閑話⑧
☆ましろからのお土産(SIDE:紅)☆
修学旅行明けの土曜日。
紙袋をぶら下げ玄田の家にやって来たましろは、離れに俺がいるのを見て驚いたみたいだった。
「あれ、紅も来てたの?」
「ああ。ちょっと紺に用事があってね」
用事なんて本当はない。
だけどましろは、「どんな用事だったの?」なんて詮索はしてこないから、俺のくだらない嘘はいつも見破られることはない。
安堵するのと同時に、もどかしくなる。
いつまで経っても縮まらない距離が苦しくなる。
まあ、本音を口にしたところで、相手にはされないだろうけどな。お前くらいだよ、俺の言葉をさらっと流す女なんて。
「ちょうど良かった。練習の前に、お土産渡しちゃってもいい?」
今日は随分機嫌がいいんだな。
ましろは楽しげに紙袋を探り、2つの小さな包みを取り出した。
「えっとね……こっちが紺ちゃんで、こっちが紅のだよ」
うーんと見比べた後、はい、と手渡してくる。
「嬉しい! 早速開けてもいい?」
「どうぞ、どうぞ」
俺たちがどんな反応をするのか待ちきれない、といわんばかりに輝く瞳。
可愛いじゃないか。
思わず頬が緩んでしまった。
包みを開けると、トンボ玉を使ったストラップが出てきた。組紐とガラスの組み合わせがすっきりと美しい。そんなに高価なものではないのだろうが、デザインが洒落ていて一目で気に入った。
「わあ! 素敵!!」
隣で紺が大げさなくらい喜ぶのを見て、ましろも満面の笑みを浮かべた。
開けっ放しの無防備な笑顔に、胸の奥が痛くなった。
どうしてお前なんだろう。
どうして、お前じゃなきゃ駄目なんだろう。
会えればもっと、と望んでしまうし、会えない時はどうしているかと考えずにはいられない。典型的な恋煩いに、我ながら笑えてくる。
「実は私も買っちゃったの。蒼の分も買ったから、4人でお揃いなんだけど……ちょっと子供っぽいかな?」
後半部分は俺に向かって問いかけてきた。何も言わないでいるから不安になったのか、ましろの瞳が少しだけ潤んでいる。
――紺と蒼が余分だよ。
この気持ちをまっすぐに伝えて、俺のことしか考えられないように揺さぶれたらどんなにいいだろう。
「いいんじゃないか。ありがとう、早速使わせてもらうよ」
無難な言葉で湧いてくる衝動を抑え込んだ。
ましろは、驚いたようにまじまじと俺を見つめてくる。
「なに。俺が素直に礼を言うのが、そんなに珍しい?」
これまで散々からかってきた自覚はある。
最初は面と向かって攻撃したし、途中からは他の女との違いを知りたくて、馬鹿みたいに試してしまった。肩を抱いて耳元で甘い言葉を囁いたことだって、何度もある。その度にお前は、真っ赤になりながらも毅然とした態度で俺をはねつけてきたな。
「ううん。紅も喜んでくれて嬉しいなって。これでも結構悩んで選んだからさ」
はにかみながらも、俺から目を逸らさないましろ。零れそうな溜息を飲みこみ、「そうか」と短く答えるのが精一杯だった。
女なんてみんな一緒だと思っていた。
上っ面の良さに満足して、少しでも自分の理想から外れると途端に攻撃的になる。少なくとも俺に近づいてくるのはそういう奴らばかりだった。
彼女たちに望まれる振る舞いをそっくり再現してあげるのは、あんなにも簡単なのに、たった一人の女の子には手も足も出ない。
「……紅、何か今日、変じゃない? 言いたいことあるなら、ちゃんと言ってよ」
ね? と念を押してくる仕草が、たまらなく愛しい。
「本当に言ってもいいの?」
俺が問い返すと、ましろはキョトンとした表情を浮かべ首を傾げた。
★真白からのお土産(SIDE:蒼)★
その日は雪が降っていた。鞄を掴んで車を降りようとすると、運転手の慌てた声が飛んでくる。
「蒼さま! 傘を!」
「すぐそこだからいい。ありがとう」
俺に傘を渡す間に、彼の方がすっかり雪まみれになってしまう。
昔の俺は、それが使用人なんだから、と当たり前のように思っていたけれど、そういうのを真白は嫌がるだろうと気づいてからは、極力彼らに面倒をかけないようにしている。
感謝の言葉も意識して口にするようになった。
――『誰かに何かをしてもらうのって、当たり前じゃないんだよ』
あれは、林間学校の後だったかな。
俺たちに振り回される水沢さんを気の毒がった真白に、紅は「見合う対価は払ってる」と言い返し、すかさず彼女に「それもご両親のお金でしょうが」ってやり込められてたっけ。
玄関に走り込み、軒下で何度か首を振って髪に積もった雪を振り落す。暖かいエントランスでコートを脱ぎ、出迎えてくれた執事の坂下に「ただいま」と声を掛けた。
「おかえりなさいませ。急に降り始めましたね」
「ああ。もう12月だもんな」
俺がマフラーや手袋を順に外していくのを少し離れていたところで待っている彼と、ふと目が合う。物言いたげな眼差しに違和感を感じた。
「……どうかした?」
「いえ。その――」
よほど切り出しにくいことなのか、坂下は申し訳なさそうに眉を下げた。
「お昼過ぎに蒼様宛に日本から小包が届いたのですが、この雪で湿ってしまったらしく、受け取った際に外側が少し破けてしまったのです」
そんなことか、と拍子抜けした。
「中身が無事なら、いいんじゃないか?」
「そう仰っていただけ、ホッと致しました。部屋に届けてありますので」
「分かった。確認しとくよ」
すっかり体が冷え切っていたので、ホットコーヒーを頼んで二階に上がる。
自室のテーブルの上には、茶色のレターパックを白いレースでラッピングしたえらく可愛い包みが載っていた。日本から、という坂下の言葉に期待してしまった自分がいる。そっと持ち上げ差出人の名前が目に入った瞬間、思わず口元が緩んでしまった。
――真白からだ。
白いレースに見えたものは、光沢のある白い紙を複雑に切り抜いたものだった。手先の器用な真白らしい凝ったラッピングなんだけど、濡れたせいであちこちが薄く破けてしまっている。
俺が彼女からの手紙を心待ちにしていることは、この家で働いている全員がすでに知っている。それであんなに気にしていたのか、とさっきの坂下の態度が腑に落ちた。
確かに真白からの小包が破れてるのは残念だけど、そんなことでいちいち怒らないのに。
苦笑しながら丁寧に包みを解いた。クッション材で包まれた……これはストラップ? テープで厳重に梱包されているので開けるのを後回しにし、とりあえず先に便箋を広げてみた。
『城山くんへ
こんにちは。
コンクールの時は電話で話せて嬉しかったです。
入賞者が参加する記念コンサートは、無事終わりました。オーケストラと協演できなかったのは残念だけど、オケの方の都合で練習は夜がメインだったんだって。中高生を夜遅くまで拘束するのは如何なものかという意見が出て、見送られたみたい。
すでにネットで見てくれたかもしれないけど、私がラフマニノフを弾いて、富永さんがシューマンを弾くという【ファイナル曲シャッフル企画】だったんだよ。富永さんと2人して、えげつない企画だよね、って愚痴を言い合ってました。考えたのは、山吹さんです。覚えてるかな? 亜由美先生の知り合いで、今は青鸞の理事をしてる要注意人物だよ。
聴きに来てくれた人たちには「演奏者の個性がはっきりと分かって面白かった」って評判良かったみたいだけどね。私のピアノソナタは全然ラフマっぽくなりませんでした。もっとダイナミックに表現できる力が欲しいな。富永さんのシューマンはすごく良かったですよ。第二楽章なんて特に。富永さんにはつれない恋人がいるのかも、と邪推してしまいそうになる切なさでした。
コンサート後、富永さんにお願いされて亜由美先生を紹介したんだけど、亜由美先生には「必ずといっていいほどあるミスタッチ。すごく気になるわ」と笑顔で注意されてました。ズーンと分かりやすくへこんだ富永さんが面白かったです。』
そこまで読んで、手紙の中で真白に連呼されてる『富永 翔琉』が憎らしくなった。
そういえば一学年上にいたな。確かにピアノは飛び抜けて上手いって評判だった。感情先行型の荒削りなピアノは、正直いって俺の好みじゃないけど、真白が自分にないものに憧れる気持ちは分かる。そいつの男性的な音色は、真白の繊細で優美な持ち味とは全く違うし。
彼女は賢い割にどこか抜けていて、他人への警戒心が薄い。
簡単に人を懐に入れて、大切にする。
分かっていたはずなのに、胸が苦しかった。
紅、お前はどうなんだよ。
彼女が誰かを選ぶとしたら、紅だろうと思っていた。だけど、それは俺の身勝手な願望なんだと改めて思い知らされた。
――紅を選んでくれれば、友人面してこの先もずっと彼女を見守っていけるんじゃないか、なんて。虫が良過ぎるよな。
「蒼様。お飲物をお持ちしました」
ちょうどその時、メイドの一人がコーヒーを運んで来てくれた。
「ありがとう。そこに置いといて」
真白が誰と仲良くなろうが誰と付き合おうが、それは彼女の自由だ。俺はただ、笑って彼女の選択を祝福するしかない。我儘を言って、また真白を困らせてしまうのだけは嫌だ。
自分に繰り返し言い聞かせ、温かいコーヒーを何口か飲んで心を落ち着かせた。
そうして、ようやく手紙の続きに戻る。
『今回同封したのは、ちょっと遅くなっちゃったけど、修学旅行のお土産です。
私と紺ちゃんと紅と城山くんの4人お揃いで買ったんだ。お揃い、迷惑かな?
すごく素敵なデザインだったので買ってしまいました。本当のことを言うと、私がお揃いで持ちたかったっていうのもあります。自分勝手なお土産でごめんね。
気に入ってくれると嬉しいけど、気に入らなかったら誰かにあげて下さい。
日本のものだから、ドイツの人には珍しがられるかも!
では、また手紙書きますね。風邪など召されませんよう、ご自愛ください。
12月吉日 島尾 真白
追伸:ちなみに、ストラップのガラスの色は城山くんの髪の色と同じものを探しました。』
後半部分を何度も読み返す。
迷惑なわけないだろ。
お揃いで持ちたかったとか。ああ、もう!
嬉し過ぎて、どうにかなりそうだ。
「ましろ――」
知らないうちに声に出ていた。
一度口にしてしまえば、止まらなくなった。
好きだ。
今でも、こんなに君が好きだよ。
想いを返してもらえなくていい。
こうして気にかけて貰えるだけで、十分だ。
逸る気持ちを押さえながら、緩衝材をめくっていく。よほど心配だったのか、小さなストラップは何倍にも膨らんで梱包されていた。
透き通ったブルーのトンボ玉には、色鮮やかなオレンジと群青の水玉模様が入っている。
どこで買ったんだろう。
あれこれ比べながら、一生懸命選ぶ彼女の姿がすぐに浮かんできた。
目の前にぶら下げて、その綺麗な細工のストラップをしばらく眺めてみる。
胸の奥で燻っていたやるせなさは、いつの間にか綺麗さっぱり消えていた。




