

 言い知れぬ脱力感を覚えた後、悲しい気持ちになった。

 悔しい、憎い、という彼女達の気持ちの奥底にあるのが『ポっと出のアイツ気に入らねえ』という驕りならまだいい。だけど、中には紅のことを本気で好きな子もいるんじゃないかな。

 私にも覚えがあるからこそ、胸が痛かった。

 ねえ。そのドス黒い感情は、自分すら傷つける諸刃の剣だよ。もう止めようよ。


 

 先に上履きから履き替えた紅が、訝しげに私を振り返る。


 「どうしたの?」

 「靴、盗られちゃったみたい。寮が近くて良かった。流石に上履きで敷地の外歩くのって勇気いるもんね」

 「――――ましろ」


 悔しげに唇を噛みしめ俯く紅に、更に胸が痛んだ。

 そっと近づき手を伸ばすと、いまにも爆発しそうなやり場のない怒りの熱が伝わってくる。

 馬鹿だなあ。

 私を傷つけられるとしたら、それは紅だけなのに。


 人差し指が彼の唇にかすかに触れた瞬間。

 紅は、信じられない、というように目を丸くして私をじっと見つめた。


 「噛まないで。傷になっちゃうから」


 以前、紅に言われたのと同じセリフをお返ししてみる。

 「ドキドキするでしょ?」と見上げて笑ったら、紅は小さな声で「参った」と言って笑い返してくれた。

 

 まあそれで済んだら、私の完全勝利だったんですけどね。


 学院のアイドルの異名は伊達じゃないようで、その後優しく指を掴まれ、関節に唇を寄せられたんですよ! チュッって……うわあああ。


 「こ、ここは学校ですけど!」

 「あれ、キスをねだってるんじゃなかったの? じゃあ、続きはどこでしようか」

 「どこでも駄目っ」


 すげえ、とか、成田、やり過ぎだろ、とか色んな外野の声が耳に飛び込んでくる。

 

 幸い例のお嬢軍団は見当たらなかったんだけど、寮の子達にはバッチリ目撃されたみたいで、夕食の時に散々冷やかされました。

 学院の王子様は攻めるなあ、とか、ましろ頑張れよ、とか。

 一般生はあの変な崇拝フィルター越しに紅を見てないって分かって、ちょっとだけ嬉しかった。1割くらいね。残りの9割はもちろん、恥ずかしさですよ!

 百戦錬磨の元ホストに下手な挑発は厳禁、と心に刻もうっと。

 


 


 「なんや、もう食べてたんか。俺もここ、ええ?」


 お風呂に入ったばかりなのか、上代くんは首にタオルをかけたまま食堂に姿を見せた。


 「今日は遅かったんやね」


 私の隣りに座っていた栞ちゃんが、チラっと目を上げ、途端に飲んでいたお味噌汁にむせてしまう。


 「ちょっと! か、髪の毛くらい、ちゃんと乾かしてきたらどうなん!?」

 「はあ? 別にええやん。風邪ひくような季節ちゃうし」

 「そういう問題じゃあらへんの!」


 いつもワックスで散らしている髪をおろした濡れ髪の上代くんに、どうやらドキドキしちゃったようですねえ。栞ちゃんってば、可愛いなあ。甘酸っぱいなあ。


 「そういえば島尾、うちの寮で噂になっとったぞ」

 「え? 山茶花寮インヴェルノで?」

 「ああ。成田くんに玄関で押し倒されとったとか何とか」

 「んなわけないでしょっ!」


 今度は私が咳き込んでしまいましたよ! 破廉恥な!

 なんでそんな噂に……って、もしかして、あれかな。


 ――『靴がないなら仕方ないよね。おいで、抱いていってあげる』


 そう囁きながら微笑んだ紅に、危うくお姫様抱っこされそうになったという、ね。うん。

 もちろん全力で阻止しましたよ。

 だけど一瞬、破壊力抜群の低音に流されそうになったとか、誰にも言えやしない。

 眼差しも声も色っぽ過ぎて、頭がクラクラしたんです。紅様、恐ろしい子!


 「ましろは大人なんやな」


 赤くならないで、栞ちゃん。

 どんな想像してるのか知らないけど、それ絶対間違ってるから。


 


 そして、次の日の朝。

 いつものように3人で連れ立って食堂に入ろうとしたところで、寮母さんに声を掛けられた。


 「おはよう、島尾さん。ちょうど良かったわ。弦楽器科の成田くんって子が、玄関ホールで待ってるわよ」

 「え!?」


 朝の挨拶もそこそこに、慌てて寮の入り口まで走っていく。

 すれ違う同級生や先輩たちに「なに、どしたの?」とか「おっはよ、ましろ」とか声を掛けられるんだけど、とりあえず笑ってやり過ごし、ようやく到着。

 美しいアーチ型の天井の上の方には、見事な細工のステンドグラスが嵌められている。そこから差し込む虹色のお日様の光が、紅の艶やかな赤い髪に天使の輪っかを作っていた。


 「紅!」

 「おはよう、ましろ」


 長めの前髪をかきあげ、紅は私を眩しげに見つめてくる。


 「おはよう。どうしたの? 何かあった?」


 昨晩のおやすみメールには、今朝来るなんて書いてなかったのに。

 突発的な何かが起こったのかと思って、不安になってしまう。

 紅は「違うよ。何もない」と首を振り、私の前の三和土に真新しいローファーを並べて置いた。


 「登校するのに靴がないと不便だろ? 上履きはスペアを持ってるって前に言ってたけど、こっちはどうかな、って心配だった」


 青鸞はけっこう規則に細かくて、外履きも黒のローファーって指定されてるんだよね。

 とりあえず先生に事情を話して大目に見て貰い、週末に買い物に行けばいいかな、って思ってたんだけど、買って来て貰えるなんて想像もしていなかった。

 細やかな気遣いに、一気に気分が明るくなる。


 「ありがとう! サイズとかよく分かったね?」


 さっそくスリッパを脱いで履いてみると、誂えたみたいにピッタリだった。……私が履いてたのより、随分高そう。


 「母が知ってたよ。靴をプレゼントしたいって言ったら、教えてくれた」


 ああ、桜子さんなら知ってるよね。

 ……って、プレゼント!?


 「いや、いいよ。私のだし、お金払うよ」

 「ばあか。そもそもこんな目に合わせてるのは俺だっていうのに、受け取ると思う? いい加減、学習しろ」


 そっちこそ学習してよ。誕生日でもないのにプレゼントを貰ったりするのって、性に合わないの!

 言い募ろうとする私を見て、紅は苦笑を浮かべた。


 「ましろがどうしても気が引けるっていうなら、俺にもプレゼントして」

 「いいよ。何がいいの?」

 「お前の一日」


 はい?

 キョトンとした私の頭を優しく撫でて、紅は「デートしよう」と微笑んだ。


 

 

 


 ゴールデンウィークがやってきた。

 初めての長期休暇だし、寮に外泊届けを出して家に帰ろうかな、って思ってたんだけどね。

 父さんからかかってきた電話で「せっかくピアノに集中できる環境なのだから、そっちで頑張りなさい」と先に釘を刺されてしまいました。父さんの言う通りだ。……でも、もう一人の私が寂しい、と呟いて膝を抱えてしまう。

 携帯を握りしめたまま放心状態でベッドに座っていたら、すぐに母さんからも電話がかかってきた。


 「ましろ、大丈夫?」

 「うん、平気。父さんの言うとおりだし、こっちでうんと練習することにする。お姉ちゃんから聞いてない? 新入生歓迎会で演奏することになってるって。だから、紺ちゃんと連弾の練習もしなきゃいけないの」


 落ち込んでるなんて気取られたくなくて、一生懸命明るい声で喋る。

 母さんは、優しい声で「うん、うん」と相槌を打って聞いてくれた。


 「――って感じで、学校もすごく楽しいよ。だから、私のことは心配しないでね」

 「そうなのね。ふふ、良かったわ~。ほら、お金持ちの子ばっかり通ってるイメージが強い学校でしょう? 真白が肩身の狭い思いしてたらどうしよう、って実は父さんと心配してたのよ」


 『貧乏人は出てけ』という落書きを思いだし、ぎゅっと左手を握る。

 

 一生懸命働いて私達を育ててくれてる父さん達を馬鹿にされたのは、本当はすごく悔しかった。

 だけど、お金持ちじゃないのは本当のことだからさ。見返そうと思うのなら、ピアノで「貧乏人でもここまで弾ける」って証明するしかないんだ。


 うん、ホームシックにかかってる場合じゃないわ。やってやろうじゃん!


 休みに入る直前、使用申請の仕方を紺ちゃんに教わって桔梗館エスターテハウスの小ホールを押さえ、連弾の練習の段取りをつける。寮は寮生以外立ち入り禁止だから、そっちでは自分の課題曲を中心に練習。

 休みに入る前にごっそり出された課題を栞ちゃんと上代くんと一緒に勉強室でやったり、積み上げた問題集をかたっぱしから解いたりしてるうちに、あっという間に時間は過ぎていった。


 紺ちゃんとの連弾は、亜由美先生にがっつりしごかれたので、上々の仕上がりだと思う。

 「氷見さんにも一度きちんと聴いてもらってね」と念を押されたこともあり、休み明けすぐの放課後にアポイントも入れてあるんだよね。

 忙しい氷見先生も「シューベルトか。松島らしい選曲だな。楽しみだ」と笑みを浮かべて快諾してくれた。紺ちゃんと連弾するのは、これで3回目。すっかりお互いの呼吸を掴めているみたいで、二台のピアノに分かれて座っていても、すぐ隣に座っているみたいな感覚で音を合わせられる。


 そして今日は紅との約束の日。

 外門のところで10時に待ち合わせなのに、9時には準備が終わっちゃった。

 楽しみでなかなか眠れなかったのに、5時起きだったとかね。やる気満々過ぎる自分が恥ずかしい。

 遠足待ってる小学生並みに楽しみでしょうがなかったんですよ。だって、初デートなんだもん!


 鏡の前でもう一度身だしなみをチェックして、ちょっと早いけど外に出ることにした。

 時間になるまでピアノを弾こうかとも思ったんだけど、上手く集中できない気がしたのでスケールとショパンのエチュードで指だけ馴らして終了。


 「お、おめかししてデートか?」


 ちょうど渡り廊下からやってきたジロー先輩に声をかけられる。


 「えへへ。そうなんです。先輩は、勉強ですか?」

 「おう。まだあと2曲残ってんだよ、作曲の課題。ちょっとライブラリで集中してくる」

 「頑張って下さいね!」

 「お前もな。成田に喰われんなよ」


 ニヒヒと笑いながらからかってくるジロー先輩に、わざと作った顰めっつらを返して、軽い足取りで玄関ホールに向かう。 

 

 今日は半袖の襟つきミニワンピを着てます。ウエストをリボンでキュっと絞るタイプなんだけど、襟と袖ぐりのパイピングが可愛いの。下にレギンスを履こうかな、どうしようかな、としばらく悩み、花香お姉ちゃんの「ましろの生足は最高!」という変態じみた口癖を思い出した。

 信じるからね? 紅に引かれたら、責任とってよ?

 お気に入りのパンプスに足を突っ込み、よし、と気合を入れ直す。

 

 ちょっとでも可愛いって思ってもらえるといいなあ。

 でも、紺ちゃんやハイレベル揃いのファンクラブメンバーを見慣れてる紅だもんなあ。……過度な期待はすまいよ。


 ふんふん、と鼻歌を歌いながら、中庭を通って外門まで向かうことにした。

 薔薇が盛りですごく綺麗だ、と栞ちゃんに教えてもらったんだよね。まだ時間もあることだし、散策してからでも十分間に合うでしょ。


 ちょっとした迷路のようになっている生垣の間をすり抜けながら歩いていくと、噴水の置いてある開けた場所に出るはず。あと数歩でそこにたどり着く、という時。


 朗々と響くヴァイオリンの音色が聞こえてきた。

 わお! この音、『中庭の君』ではないですか!


 演奏の邪魔になったらいけないよね。

 足を留め、艶やかな「カンタービレ」に聴き入る。透明感あふれる演奏は、まるで天上の調べのよう。弾き手の清らかさ、一途さが溢れて伝わってくるような音色だった。

 

 こんなに上手いんだもん、一年生じゃないだろうな。三年の寮生の誰かだろうか。

 一体、誰が弾いてるんだろう。


 うう、気になる。

 失礼は承知の上でこっそりと屈みこみ、生垣の隙間から中庭を覗いてみた。


 「えっ」


 慌てて口を両手で押さえ、息をとめた。自分の目が信じられなくて二度見してしまう。


 すっきりと整った長身を姿勢よく伸ばし、ヴァイオリンを構えているのは、なんと山吹理事長ではないですか! 

 えええええ!? 音色と人格の乖離かいりが酷過ぎる!

 ……いや、双子の可能性もあるかな。ないよね。


 とりあえず、逃げるが勝ち!


 私は立ち上がってくるりと周れ右をし、脱兎のごとくその場を走り去った。



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