7.初日
とりあえず初日は、入学式と教科書一式の配布だけみたい。
最初の一週間のうちに、五科目の実力テストと希望授業を決めるオリエンテーションがある、と担任の先生は講堂で説明してくれた。
ちなみに、うちのクラスの担任は数学科教師の後藤先生。育ちの良さがにじみ出ている清楚な感じの女性教師です。
クラス担は、一般科目の先生が受け持つんだって。音楽科目の先生は、大学の方でも授業を受け持っていることが多いからって理由らしい。
公立学校しか通ったことのない私は、まず席順に驚いた。
教室に入り、出席番号順だと思って自分の座る机を数えてたら、紅に腕を取られ、さっさと窓際の一番前の席に座らされてしまったのだ。
……身長差があるからだろうけど、紅は大抵私の腕を持って引っ張るんだよね。手でもいいのに。
私を窓側に座らせ、自分はその隣に座る。
蒼は私の後ろ、その隣に美登里ちゃんが腰を下ろし、紅の隣りに紺ちゃんが座る。
あれよあれよという間に勝手に席を決めちゃった彼らを、誰一人として咎めようとしないところを見ると、どこでも好きな場所に座っていいシステムらしい。
一般生の上代くんと栞ちゃんも、教室の入り口に立ち止まったまま、まごついてるみたい。
こっちに呼ぼうと手をあげかけたところで、先に美登里ちゃんが彼らを手招きしてくれた。
「私たちの後ろが空いてるわよ。良かったら来ない?」
「ありがとう。これ、席って決まってへんの? 勝手に座ってええんかな」
ホッとした顔でやって来た栞ちゃんの質問に、私も内心「そう、それ!」と叫ぶ。良かった、仲間がいた。
「決まってないよ。好きな場所に座ればいいの。せっかく同じクラスになれたのだから、分からないことがあったら何でも聞いてね」
紺ちゃんが二人を振り返り、眩いばかりの笑みを浮かべて答えたので、上代くんも栞ちゃんもほっぺが赤くなってしまった。美少女の無自覚攻撃、クリーンヒットです。
「図々しいようやけど、すごく助かる。よろしくお願いします」
上代くんの言葉に、美登里ちゃんもニッコリ笑った。
「私も青鸞には来たばかりだから、色々知りたいわ。ねえ、終わったらみんなでお茶しにいかない? 情報交換会しましょうよ」
「あ、それ賛成! 私も行きたい」
美登里ちゃんの提案にすかさず乗ってみる。
ほんまにうちらまでええんかな、と躊躇う栞ちゃんに両手を合わせ拝むと、ふにゃりと笑って頷いてくれた。
せっかく知り合えたんだもん、仲良くなれそうなチャンスを逃したくない。
「コウとコンはもちろん来るでしょ。ソウはどうするの?」
「真白が行くなら行く」
「刷り込みされたひよこか! いい加減マシロ離れしなさい!」
ふん、と蒼はそっぽを向いてしまう。
キレのある美登里ちゃんの突っ込みは上代くんのツボを突いたらしく、しばらく彼は拳を口元にあて肩を震わせていた。
紅と紺ちゃんの方を窺うと、二人ともいいよ、というように頷いてくれる。
ホッと胸を撫で下ろす私を見て、紅は目元を和ませた。
「同じ寮生なんだって? 楽しそうな友達が出来そうで良かったじゃないか」
「うん! 正直心細かったから、嬉しい。音楽ではライバルかもしれないけど、それ以外では皆で仲良く出来るといいな」
中学時代がすごく楽しかったという話は紅にもしてある。きっとそれを思い出してくれたんだろう、紅も「そうだな」と同意してくれた。
他愛ない話で盛り上がれる気の置けない仲間がいるって、素敵だもんね。
やがて後藤先生が現れ、必要書類や教科書やらを配布した後、教室をぐるりと見回した。
「さっそく明日からテストですので、皆さん頑張って下さいね。今日配布した書類は、今週中に提出すること。それから専攻の担当講師だけど、希望者数が多い場合はこちらでの選考を経た割り振りになるから了承してね。質問があれば、オリエンテーションの時に受け付けます。では、玄田さん。悪いんだけど、今年の級長をお願いできるかしら?」
「はい、先生」
「では、号令を」
紺ちゃんが綺麗な声で、「起立。礼」の号令をかけると、全員が立ち上がってそれに合わせて軽く頭を下げた。学級委員決めとか、いちいちやらないんだ!
新たなカルチャーショックに目を瞬かせつつ、私も慌てて立ち上がって一礼する。
後ろの方から美登里ちゃんの「What’s all this?(なに、これ)」という呟きが聞こえてきて、ちょっと笑ってしまった。
イギリスにはない習慣だったのかな。
貰った教科書がずっしり重いバッグを、とりあえず寮に置いてから、お茶しに行くことになった。紅たちの荷物はどうするのか、と尋ねると「外で水沢が待ってるから、車に載せる」と即答される。
「私も、能條が」「うちも運転手が来てるわよ。ソウもでしょ」「ああ」
――セレブ、爆発しろ!
「じゃあ、うちらだけやな。行こか」
「うん。じゃあ、待ち合わせはどうする?」
「寮の外門、分かるか。学院側じゃない方の。あそこに車を回すから、荷物置いたら出てきて」
紅の答えに頷き、上代くんと栞ちゃんと並んで教室を出ようとしたところで、もう一度紅に引き留められた。
「気を付けろよ。2人から離れるな」
「分かってる。ありがと」
入学式前のいざこざを指してるんだとすぐに分かった。
幸い、1―Aには沢倉さんや宮路さんなどの主だったファンクラブメンバーはいないみたい。
紺ちゃんから最初にもらったボクメロリメイク版攻略ノートにも『持ちあがり組の良家の子女から数々の嫌がらせを受けるものの、全てを華麗に打ち返す強さを持った女の子』とのヒロイン紹介があったように、きっと彼女らはこのまま黙って引き下がったりはしないだろう。
……防刃チョッキを注文しとくべき?
寮に帰るまでの間、辺りを警戒しまくりながら歩く私を見て、栞ちゃんと上代くんは微妙な顔をしていた。
「えっと。――めちゃくちゃモテる彼氏を持つと、苦労するって理解でいいん?」
上代くんの率直な問いにコクン、と頷くと、何故か栞ちゃんは両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。
「そんな訳わからん輩に負けんとき、ましろ! うちも協力するし」
あれ。チャラい赤い方むかつく、みたいな事言ってたのに、どうしたんだろう。
理由を聞いてみると、きっぱりとお嬢様軍団に釘を刺した紅の発言に、いたく感銘を受けたのだそうだ。
「あんなん憧れるわ~。人は見た目によらんのやな」
「――相変わらず、惚れっぽい奴」
「はあ!? シンにだけは言われたない!」
面白くなさそうな顔で栞ちゃんをくさした上代くんを見て、久しぶりにワクワクする。
なになに。私の甘酸っぱセンサーが発動しちゃう感じ?
「俺のどこが惚れっぽいねん」
「そうやんか。幼稚園の頃のミサ先生やろ、小学校入ってすぐのカオルちゃん。高学年のクミちゃんに、中学入ったらラン先輩やったっけ。二年の時は……」
「お前のそのいらん記憶力、こわっ! ほんなら俺も言わせてもらうけどな」
ぎゃあぎゃあ言い合う2人は、どうやら家が隣同士の幼馴染さんらしい。お互い素直になれないだけで、本当は両片思い、とかだったらいいのになあ。キュンとくる!
寮の入り口に着くまでずっとニヤニヤ傍聴してた私に、気がつけば2人はドン引きしてました。待て。
急いでバッグを置いて、机の上にきちんと教科書を積み重ねる。
部屋の入口にある洗面台の鏡を覗き、ちょいちょい、と前髪を整えて再び外へ。お財布と携帯だけを入れたリズリサのバッグを持って、先にホールに来ていた2人と合流した。
「ましろのバッグ、可愛いな」
「ありがと。お姉ちゃんが入学祝いに買ってくれたんだ」
そういう栞ちゃんは、ヴィトンのヴェルニシリーズのミニバッグを提げてる。
やっぱり彼女も良家のお嬢さんなんだなあと感心。小さい頃からがっつり音楽をさせて高校から音楽学校にやらせるようなお家なんだもん、ある程度は裕福に決まってるよね。
寮の外門前には、すでに二台のベンツが停まっていた。
車の脇には、水沢さんと能條さんが並んで立っている。一台に全員は乗れないので、ということらしい。先頭の車には紅が、後続の車には、他の3人がすでに乗っている。
「ご無沙汰しております、真白さま。ご入学おめでとうございます」
流れるような仕草で一礼する能條さんに「お久しぶりです」と慌てて挨拶を返した。わざわざそれを言う為に、外に出て待っていてくれたみたい。嬉しいな。
「こんにちは、真白様。青鸞の制服もよくお似合いですね」
水沢さんにまで褒められたよ!
後部座席のドアを開けてくれる彼に、私もとびっきりの笑顔になった。
「ありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
後部座席にはすでに紅がいる。
気を利かせた上代くんが助手席に乗り込み、私が真ん中、端に栞ちゃんの順で乗り込んだ。
「皆川 栞です。前にいるんは、上代 慎っていって、うちら幼馴染なんです。今日は割り込んでしまってすみません。喋り方こんなんですけど、標準語には慣れてなくて。先に謝っときますね」
栞ちゃんが緊張気味に自己紹介すると、上代くんも助手席で軽く頭を下げる。
紅は柔らかな笑みを浮かべ、軽く首を振った。
「成田 紅です。関西出身なんだね。無理してこちらの言葉に合せる必要はないよ。同じクラスになったのも何かの縁だし、こちらこそよろしくね」
おお~。紅が外面の良さを発揮してる!
久しぶりに愛想良い王子バージョンの紅を見た気がします。
栞ちゃんも感心したように「ほえ~」って顔してる。
でしょでしょ、カッコいいでしょ。
あ、でも……好きにはならないでね?
車が向かったのは、とある高級ホテルの中にあるケーキ屋さんでした。
ここ、知ってる! 『一度は行ってみたい有名パティシエのお店特選30』というムック本をお姉ちゃんに見せてもらったことがある。チョコレートケーキが絶品らしいという口コミ記事に、お姉ちゃんと「いつか一緒に行こうね」って約束したんだった。うわ、ごめんね、お姉ちゃん。先に魅惑の体験しちゃいます!
内装は中世ヨーロッパ風で食器なんかもすごく綺麗。
濃いめに淹れられたコーヒーとチョコレートケーキの組み合わせは、まさしく絶品ですよ。舌の上でふわりと溶けるガナッシュクリームに、しっとりとしたココアスポンジ。はあ、しあわせ~。
「気に入った? って聞くまでもなさそうだね」
紅は、ケーキは頼まなかったみたい。コーヒーカップを片手に、私の食べっぷりを隣りで観察している。
「紅も頼めば良かったのに。好きでしょ、チョコケーキ」
「嫌いってことはないけど、積極的には食べないな」
「そうなの? でも、あの日はどうしても食べたいって……」
家に呼びつけてチョコレートケーキを手作りさせたことを指摘してやると、紅は呆れたように眉を上げた。
「好きな子の手作りは、別。当たり前だろ」
いちいち言わせるなよ、と続いた言葉に、頬がカーッと熱くなる。
別、ですか。そうですか。
「甘い……」「甘いわね」「うん、甘い」「あっま~」
残りの4人が顔を見合わせて、うんざりしたような声を上げた。蒼までフォークを咥えたまま、顔を顰めてる。小さい頃の蒼を思わせる素直な表情だった。
紅はそれを聞いて悪い顔でクスっと笑い、「そんなに甘いの? ましろ、一口頂戴」と言ってくる。
えーと。そういう意味じゃないと思いますが。
早く、と急かされ、半分になったチョコケーキから一口分を掬い取る。
そのままフォークごと渡そうと持ち上げた瞬間、紅は屈みこんで口を開け、なんと私の手からパクっとケーキを食べてしまった。
「そんなに甘くないと思うけど」
上目遣いでこちらを見上げ、色っぽい仕草でペロっと唇を舐める。
「ね?」
駄目押しの囁き低音ボイスの破壊力に腰砕けになった私が、お行儀悪くテーブルに突っ伏さなかったことを誰か褒めて下さい。
みんなの前で「あ~ん」とか、もう!
栞ちゃんは無言でジタバタと身もだえし、隣りの上代くんにチョップをくらってました。




