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音楽で乙女は救えない  作者: ナツ
第二章 中学生編
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 「ねえ、ましろ。どうかな」


 花香お姉ちゃんが、私の前で気をつけ! の姿勢を取り、不安げに感想を求めてきた。

 今日は近くの公立幼稚園の入園式。

 花香お姉ちゃんの正式デビュー日でもあるんです。

 どんな格好で行けばいいのか園の先生達にリサーチしてみたところ、入園式にはパステルカラーの明るい色のスーツが好ましい、という返事だったらしい。目の前のお姉ちゃんは、就職祝いに父さんに買ってもらったクリームイエローのスーツを着て、薄めのお化粧を施し、髪はふんわりと一つに纏めている。


 「すごくよく似合ってるよ! 優しそうな美人教諭って感じ」


 思ったことをそのまま口にし、絶賛すると、お姉ちゃんは恥ずかしそうに頬を染めた。


 「えへへ。嬉しいな。……よっし! 頑張ってくるね!!」

 「うん。いってらっしゃい」


 就職が決まってから、自動車学校に通い免許をゲットしたお姉ちゃん。大学在学中にバイトで溜めたお金を頭金に、なんと軽自動車を購入済みなんです。ローンはまだ組めなかったみたいで、父さん名義で契約したそうだけど、お給料からちゃんと払っていくと宣言していた。

 中・高時代の行き当たりばったりぶりが嘘のような堅実さに、父さんも母さんも唖然としていたっけ。初心者マークのお姉ちゃんを危ぶむ父さんを隣に乗せて、すでに何度も車で近所を走る練習は済ませてるから大丈夫だとは思うけど……。

 玄関先まで見送りに出る。

 母さんは私の隣でぎゅっとエプロンの裾を掴んだ。


 「慌てないでね、花香。充分気を付けてよ」

 「分かった。いってきまーす!」


 真新しい白いパンプスに足を突っ込み、車のキーをくるりと指で回してからお姉ちゃんは私達に明るく手を振った。バタン、と玄関が閉まると急に家が静かになった気がする。

 お姉ちゃんがもう社会人だなんて。

 散らかし放題の部屋のベッドに寝そべって「明日はちゃんとやるから~」と面倒事を先延ばしにしていたお姉ちゃんはもういない。胸にぽっかり穴が開いたような気分になる。

 お嫁に行く時が来たら、絶対に号泣しちゃうだろうな。


 「……早いものね~」


 しみじみとため息交じりに零す母さんの背中をポンと軽く叩き、2人でリビングに戻った。


 うちの学校の始業式は昨日だった。

 3年生は受験の前に、各部活の引退試合が待っている。春休みも殆ど部活で潰れ、お出かけといえば一度みんなで映画を観に行ったくらいだった。

 3年生の中で私が一番のんびり構えてるんじゃないだろうか。

 勉強もピアノの練習も、一定のリズムが出来てるからそんなに苦にならないし、進学先は決まっているから受験の心配もない。

 青鸞学院には年明けに願書を提出し、一月の中旬に面接を受け、末にはもう入学手続きを取るそうだ。絵里ちゃんたちとお別れしなくちゃならない寂しさは、今でも胸を締め付けるけど、憧れの音楽学校への入学は楽しみでしょうがなかった。

 紺ちゃんや紅や富永さんと同じ学校に通えるんだよ? 

 音楽にどっぷり浸かって、沢山のライバル達と切磋琢磨して――。想像しただけで、ワクワクしてくる。

 

 昔は、高校生になったら素敵な音楽系男子と出会って恋をしたい! と夢見ていたけど、さっぱりそんな風には思えなくなった。前世での色んなことを思いだしたからなのか何なのか。自分でもよく分からない。

 誰かを心から好きになって、相手からも同じように想われる。世界中に当たり前のように転がっている恋愛が、私には遠いもののように思えてしょうがない。


 ピアノ馬鹿で、視野が狭くて、ついでに喧嘩っ早い私でもいいよ、って奇特な人がいれば別だけどね。……いないだろうな。


 鏡の前でセーラーのタイをチェックしてから、「いってきまーす」と台所にいるであろう母さんに向かって叫び、私も学校に向かうことにした。


 



 一学期は、テストづくめ。

 この一言に尽きた。

 まず、実力でしょ。中間でしょ。またまた実力でしょ。そして期末。

 テストとテストの間隔が2週間くらいしかない。塾に通ったり、校外模試を受けてる子たちはそれ以上にテスト漬けだろう。学校側の『オラオラ、お前ら受験生だよな。今の偏差値じつりょくつきつけてやんよ』といわんばかりの本気が感じ取れるスケジュールだ。

 早いテンポで結果を次のテストに反映できるのって、私はいいと思うんだけどね。グロッキー状態のクラスメイトに向かって本音を口にしないだけの常識は持ち合わせている。

 

 ピアノのレッスンは、ベートーヴェンのソナタ、ショパンのエチュード、バッハのパルティータなどを順におさらいしている。そこにラヴェルやスカルラッティなどを挟んでいく感じだ。弾いたことのある曲をもう一度やり直したり、協奏曲のピアノパートだけを練習したりすることもある。


 「小編成のオケと一度合わせたいところね。ショパンなら室内楽版を使えば管はいらないわけだし、プーランクなら20人程度のオケでいいんだし」

 「はい。是非チャレンジしてみたいです」

 「オケの都合がつけば、だけどね。今年が無理でも来年あたりには何とかしてみるわ」

 「ありがとうございます!!」


 ピアノは独奏楽器だから、一人でコツコツ練習していくのに飽きがきたりはしないんだけど、音楽には『合わせる楽しみ』というものがある。今までアンサンブルは弦楽器としかやったことがないから、木管や金管と合わせるのはすごくいい経験になりそうだ。

 

 「そういえば、夏にノボルの妹さんが来るんでしょう?」

 「美登里ちゃんですよね。はい、そう聞いてます」

 「彼女のフルートの腕はかなりのものらしいわよ。今度合わせて貰えるように、頼んでみたらどうかしら?」

 

 確かに!!

 今の今まで思いつかなかったよ!!

 去年、ノボル先生と一緒に吹いていたメヌエットも素敵だったもんね。


 善は急げ、とばかりに美登里ちゃんに手紙をしたためた。

 一週間もしないうちに彼女から電話がかかってきて、快くOKして貰えたんです。


 『うふふ。これはソウが悔しがるわね! コンに撮影を頼まなくちゃ!』


 電話口で美登里ちゃんはやけに興奮していた。


 『ボルヌのカルメン幻想曲なんてどうかな?』

 「いいと思う! 練習しとくね」

 『じゃあ、また夏にね、マシロ。be seeing you!』


 

 今年は、絵里ちゃんと間島くん。そして朋ちゃんと木之瀬くんカップルと同じクラスだった。しかも、玲ちゃんと美里ちゃんとも同じクラス。授業の合間にくだらない話で盛り上がれるのが、すごく楽しかったりする。玲ちゃんの時代小説好きはとどまることを知らず、高校に無事合格出来たら、時代劇チャンネルに加入してもらえるのだとか。「まってて、長官おかしらっ!!」と時折叫びながら、理科のイオン式暗記に取り組んでいた。うん、頑張れ。


 そして今日。ようやく一学期最後のテストが終わったんだけど――。


 「間島くん、問3って答え何にした?」

 「√5」

 「おっし! 合ってる!」


 朋ちゃんの質問に間島くんが答え、木之瀬くんが手ごたえを感じているようです。その隣で机に突っ伏している絵里ちゃんの頭をよしよし、と撫でてあげた。


 「ふええ……ましろ~。私、マジでやばいよ」

 「大丈夫。まだ本番まで時間あるから!」

 

 ひし、と抱き締め合う私達を、間島くんが容赦なく引きはがしてしまう。ちぇ。ちょっとくらいいいじゃんか。ヤキモチやきめ!

 ふくれる私に、木之瀬くんが聞かずもがなな質問をぶつけてきた。


 「そういう島尾はどうだったんだよ」

 「手ごたえ? まあ、100点かな」


 ムカつく~と木之瀬くんが私の髪をぐちゃぐちゃにかき回してきたので、すかさず朋ちゃんの背中に回って隠れる。


 「ねえ、彼氏がよその女の髪を触るのって、どう思う? 朋ちゃん」

 「嫌かな」

 「ですよね!」


 木之瀬くんは、はあ、と溜息をつき「今のはノーカンでお願いします」と朋ちゃんに頭を下げていた。


 

 そして夏休みに突入。

 その日は、真っ青な空に大きな入道雲が湧いていた。焼けつくような日差しが、じりじりと窓ガラス越しに突き刺さってきそうな夏日だ。

 念入りに日焼け止めを塗って、つばの広い帽子を被る。

 そう、今日は玲ちゃんのソフトテニスの最後の試合があるんです。


 「あら、どうしたの。制服なんか着ちゃって」

 

 食卓についた私の恰好を見て、母さんが不思議そうな声を上げる。玲ちゃんの試合のことを伝えると、「差し入れはいいの?」と尋ねてきた。


 「それが、一般生徒からの差し入れは禁止なんだって。保護者会からスポドリとかレモンの蜂蜜漬けの差し入れがあるみたいだしね」

 「そうなんだ。しっかり応援しておいで」

 「うん!」


 ハムエッグを乗せたトーストと牛乳たっぷりの冷たいカフェオレを胃に収め、早速出かけることにした。他の子たちも試合だったり練習だったりで都合がつかないので、一人で行くことになっている。

 他の学校が会場だったら応援に行くのも一苦労なんだけど、幸い近くの市民運動場が会場だった。


 大勢の人出に紛れて、玲ちゃんの出番を待つ。

 緊張した面持ちでコートに現れた玲ちゃんに、応援席から沢山の声がかかった。私も負けじと声をあげる。


 「玲ちゃん、頑張って!!」


 眩しそうに眼を細めながら、玲ちゃんは応援席を見上げ、私を見つけると嬉しそうに笑ってくれた。満面の笑みに心が掴まれる。

 頑張れ。頑張れ。

 ただ、祈ることしかできない。

 どうか、全力で戦えますように。玲ちゃんが満足できるまで、プレイできますように。


 一回戦、二回戦、と勝ち進んでいった玲ちゃんは、惜しくも決勝で敗退してしまった。

 息を切らし、膝に両手をついて呼吸を整えていた彼女は、まっすぐに顔をあげ対戦相手と握手を交わした。ベンチまで戻ってきて、顧問の先生や仲間たちに労われる玲ちゃんを食い入るように見つめる。

 やっぱり悔しかったんだろう、ポロリ、と玲ちゃんの頬を涙が伝って零れた。


 頑張ったね。ここまで勝てたんだもん、すごいよ。お疲れ様。


 色んな言葉が浮かんできたけど、私は何も言えずただ力いっぱい拍手を送った。ちょっとだけ和らいだ日差しの中をゆっくりと家路につく。

 ブルブルと携帯が鳴ったので、信号待ちの時に画面を開いてみた。


 『件名:本当にありがとう

  ましろが見に来てくれて、マジで嬉しかったよ。暑い中何時間も外で応援させちゃったのに、負けてごめん』

 

 きゅっと唇を噛み、しばらく考えてから返信を打つ。


 『件名:こちらこそありがとう

  すごくいい試合でした。最後まであきらめずコートを走り回っていた玲ちゃんに、沢山勇気をもらいました。私も頑張ろうって思えたよ。玲ちゃんも、自分の今までの努力を、今日はいっぱい褒めてあげて下さい』


 送信した後、すぐにまたメールがきた。『ましろ、大好き』という短いショートメールに、私もちょっとだけ泣いてしまった。



 

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