6.入学式とファンクラブ
寮から青鸞学院までは本当にすぐだった。
ちょっとした森を通る遊歩道を抜ければ、目の前に現れるのが桔梗館。
2000の収容人数を誇る大講堂だ。ここで学内コンクール、通称:学コンが行われるし、オケの演奏会や、高等部の室内楽の発表会も行われる。
もう一つ、我らが寮とは敷地のちょうど反対側に建っているのが大聖堂。ルネッサンス様式の美を集めた素晴らしい建築物、らしい。建築については全く知識がないので分かりません。ステンドグラスが綺麗ってくらい。
中に設置されているパイプオルガンについては、どれだけでも語れますが簡単に。
パイプの数は4300。鍵盤は4枚。青鸞学院設立時に、かのサン・ミシェル大聖堂にあるパイプオルガンを模して造られたらしい。巨大なパイプオルガンの中に入って弾くらしいよ!
3年に一度開かれる大規模なクリスマスミサでは、海外から有名なオルガニストを招聘して、J.S.バッハのカンタータ140番『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』を演奏するんだって。高等部と大学の声楽科生徒だけでなく、希望者も合唱に参加できると紅が教えてくれた。
去年その演奏会があったから、私達の学年では3年生の時にミサがある計算になる。
副科では声楽を選ぶつもりだし、私もミサの合唱に参加できるといいな~。
「……受験の時はそれどこじゃあらへんかったけど、ちゃんと見てみるとすごいところやなあ」
隣を歩いていた栞ちゃんが、しみじみした口調でそんなことを言うもんだから、私も思い切り頷いて同意を示した。
「設立は明治やったっけ? 建物もそうやけど、伝統と名前も重い高校や」
上代くんも似たようなことを呟いてる。
そんな場所でこれから3年間、音楽漬けの毎日を送ることが出来るなんて幸せ過ぎる、と改めて思った。うん、精一杯頑張ろう!
「入学式は大講堂でやるんやったよな。ほら、もう結構な人が集まってんで」
栞ちゃんが興奮したように指差す方に顔を向ける。
大きな白い建物の前には、すでに大勢の生徒が集まっていた。地方からの入学者もいるからだろうか、保護者の参列は認められていない。それを知った父さんと母さんは酷くがっかりしてたっけ。
今年の新入生は全部で80名。
ピアノ科10名、管楽器科25名、弦楽器科20名、打楽器科5名、声楽科10名、作曲科10名という内訳だ。管楽器科と弦楽器科の中は更に、各楽器専攻に分かれてる。
クラスは各科まぜこぜで三つに分けられるらしい。
私は1―Aだって。入学案内にクラス分けの通知が入ってた。
紅も蒼も紺ちゃんも美登里ちゃんも同じAクラスだって聞いてたから、すぐに会えるだろうと思って特に連絡もしてないんだよね。
「えーと、入り口にクラス毎に並ぶらしいな。島尾さんはもちろんクラスはAやろ?」
何故か上代くんに確信を持って尋ねられ、「うん……でもなんで知ってるの?」と聞き返してしまった。栞ちゃんはキョトンとした私の顔を見て、不思議そうな表情を浮かべる。
「奨学生やのに、知らんかったん? クラス分けは学科と実技の総合成績順で決まるんや。AからCの順にな。有名な講師は、Aクラスにしかつかへん。ましろは、頭も賢いってTVでやってたし、絶対Aやろってこと」
この時になって、私はTVの特集を見なかった過去の自分を盛大に責めました。
恥ずかしがってる場合じゃなかった!
どんだけ話を盛ったんだ、TV局さんよう。あなたの番組のお蔭で私、入学前から変なプレッシャー感じてますけどおお!?
「はは、そっか。あんまり期待しないで、ね」
乾いた笑いを発した私に、何やら察してくれたらしい2人からは、それぞれ「どんまい」コール頂きました。いい人達だ。ありがとう。
「うちらもギリギリやろうけど、Aやから。よっぽどのことがない限り、3年間持ち上がりのはずやし、クラスの雰囲気にはよ馴染みたいなあ」
「――ちなみに、よっぽどのことって?」
「そら、試験の成績が落ち」
「了解です」
頑張らないと、マジで洒落になりません。
桔梗館の前まで歩いていくと、そこには特殊なフィールドが出来上がっていた。
キャアキャア騒いでいる女子生徒に取り囲まれているのは、もしかしなくても紅と蒼だ。
グリーンリボンの内部生が一番内側、そしてその外側を遠慮がちに取り巻いているのは紅いリボンの一般生。ざっとみたところ、新入生女子の8割以上をはべらせてますよ。ぱねえ!
離れたところから、そんな熱狂的ファンをポカンとした顔で見ているのは、一般生の男子諸君。
群青ネクタイの男子内部生の顔には、馴染みの光景なのか「ですよね」と大きく書かれている。
「紅さま! クラスは違ってしまいましたけど、選択科目では是非ご一緒させて下さいませね!」
「蒼さまも戻ってこられたなんて、お姉さま方が知ったらどんなに喜ばれるでしょう!」
「紅様!」「蒼様!」
――――なんじゃこりゃ。
紅は、珍しく愛想のない顔で彼女たちを適当にあしらっている。
蒼に至っては、不機嫌さを隠そうともしない顰めっ面で無言のまま。
「なんや、あれ」
「シオは知らんのか。あいつら、青鸞のアイドルらしいで」
栞ちゃんは、嫌悪感丸出しの眼差しでハートマークを飛ばしまくっているファンクラブ軍団をジロジロ眺め、「さむっ」と吐き捨てた。上代くんは、そんな栞ちゃんをまあ、まあと宥めている。
「実物はやっぱ飛びぬけてカッコええなあ。赤い髪の方がヴァイオリンで、水色の髪の方がチェロ専攻なんやって。実力も折り紙つきって話やし、オケの授業で一緒になるかもしらんやろ。むやみに敵作んな。感じよくせえよ」
「だって俺らめっちゃモテますよ、って顔しとる気がする。特に、あの赤い方。ちゃらちゃらした制服の着方して、なんやいけすかんわ」
――――い、言えねえ。
彼らこそが、私の紹介したかった友達で、その赤い方が彼氏ですなんて。
冷や汗をだらだらかきはじめた私の元に、一人の女の子が弾丸のように走ってきた。
「まっしろ~、おはよ!」
大きな潤みがちの二重にスッと通った鼻筋。ふわふわのボブカット。滑らかな陶器のような肌は薔薇色に染まっている。美少女’ズの片割れ、美登里ちゃんの登場です。
「ストップ! ハグもキスも禁止!」
両手を突き出して、先日の二の舞を避ける。
「ええ~。マシロとコンとのハグが私の唯一の癒しなのに」
「早々に他に見つけてね」
ぶーぶーと口を尖らせてる美登里ちゃんの後から、紺ちゃんもやってきた。
艶やかな茶色のストレートロングが、サラリと風に靡く。完璧に整った端正なお顔にほんの少し浮かんだ憂いが、また彼女の浮世離れした美しさに箔をつけていた。
「美登里ちゃん。暴走しないって約束したでしょ」
やんわりとした口調だったけど、美登里ちゃんはピシっと姿勢を正した。イエッサー、マムと小声で返事してる。いつの間にか調教済みとか!
ツッコミどころが満載で、口がもぞもぞするよう。
「おはよう、ましろちゃん。制服、すごく似合ってる。可愛いよ」
「ありがとう。紺ちゃんと美登里ちゃんも、すごく可愛い!」
一通りの女子の作法をスマートにこなした後、呆然と立ち尽くしている2人を振り返って彼女たちを紹介することにした。
「さっき言ってた友達だよ。こっちが美坂 美登里ちゃん。管楽器科でフルート専攻。イギリスからの帰国子女ってことになるのかな。そして、こっちが玄田 紺ちゃん。ピアノ科の内部生。――えっと、こちらの2人は私と同じ寮生なの。皆川 栞ちゃんと上代 慎くんだよ。栞ちゃんはトランペット専攻で、上代くんはピアノ科なんだって」
私がずらずら~っと喋ると、4人は「どうも」「初めまして」「よろしくね」「いや、こちらこそ」なんて挨拶を交わし始めた。
栞ちゃんと上代くんはその後、ヒソヒソ声で「美坂財閥の?」「ノボル・ミサカの?」「玄田ってまさか」「うわ、玄田グループか」と確認し合ってる。
意識してなかったけど、紺ちゃん達って有名人なんだった。
「ましろって、すごい人らと友達なんやなあ」
続けて栞ちゃんに耳打ちされ、曖昧な笑みを浮かべてしまう。
普通の子達だよ。ただ、庶民とは桁違いのセレブってだけで。
うん……そこが問題なのか。
「新入生は、クラス別に整列して下さい。まもなく入場が始まります」
一人のもじゃもじゃ頭の先生らしき人が講堂から出てきて、大きな声を張った。よく響くバリトンの50代くらいの男性だ。
興奮冷めやらぬ様子で騒いでいた女の子達は、しぶしぶ紅と蒼の周りから散っていく。ホッとしたように髪をかきあげる紅の肩を、蒼がつついてこちらを見るように促した。
瞬間、バチコーンと紅と目が合う。
えへへ、と愛想笑いを浮かべた私を、紅は冷ややかな眼差しで見つめ返してきた。
――うわ、機嫌悪い。
もしかして、まだ春休みのことを怒ってるのかな。そういえば、あんなに毎日来てたメールも途切れてたっけ。……今の今まで気にしてなかったけど。
以前の私だったら、何だよもう、と逆にムカッ腹を立てたかもしれない。だけど、今はただ胸の奥が痛かった。
紅が私に甘いって分かった上で、そこに付け込みいい加減に扱うとか、よく考えなくても、こんな失礼なことってないよね。
……今度こそ、嫌われたかも。
心臓がバクバクと音を立てる。
ごめん。紅なら許してくれるかな、って調子に乗りました。
今度から、ちゃんと説明するから。お願いだから――。
「私たちも行きましょう」
青褪めた私を見て苦笑を浮かべた紺ちゃんに促され、よろよろと歩きだす。紅の目の前まで何とか辿りつき、「おはよう」と小さな声を絞り出した。
「おはよう」
少なくとも、口もききたくない程怒ってるってわけじゃないみたい。
恐る恐る見上げると、紅はしばらく私をひたと見つめ、それから深々と溜息をもらした。
「そんな顔するなんて、卑怯だ」
「本当に、ごめん」
「いいよ、もう。これからはお前のペースに合わせる。だから、頼むから、少しは俺のことも考えて」
ざわざわと周りの女子生徒たちが動揺する声が広がっていく。微かな悲鳴まで上げてる子もいた。
すぐ後ろで、栞ちゃんと上代くんがびっくりしているのも伝わってくる。
人目が気にならないといえば嘘になるけど、私の今の最優先事項は目の前にいるこの人だ。
「うん。今度から気を付けるから――嫌いにならないで」
「……バカ」
紅にぐいっと肩を掴まれ、そのまま胸元に引き寄せられた。
「うそっ、なんで!?」「紅様、止めて下さい!」
見覚えのある髪色の子たちが血相を変えて近づいてこようとするのを、紅は空いてる左手をまっすぐに伸ばして制止する。
すっぽり彼の右腕に囲われてる状態だから、紅がどんな表情をしてるのかは分からない。だけど、息を呑んで立ち止まった彼女たちの気配から、きっとすごく冷たい顔をしてるんだって分かった。
「警告しておくね。この子に何かしたら、絶対に許さない。前にも言ったように、俺はもう君たちのごっこ遊びに付き合うつもりはないんだ。いい加減、理解して欲しいな」
「そんな……だって、紅様」
「気安く名前で呼ばないで貰える? 沢倉さん。さっきみたいに大騒ぎされるのも、はっきりいって迷惑だから」
沢倉さん、ってあの青い髪のピアノ科の子だよね。キラキラ星の楽譜の子。
一方的に庇われてていいのかな。私も何か言わなくていいの?
何とか彼女達の方を向こうとするんだけど、紅の腕がそれを許してくれない。
シーンと水を打ったように辺りが静まり返る。
紅の近くに控えていた蒼はボソッと「相変わらず、やること派手すぎ」と呟いた。
その時、天からの助けのように、講堂の両扉が静かに開き始めた。
上級生の演奏なんだろうか、ワーグナー作曲のニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲が中から響いてくる。オーケストラのトゥッティ(全奏者による合奏)で高らかに奏でられる有名な旋律に、ゾクリと鳥肌が立った。
そこでようやく体が自由になる。
唇を噛みしめ私を睨みつけていたファンクラブの女生徒たちも、肩を落としながら列に戻って行った。視線は相変わらず感じますけどね。
栞ちゃんと上代くんが無言のままなのも、逆に恐い。
「……すごく見られてるし、かなり恥ずかしいんですが」
「悪い。今日だけ、とりあえず我慢して」
小声で訴えると、全然悪いと思ってない口調でしらっと流された。
改めてあなたの心臓の強さに驚嘆しましたよ。
でもそれだって、幼い頃から衆人環視に晒されてきたせいだろうな。
平然とした表情でまっすぐ立ってる紅が、ちょっと可哀想になった。
広い観客席には100名ほどの上級生が腰をおろし、入り口から差し込む光に目を細め拍手を送ってくれている。
私達新入生は両側に分かれて通路を進み、先生の先導でAクラスから順に座っていく段取りみたい。
ステージ上の奥では中編成のオーケストラが、同じ青鸞の制服を着た男子生徒の指揮棒に合せ、見事に楽器を歌わせていた。
演奏が終わると、惜しみない拍手が客席から送られる。
「ようこそ、青鸞学院高等部へ。音楽をこよなく愛する諸君を、心から歓迎します」
中央前方にしつらえられた指揮台の前に現われたのは、トビーだった。
仕立ての良さが一目で見て取れる三つ揃いのスーツを颯爽と着こなしたトビーは、流れる金髪と相まって貴公子のよう。
彼の朗々とした理事長挨拶を耳にしながら、私はぎゅっと膝の上で拳をつくった。
長年憧れてきた青鸞での新生活の始まりに浮かれて、忘れそうになってたけど、ここには奴がいるんだった。
ぐるりと客席を見渡したトビーが私に目を留める。
一瞬、そう確かに彼の唇は、ふっと綺麗なカーブを描いた。
その笑みに挑戦的な色を感じてしまったのは、私が彼を嫌いだから?
花ちゃんがあんな人を好きになるなんて、ありえない。
トビーを攻略しなきゃならない事情が喩えどんなものであっても。
――紺ちゃんの理事長ルートなんて、絶対に阻止してやる!




