閑話
★花香お姉ちゃんの日常★
去年から、妹の様子が激しく変。まさに激変。
前までは、勉強キラーイ、クラシック? なにそれオイシイの? って顔で、毎日『アイレボ』の話ばかりしてた。
「ルンちゃん、可愛いな~」なんて言いながら、ツインテールを鏡に映しては決めポーズを取っていた普通の小学生女児だったのに……。
その日は、ラクロス部の顧問が所用で不在だったので、まっすぐ帰宅していた。
ラクロス部を選んだ理由は『なんとなくお洒落な感じだし、ユニフォームが可愛いから』だったのだけど、予想以上に激しいスポーツに、私は早くも自分の安易な選択を後悔し始めてる。
コンコン。
ノックの音にのんびり返事をすると、ドアの隙間から小さな顔が覗いた。
「お姉ちゃん」
「うおっ。な、なに、ましろ」
「今から、ピアノ弾いても大丈夫? ソフトペダル踏むけど、うるさくなるかも」
「い、いいよ」
帰宅してすぐ、妹の部屋を覗いた時、ましろは机に噛り付いてガリガリ問題集を解いていた。
その鬼気迫る形相に、何も声を掛けられずそっとドアを閉めたんだ。
勉強が終わったと思ったら、今度はピアノ!?
のんびりまったり小学生ライフを楽しんでいた妹は、どこ行っちゃったの!?
「ごめんね。ありがと」
にっこり笑ってましろは背中を向け、部屋の入口でピタ、と足を止めた。
「……お姉ちゃんも、一緒にがんばろ?」
部屋の中を改めて見回すと、惨澹たる有様。
全ての教科書は学校に置いてきているので、スクバは空っぽに近い。
勉強机の上は、コスメグッズと雑誌置き場と化していた。
制服姿でベッドの上に寝転んだまま、友達とラインで馬鹿話のやり取りをしていた私は、思わず正座してしまった。
「なーんてね! 私に言われたくないよね!」
ましろはペロっと舌を出して可愛く手を振り、今度こそ部屋を出て行った。
――お母さんに説教食らうより、堪えるわ……
お姉ちゃんも、もっとちゃんとしようかな。
あ、でも、明日から!
★蒼の好きなもの★
もともと俺は、手先の器用な人に憧れを持っていた。
たとえば、昔から家にいるお手伝いの美恵。
魔法のような手つきで、俺の嫌いなピーマンや人参をそれとは分からない様に料理に混ぜてくる。
「坊ちゃま。今日召し上がったテリーヌは、ほうれん草を使ったものですよ」
「うそだ。全然、そんな味しなかったぞ」
「いいえ。美恵は嘘を申しません」
還暦を迎える美恵の目尻に、優しげな皺が寄る。
その顔を見ると、心が和む。
美恵は、飾り切りも得意だ。
リンゴの皮を花に見立て、剥いてくれることもよくある。
マシロも、美恵と同じだ。
手先が器用で、頼まれると断れない損な性格。
大邸宅に一人残された俺の面倒をみている美恵と、会ってせがめば必ず何か俺の好きなものを折ってくれるマシロ。
年は全然違うけど、顔を見るとホッとするのは同じだった。
マシロに貰った折り紙は、全部大切に取ってある。
最初に貰ったグランドピアノは、防音室の窓辺に飾った。
チェロを弾く時は、アイツを嫌でも思い出させるグランドピアノじゃなく、マシロの折ったピアノを見つめる。
もっと仲良くなりたいな。
マシロの笑顔を思い浮かべながら、俺は今日も歩道橋で時間を潰す。
★紅と紺の攻防戦★
「紺!」
「……」
「なんだよ。まだ怒ってんのか?」
同い年の兄は、私の目から見ても極上の男の子だ。
どんな酷いことを云ったって、どんな傲岸な振る舞いをしたって、それら全てを覆してしまう華やかなオーラ。
ただその場にいるだけで、人目を惹かずに置かないとびきり魅力的な男の子。
「ましろちゃんに優しくして。お願い。もう酷いこと言ったり、意地悪したりしないで」
だからといって、彼が決して満たされているわけじゃないことも分かってる。
そんなあなたを救ってくれる女の子は、あの子なのに。
自分のやってきたことへの強烈なしっぺ返しを食らって、後で苦しむのはあなたなのに。
「――どうして、そこまでアイツに肩入れする? お前、最近変だぞ?」
紅は壊れ物を扱う様な手つきで、そっと私の髪を撫でた。
「分かれよ。紺だけが大事なんだ。他の女なんてどうだっていい。お前さえ守れればいい」
「いつか分かるよ、紅にも」
首を振って過保護な兄の手を外す。
ましろちゃん、ごめんね。
私は、私の道を行く。
でもいつでも、祈ってるよ。
あなたの行く道が光で満ちますように、って。




