プロローグ
高校生の頃、勉強もそっちのけにハマってしまったゲームがあった。
女性向け恋愛シミュレーションゲーム。――通称『乙女ゲー』
その中でも「難易度MAXゲーム。エンディングを見た者は、真の勇者」と称えられていたのか貶されていたのか……多分後者だろうな……なゲームに全身どっぷり浸かってしまったのです。
一つ違いの姉には「そんなんばっかやってると、現実で彼氏が出来なくなっちゃうよ! 妹がヲタクなんて嫌だ!」と大反対されたのだが、たまたま立ち寄った本屋さんで運命の恋に落ちてしまったのだから仕方ない。
姉に頼まれたファッション雑誌と新刊の恋愛小説を片手に、ぶらぶら店内を歩いていると、妙にテカった表紙のムック本が目に飛び込んできた。
<君の音を俺に――聞かせて>
帯の宣伝文句に興味を惹かれ、近寄ってみる。
水色の髪をした美青年が燃えるような赤い髪のこれまた美青年と寄り添い、こちらに向かって手を差し伸べているイラストが、でかでかと表紙を飾っていた。
か、かっこいい!
漫画にたとえるなら、その瞬間、私の目からは間違いなくハートが飛び散っていたと思われます。
その赤い髪の美青年が、もろタイプだったんです!
切れ長の藍色の瞳に高い鼻梁、セクシーな口元にすらりと引き締まった体躯。
こんな人が実際にいたら……いないけど、二次元って分かってても、トキめかずにはいられない。
紙とインクで出来た美青年と電撃的な恋に落ちた私は、そのムック本にざっと目を通し、彼が『成田 紅』くんであることを知った。
彼はどうやらゲームの登場人物のようだ。
私はムック本を脇に抱え、一直線にゲーム売り場に急いだ。
――――ない。見当たらない。
成田 紅くんが動いて喋るゲームはどこ!?
急いで会計を済ませ、私はそのまま近所のゲームショップを4軒もはしごした。
彼に会えるまで諦めない。どこまでも自転車を漕いでやる!
恋する少女というイメージからはかけ離れた形相で、ペダルを力強く踏み進む。
そしてとうとう4軒目で、私は成田くんを無事ゲットすることが出来たのです。
――『僕に聞かせて君の音楽~恋を奏でるメロディ~』
思えばそのちょっとちょっとなタイトルからして、何かがおかしかった。
だけど、恋に曇った私の目はパッケージイラストの成田 紅くんしか見てなかった。
息を切らせながらパッケージの裏面までも舐め回す様に眺め、喜び勇んでレジに並ぶ。
レジを打ってくれたのは女子大生風のお姉さんだった。
お姉さんは私がカウンターに出したゲームを見ると
「えーっと。あのですね。このゲーム、私も持ってるんですけど」
と言い始めた。
辺りを憚るように前のめりになって、そのバイトのお姉さんは私に顔を寄せた。
今時の女子大生といった雰囲気の綺麗な女の人でも、イケメンの出てくる恋愛ゲームをしたりするんだなあ、と変な感心をしながらその言葉の先を待つ。
「すっごく、難しいですよ。いいですか?」
……そこまで難しいのか。
わざわざ買おうとしてるお客さんにまで忠告するほどだ。よっぽどなんだろう。
――いや、でも買う。
ここまできたんだ、何としても動いて喋る成田 紅に会いたい。
ゲームは今までにもやったことはある。
パズル系ばっかだけど。
従兄弟が新機種買ったからやる、とくれた携帯用ゲーム機も家にある。
そしてこのゲームはその機種に対応しているのだ。本体から買わないとだめだったらきっと諦めたのだろうけど、全ての条件が揃って私を後押しした。
「いいです。大丈夫です」
きっぱり言い切り、私は『ボクメロ』を手に入れた。
結論から言おう。
全然、大丈夫じゃなかった。道理で店員さんが口を出さずにいられなかったわけだ。
後から調べてみたら、乙女ゲームにおいては既に「音楽系」の超人気シリーズが各会社から何種類も出ていたらしい。
後発組の『ボクメロ』会社は、群雄割拠する乙女ゲー世界に斬り込む為に、様々な試行錯誤をしたのだろう。
攻略対象を減らし、一人一人のシナリオを深くする試みもその一つだった。
最低5名ほどはいるはずの攻略キャラクターが、2名しかいない。
私が惚れた『成田 紅』くんと、水色の髪の『城山 蒼』くんだ。
紅様がフェロモンまき散らし系俺様で、蒼くんがツンデレ系俺様。
俺様二名しか攻略出来ない、ということが発表された時点で、既存の乙女ゲーファンはざわついたらしい。
それはそうだろう。どんな俺様好きでも、ちょっと引く。
しかも、エンディングは驚異の12種類。
うち、本当に幸せになれるのは1種類だけ。あとの11種類のうち、友達エンドと呼ばれるものが6種類。バッドエンドと呼ばれるものが5種類だ。
友達エンドには、「親友・仲のいい友達・メールを時々する程度の友達・会えば世間話をする程度の友達・お互いの名前を知っている友達・顔だけ知っている友達」に分かれている。
その半分が、もはや友達とは呼べないと思う。
音楽学校が舞台なのだが、バッドエンドの全ては「試験に落ちる」というものだった。
そう、『ボクメロ』はノベルタイプの乙女ゲームではなく、がっつり本格派のシミュレーションゲームだったのです。
試験は全部で四回。各規定に満たないと、主人公は学院を退学させられる。
では、その4回の試験とはどういう基準で行われるのか。
――それこそが、ユーザーを以てして『ボクメロ』を『ぼけめろ』と罵らせる原因だった。
簡潔に言えば、情報画面に表示されるパラメーターなどは単なる飾りで、試験には全く関係なし。
学院を回って手に入れた音符や音階や音楽記号を駆使して、自分で『作曲』しなくてはならない。
画面に現れる鍵盤と向き合い、ひたすら作曲。
甘いイベントを発生させたければ、ただただ作曲するしかない。
これ、何ゲー?
一回目の試験は、まだいい。歌曲のメロディ16小節だけだから。
最終試験なんて、弦楽四重奏を第一楽章まるっと作曲しなくちゃいけないんだよ。無理だろ。
音程、音階、リズムはもちろん、和声、対位法までが評価の基準となる為、当てずっぽうに音符を並べたって「君をこのまま学院に置いておくことは出来ない」と理事長に冷たく宣言されるのがオチだった。
このシステムはシミュレーションゲームの域すら超えている、と非常にネットを沸かせた。
最後までクリアできるのは音大生だけ、と囁かれ、何故か最後の方は、大手楽器店でゲームが売られるようになったそうだ。
では、2人の攻略キャラはどう落としていくのか、と言えば『運』だった。
作曲している主人公のいるエリアに、キャラクターが現れると好感度が上がる。
現れるかどうかは『ランダム』一択である。つらい。つら過ぎる。
誰も現れないまま、ひたすら作曲し続ける主人公の哀れさが、ユーザーの涙を誘った。
こんなクソゲーなのに。
私にしたって、一回もエンディングまで辿り着いたことのないゲームなのに。
時折現れては「やあ、頑張ってるね。ご褒美をあげてもいいけど、上手におねだりするんだぜ?」などと訳の分からない台詞を囁いて去っていく紅様に、私はどこまでも夢中になった。
ルックス、声、喋り方。そのどれもがツボだったんです。
そういえば、何百回とプレイしたのに、一度も蒼くんとは遭遇したことがない。どんな仕掛けだ。
ネットで調べてみると、長調の曲を作曲していると紅様、短調の曲を作曲していると蒼くんが現れるらしいということが分かった。
生まれ持っての能天気さを誇る私は、哀愁漂うメロディを作成することがどうしても出来なかったようだ。
最初に買ったムック本は攻略本ではなく、彼らのイラストやデータが載ったファンブックのようなものだった。つまり、ゲームプレイには役に立たない。
エンディングまで辿り着けない多くのファンを見越してか、ゲーム中で発生する全てのスチルが載せられていることにも、ブーイングの声が多かったようだ。
ネタバレ嫌いなプレイヤーって、一定数いるよね。私は逆に助かったけど。
だってゲーム内スチルで開いたのって、ほんの数枚なんだもん。
しょうがないので、ムック本の紅さまスチルを擦り切れるほど眺めました。
寝ても覚めても、紅様のことばかり考えて過ごした高校時代。リア充ってなにソレ? 美味しいの?
さすがに受験生になってからは自制したけどね。
それでも暇があると「いつか、紅さまとラブラブエンドを迎えたいな~」なんて考えた。
そんな私は大学受験の帰り道、マンホールに落下して命を落とした。
めちゃくちゃ間抜けなうっかり死ですよ。
偶然開いていたマンホールに落ちたのは、『あのボクメロがもっと身近に――大幅にリメイクされて貴女に会いにくる!』という告知ポスターに視線を奪われたせいだ。
ファンディスクじゃなくて、リメイクなの?
ゲームショップの真ん前のマンホールが開いてるって、どういうこと?
そんなしょうもないツッコミが、私の最後の記憶です。